セプテンバー5のレビュー・感想・評価
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知らなかったなー。
密室劇
真実を伝える重み
全く
1972年の当時の映像を使いながら、そして当時を再現する為の機材を...
緊迫感が半端なかった。
ミュンヘン五輪でのあの惨事は子供ながら朧気に覚えている。スピーバーグの「ミュンヘン」で、事件の裏側を知ったが、あの映画はイスラエル側の復讐劇が見ていて気持ちのいいものではなかった。今作品はそう言った意味では気が滅入ることはなかったが、報道局とスポーツ局の縄張り争いなど信じ難い話だ。普通なら報道局の下で現地レポートのみが筋だろうに。しかもドイツ内相と官僚の交渉場面、ドイツ警察が鎮圧に忍び寄る姿をそのまま生放送しているのには驚いた。時代とは言え、いくらスポーツ局員だとしても中止命令を受ける前に気が付くだろうに。地元警察らしきものが中継スタジオのサブに突入したが、普通なら政府直轄・国家中枢の公安などが大使館経由で命令するだろうに。ここら辺は本当に事実なのか、脚色しているのか疑問である。プロデューサーが通訳のドイツ人女性に両親のことを不躾に聞くのはこの企画の肝なのだろうが、さすがアメリカ人デリカシーを欠く、としたいのだろうけど、ちょっと露骨だ。少し前に見たばかり「ありふれた教室」のドイツ人女優レオニー・ベネシュと「ファーストカウ」「パストライブ/再会」のユダヤ系ジョン・マガロが出ていて得した気分。時間も適度でもっと見たいと思わせる尺で、お見事です。
仕事を忘れて仕事をする
レビューの★がイマイチだったので映画館で観るのを躊躇したけれど、一人で没入して鑑賞することができ、行って正解!!
損得なしに、しがらみなしに自分の仕事を全う出来るか。今ちょうど色々考えていたところだったので、かなり私は心が揺さぶられました。
PC なくても、スマホなくてもこうやって仕事していたんだよ(笑)
実話ベースにハズレなし❓️
題材と視点
今、“敢えて”これ(ミュンヘンオリンピック事件)を題材にするか、と作品に対して若干の複雑な印象を持ちつつも、第97回アカデミー賞「脚本賞」にノミネートされた本作がどんなものか、自分の目で確かめるためにTOHOシネマズ日比谷へ。公開1週目にもかかわらず小さなシアターが割り当てられており、会員サービスデイ10時55分の回は少ない席数に対してなかなかの客入りです。
カラーテレビが(アメリカの)一般家庭にも普及し始めた1970年代前半、72年に開催されたミュンヘンオリンピックは「時差」という壁をものともせずに非常に高い関心を集めていたこともあり、放送局(ABC)の力の入れようがまざまざと伝わってくるオープニング。ただ実際の現場では、24時間体制で対応できる環境を維持するため、疲労やストレスが溜まるスタッフたちと、度重なる機材の不調に融通の利かない(西)ドイツ人との交渉など、そこらじゅうにバッドバイブスが漂っていて皆テンションは低め。そんな中、不意に聞こえてきた「銃声」に急遽スタジオはざわめきだします。ただ、オリンピック中継のために集まった現場スタッフ達は当然「スポーツ班」であって報道のプロではありません。それでも、目の前で展開されるスクープに抑えきれないジャーナリズム。ABC中継のコーディネーション・プロデューサーであるジェフリー・メイソン(ジョン・マガロ)はそんな未知の状況を、手持ちのリソースと少ない情報の中でスタッフを差配しながら、ABCスポーツ社長のルーン・アーレッジ(ピーター・サースガード)を中心に、前代未聞の事態を「生放送」での放映することに踏み切ります。
今作を鑑賞するに当たり、しばらく前に観たきりの『ミュンヘン(06)』を観直してからという考えもあったのですが、今作があくまで報道側を視点にしたアングルに対して「見えてくるもの」を素直に感じるためにも、敢えて(本事件について)曖昧な記憶のまま「疑似的な新鮮さ」で挑むことにしたわけですが、正に報道の舞台裏の緊張感・臨場感がそのままに伝わってきて95分の上映時間はあっという間でした。例えば、今見ればめちゃくちゃアナログな手法の数々はむしろ新鮮で、基の映像素材にテロップを入れる方法や、印刷された写真の引き伸ばし方は正にプリミティブ。また電話の受話器を直結して音声を取り込んだり、ポータブルラジオを改造し周波数帯を変えて警察無線を傍受したりは、昔の「機械いじり」の楽しさを思い出してついついニコニコ。そして、起きている事実を忠実に伝えるべき報道の意義と、どこまであからさまに伝えてよいものなのかを判定する倫理観。更にはタイムリーに伝えるライブ感と、確実に裏付けを取る慎重さなど、現場は常に判断することのせめぎ合いの連続。一方で安全な場所からテレビと言う(当時の)最新メディアを通して観ている「野次馬」達にとって、これ以上ないほどのエンターテインメントだったことでしょうし、或いはこれが(報道部ではなく)スポーツ班が作ったものだからこそのエモみすら感じ、その後の報道番組などに大きな影響を残したことも想像に難くありません。
と言うことで、当初の引っかかりについてはむしろ、現代の「報道の在り方」についてまた考えなおすことも含めて観る価値のある作品でした。そして、本作を観たからこそ改めて『ミュンヘン』を観直したくなりました。堪能です。
もっと観られるべき
スピルバーグの「ミュンヘン」は未見で、事件の顛末は知らないまま鑑賞。
冒頭からテンポ良くずっと緊張感が続く作り。そりゃこのぐらいの尺でないとこっちの身体が保ちませんわ…
実話ベースなのでカタルシスはないが、結果的にどんでん返しはあったり(良くはないけど)して、すっごく『映画を観た』感覚がある。
よく考えるとかなりミニマルな造りでほぼほぼ室内劇なんだけど、当時のフッテージをたっぷり使ってそうと感じさせない上手い造り。
取り扱ってるテーマも、1972年の話ながら報道と正義、テロリズムやデマなど実に現代的なものでまったく古びてない。というか初期だからより純粋に課題が示されているとも言える。
これ、もっと観られるべき映画なんじゃないかな…
お薦めです。
NHKスペシャル風(ただし、ナレーションはなし)
浅薄につき、1972年のオリンピックがミュンへンであったこと、またそこでこのようなテロ事件があったことも知りませんでした。
報道人の野次馬根性と倫理観の狭間で悩みながら、テロの実況の生放送に挑み、右往左往する報道クルーたち。
携帯電話もPCもない時代、トランシーバーやダイヤル式電話、ラジオ等を駆使して情報をやりとりしているのが懐かしくもあり、新鮮。
男性3人は誰が何の役割だか、結局最後まできちんと把握できなかったのですが、それでも全く問題なし。
メンバー内唯一のドイツ人女性、マリアンヌのしごでき()具合が光っていましたね。
一切の無駄もなく最後まで緊迫感を持って、再現ドキュメンタリーとしては楽しく見れる作品ですが、〆に何か考察があるわけではないので自分で深掘りして考えなければなりません。
過去の愚行を繰り返してはならない、というメッセージを含んでいるのでしょうが、今なお熱いイスラエルとパレスチナ問題、地理的に遠いというのと、宗教感の違いからかいまいちピンとこないのです。
多神教の日本人から見ると、聖地を巡って殺し合うとか、何もそこまで?と思ってしまうのですがね。(そんなに単純な話ではないのでしょうが)
彼の地にいつの日か平和が訪れることを願うばかりです。
緊迫の報道戦
テロリスト
常に緊張映画
今を伝えるということ
インターネット環境もない、スマホもない、翻訳機器などもない。そんな環境のなかで、さながらアスリートのように、情報の壁、時間の壁、言葉の壁、国境の壁、様々な障壁をクリアしながら、現実を捉え伝えようと奔走したテレビマンたちの様子を、今そこに立ち会っているかのように錯覚させられるほどリアルにみせられました。それもあって、私がジェフだったとしても、「噂では…」と伝えることを選んでしまっていただろうな等と想像しながら観てしまいました。
「今ここにいる私たちが伝えなければ」という想いは、サウナのアウフグースを想わせるほどの「熱」というかたちでみせられた気がしました。
功と罪の両方をもたらした中継となったわけですが、関わる皆さんが現実に真摯に向き合った結果であったように見えましたし、伝えようという想いとディスカッションに基づく連携がなし得た結果だったのかなと感じました。
便利になり過ぎた今を生きる私たちがあの環境に置かれたとしたら、同じように行動できたのかな?と振り返ってしまいます。53年経った今、良くなったのは届けられる画質だけってことはないですよね。
もちろん作品として何らかの脚色がなされていることとは思いますが、現代の報道に携わる方々にも、この作品に出てきた人たちと同じ「熱」があることと信じたいと思いました。
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