セプテンバー5のレビュー・感想・評価
全167件中、41~60件目を表示
新旧メディアの報道のあり方が、これまでに無い注目を浴びる現在を生きる私たちに鋭く問い掛ける傑作だと思います。
1972年9月5日、ミュンヘンオリンピック開催中に起きたパレスチナ武装組織が選手村に侵入し、イスラエル選手団を襲撃した人質テロ事件の顛末を、事件を生中継したテレビクルーたちが直面したテロ事件を生中継することへの葛藤が映し出されます。
それは偽情報が拡散する時代に報道の在り方をシビアに問いかけ、報道の自由、事件当事者の人権、報道がもたらす結果の責任など現代社会にも通じる問題提起となりました。発生から終結まで何が起こり、彼らはどう向き合ったのかをありのままに伝え、まるでその場に放り込まれたかのように追体験できます。
「HELL」のティム・フェールバウムが監督・脚本を手がけました。
●ストーリー
1972年9月5日。ミュンヘンオリンピックの選手村で、パレスチナ武装組織「黒い九月」がイスラエル選手団を9人を人質に立てこもる事件が発生します。そのテレビ中継を担ったのは、ニュース番組とは無縁である米テレビ局ABCのスポーツ番組の放送クルーたちでした。彼らは五輪中継から一転、事件の模様を全世界に伝える使命を負うことを決断します。
現場管理者のルーン・アーレッジ(ピーター・サースガード)から全権をまかされた若い調整プロデューサー“ジェフ”ことジェフリー・メイソン(ジョン・マガロ)は、犯人たちが閉じ寵もった部屋の窓が見えるスタジオの屋上にカメラを1台据えることを指示すします。
やがてその屋上カメラに、銃を構えた警官たちの姿が映ります。犯人たちの部屋をうかがってにじり寄っていたのです。クルーの誰かが言いいます。衛星中継だから奴らも見ていないのではないのかと。これは衛星中継初期のことでしたので疑心暗鬼になっていたのですが、実は世界の9億人が固唾をのんで事件の行方をテレビ中継を見ていたのです。
エスカレートするテロリストの要求、錯綜する情報、機能しない現地警察。テロリストが定めた交渉期限は刻一刻と近づき、中継チームは極限状況で選択を迫られます。
めまぐるしく状況が変わる中で視聴率は急上昇、生中継は止められません。その中でこの中継を犯人グループも見ていて、捜査当局の動きが伝わり、突入が失敗してしまう事態が発生します。報道する側の姿勢をめぐり現場は混乱します。米本社からの「報道局に任せろ」という圧力に、現場を統括するアーレッジは「これは私たちの事件だ」と抵抗します。進行を仕切るジェフは野心と倫理のはざまに置かれ、苦悩するのでした。
その中で政府広報が、イスラエル選手団の救出をファックスで伝えてきます。しかしテレビクルーたちは、あまりに突然の打電で、にわかに信じられませんでした、そこでジェフは、選手団の救出をそういううわさがあることにして、報じようとします。しかし厳重な裏取りを説く現場総責任者のマーヴィン・ベイダー(ベン・チャップリン)が待ったをかけるのです。的確な判断力と胆力で核心情報をつかもうとするドイツ人通訳のゲブハルト(レオニー・ベネシュ)は志願して、救出現場とされる空軍の空港へ突撃ルポに向かいます。
果たして政府広報が伝える全員救出は、世紀の大誤報だったのでしょうか。そしてジェフはどのように報じたのでしょうか。
●解説
スティーブシ・スピルバーグ監督「ミュンヘン」(2005年)など、この事件を題材とする映画は何度も作られていますが、本作は大半が放送スタジオで展開していくという点で一線を画しています。
当時使われていたアナログ機材を置くなどして忠実に再現したコントロールルームを主な舞台に、実際のニュース映像も盛り込みました。何を撮り、どうやって情報源にあたり、報道するか。未曽有の事態の中、判断を迫られるクルーの姿を描き、緊張が途切れません。
銃声らしき音が端緒となり、人が殺された、テロだといった事実が明らかになっていきます。スタジオ内で刻々と高まる緊迫感と熱気、興奮を生き生きと描き出した導入部から引き込まれるのです。
情報は外にいる記者からの電話や無線連絡、中継カメラの映像やニュース番組のみ。手持ちカメラの、あえて画質を粗くした映像で建物内を走り回る登場人物を追います。観客は彼らと同じ現場に放り込まれ右往左往することになるのです。
一方、カメラを搭載した携帯端末が広く普及し、SNSでは簡単に情報を発信できる現代において、本作が作られた意義は大きいと思います。報道の担い手には言うまでもなく、万人に警鐘を鳴らす一本です。
脚本(共同)監督はスリラーで名をあげたティム・フェールバウム。このあたりの緊迫感は尋常ではありません。テレビモニターだけが一段と明るい副調整室に張り詰めている空気が今にも破裂しそうです。
しかし、サスペンスばかり言い募るのはこの作品の本質を見落とすことになります。
ここで逸してならないのは《噂》の扱いです。「ストーリー」で触れたましたが正確にいうと、まず突然人質解放の噂が飛び込んできたのです。しかし裏がとれません。でも、この上ない朗報です。噂にすぎないがと断って、別室のキャスターに伝えます。すると、ファックスから公報が流れたのでした。解放と描かれています。それを見てスタッフたちは歓声あげ、乾杯します。
けれども私たちはこれが誤報であることをすでに知っています。そして考えるのです。噂はどこから出たのか。公報とは何だったのかと。映画は画面を通じて無言で問いかけるのです。ジャーナリズムの倫理について、責任と影響について。 21世紀は情報の世紀と記録されるだろう、と学者が言っています。映画は私たちにも、のっぴきならない歴史の教訓について問いかけてくるのでした。
●感想
本作テロ事件報道は教訓として語り継がれながらも、現在は状況が変わっていると思います。それは何を報道するのか、しないのか。テロ事件では単純な正解が出せなくなったからです。テロを報じることが、社会的な脅威につながる2次被害を起こしかねません。
本作でも現場中継によって警察の動きが読まれて、突入に失敗し、その後の悲劇的結末につながることになってしまいました。
本作は、虚偽情報を特定するファクトチェックの重要性にも触れています。人質が全員救出されたとの未確認情報を報道し、それが事実として世界中に広がってしまうのです。 これは現在のSNSの問題と同じでしょう。アメリカを代表するテレビ局でさえ、間違いを起こすのです。誰もがテレビ局、新聞社になれる時代だからこそ、自分自身の物語だと思って見てほしいものです。
報道の自由、事件当事者の人権、報道による結果の責任は誰にあるのでしょうか?世界各地で続く戦争や、大統領選や日本の選挙など、新旧メディアの報道のあり方が、これまでに無い注目を浴びる現在を生きる私たちに鋭く問い掛ける傑作だと思います。
世界を震撼させたテロ事件を、こんな切り口で描く映画が作られるとは思いもよりませんでした。臨場感みなぎる手持ちカメラのショットを連ね、ニュース映像をふんだんに挿入したビジュアルの迫真性がすごいのです。
現場が至近距離なのに、カメラや取材者が近寄れない状況を逆手に取った手法も素晴らしいと思います。映画の大半はABCのコントロールルームから出られません。狭い部屋で情報を限定された一方、映像は外の状況を刻々と伝える状況が閉塞感を強調します。
予測不能の極限状況に直面したテレビクルーの混乱を描きながら、事態の情勢変化を伝える脚本もお見事。ただし限定的な視点の室内サスペンスゆえに、事件の全貌をつかむのは容易ではありません。
それでも道徳的ジレンマと野心の間で葛藤しながら、瞬時の判断を下すチームの熱気や緊迫感はヒシヒシと伝わってきます。テレビマンの呼吸までもが映りこむようです。スタジオ自体が最高の演出を生み出したのです。照明はすべて天井から当てられ、上からの光が作る陰影の濃淡が、リアルな感覚を際立たせていました。
金かけたら映像化できたのかな〜
予告に惹かれて鑑賞しました♪。
ちょい肩すかしで残念な作品でした(個人的にね)。
実際にあった事件で実際のTV局での出来事なのかな?緊張感はあったし事件は気になったけど、現場カットがなく(あえてそういう風に作成してるとは思うのだがやはり現場もみたいよね💧(目ざし帽の犯人は映ったが)、会話だけではもたなかった🥱💧。
とはいえ最後の結末からなにまで事実に基づいてだろうからかなりやばい事件だったんだね💧。
当時の情報網でも誰が人質か写真付きですぐ調べて公表するとか躊躇ないな〜、あとTVスタッフが警備すり抜けて何度も出入りするとか警備甘いだら💧選手に間違われて他局のインタビューに当たるとかは面白かったが(笑)。
作品内でも問題になってたが中継中に血がでたらどうするって所この時代はルール決めがまだあまかったんだね、流石に家族が見てたらショックデカいのぐらい想像は当時しなかったのかなー😰。
字幕やったしちょいものたりなかったが配信されたらもう一度みてもよいかな、30分ぐらいぬけてるし😓。
世界丸見え
面白くなかったわけではないんですが…
1972年、ミュンヘンオリンピック開催中にパレスチナ武装勢力がイスラエル選手団の宿舎を襲撃し選手11人を人質にする事件が発生。現場の近くにいたことから事件の中継を敢行することになったアメリカのスポーツ中継のTVクルーをドキュメントタッチで描く。
うん、面白そうだ。興味をそそられるし、しかも実話ベース。作品の求心力になっているのは生中継の裏側と事件の顛末。
作中ほとんどが中継ブースからの視点で、アメリカ本土のテレビ局と放送枠を確保する為の丁丁発止のやり取りとか運び込まれる素材フィルムをピストン運行で現像していく様やデジタル技術がない時代の急きょのテロップの入れ方など70年代のテレビ中継の緊迫した裏側という、お仕事描写はなかなかの物。
事件の結末についてはネタバレなので言及は避けるとして、全体としての評価は「地味だけど悪くないんじゃない?」くらいなんですが……
「この映画から何かを受け取ったか?揺さぶられる物があったか?」と問われたなら、うーんと唸ってしまう。
報道の自由とそれに伴う責任や放送される被害者の人権など、今作が放送倫理の問題を提示しているのは間違いないんですがそこに「今までもいろんな媒体でやってるし何回も聞いた」問題提起以上の事が感じられないんだよなぁ。私が鈍いのかしら?
なんだか、今さら「ネットの情報には嘘もあるから鵜呑みにするのは危険」とドヤ顔で注意された時に「うん知ってる」と、まったく心が動かないあの感じに似ている。
結果「なるほど、こんな事があってそんな結末になったのか」という好奇心と知識欲は満たせたものの、それ以上はなく、凄く良く出来た『世界丸見えテレビ特捜部の再現ドラマ』を観たような気分でした。
苦悩と陶酔
倫理観と報道
日本の報道は昨今ぐっちゃぐちゃですが、そこにもやはり真実をいち早く伝えたいという思いと現実はハッピーエンドになるとは限らない残酷さがあって事実はいつも皆が願う方になるとは限らないしやはり救いは無い。
でも明日も皆生きなければならないという生命の積み重ねを思い出させてくれる映画でした。
通訳のマリアンヌは戦争世代では無いけど、ドイツという国が背負った敗戦によって職場で傷付かなければならないことも多くて、当時の戦争しなかった世代の苦しみや背負ったものの表現も重苦しくのしかかっている様が描かれていた。
真実は何か、いつの時代も見極めなければならないし、真実として報道される事が真実なのかは現代社会では分からない事が多くなったのかもしれない。
個人的には全く、、、
報道の在り方
見せるもの、見せないもの。
見せたいもの、見せたくないもの。
見せるべきもの、見せてはならないもの。
そこにはあくまでも誰かの主観(判断)が存在する。
ドキュメンタリー(タッチ)のこの作品も、作り手の、これを見せよう、という意志によって作られている。
報道の在り方が問われる今、考えさせられる作品だ。
こういった実話ベースの映画が好きで、今作は半世紀前の事件を題材にしたものだが、現在起こっている出来事の多くが、今から半世紀ののちには、映画の格好の題材になっているようなことだばかりだと思うととても悲しい。
比べてはいけないが、ショータイムセブンも吉田鋼太郎なんか入れずに今作のような描き方をしていたらもっと緊迫感が出て面白くなっていたかも。あの犯人では無理か。
あれから半世紀
1972年のミュンヘンオリンピックの背中に起こった選手村での人質事件を描いた作品。
オリンピックにはあまり興味がなく、ほとんど観ていないが、過去にこんな事件があったことは初めて知った。
米ABC放送が期せずして生中継をしたことで、放送史に残る事件だったはずなのに、まさかの悲劇が待っている。
ピリピリした生放送ならではの緊張感が伝わり、全編無駄がない。
鑑賞後にこの事件の報復として、イスラエルとパレスチナの血と血を洗う報復合戦には目を覆う。
あの事件から半世紀経つが、あの地は未だに紛争の解決の糸口が見つからない。
過去と現在を思うと、重い作品だった。
オリンピック取材班の目を通してテロ現場が描かれた緊迫感ある作品
臨場感
ミュンヘンオリンピックでスポーツ担当のTVクルー達が突然のテロに遭遇し意地を貫き生中継するという内容。
ジャーナリストとしてのプライド、射殺場面でさえも中継するのかという倫理面、そして現実的な視聴率など、色々な問題の狭間で葛藤するクルー達の姿が臨場感満載で素晴らしかったです。
また、1972年が舞台ということで、荒い画質なのも雰囲気があってよかったし、字幕の付け方や写真の拡大方法など、当時の番組製作の方法を映像で見せてくれるのもとてもよかったです。
私はこの事件の存在も知らなかったので、歴史を学ぶ良い機会になりました。
ユダヤ人の迫害の歴史とドイツの汚点、そして今もなお根強く残るパレスチナ問題。
最近のガザ地区でのニュースも思い出しながら歴史のつながりを実感し、
もっと世界の歴史を学ばなければと改めて思いました。
ジャーナリズムと倫理観
ものすごい緊張感に身体が固まり、いい意味でどっと疲れた
低予算でも圧巻の緊迫感
緊迫感ではなく忙しなく煩わしい感なのだ。
オリンピック開催、当時珍しい衛星生放送、そして最中に勃発したテロ人質事件と、ノンフィクション作品としての素材に打って付けな題材の本作。
予告編は、まさに前代未聞な事件があの時に起こっていた! といった緊縛度合いもしっかり伝わってきて、骨太な作品と上映を期待してました。
が。期待値が上がっていた分、若干肩透かしされちゃったかな。どうも緊迫度というよりは、ネットがない時代の不便極まりない状況による"忙しなさ"だったり、ドイツ語から英語に通訳しないと事態が把握できない"煩わしさ"が要因だったなと。
ノンフィクションだけに脚本の流れもわかる分、鑑賞後のカタルシスも今ひとつ。
感じるのは、ネット以前と以後では、この手の作品は受け取り方が変わってしまうのだろうな。
電話機がダイヤル式のジーコジーコって、本当にまどろっこしい時代でしたよね。
裏をとれ
実録モノの作品が好きだ。
事実である、という裏づけが物語の格を一つ高めてくれるような気がして、
より集中力を持って観ることができる。
この映画の題材も、この作品がなければ知ることはなかった事実、事件だ。
物語の冒頭は少し観づらい。
登場人物のキャラクター付け、彼らのABCにおける立場、役職などが
イマイチ説明されないまま進むのでちょっと混乱する。
また当時の戦後ドイツという国の国民感情、歴史背景なども一瞬戸惑うところかもしれない。
ということは一旦差し置いて、
ほとんどセットだけ、ワンシチュエーションの物語構成でラストまで見せ切ることができているのは、
やはりこの物語が「事実である」という点が大きいと思う。
テレビ中継がまだ黎明期の頃の技術、システムを知ることができる、という部分は
個人的には面白かったが、多くの人にとってはむしろ退屈で歯痒さを感じる点かもしれない。
衛星の使用可能時間を局どうしで調整したり駆け引きしたりなどというのは、
観客にどう受け止められるのかな?と思いながら見た。面白いのかな?
真実とは何か?
「そこにカメラを置き、時事刻々と変化する事実を伝えること」をABCスポーツ班は選んだ。
慣れない言葉の言い回しや、むしろテロリストに有利な情報を中継してしまった?などの
問題点を乗り越えて中継は終わる。
ジャーナリズム、真実とは?という視点からこの作品は論じられることが多そうだ。
「ZDFが言っていた」「ここはABCだ!」というくだりが個人的には好きだった。
真実を伝えるって、なんだ?
個人的にはこの話は「裏を取れ」という話なんだな、と思った。
ラストシチュエーションではこの「確認(confirm)できたのか?」というセリフが、しばらく飛び交う。
誰が、どう確認すればいい?
政府が言ってることすら当てにならない。
現代においても、ネットや週刊誌は不正確な情報で埋め尽くされている。
裏をとれ。確認しろ。
1972年のミュンヘン五輪テロの現場で飛び交ったこの言葉。
今や、AIやフェイクの氾濫で当時以上に世界中のメディアは「確認」に翻弄されている。
私たちも一人一人が、「裏を取れ」ということを意識して暮らしていかなければ、
SNSのちょっとしたニュース、噂を簡単に信じ込んでしまう。
「裏を取れ」。
ABCスポーツ班のクルーの苦悩を、今の私たちも同じく背負って生きていくべきなのだろう。
きっと。
実に見事
歴史的な1日を追体験する、これは見事でした。
オリンピックの選手村を襲ったテロ、ミュンヘンオリンピック事件を題材にしたシリアスな作品。
テロ事件そのものでなく、事件を追うTVクルーの物語なのが斬新でした。
だから思想や国家間の問題は最低限の描写。
あと色調も当時のようなカラーグレーディングを施し、施された機材も凄いことに。あんな古いものどこにあったのやら。
物語はじっくりとタメを作った後、急ピッチで動き出す現場に引き込まれました。
スタジオという閉鎖された空間の緊張がピリピリと、少ない情報を何とか集めようと錯綜する熱量がすごいです。
この張り詰めた空気がずっと続くので、観ているこちらもつい力が入ってしまうんですよ。
最後、機材の電源を落としスタジオを後にした後のエンドロール。どっと疲れが出ました。
事件のその裏側でも、こんな闘いがあったのですね。
その描き方、実に見事でした。
そしてこれは史上初の「テロに寄る悲劇が生中継された瞬間」であって、決して「倫理のない報道からくる悲劇」ではないと思っています。
もちろん報道倫理や規制に関心が動いた機会ではあったと思いますが、あくまでも全くテロに対応できなかった西ドイツ側の失態でしょう。
そもそも選手村のフェンスをバッグを持って乗り込んでいる姿を目撃しているのに、それをスルーするところから事件は始まります。
事件後も現場にいたのはただの現地警察官で、もちろんテロリストに対抗する装備も訓練も行ってません。
狙撃手もただの警官でスコープも無く打てない、情報も錯綜し他の作戦も全て後手後手。
それを裏付けるように、事件後西ドイツは公式に調査も行っていません。
そして同じくIOCも同様の対応で、遺族のオリンピック開会式での黙祷の希望も聞き入れられませんでした。
驚くべき事にこの願いが届き、イスラエル選手団への黙祷が実現したのが、2021年東京オリンピックの事です。
映画とは直接関係ないのですが、オリンピックはの裏にはどうしても色々あったりしますよね。
緊迫感が続く90分
突然勃発したテロ事件を報道することになったスポーツ番組の放送クルー達が、即断即決を強いられながらも、ジャーナリズムや人権に直面する様が、終始緊張感の続くスピーディーな展開で描かれていました。
慣れないニュース番組の報道であり世界が注目する特大スクープ。それぞれのプロフェッショナルを発揮して今起きていることをカメラに映し出す。その機敏な仕事っぷりは観ていて気持ちが良く、1970年代のアナログな放送手法だからこその切り抜け方なども見応えがありました。
テロの発生から数時間が経ち、テロリスト側もテレビを見れることで情報を得てしまうことが分かったりと次第に難しい立場に立たされていく。そして、事実確認が仕切れていない速報が届き…。
「噂によると」「事実確認はまだですが」そんな保険をはっても結局他社が追従し、事実のように扱われてしまう。フェイクニュースに踊らされる現代にも通じるラストの後味の悪さは何とも言えないものがありました。
エンタメとしても、歴史の一片を知る機会としても、メディアの受取手としても、とても面白かったです。
全167件中、41~60件目を表示













