セプテンバー5のレビュー・感想・評価
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ジャーナリストとしての功名とすり減った倫理観
ジャーナリズムの本質は変わらない。それをまざまざと感じてしまう。
人質事件を知った放送クルーがとった行動というのが、スクープ(報道の一番乗り)への体制作りと情報の独占化。
彼らが商業メディアである以上、その行動は至極当然だと思うが、報道の使命というキレイな服をまとって自身の行動を正当化するプロセスが、描かれる。
独断でスクープを放ったスタッフは、結果オーライでお咎めなし。史上稀に見る視聴率ということでトップもご満悦。
その後の検証は、するわけないよね。当時だし。
彼らが良心を全部捨てているわけではなく、大学で学んだであろうジャーナリズム論を頭の片隅に置いて行動している。
ジャーナリストとしての功名とすり減った倫理観を天秤にかけながら事件と対峙する様子が、客観的に描かれている。
週刊文春と望月記者の言説が象徴的で、訂正はするが謝罪はしない。
結局のところ、いろんな報道を自分の頭で再構築して理解するしかないよね。
サンシャイン作戦
視聴率と人命
1972年ミュンヘンオリンピック開催中に発生した、パレスチナの過激派によるイスラエル選手団の人質事件を題材としたドラマです。
オリンピックの衛星中継を担っていたアメリカのテレビ局が、テロ事件の推移を全世界に実況中継することになります。
まるでドキュメンタリーのように、音楽なども最低限に抑えられた地味なつくりがリアリティを増していました。
ニュース報道の専門家ではないアメリカ人のスタッフたち、責任者たちは視聴率、特ダネという甘い誘惑と、人の命がかかっているという今まで経験したことのない深刻な状況の中で瞬時の判断を迫られて揺れ動きながら、さながら「カメラを止めるな!」のごとき緊迫感を持って次々とカメラを切り替えながら映像が繋がれてゆきます。
また、これまでは迫害されたユダヤ人側から描かれることが多かったホロコーストがドイツの一般の人々の心に残した傷跡を伺わせる言動の数々がストーリーに重みを加えています。
ダイヤル式の電話機、チャンネルを回すテレビ、携帯無線、喫煙…1972年当時を彷彿とさせる、もはや博物館級となってしまったアイテムが印象に残りました。
若い世代の人は「これは何?」という印象を持たれるかもしれません。
映像にキャプションを入れる方法のアナログさ加減ときたら仰天ものです。
「ありふれた教室」で主役の女性教師を演じたドイツ人女優、レオニー・ベネシュがテレビ局の現地ドイツ人スタッフとして熱演。素敵でした。
事実を知る事は大切 噂は・・・
1972年9月5日、ミュンヘンオリンピックでパレスチナのテロリスト集団・黒い九月がイスラエルの選手村を襲撃して2人を殺害、9人を人質にとって宿舎に籠城し、イスラエルに拘束されていたパレスチナ人や囚人など、300人以上の解放を要求した。やがて交渉は決裂して空港で西ドイツ警察による救出作戦が行われ、銃撃戦や犯人の自爆攻撃が起き、噂によると、人質全員無事解放された、とABCは放送したが、実は・・・そんな史実に基づく話。
ミュンヘンオリンピックは、水泳のマーク・スピッツの活躍を当時のテレビで映していたが、日本も平泳ぎの田口や体操、バレーボールなどで盛り上がったと記憶している。
その裏で、テロ事件があった事は日本で報道されたのか、あまり覚えていない。ミュンヘンの前、同年冬の札幌オリンピックが有り、スキージャンプやフィギュアのジャネット・リンで盛り上がった直後に日本赤軍によるあさま山荘事件が起きたが、あの時の鉄の玉で山荘を壊す映像が印象に残っている。
前置きが長くなったが、本事件はそんな時代の話で、世界中が注目する平和の祭典オリンピックを利用した卑劣なテロで、結果として合計17人(人質9人含む選手とコーチ11人、警察官1人、犯人5人)が死亡する大惨事となった。
それをABCの報道クルーじゃなくスポーツクルーが中継した。そのためか、情報は錯綜し、一旦は人質全員無事解放との噂が流れ、それを報道したが、誤報で、事実は人質全員死亡だった。
これを事件として知るのは良いが、ほとんどオリンピックの報道センターのようなところだけで、視聴率や、情報の裏どり、といった放送局目線での進行であり、デジャブ感で先週観たショウタイムセブンの阿部寛を思い出した。
途中眠くなったし、個人的にはあまり刺さらなかったが、これはこれでいいんでしょうね、くらいの感想。
イスラエルとパレスチナの争いはガザでみられるように現在も続いていて、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、と宗教絡みの憎しみは根が深いのだろうと、改めて思った。
9月5日
この時期に突きつけられる
メディアリテラシーについて
緊張感が凄かった
だれの事件
だれの責任?報道の功罪。緊迫の映像と、1時間半の短い尺を無駄にすることなく濃密な時間で駆け抜ける編集で、報道の義務と責任を描く実話モノの報道スリラー。"実話"モノとは言っても、例えば『大統領の陰謀』や『ペンタゴン・ペーパーズ』のように報道のあるべき姿(可能性)と格好良く英雄(ヒロイズム)的な面を映し出したタイプの作品ではない。無論、事件の顛末的にそうなるわけないのだが…。
本作はむしろ最前線の事件の周りであれこれ動き回って余計なことをして"遊んだ"結果、事件の展開を悪くさせることこそすれど、良い方向への影響は決して及ぼしていない報道の功罪についてだ。そんな、テレビ史上に残る悲劇・惨劇を驚くべき再現度とリアリティで再訪・追体験する1日。よく書かれた脚本と恐ろしく手際のいいストーリーテリングで、舞台劇・密室モノ的に報道室で繰り広げられる手に汗握る展開に釘付け!
「事件は現場(選手村)で起きてるんじゃない、ニュースルームで起きてるんだ!」的な驕り・思い上がり(?)から、それがどういう結果を招くかという職業倫理的な部分や後先のことは考えず(無視して)、自分の仕事をしているだけと飛びついたがための結果。ジョン・マガロがそんなニュースルームを瞬時の判断を迫られる切迫した状況の中で統率し、『ニュースの天才』がどうしても頭をよぎるピーター・サースガードが喝と指示を飛ばす。
初めてのことをやり遂げた人々へのリスペクトが感じられない
人質事件の現場や、それを取材するテレビクルーの様子などは一切映されず、テレビ中継の調整室と、それがある建物から画面が離れることはない。
そのため、まるで、スタッフの一員になったかのような臨場感と緊迫感が味わえるし、密室での閉塞感もひしひしと伝わってきて、観ているだけで息苦しくなってくる。
それに加えて、外部との連絡手段が、トランシーバーと有線電話と電報しかなく、おまけに、ドイツ語が分かる通訳が1人だけという状況で、欲しい情報が手に入らないもどかしさと、焦燥感も追い打ちをかけてくる。
人質が処刑される瞬間を放送しても良いのかと悩んだり、テロリストに警察の情報を与えてしまっていることに気付かなかったりと、史上初めてテロを生中継することになったスタッフたちの葛藤や失敗も生々しい。
極めつけは、事件の結末に関する「誤報」で、スクープをものにするための迅速性の追求と、複数の情報源による信憑性の確認という、ジャーナリズムの永遠の課題が、ここでも胸に突き刺さってくる。
エンディングでは、登場人物たちの疲労感と暗澹たる気持ちが痛いほど実感できるのだが、その一方で、仮に、事件が無事に解決されていたならば、彼らもこれほど落ち込むことはなく、むしろ、初めてのことをやり遂げたという達成感を得たのではないかと思われる。
その点、せっかくテレビマンたちの奮闘ぶりを描いておきながら、テロの生中継のマイナス面ばかりが印象に残り、その意義や功績がほとんど感じられなかったことには、やや釈然としないものが残った。
インターネットが普及した今の時代にも通じるマスメディアの問題点を、批判的に描くのは大いに結構だが、史上初の難題に取り組んだ先人たちに対するリスペクトが、もう少しあっても良かったのではないだろうか?
25-023
オリンピックのはずが
事件については全く知らない、親から聞いたこともない
特殊部隊か報道スペシャリストが5人?と思ったら日付
TV局生中継の慌ただしさ、事件の成り行き終始ヒリヒリしたムードで見るというか、見守っていた 現場の皆さん臨機応変でその場その場で判断下すの難しかっただろうな
報道に関する問題だけじゃなく?過去の事件、メガネの渋いおじさん達が奮闘するお堅い雰囲気でしたが、ユダヤとドイツとかイスラエルとパレスチナとか今尚起こっている問題にも触れてるようにも感じました
しかしあんな凄い灼光でその情報、えーっと思っていたら...
構成の妙
物語の最初から最後までオリンピックの生放送の中継基地の視点のみで話が進むのに中弛みせず飽きさせない構成は見事
恐らく当時の実際の報道の素材も使ったであろう映像も良かった
当時の番組製作の裏側っぽいモノも垣間見えてそこも良かった
テレビマン全員がプロ意識もった職人集団みたいでかっこよかった
でも名前と顔が一致しないまま声だけの出演になるキャラがいたり
視点は中継基地で固定なのにキャラは事件現場各地に行ったり来たりするから
全体像が若干わかりにくい部分もあった
それから1972年当時の世界とドイツを取り巻く環境をあらかじめ理解してないとピンと来ないやり取りが多少あって
人によっては物語に入り込む妨げになるような気もした
さらに今では当たり前の報道協定だとかも当時はなかった事を理解しておく必要がある
躊躇、葛藤、達成感、後悔……
当時の緊張感を再現した、フィルムの作り方がすごかった。
中継スタッフによる、「これを放送していいのか?」とか、「死人が出た責任は我々にないのか?」という躊躇、葛藤、達成感、後悔……ドロドロした感情が次々に描写されて、引き込まれました。
まだ世界がテロに初心(うぶ)で、西ドイツは第二次世界大戦の反省から極度の平和主義を定めた憲法で他国の軍や警察を受け入れないことを定めていたため、訓練されていない町の警察官たちが対応し大惨事へ発展って展開だった模様。
もちろん、報道管制とか、犯人の立てこもるビルの電気を落としてTV中継を犯人に見せないなどのノウハウもなく。
各国の警察にテロ対策チームが作られ、オリンピックや各国際イベントでのテロ含めた警備体制が構築され、選手村や施設には関係者以外立ち入り禁止となった今に至る、きっかけの事件だったらしいですので、その歴史を知るという側面でも有意義な作品でした。
裏はしっかり取ろう
とにかく地味、ひたすら地味な作品。でも、『スポットライト』や『記者たち~衝撃と畏怖の真実~』といった報道メディアの実録もの映画が大好きな者としては大好物。知る権利、報道のモラル、被写体の人権など、テーマの切り口はさまざまなこの手のジャンルは普遍ゆえに現在でも通じる。折しも本作で扱われる人質テロ事件も、終わりの見えないパレスチナ・イスラエル紛争とリンクしているわけだし。
この事件が複雑なのは、発生地がドイツのミュンヘンという点。ナチスの影を払拭すべく、人質となったイスラエル選手団救出を半ば“贖罪”とイコールにしたドイツ。ところがその結末があまりにも皮肉。
「裏を取る」のはマスメディアに携わる者としては怠ってはならない作業。しかし昨今はフェイクニュースという言葉が独り立ちしてしまうほどになっている。一応メディアに属する者として、本作のABCスポーツ番組クルーは他人事としては見られない。
ただ残念なのは劇場用パンフレットが作られなかった事。前述したようにこの事件は今のパレスチナ・イスラエル紛争ともつながっているのだから、事件が起きた背景を網羅したパンフはあっても良かったのでは。
【”リアル、テロ・ライブ”ミュンヘン五輪で起きたイスラエル選手人質事件を生中継するアメリカABCクルーの、視聴率か人命かを問いながら放送する臨場感が凄く、ジャーナリズムの在り方を問う重き作品。】
■1972年9月5日。西ドイツ、ミュンヘン五輪の開催中、選手村でパレスチナ武装組織”黒い九月”は、パレスチナ人テロリスト500人の解放を要求し、選手・コーチ二人を殺害し、残り9人を人質として立てこもる。
その様を、アメリカABCスポーツクルーは、世界に向け生中継するのである。
◆感想
・中継を担当したのは、報道クルーではなくスポーツクルーである。専門ではない彼らはそれでも、報道する責務と他局との視聴率争いとの狭間で揺れて行く。
・西ドイツ警察は中々機能しないし、苛苛する中、彼らはドイツ人女性スタッフを通訳にし、更にはスタッフを選手村に潜入させスクープを撮影しようとする。
■だが、スポーツクルーたちは、途中で自分達が映しているTVが、選手村の部屋でも観れることに気付き、西ドイツ警察が放送を止めようとしても、彼らは一時は放送を中断するが直ぐに再開するのである。
選手たちが、テロリストたちと空港に向かい、銃撃戦になった時に、彼らはスタッフを空港に向かわせる。
そして、選手たちが救出されたという連絡が入り歓喜するが、それがあやふやな情報だと分かり翻弄される姿が、生生しい。
<ラストは、異様に重い。結局人質は全員死亡という連絡が入るのである。本作は、ミュンヘン五輪で起きたイスラエル選手人質事件を生中継するアメリカABCクルーの、視聴率か人命かを問いながら放送する臨場感が凄く、ジャーナリズムの在り方を問う重き作品なのである。>
■尚、この事件後、イスラエルの諜報機関モサドが、パレスチナに行った苛烈なる復讐劇はスティーブン・スピルバーグ監督の逸品「ミュンヘン」で描かれている事を、敢えて記す。
ものすごい緊迫感だけど
オリンピック開催中に発生したテロ事件を、警察でも、犯人でもなく、報道目線で描いています。
スマホもない、デジカメもない、ネット回線もない時代。情報も限られているが、事件は目の前で起きている。なんとしても報道したいという思いと、かたや、報道すべきか?という葛藤も含めて、緊迫感がひしひしと伝わってきます。
一方で、事件が最悪の結果を迎えた中、現場を仕切っていた人たちが、どんな気持ちだったのか、特に、現場を任されていた主人公の心情も、もう少し描いて欲しかったと思います。皆さん、報道の現場の人間とはいえ、元々、スポーツを担当するクルーだったわけだし、悲しい結果に、尋常な精神状態ではなかったと思います。
ドイツ人のスタッフは、最後に、大丈夫か?と尋ねられて、気持ちを語る場面がありましたが、それを尋ねていた責任者も、上司から、明日も頼むと言われて、はい、わかりました・・・だけではない、ものすごく複雑な気持ちがあったと思うのですが、どうなんでしょうね?
リアルタイム中継放送の是非を報道する側の視点で描く
誤報(ぬか喜び)の後の結果に青ざめるアメリカABC放送の
クルー‼️たち・・・
その姿ががとても印象的でした。
人質全員解放から、人質全員死亡‼️
この落差は人命尊重する重大なスクープに暗い影を落としました。
人質の家族は、解放無事の報から、その直後には
奈落の底へ突き落とされたのですから、
《報道の重み》《報道の責任》
それは計り知れないですね。
【ストーリーは実話】
1972年9月7日(=題名)のミュンヘン・オリンピック選手村で起きた、
パレスチナの武装派集団(黒い九月)による、
イスラエル選手団の人質テロ事件。
それをアメリカABCテレビのスポーツ担当のクルーが、
寄りによって報道knowhowのないスポーツクルーによって、
衛生放送で世界に同時生中継をしてしまったのです。
視聴したのは9億人。
日本でもテレビや新聞で見聞きしましたが、リアルタイムの
衛星中継はなかったと思います(家族に確かめたのですが、)
リアルタイム中継。
①その是非と、功罪。
②ABCにあったCBSへのライバル心と焦り。
③ドイツにとっての、このオリンピックの持つ意味。
③は特に重要な気がします。
ナチスドイツに恨みを持つイスラエル人が、
ドイツで開かれる戦後初のオリンピックに参加したこと。
【平和の祭典=オリンピック】で、
イスラエル選手団の全員11名が
今度はパレスチナ人に殺されたことの意味。
人質を連れたパレスチナのテロリスト集団(黒い九月)は、
空港で人質が全員解放された・・・との偽情報が、
ドイツ側広報、ドイツ高官から流される。
その誤報の原因は、映画を観ても私には分からなかった。
❹人質のイスラエル選手の部屋では、ABC放送の映る
カラーテレビがあり、
テロリストには警察の動きが筒抜けになっていた。
・・・では何故?
❺選手村の電源をシャットアウトなかったのか?
競技の中断はすぐに終わり、またすぐにはじまったのか?
この事をABCクルーは悔いて責任を感じているが、
気づかない警察と、オリンピック事務局にも疑問を感じる。
撮影したクルーでただ1人のドイツ人として生放送に貢献した
通訳を兼ねたマリアンヌ(レオニー・ベネシュ)、
そのマリアンヌの立場も微妙だった。
イスラエルへのドイツ人として複雑な感情を込めつつ、
職場ではアメリカ人にドイツ語を訳して、
警察無線の傍受やら、そしてドイツラジオ局の情報も
同時通訳する。
(これはある意味スパイ的立場に似ている)
ABCスポーツクルーは、特に撮影責任者のジョン(ジョン・マガロ)、
そして番組責任者のスポーツ担当デスクのルーン
(ピーター・サースガード)が仕切った。
ここの2人が、事態が変わるたびに、何度も重要な決断を迫られる。
特にルーンはアメリカにいる報道スタッフにスクープを
横取りされないために、
必死で、喧嘩腰でアメリカにいる報道チームと電話でやり合う。
(実際問題としてニューヨークから来たって間に合わないのだ、
(たった一日に起こって終わった顛末なのだから、)
撮影は1972年を実に詳細に再現、
その場にいたスタッフそしてカメラマン、
機材(望遠カメラの大きさと重さ)
テレビ局のモニター画面も本当に小さくて、
覆面を被ったテロ犯は窓辺に何度となく姿を現すやら、
ドイツの警官が屋上から人質の部屋に侵入計画も、
犯人たちにバレバレだったのだ。
それほどに警察にもテレビクルーにも判断の時間が持てないほどの
スピードで進んだ奇襲作戦のテロだった気がします。
ジョンはトップを切って“人質の無事“を報道したくて、
“多分“を付ければ、良いか!?
「多分人質は全員解放された」との一報を流す。
それは瞬く間に世界中に流れる。
しかし実際には空港での地獄の銃撃戦の末に、
イスラエル選手団の11人全員と警官、パレスチナ人5人が
全部で17人が死亡したのです。
世紀の誤報・・はあっという間に塗りかえられて、しまったわけですが
ジョンの青ざめた顔、そしてABCスポーツ担当責任者のウィアーに
とっても苦渋の選択だった。
咄嗟の判断を迫られるリアルタイム放送の難しさを、
思い知らされました。
この映画を観る前に「ミュンヘン」2005年を観たのですが、
「ミュンヘン」はこの映画の「黒い九月事件」とその後、
その後のイスラエルの報復とパレスチナの報復への報復・・・に、
重きを置いた映画でした。
そしてパレスチナとイスラエルの問題は、50年後の今もなお
報復の連鎖は続いているのです。
余談ですが、調べたら1972年は私の住む「札幌冬季オリンピッ」が
2月にあって、その秋の9月がミュンヘンオリンピックだったのです。
ドイツが戦後の復興の象徴的立ち位置がミュンヘンオリンピックで、
札幌冬季オリンピックは“札幌に地下鉄が通って便利になったよー“
そんな楽しいお祭りだったのに、ミュンヘンでは今も歴史に禍根を残す、
“血塗られた平和の祭典“だったとは!!
報道する側の伝え方、倫理観を、
今改めて問いかけたい・・・
ティム・フェールバウム監督はそう語っています。
メディアの意義
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