セプテンバー5のレビュー・感想・評価
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自分も放送クルーのひとりになったかのような没入感
オリンピックの理念は『スポーツを通して心と体を健全にし、国や文化の違いを超え、友情とフェアプレーの精神でお互いを理解し、世界平和に貢献する』こと。
けれど世界的な祭典ということもあり、悲しいことに理念を反して政治的な利用をされてしまう現実もある。このミュンヘンオリンピックでの悲劇もそのひとつだった。
純粋にオリンピックで夢を叶えるために、努力を続けた選手とそれを支えたコーチが犠牲となることの、理不尽さや無力感といったらない。
この作品では、突如起こったこの事件を、本来はスポーツのみを取り扱っているはずのABCの放送クルーたちが、歴史的生中継をする様子を、事件の始まりから終わりまでノンストップで追体験できる。
様々なドキュメンタリー番組で見てきたミュンヘンオリンピックの悲劇。実際の映像を交えながら、あの時放送クルーたちがどんな決断を迫られ、判断をして、動いたのかがわかるだけでもとても興味深かった。それと同時に自分もあの場のひとりになったかのような没入感で、あっという間の91分だった。
慣れてないからこそのミスや、この事件を届けなければという使命感や責任感から、報道や言論の自由は果たしてどこまでなのかという問題もあると思う。安全圏にいるからこその、スクープを誰よりも早く撮ってやる邪な気持ちも無かったわけではないと思う。
けれど、あの場にいた誰もが人質の解放を願っていて、それをいち早く世界に届けたいと思っていたに違いない。
最後の結末は知っているのに、見終わった後は喪失感と無力感が襲ってくる作品だが、一見の価値はある作品だった。
前代未聞の報道で浮き彫りになる情報拡散のリスク
現場で起きていることを世界に伝えるという使命感と、スクープをものにしたいという欲求のもと、テレビマンたちは前代未聞のテロ中継映像を全世界に発信した。情報の拡散に潜むリスキーな側面に気づかないまま……
1972年のこの事件がはらむ報道のあり方への痛烈な教訓、国家間の対立にかかる問題は、2025年の今も全く色褪せていない。そのことに暗澹たる気持ちになる。
冒頭、オリンピック競技を中継するカメラのスピーディーなスイッチングがライブ感を印象付ける。特別な祭典を中継するABCクルーたちの晴れやかな緊張感が伝わってくる。しかしそれは、朝まだき選手村に響いた銃声によって一変する。
最前線の采配を任されたジェフリー・メイソンは、居合わせたクルーでの役割の割り付け、現場近くへのスタジオ機材の運び出し、放送枠の確保や警察無線の傍受など、未経験の状況ながらも的確に対応してゆく。メイソンは当時32歳(現在84歳で存命であり、本作についてのインタビューに答えている)。他のクルーも、20代から30代が中心だったという。
テロリストの不穏な動きと刻々と変わりゆく状況が、オープニングの競技中継のようなハイテンポで描き出され、最後まで緊張感が途切れない。
事件の前からその緊張感のそこかしこに、観客の気持ちを波立たせる要素が織り込まれる。ドイツ人通訳のマリアンネに見てとれる、第二次大戦でのドイツの罪とトラウマ。さりげなく言及されるアメリカとキューバの関係。時折他のクルーとは異なるスタンスが垣間見えるアラブ系クルーの言動。
描かれる事件はパレスチナとイスラエルの間の火種によるものだが、国家間の争いは最終的に悲劇を生むだけという点ではどこも同じなのだと言われているような気持ちになった。
そして、この物語が投げかけるもうひとつの重い問いは、やはりメディアのあり方だ。
テレビ放送の歴史自体がまだ浅い当時、報道部門のクルーでさえ経験がないであろうテロの生中継をスポーツ部門の若手クルーたちがやる。彼らには目の前の出来事を伝えるというテレビマンとしての使命があり、現場を任されたメイソンはその使命に対して最善の行動を取った。
クルーが選手の扮装をして選手村に潜り込んだり、犠牲者が出たのに人質解放のスクープ(結果的に誤りだったが)をものにして乾杯したりと、現代の感覚で見れば違和感を覚える場面もあったが、未来人の視点で事後諸葛亮のような批判をする気にはとてもなれない。今と比べると技術的にかなり限られた当時の情報収集手段、彼らが唐突に放り込まれた前代未聞の状況。現代のような細やかな(ある意味神経質なまでの)人権意識が醸成されていない半世紀前の時代の空気。同じ時代の同じ立場にもし私が立たされたなら、と考えただけで足がすくむ。
だが、中継によりテロリストに警察の動きが筒抜けになっていた点については、前例のない事態にぶっつけで臨んだ結果の痛恨の失態と言える。
報道の自由や知る権利はしばしば行き過ぎと見なされて批判を受けるが、本質的には守られるべきものだ。それらと背中合わせになったリスクを回避することの難しさをミュンヘンの悲劇は示し、その後の報道のあり方を考える上での貴重な礎になっているのではないだろうか。
90分続く緊張感に晒された後に最悪の結末を突きつけられ、エンドロールを見ながら言いようのない無力感に襲われた。だがそれは、良作を観たという手応えでもあった。ほとんどスタジオ内のみで完結する物語だが、単調さを微塵も感じないまま駆け抜けた実感があった。
本作のメッセージはそのまま、現代のメディアにも鋭く刺さる。加えて、50年前とは違いSNSというツールの魔力に振り回される市井の人間ひとりひとりも(もちろん私自身を含めて)そのメッセージを自分ごととして耳を傾けなければならない、という気持ちにもさせられた。
その発信で誰かの心身がおびやかされないか、その情報は裏取りをしたものなのか。情報は誰かを救うこともあれば、時に誰かの命をも奪い得るのだ。
よくも悪くも淡々とした作品
封切りから1カ月近くがたつ。上映回数はかなり減ってはいるものの東京都心のシネコンではまだ上映されているのを知り、終わる前に見ておこうと思って平日昼すぎに見た。
50年以上前の事件だが、評者は当時小学生。日本国内でどれだけ注目されたか記憶はほとんどないが、そういう事件があったことは憶えている。
本来、スポーツ取材しかしない(だろう)ABCのスタッフらが、ニュース(報道)の鉄火場に巻き込まれながら、米本土の鼻を明かすように奮闘する部分はなかなかに面白かった。
評者自身も、新聞記者として「現場」取材の経験があるだけに、それなりに感情移入しながら映画を見た。
しかし、全般に描き方が淡白なのである。
緊迫した場面も、あくまで米ABCの五輪中継スタッフの調整室からの視点にほぼフィックスされているだけ。
それはそれで面白くは見ることはできた。敢えて過剰な味付けをしないようにしたのかもしれないが、見る者の感情を揺さぶるような場面もほぼない。
事件の背景を描くでなく、被害者であるイスラエル選手団関係者を描く場面は少しだけで、テロリストたちについては姿がチラチラと映るだけ。
事件を掘り下げるようなことは最初からしないスタンスの作品なのだから仕方がない。
そういう映画なので、時間があった事実の重みがスクリーンから伝わる感じもしないのだ。
出来が悪いわけではないが、どうにもスクリーンから伝わる熱量の少なさが、★2つにした理由である。
わざわざシネコンに足を運んで見に行くほどのものではない。
公開時期と内容にちょっと思うところはあるものの、ミュンヘンオリンピック事件を報道側の視点から捉えるという見方を提示した点は評価したい一作
1972年に起きたミュンヘンオリンピック事件を、現場で取材し続けた報道機関の一つ、ABCのクルーたちの視点で描いた作品です。冒頭のスポーツ中継の流れから、あ、これはクルー動きを見せる映画なんだな、ということがすぐに分かってきます。そのため事件の進展は観客すらもほぼモニター越しにしか把握できず、外界から隔離されたスタジオの密閉感は、たとえ事件の顛末を知っている人であっても、先の見通せない緊張感を強いられます。
取材の不手際を挽回しようとして次のさらなる重大な事態を引き起こしてしまう…、という悪夢の連鎖は報道関係者でなくとも身につまされるものがあります。
この時期にパレスチナゲリラを得体のしれないテロリストとしてだけ描くことが妥当なのか、思うところはありますが、総合的にはテロへの批判だけでなく、メディアの暴走にも警鐘を鳴らしている…、と思いたいところです。
なお同じミュンヘンオリンピック事件を扱った作品として、スピルバーグ監督の『ミュンヘン』(2005)があり、『セプテンバー5』の復習としても、あるいは予習としてでも、併せての鑑賞がおすすめです。特に『ミュンヘン』の前半部では、本作とほぼ同じ状況を描いていおり、本作があえて省略した事件の概要と結末を理解するうえで、とても役立つのでは!
役者の演技とドラマのスピード感、絶品でした。
惜しくも受賞は逃したが、アカデミー賞脚本賞にノミネートされるのは納得。是非受賞してほしかったと思える快作だ。
ミュンヘンオリンピックで起きたイスラエル選手団に対するテロ事件を報道することになった、アメリカABCスポーツ中継スタッフたちの数時間(十数時間?)の人間ドラマ。
この手の映画ではキャラクターの人間味や会話のリアリティがとても重要だけれど、それが実にいい。活き活きとしていて、生々しく、スリル、スピード感に満ちている。
デフォルメされた漫画のようなキャラクターが現実感のないドタバタを繰り広げる、どこかの国の映画とは、人間に対する洞察力が違うなあ…。
主要な登場人物は四人だが、チームの指揮命令系統上それぞれの立場、役割が違う上に、夫々この状況で何を為すべきか、成し遂げたいか、といった動機が異なる。
一大事件を世界に伝えることの重大さに精神を高揚させながら、そのテンションは噛み合うような、噛み合わないような…、微妙な「ズレ」を抱えたまま進行していく。
しかし、ここが肝心なところだけれど、そうした違いを互いに意識しながらも、報道に携わる人間の職業倫理や責任感、人命に対する思い、といった点で、各人は根っこでは信頼で繋がっていて、その重層的で人間臭い関係性と、適切で簡潔なセリフ、鬼気迫る役者たちの演技に、観ていてグイグイ引き込まれてしまった。
加えて、機材や手法など、アナログ時代の撮影現場の様子がとても興味深い。まさにプロフェッショナル、職人集団といった雰囲気で、現場の緊張感がヒリヒリと伝わってくる。
そうした古き良き(?)時代を描きながら、且つ、現代に通じるいくつかのメッセージもしっかり盛り込んであって、ホント、流石。いやはや、ご馳走様でした。
日本酒のコマーシャルだったか、「何も足さない。何も引かない。」なんていうコピーがあった気がするが、この映画の脚本はまさにそんな感じ。
その良質なシナリオを、緩急も鮮やかに、抜群の説得力で演じ切る役者の力量もまた凄い。
欧米の映画人の実力に、改めて感心させられた一作でした。
結末は知っていても
ドキャメンタリータッチの95分ワンシチュエーションサスペンス。史上初のテロリズム生中継となってしまったミュンヘン事件をスタジオ中継室から描いているので悲劇的な結末は知っていても緊張する作品。
今や簡単にスマホでテロや戦争、殺人の映像が見られる世界と違い様々な技術的、倫理的に困難状況で苦悩し焦るTVスタッフの演技に惹き込まれた。
ミュンヘン事件は衝撃的で、いろいろな作品があるので、見比べてみても違いがあり興味深い。
その場にいるような臨場感と緊張感 当時の現場の混乱、世界の状況、何を考えていたのかを追体験することに意義がある
ミュンヘンオリンピックで人質事件が発生。
事件を全世界に発信するために奮闘する現地abcテレビスタッフたちの緊迫の1日!
観客は、まるでその場にいるような臨場感と緊張感を追体験する。
リアルタイムで刻一刻と変わる状況で、様々な問題に対応する現場判断は観ていて面白い。
また、1972年当時の設備、技術が再現されているのも見どころ。
唯一人、ドイツ語が話せる女性局員が、臨機応変に実力を発揮するのがいい。
事件は悲惨な結末を迎え、落胆する局員たちだったが、翌日の特別番組の準備がすでに始まっていて、何事もなかったかのように、また次の日の仕事が続いていく状況に虚無感を感じる主人公。
歴史的な事件の舞台裏を描きつつも、テレビ業界の非人間的な冷酷さを描いて終わる。
ただ、起きたことをドキュメンタリーのように描いただけで、なにがいいたいのかと思う人も要るに違いないが、当時現場で起きた出来事、当時の感情を、再現して改めて問うているに違いない。
それだけに、パンフレットの製作が無いのが残念でした。
過剰な演出を排した創りに共感!!
1972年のミュンヘンオリンピックで実際に起ったパレスチナ武装組織によるイスラエル選手団の人質テロの顛末を描いた作品であるが、これまでにも「ミュンヘン」等この題材をテーマにした作品は幾つかあったが、銃撃シーン等の過剰な演出を避け、淡々とクルーの立場から現場を演出するその創りにはより緊迫感が感じられ共感が持てる。
ニュースクルーではない、スポーツクルーが報道の自由と報道がもたらす結果責任の狭間で悩む術が独特の緊張感の中でより真実味に溢れ、作品としてのクオリティーを保っている。
ドイツとイスラエル、パレスチナと言う対比もこの作品のリアイティーを生むには不可欠!
「ユナイテッド93」もそうだが、実話に基づいた作品は過剰な演出を排除した創りに限る!!
先日見たある映画との差に愕然としてしまった。
ブラック・チューズデー‼️
この作品は、新たなジャーナリズム映画の秀作ですね‼️1972年のミュンヘンのオリンピックにおけるテロリストの襲撃事件を、報道局を主観として事件を描写しているにもかかわらず、観ている側にも事件の緊迫感、恐怖感が直に伝わってくる‼️これは役者さんたちの素晴らしい演技力によるところが大きいですね‼️そしてドキュメンタリータッチの演出で見せてくれるティム・フェールバウム監督の力も大きいです‼️72年当時を思わせるザラついた画面も印象的で、作品の肌触りとしてはポール・グリーングラス監督作を思い出しますね‼️そういえばグリーングラス監督作常連のコリー・ジョンソンも出演してますし‼️そして他局と放送の枠を取り合ったり、自分たちが報道したことで人質の家族への影響などの人権問題、そして警察による人質救出作戦の妨げになったりという、ジャーナリズムの問題点も指摘している‼️今作はテロリズムを初めての生中継した報道の力、その素晴らしさ‼️そして事件の顛末を考えると、ジャーナリズムの虚しさ、無力さを痛感させられる一作‼️ぜひスピルバーグ監督の「ミュンヘン」とセットで観たほうがいいでしょう‼️
終わりが見えない憎しみ合い
ヒリヒリする映画だった。ミュンヘンオリンピック開催中に起きたパレスチナ武装組織「黒い九月」によるイスラエル選手団の選手村襲撃事件の発生から終結までをまるでドキュメンタリーのように映画化した作品。事件を生中継することになったテレビクルーの視点からだけで描く。スポーツ局のスタッフたちが連帯し、50年前のアナログ技術を駆使して映像を伝える熱意。図らずもその映像を犯人グループが見ていて警察の突入作戦は中止となってしまったが、。それにしても当時の西ドイツの政府や警察はなぜ人質全員殺害されるような事態を招いたのか?法律で軍を派遣できないとか、地元警察の少ない人数で対応したとか、今のようなテロ対策部隊はないにしても、もっと国をあげて対処できなかったのか、。この映画を観た後、自宅で「ミュンヘン」を見てその殺戮の映像を確認したが、とにかく悲惨である。復讐の連鎖がこれをきっかけに増幅したのは如何ともし難い。
ドイツ人でテレビ局の通訳もしていたレオニー・ベネシュを使いもっとドイツ側の視点があってもよかったのでは?でも「ありふれた教室」に続き好演していたのが良かったです。
イスラエルとパレスチナの憎しみ合いに終わりが見えないことが最大の悲劇である。
事実の重み
1972年の西ドイツ、ミュンヘンオリンピックで起こったパレスチナテロ組織・黒い九月によるイスラエル選手団襲撃事件を題材にした実話に基づくストーリー。
緊張が持続して気が抜けませんでした。
主役は米国ABCテレビのスポーツ中継クルーですが、突然目の前で起こった事件を、社内報道部門に主導権を渡すことなく、自分たちが報道することを死守します。
放送に対する責任感の表れとみましたが、それとも功名心だったのか。
事件が進行するにつれ、クルーは観察者ではなく、事件の一部になってしまいます。
事件の終結を放送し仲間内で業務完了の祝杯をあげるクルーたちでしたが、どんでん返しが待っていました。
その後やっと、しんどかった一日が終わりますが、明日は普段の仕事が待っている。気持ちの整理はつくのだろうか、やり切れない気持ちはどこに持っていくのだろう。
映画は、報道の正義は何か、速報の価値と誤報の責任、社会に対する影響の重さなど、報道が社会に与える影響を考えさせてくれました。
個人的には、映画が72年当時の科学技術を説明していて興味深く拝見しました。
画像を引き伸ばすなら写真に撮って印画紙に焼き付け、ハンディビデオカメラがないからフィルムカメラを持って野外撮影、テレビ放送に字幕を入れるために文字のブロックを組んで撮影して合成する。当時の技術に創意工夫を加えて撮影を進めていたことに、少し思い当たる節があり、懐かしく共感を覚えました。
ミュンヘンへの道
何の感情も動かされない
半世紀前のドイツのオリンピックでのテロを今更映画化。
ぶっちゃけ消去法で見る作品なかったんで適当に鑑賞したんでこういう事言うのもどーかと思うんですけど、だから何?って感じ。
ABCがCBSを出しぬこーが、アナログ時代に苦労して中継してたんだよーとか、ドイツ政府が無能だったとか全体通してだから何って感じでした。
確かにテロで人質全員死亡っては痛ましいが、結果報道局全体がお通夜状態になる程他国に思い入れするか?とか私は今一ピンときませんでした。
世界初のテロ生中継に何があったのか……
ミュンヘンオリンピックで実際に起こったテロ事件を当時世界中継したアメリカの放送局ABCの内幕もの。
1972年の出来事ですから、当然、ネットも携帯電話もない時代。
目と鼻の先の場所で起きているテロについてどのように情報を仕入れ、その裏を取り、どのように伝えるか、といった裏側が克明に描かれます。
事件そのものはスピルバーグの『ミュンヘン』でも出てきているものですから出来事としては知っていました。ただ、それを報じたのは報道局のスタッフではなく、現地で中継をしていたスポーツ局のスタッフであり、早朝でカメラマンすらまともにいない状況で中継を始めていたことには驚きです。
また、国際中継であるためライバル局との時間の割り当てなどでも交渉がなされていたり、犯人が見ることを想定せずに映像を流してしまったため、テロ対策にも悪影響が出てしまうなど、かつて誰も経験してないが故の逸話なども含まれています。
邦画でも、一幕ものでテロをテレビ番組で扱うことを一つのテーマとした作品がありますが、こちらは事実ベースであり、その緊迫感や事件そのものと対峙したときのリアリティはまるで違うものでした。
本作や「ブルータリスト」といったユダヤ人の悲劇を描く作品が、なぜこのタイミングでというところに引っかかりはしますが、作品としては極上の逸品です。
実況
ミュンヘンオリンピックでこんな事件が起こってたなんて知らなかった。
突発的に起こった「黒い9月」によるテロ行為。イスラエルの選手団を人質に立てこもったらしい。
途轍もないスクープだし、前代未聞のテロだ。
平和ボケしたとは言わない。
まさか、だったのだと思う。
大多数の人類には平和の象徴であっても、一部の人類にとっては世界規模のプロパガンダでもあるのだろう。
作品自体は時系列に沿って展開されていく。
アレは当時の映像なのかな?そんなものを交えて物語は進む。TVクルー達の混乱は勿論描かれる。が…そんな事も含めて視聴者の視点が提供される。
で、倫理観というか、放送理論というか…情報を提供する側の価値観を見る事にもなる。
1972年からマスコミの考え方って変わらないんだなと思うし、全世界共通なのかなとも思う。
もしくはこの事件を機に「報道規制」なんて言葉が生まれたのかもしれない。
内部ではなく外部の詳細をつぶさに報道する。
それしか報道するネタがないからだけど、テロ犯に情報を提供する共犯者みたいなもんだ。
鎮圧する側からすると邪魔でしかない。
クルー間の問題やユダヤ人差別が下敷にあったりはしたものの、根本的には「実況」だった。
センセーショナルな事件ではあったけれど、それを凌駕するような何かがあるわけではなかった。
何を読み取るかは個人の造詣にもよると思われる。
Wikiを読んでみたけど、それで十分だったとも思えるし、その事件に再注目させた功績はあると思われる。
気に入らないのは「よくやった」と言われた時のジェフのリアクションで…これが「大惨事だったけどな」と和訳される。
随分とブレてんなぁと思う。
言ってもいいけど独り言とかボヤきにすればと思う。
ああ、そっかと思ったのは、まだメディアとして絶大な影響力をTVが有してた時代、TVマン達は「揺るがない真実」に固執してたんだなと思った。
それだけが自分達のアイデンティティであると。
それから数十年が経ち、我国のTVの没落ぶりはほぼ自業自得なんだなぁと思えた。
政府もそうだけど公的機関が勧めてくるものに裏があるような気がしてならない。今じゃ、悪魔的な暇つぶしにしか思えないもんなTVって。
…余談だけと、今日NEWSで「中学生が生成AIと chatGPTでプログラミングを自作して楽天に不正アクセス〜」みたいなNEWSがあった。
俺的には凄い衝撃的なNEWSでもあったんだけど、このNEWSもいずれ埋もれていくんだなと思うと危機感みたいなものを覚える。
風化ではなくて上書きされてく状態かな。
なんか、何でもいいんだけど1つのNEWSを徹底的に掘り下げるコンテンツがTVにはあってもいいように思う。
が…そんな気概さえないのだろうなぁ。
TVとか消費されてく運命みたいなとこあるもんな。
色々間違えてきてるような気もするなー
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