ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師のレビュー・感想・評価
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ヒトラー暗殺といえば
あの爆破の暗殺未遂事件だろうと思っていたので、あれ?とはなった
そして、この人のことはよく知らなかったため、事前にある程度知っておいたほうがよいかと調べた内容だと、強制収容所に入れられ、他の関係者とともに裁判にかけられ、全員、翌日に絞首刑に処されたとあったため、あれ?とはなった
恐らく史実に忠実な映画化ではなく、ボンヘッファーという人物に着目し、史実をベースに作られた物語なのかなと受け止めた
処刑の日は史実どおり、1945年4月9日
映画を観る前、最初にその日付を見た時、やりきれない思いにかられた
あと少し、あと少しで、ドイツは敗北し、ヒトラーは自決する
あと少しでよかったのに、と
実際に映画を観たら、やはり、この人がなんとか生き延びていたら、その後どんな人生を生きただろうと思わずにはいられなかった
信仰と信念に生きた人
自分を犠牲にすることをいとわない人
何度か彼は自分の運命を変えるチャンスを得ていた
それでも彼は祖国に戻り、間違えた方向に進み続ける国と、命を奪われる人々を救おうとした
これは恐らくフィクションのセリフなのだろうけれど、
最後のチャンスを前に
「I'm ready to meet my destiny
覚悟はできている
自分の運命を受け入れる」
と穏やかな笑みで語る
残した言葉ではないかもしれないが、恐らく彼は本当にそういう人だったのだろう
やはり、彼が、戦後のドイツをどう生きたのか、見てみたかった
熱量を感じた。
讃美歌「善き力にわれ囲まれ」の作詞者
奥さんがクリスチャンで「ぜひ見るべき」と言っていたので、封切日に鑑賞。
兄が第一次世界大戦で戦死した際に、母親に「自分が死んだら私の聖書を弟に渡して欲しい」と託された聖書をもとに、ピアノなど各方面に才能があったが、優秀な神学生となったボンヘッファーはアメリカのユニオン神学校に留学し、当時流行っていたジャズに触れ(ルイアームストロングともセッション(?))、自由な風を感じると共に、当時の黒人差別も肌に感じ、米国での経験を持ってドイツに帰る。
そこで牧師として新しい教会を始めようとするが、当時ナチスが台頭してきており、ヒトラーを救世主とする「帝国教会」が幅をきかせてきており「これはおかしい」と強く感じたボンヘッファーはイギリスのベル司教の後ろ盾を得て「告白教会」を創る。しかし帝国教会の勢いは激しく、覚悟を決め、ヒトラー暗殺計画に加担する。
そして暗殺寸前と思った時、ヒトラーは急にその場を離れ、暗殺は失敗する。
密かにアメリカのユニオン神学校やイギリスの恩師ベル司教を訪ねて、結局「自分は母国ドイツに戻り仲間といることが大事」と結論を出しドイツに戻るが、それは逮捕されることだった。
逮捕され、死刑実行の約1ヶ月前に当時の婚約者に書いた言葉が、現在讃美歌になっている「善き力にわれ囲まれ」の歌詞になっているらしい。改めて歌詞を今みると、当時の気持ちを実感して更に感慨深い。
絞首台に向かう際、ボンヘッファーは「これは私の終わりではない。命の始まりだ。」と言う。そして兄から託された聖書を「母親に渡して欲しい」と言い残して絶命する。結局ナチスはその数週間後に崩壊し、ボンヘッファーの言葉通りに、新しい時代が始まった。
このような人々の犠牲の上に今があるということを胸に刻んでおきたい。
「異邦人」で有名になった久保田早紀さん(現在は本名の久米小百合さん)が、10年くらい前に、「善き力にわれ囲まれ」を歌ってくださり素晴らしい讃美歌と思っていたが、今度来年5月に久米小百合さんの少人数ツアーに参加し歌ってくれることになっているので、映画を観たあとでまた聴けることを期待しています。
ちなみに「久米 善き力」で検索すれば、今聴けます。
20世紀を代表する神学者「ボンヘッファー」の反ナチス活動を描いた作品です。
実在のドイツ人牧師「ボンヘッファー」は、20世紀を代表する「神学者」として有名で、多くの書簡、論文等を残していますが、彼のもう一つの側面である「反ナチス活動」の方に特化して脚色し、彼の生涯を描いた感動的な映画作品に仕上がっています。
・20世紀のドイツでナチスの政治活動が活発になり、ドイツ教会の中でヒトラーをあたかも「神」のように崇める教職者(牧師たち)があらわれる中、「教会は聖域であり、権力の場ではない」と反発し、ボンヘッファーはヒトラーを神の「敵」として反ナチス活動を行っていきます。その中で、反ナチス活動としてのスパイ活動や、ヒトラー暗殺計画(といっても正犯ではなく、共犯あるいは間接的な関わりと言う感じ)に関わっていきます。
・牧師として、暗殺(未遂)に関わるという「罪」を犯す事が、結果として反ナチスという「正義」につながるという、一見矛盾する行為と思えますが、ユダヤ人がナチスによって迫害されている「事実」を把握している彼にとっては、それは「愛」であり、「正義」であったと確信していたのだと思います。また神(あるいは教会)の上に人(ヒトラー)を据える事は「偶像崇拝」であり、どうしてもできないという信念だったという事でしょう。
・ボンヘッファーの「悪の前の沈黙は悪であり、神の前に罪である」という言葉に、彼の姿勢が現れています。
・映画の中では礼拝の場面や、教職者相互の会話などで「教会用語」「聖書の聖句」が多数登場しますが、映画ストーリーはしっかりと追えますので、十分に鑑賞する事ができます。
・時系列が前後する場面や、ボンヘッファーが「ドイツ」だけでなく「アメリカ」「イギリス」に滞在しますので、そこは混同しないようにする必要があります。
・反ナチスをテーマとする映画は「白バラの祈り」「名もなき生涯」「ワルキューレ」など多数ありますが、この映画もその領域に属する新たな映画作品であると思います。
・公開初日11月7日に鑑賞しましたが、その時点で上映している映画館は少ない状況です。公開拡大を強く望みます。
2度目はより感動
ナチスに支配された国家で、真実の信仰、人間の尊厳を取り戻すために恐れず声を上げた人物、ボン・ヘッファー。
本来の聖書に神の言葉以外のものを織り交ぜ、神以外を崇拝させようとする「真実をねじ曲げた悪」に対抗するには、この時代、牧師としては暗殺しか方法がなかったのではないか。
「暴走する車にひかれた者を介抱するだけでなく、車そのものを止める事が牧師の役目」
あらゆる場面でヘッファーが苦悩するシーン、そして決断するシーンに心打たれた。
ボン・ヘッファーの言動や行動に心変えられ、悔い改めて神に立ち返ったニーメラー牧師や、フェッファーの獄中での祈りに心動かされ、回心した看守など、脇役にも注目してほしい。
死刑の前の聖餐式シーンは胸を打つ。
死を覚悟したフェッファーが残した言葉と聖書のみことばが熱く迫ってくる。
クリスチャンもそうでない人も、絶対見るべき映画であると強く思う。
今 多くの人に観てほしい映画
ナチスが選挙で何人か当選した時、「えっ こんな人達が?来年の選挙で落とせばいいね」という会話が居間で交わされていました。でも人々の不満と熱狂を餌に来年の選挙では3倍になってゆくのです。
怖さがあります。そうやって人々を次第に身動きできないようにしてゆく。人間は第二次世界大戦から何も学んでいないのかもしれないと思ってしまう昨今です。
是非今多くの人に観てほしいです。
誤りを誤りだと指摘できる強さ
ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師
第2次大戦終結後80年の年にこの映画が公開されることに、見えざる天の意図を感じる。このナチス支配下のドイツで極めて稀有な生涯をたどった牧師の生涯が、良く描かれている。とりわけ一(いち)クリスチャンとしてうれしかったのは、神学研究のためアメリカの神学校で学んでいた彼が、黒人牧師から初めて「イエスに出会ったか」と問われ、答えに窮したところから、真の意味でBorn again魂の新生を経験したクリスチャンになるところがきちんと描かれていたこと。恐らく彼は、その時から彼の内に生きている主キリストから、ドイツ国民への究極の愛の行動として、直接「悪の排除」に加担するよう促されたのでは、と思った。また彼が、7人のユダヤ人をスイスに脱出させるために大金を用意し、その出どころがもとで暗殺計画連座が発覚したわけだが、あのヒトラーを神と崇拝し、その狂気の支配のもとに600万のユダヤ人を殺害したナチスドイツにも、シンドラーや、ボンヘッファーのような人種偏見を持たず、彼らを命がけで救おうとした愛と勇気ある一握りの人々がいたことににも心を打たれた。世界的反ユダヤ主義思想が蔓延している現代、今こそ日本のクリスチャンもこの国の安寧のために行動による愛を示す時だと思わされた。
今こそ観るべき映画
Must see movie です!!
はじめはちょっと冗長かなと思って見ていたら、その後ぐっと引き込まれ、最後まではらはらどきどきしつつ、大泣きしながら見てしまいました。ボンヘッファーが深い信仰を持ってこのような行為をしたこと、処刑されるまで悩み苦しみ、けれども最後の晩に皆でパンとぶどう酒を分かち合い、そして、十字架を見上げる心持ちで絞首刑用の縄を見上げ、天を見ながら死んでいったことが描かれていました。キリストに従う者は恵みだけではなく、主の十字架を背負ってついて行かなければならないことを身をもって生きた方がこんなに近くに時代にいたということに、目を覚まされる思いでした。信仰を持つ方は必見。信仰を持っていない人も、いったい信仰とは何かを知りたければこれを見るべきだと思います。
信仰、信念があっても行動が伴っていないものは信仰、信念ではない
今までヒトラーを暗殺しようとした牧師がいたことは知りませんでした。
アメリカのハーレムでの学びとそこにいる人々との関わりを通して、神様をさらに知り、味わおうとしたり、人種差別の闇を知り、実際に体験したりしたことが、ボンフェッファーの後に影響を与えたとわかりました。
悪に対して許せない気持ちがあっても、自分はその張本人ではなく、不利益を被っていないから知らんぷりをするということが私には多々あります。「信仰、信念があっても行動が伴っていないものは信仰、信念ではない」
という気づきからボンフェッファーが正しい真実を恐れずに語ったり、
亡命先のアメリカから1か月足らずで祖国に戻って闘うことを選んだりする姿勢に、「あなたならどうする?」と問いかけられているような感覚を覚えました。最後は悲しい結末ですが、自分の使命を果たすために、そこに対してまっすぐに向かっていく姿が、最後のまなざしが心に残っています。
ひどい
ボンヘッファーを知らないと理解できない玄人向けだけど…
題名のとおり、ボンヘッファーという牧師を知らないと内容を理解できません。
ボンヘッファーを知らない私は、1回目は流し見、2回目はボンヘッファーを検索して人物を理解してから見、3回目でやっと全体への理解が深くなり、心揺さぶられる映画だと泣きました。
彼は「敵を愛することを忘れた牧師」と言われ自身も認める場面があったのですが、私はそうは思わなかった…。
なぜなら、日本も現在、たくさんの移民や外国人によって内側から少しずつ”侵略”されている感覚が日常にあるからです。これまでの政府の政策でこうなっている”今”を重ねて見ると、80年前のボンヘッファーの考えと行動は、きっとクリスチャンでなくとも理解できる部分があると思うのです。
邦題の「ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師」ですが、彼が実際にヒトラーを手にかけようとしたのではなく、「暗殺の仲間に加わって行動した」ということでした。その結果、資金洗浄とヒトラー暗殺に関わった罪で…となります。
この映画を見るには、ボンヘッファーのちょっとした知識が必要かと思います。
場面展開もあちこちと忙しく、さらに歴史を知らないと「??」と思いますし、クリスチャンでないと理解できないセリフもあります。
(ちなみに私は、ボンヘッファーの双子の妹が彼の恋人に見えてびっくりした)
「ヒトラーを暗殺しようとした牧師」というある意味センセーショナルな題名ですが、彼の中には人々と神様への愛が見て取れます。
聖書の歴史を見ても、戦いはいつの世にも「世界」と「己の中」にありますし…。
牧師という立場から、当時のボンヘッファーは非常に悩み苦しみ、泣いたと思います。
だから、この映画はぜひ、たくさんの日本人の方に何度も観ていただきたいです。
ボンヘッファーという一人の牧師の信仰と生き方は、現代の日本人も知っておいてソンはない!と思います。
そして、見終わったあとには、ナチスによってユダヤ人がどのような目に遭わされたのか、詳しく知っていただきたいです。今のイスラエル問題を考えるうえでも、「反ユダヤ主義とは」について考えるキッカケになるのでは、と思います。
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