「悲しい歴史」ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師 himabu117さんの映画レビュー(感想・評価)
悲しい歴史
歴史は繰り返すというけれど、こんな時代は繰り返してもらいたくないな。映画『ボンフェッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師』をみながら呪文のようにそんな言葉が、頭の中を駆け巡った。
日本だってあの時代のクリスチャンはどうだったのか
日本政府により、一つの団体に統合された上、メッセージや信者は監視されていた。
唯一反抗して投獄されたのは、ホーリネス教団だったはず。
ただ、日本ではあまりあの時代を検証する動きはない。
いくつかの団体は、戦争に加担したことを反省する声明をだしてはいるが。
現在でも、日本のクリスチャン人口は、せいぜい1%ぐらい。
まあ、あまり影響力はないので、話題にもならないけど。
ドイツとなるとそうもいかないですよね。
映画にあるように、ナチスは自分たちの正当性を誇示するために、聖書の書き換えもしているし。
第一次世界大戦後のハイパーインフレ
ドイツ経済は、どん底で、人々は疲弊し誰かこの窮地を打破してくれないか。
そんな空気が、蔓延していたころ、アーリア人種の優位性を全面に上げるナチスの出現。
人々は、熱狂して支持。
この人たちならなんとかしてくれるのではないか。
だから、多少都合の悪いことには、目をつぶって。
そんな空気が、伝わってきます。
どこか、現在の日本の状況にもにてるところが。
ヒトラーに標的にされたのが、ユダヤ人。
これも突然ではなくて、ヨーロッパには反ユダヤ主義が根強くあり
いまでも。
教育水準が高く、金持ちが多く、妬まれやすい。
それに、キリスト・イエスを処刑台に送ったのは、ユダヤ人。
標的にされやすいんだけど、恐ろしい時代ですね。
牧師が殺人を犯してもいいのという疑問
「汝の敵を愛せ」聖書の言葉ですが。
ボンフェファーは、相反する選択しますよね。
ただこれは、聖書解釈にふた通りあって。
文字どうり、どんな場合でも状況でも相手を許す。
もう一つは、キリスト・イエスにあってという前段がつく解釈。
となると、ナチス・ヒットラーは許容できるはずもなく。
だからといって、暗殺に加担してもいいのかという疑問が。
あとの時代なれば、あれだけの悪行が露わになると、致し方なしという解釈もなりたつのですが。
あくまでも、牧師ですからね。
かなりの葛藤が、あったはずで。
しかし、もう済んだことなので。
ただ、そんな葛藤をしなければらない時代にならないでほしいと、切に願います。
