新幹線大爆破のレビュー・感想・評価
全111件中、1~20件目を表示
1300円投げ銭したほうがよかった
途中まですごく面白かったんですが
CGかっこ良くてスリリングで怪しい人ばかりで夢中で見てたんですけど
犯人が分かってから最悪ですね
なぜ凶悪犯を助けるんですか
若い乗務員さん死にかけてますよ
あそこでJKを〆てればあっさり終わる話をいつまでやってるのさ
どうせ助かっても無差別テロ犯で死刑でしょ
世間が許しませんよ
今はお寿司なでなででも大変な事になるのにね
結局父ちゃん死んでるし
ヘリの人がやるって言ったのになぜお願いしなかったのかな
JKを〆る過程で面白くしてほしかったです
先生もグルとか本当は死んだら爆発するなど
車掌になった理由
そんなん事故った時に真っ先に逃げれるからやろ
でもそれはJR西やったな
JRの広報映画―脱線しない物語と、再構成される安全神話
1. 存在しない社会批判
かつて1975年版の『新幹線大爆破』は、国家に振り落とされた人間の、静かで必然的な怒りを描いた作品だった。あの列車が象徴していたのは、高度経済成長という名のレールの上を疾走する「豊かさ」であり、その影に取り残された者たちの無言の抵抗だった。
だが、今回のリメイク作品には、そうした社会構造への批判性は決定的に欠けている。表層的には“何かが起こっている”ように見せながら、その実、観客に差し出されるのは「事件」と「対応」のマニュアル的な展開に過ぎない。誰が怒り、なぜ列車を止めようとするのか──その問いに対する答えは、最初から用意されていない。
物語の核にあるべき「なぜ今、この物語を語るのか」という問題意識が欠落しており、その代わりにあるのは、ただ整った演出と速いテンポ、そして緊急事態対応の様式美である。
結果として、この映画は“何かを描こうとしていない”というよりも、“最初から描くつもりがなかった”とすら思える。それでも列車は走る。映画の中でも、現実の興行的戦略としても。
2. JR東日本のコマーシャルとして
この映画を見終えたとき、真っ先に思い浮かんだのは「これはJR東日本のブランドムービーだった」という一言に尽きる。映像は端正で、車両の描写は美しく、司令室の緊張感や乗務員の冷静な対応は、まさに企業が社会に向けて打ち出す「安全神話」の再構築である。
その中で、あからさまに“物語的な存在”として置かれているのが総理補佐官のキャラクターだ。
彼は最初、現場を無視して強権的に介入し、明らかにわかりやすいビランとして振る舞う。観客はすぐに、「ああ、こういう人が混乱を招くんだ」と理解する。
しかし後半になると、人命を優先する姿勢に“突然”転じ、最後には神妙な顔で頭を下げる。展開としては丁寧に伏線を張っていたわけでもなく、単に予定された感動を生むための“更生型キャラクター”に過ぎない。
さらにこの人物にはもう一つ、演技面での問題がある。現場のリアリティを体現するJR職員たちの抑制された演技と比べ、補佐官だけが過剰に芝居がかっており、映画のトーンから浮いている。このギャップが悪目立ちし、「ドラマ」と「広報映像」が並走してしまう違和感を生む。
つまりこの作品は、最初から“緊張”を物語に埋め込むのではなく、“混乱しても最後はうまくいく”という結末を予定したうえで、必要な対立構造を後付けしているように見える。そしてそれこそが、企業PR的構造の典型だ。
列車は止まらない。誰もが職責を全うする。そして最後には“誰かが”謝って物語が閉じる──
これはエンタメの形式を借りた、極めてよくできた広報映像である。
3. 犯人
本作における犯人は女子高生であり、後半でその正体が明かされる。
彼女は確かに観客の視線を引きつける存在だ。犯人と判明したあとの表情の変化には息を呑むほどの迫力があり、若手俳優としての力量をまざまざと見せつけた。
だが、それにもかかわらず、彼女は物語を成立させるための舞台装置として扱われている。
設定そのものはよく練られている。彼女の父親は1975年の“旧事件”で、犯人を銃殺した「英雄」とされていた人物である。その栄光は実は演出であり、父はその嘘に囚われることで支配的な人格となり、娘である彼女に虐待を繰り返していた。
その結果、彼女は“父の栄光の舞台”である新幹線を自らの手で破壊しようとする──動機の連関には一定の説得力がある。
だが、この構造は物語の進行上、単に「納得できる設定」として使われるだけで、彼女自身が“人間”として描かれることはない。
彼女がなぜそうせざるを得なかったのか。彼女がどのように日々を生き、どんなふうに壊れていったのか。そうした内面への想像を脚本は促さない。
あくまで彼女は、「このタイミングで事件が起こる」ために、そこにいる。
そのため観客が感じるのは、彼女への共感や葛藤ではなく、「ああ、このために仕込まれていたんだな」という構造への納得である。
そしてそれは、犯人が象徴でもメタファーでもなく、「事件を起こすための役割」としてのみ存在していることの証左に他ならない。
ここには、人物の生きた痛みではなく、整えられた物語の“運行”がある。
その意味で、彼女の存在すらまた、列車と同じく脱線しない設計のもとに動かされているのである。
4. 動機
本作における犯人の動機は、父への復讐である。
1975年の旧事件において、父は犯人を銃殺したとされ、「英雄」として称えられた。だがその神話は演出によって作られたものであり、父はその虚構の中で自尊心を肥大させ、娘である犯人に対して日常的に暴力を振るうようになる。
犯人は、自らを苦しめた“父の栄光の舞台”である新幹線を標的とする。
この動機は、個人的な恨みという次元を超えて、国家が作り出す虚像、そしてその影で繰り返される家庭内暴力という社会的構造を内包し得た。
加えて物語の中には、この動機をさらに深く読み解くための要素がいくつも配置されている。
彼女は修学旅行中の生徒であり、教育制度に包摂されながらもそこから逸脱しようとする存在である。
乗客には国会議員という政治的象徴が同乗しており、鉄道・教育・国家という、日本社会の制度的三位一体が偶然にも同じ空間に収められている。
また、車内で暴力沙汰が発生するシーンでは、彼女自身が非常ボタンを押すという行動を見せる。
だが、列車は止まらない。
その場を静めたのは、車掌としてその場を制圧しようとしていた主人公の社用電話であり、極めて制度的な「上からの声」によって事態が制圧されるという構図になっている。
その直後、犯人は車掌に問う──「守りたくない人を、なぜ守るのか?」
それに対して車掌は、「そんなことは考えていない。ただ、お客様を安全にお届けするのが私の仕事です。」と答える。
ここには明らかに、倫理の裂け目が見える。
誰を守るべきか? なぜ守るのか?
制度の内側にいる者たちは、個人の良心ではなく“職務”としてしか行動できないのか?
しかしこうした問いは、脚本の中で掘り下げられることなく、そのままスルーされる。
犯人が発する問いには、確かに物語の核心を揺さぶる可能性があった。
だがその問いは、観客に引き渡されることなく、その場限りの“いいセリフ”として消費される。
彼女の行動は、構造の暴露であり、制度批判として成立し得た。
だが映画は、それを“感情的な背景”にとどめてしまう。
そのために、観客は「理解」はしても「共振」はしない。怒りは連鎖しない。問いは拡がらない。
この動機は、構造として描かれたのではなく、構造から意図的に切り離された。
その選択が、映画の射程を決定づけてしまった。
5. 総括―疾走する映像、思考を置き去りにして
本作は、エンタメ映画として驚異的な完成度を誇る。
映像、編集、音響、演出、俳優の演技──どれを取ってもハイレベルで、ハリウッドのスリラーと比べても遜色はない。
観客を引き込み、緊張感を持続させ、最後まで駆け抜けるその構成力は見事であり、商業作品としては大成功と言えるだろう。
しかし、それほどの完成度を誇るがゆえに、ある種の“空白”が際立って見えてしまう。
それは、ドラマの不在である。
1975年版『新幹線大爆破』は、国家の成長からこぼれ落ちた一人の男を中心に据え、社会の歪みと、社会に無視された者の怒りを静かに、しかし確かに描き出した作品だった。
爆破そのものが目的ではなく、「叫び」であり、「存在の証明」だった。
あの作品には、時代とぶつかりながら生きる人間の“切実さ”が、確かに映っていた。
一方で本作は、すべてが整いすぎている。
怒りは背景に閉じ込められ、動機は説明され、衝突はすみやかに処理されていく。
事件が起こっても、新幹線は最後まで止まらず、事件は解決され、すべての秩序が回復される。
まるで、新幹線が運転を再開するように。
ここには、観客の感情を揺さぶる葛藤も、物語の終着点としての変化もない。
物語が疾走する一方で、思考は車外に置き去りにされたままである。
本作が手にしたのは、「傷つけずに消費される怒り」と「脱線しない物語」だった。
あまりにうまくできているがゆえに、映画がかつて持っていたはずのざらつきや痛み、そして語られるべき“不安”が、どこにも残されていない。
その無傷さこそが、本作がJR東日本のコマーシャルであるという私の評価の核心だ。
新幹線は予定通りに破壊され、予定通りに人が死に、すべては正確に元のダイヤへと戻っていく──怒りも祈りも、そこには乗っていない。
パニック映画としては、非常に面白いけど
映画館で上映するというので、見に行きました。Netflixには加入していないので、初見です。サブスク用だと、あまり大きな画面で見られることが想定されていないかなと思いましたが、大画面でも問題なかったです。いくつかアップになりすぎていると思うところはありましたけど。
パニック映画としては、よくできていて面白かったですが、ツメが甘いところがいくつかありましたね。甘いところに気づいたのは、大画面だったからでしょうか?
実際にJR東海の保線係だった田中要次さんが、一生懸命東京駅の線路をつなげても、東北新幹線の電力は50ヘルツで、東海道新幹線は60ヘルツなので、E5型新幹線は東海道新幹線を走れません。北陸新幹線のE7型だったら、両方の周波数に対応していますけどね。前作は国鉄の協力が得られずに、実際はその先にも線路があるのに、博多駅で線路が途切れるという設定になってしまいましたが、今回はJR東日本が協力している割に、なぜこうなったのか、という感じです。また、草彅さんが運転席に向かうという時、窓からの光の動き方から、どう見ても反対方向に向かっているシーンもありました。総理補佐官の彼、最後の方で、それまでなかったのに鼻に大きなおできができていました。ストレスでできちゃったという設定でしょうか。
犯人2人の関係性が、いまいちよくわかりません。LINEか何かのやりとりの画面が少し映りますが、もっと瀧さんが花ちゃんに接触していく様子があってもよかったと思いますね。父親に反発しているということをどうやって知ったのかとか。特に花ちゃんの方の動機が、あそこまでのことをする理由としては、あまりにも軽いので、もっと瀧さんがその気にさせるようなくだりがあってもよかったかなと。
救援に向かった車両が「ALFA-X」だったのは、JR東日本からの依頼ですかね? でも試験車両であって、普段使っていない車両をそんなに急に使えるんでしょうか?
「ALFA-X」の運転手は「深町くん」だったり、森達也監督や白石和彌監督が出ていたりと、出演者をしっかり見たくなる配役でしたね。車内販売のワゴンがアップになった時、たくさんの「ほや」が映ったのは、笑いました。
現在、首相が誰になるのかという状況で見た訳ですが、主役の名前が「高市」なのは、ちょっと気が散ってしまいましたね。
全般的には、手に汗握る、面白い映画です。
ブレット・トレインに次ぐ滑稽さ?
面白かった!
新幹線という「密室」のため、製作費はそれほどかからないのかも知れないけど、こんなのをネットで流されたら、映画館は不要になるかもね…
ただ…
ブラッド・ピットの『ブレット・トレイン』と同じく、時間の流れがおかしくて…
そもそも、500キロを時速100キロで走れば5時間しかかからないのに、なぜ、真夜中になる?
『ブレット・トレイン』の時は、一夜明けたけど…
だいたい、爆弾犯を捕まえて、動機なんて悠長な取り調べなんかしないだろうに…
このあたりは、救出後でも良かったのでは?
でも、久しぶりに満足度の高い邦画でした。
スクリーンで観られてよかった大爆破
Netflix配信作品が期間限定で劇場公開されたんで、喜び勇んで観てきました。50年前のオリジナル作は犯人側の事情や警察との攻防が、ガッチリ描かれていたのに対し、今回は新幹線車内をドラマの中心に置いているのが違う所です。その分、猛スピードで走る新幹線から乗客をどうやって救助するのか知恵を絞るところが面白いところで、JRが全面協力していることと、高いレベルの特撮やCG技術のおかげで迫力あるシーンの連続です。乗客を先頭車両に移し後部車両を切り離して爆破させるシーンや、救助車両を接近させ乗客を移すシーンは実際にやっているかのような大迫力です。似た設定のアクションの名作『スピード』も、基本的に人を助けるお話しだし、並走するバスに乗客を移動させるシーンがあるけど、これを新幹線でやるところが凄いです。さらにタイトル回収シーンである新幹線大爆破は、クライマックスにふさわしい盛り上がりでした。こう言う映画は映画館で観なきゃね。とは言え、犯人像や動機あたりは新味を狙ったつもりかもしれないけど、かなり無理があり、感情移入もできずピンときませんでした。さらに前作との因縁を強引にこじつけているので無理クリ感がありすぎで残念。後半からやや失速気味になるのは脚本の責任もあるけど、総じてドラマ部分の演出が弱く、その分をアクションや特撮で補っている感じです。役者では、草彅剛がまさに理想のJRマンを好演してるけど、淡々としすぎて意外と平板な感じでした。JRの運行担当役の斎藤工は、キャラが立った活躍ぶりでした。特に運転士役ののんは、凛々しくも女性らしい可愛らしさも感じられてとてもいい感じでした。旧作では、運転士役は千葉真一だったことを考えると隔世の感がありますね。
タイトルなし(ネタバレ)
最終、運転士ののんを脱出させるために草薙が運転席に行った時に、のんから
の:お願いがあります
草:なんでしょう?
の:ハンドル(マスコン)から手を剥がしていただけませんでしょうか?
という会話が印象的
絶対に止められない責任感からマスコンを握る手が硬直して自分では剥がせなくなってしまったのだろう
剛がんばれ!!
ネトフリすごいお金あるんだなぁ…
お金の掛かった迫力ある映像で作られててドキドキしながら楽しく見られた。
女子高生が犯人ってのはリアリティ無さすぎた。
ピエール瀧が振り向いたところは沸いた。
踊る大捜査線みたいに働く人かっこいい!な映画だった。
いますぐレビュー観るのをやめて1975年版を観てから今作を観るのが一番の楽しみ方
ネタばれなしにレビューを書くのは私には無理な作品です。
レビューのタイトルに書いちゃってる人もいますが、1975年版と同じ世界線の先としての現在の物語になっていて、実質、”続・新幹線大爆破”であることがサプライズポイントなので、未観の方に申し上げたいのはタイトルの通りとなります。
1975年版の事件(劇中では「109号事件」と呼称)による影響が今回の犯人たちの犯行動機につながっているのですが、1975年版は名作との評価があることは知っていても「誰もが知る作品」というわけでもないので、犯人たちの存在そのものが虚構感を感じるところはありました。1975年版の犯人たちは、経済成長の中ではみ出してしまった人たちが、毒親の子供だったり、犯罪者の家族となってしまった犯人たちが社会への復讐を
東北新幹線を東京駅で東海道新幹線(JR東海)と線路をつなげて乗客救助までの時間をかせごうとする作戦が、「我々(JR東日本)の管轄内で処理しろ」と言う国交省の指示で断念するところは、協力したのがあくまでJR東日本であるという現実とリンクして興味深かったところです。1975年版の時は国鉄でしたが、東海道新幹線を管轄するJR東海に悪者感がただよってしましました。
コナン映画?
何かワケ有りな乗客数名を乗せて、新幹線の爆破予告。その原因は過去の事件に・・・コナンか~い!
まぁ、面白かったとは思う。ただ、途中で過去の新幹線大爆破?と思う様なシーンがインサートされて・・・・本当に過去のだった!えっ?続き?流石に、そんだけ古いの見て無いよ。前もって見る事推奨でも無かった(と思う)し。
だから、過去の云々が伝わらないのよね。それに、ママ活議員とか事故を起こしたヘリ会社社長、炎上系YouTuber(パパ活議員、北海道の観光船とかが元ネタ?)とか出るけど、そこが殆ど触れないから、単に政治家とかだけで良いと思うんだよね。いっそのこと、国交相にするとか。
犯人は初期から怪しいオーラ出してるし。
最後は犯人一人殺せば残った乗客乗員は助かるのに、100kmの速度で脱線させる方法を選択・・・・・トロッコ問題じゃないけど・・・チョット無理が有るかな。東北新幹線と東海道新幹線を繋げてとかを拒否、都心に入る前に強制停止で自爆させようとするんだから、むしろSATとかを乗り込ませて、犯人銃殺した方が流れ的に自然だった気がする。
所々説明不足な箇所あり
例えば、急ブレーキを掛けたのに爆発しなかったり、過去のヘリコプター事故の具体的な過失原因が不明なまま社長を完全な悪者扱いでストーリーが進んだり、説明が不十分な箇所が多くあったように思います。ただ全体的に面白いストーリーでした。
リメイクと思いきや
大まかなディテールは同じだが、ストーリー展開も違い、それはそれで展開がどうなるか気になった。
運転士が女性、車掌に若手キャストを起用する、乗客に個性があり少しずつフォーカスするという部分は現代的に感じた。
原作のいい部分に感じた犯人側、国鉄側、警察側のそれぞれの動向メインで進んでいきながらも引き込まれるというのはなかった。
犯人がわからない状況で進んでいくも、犯人は読めてしまった。
結局はリメイクという訳ではなく、原作映画と同じ世界線で、原作登場人物の家族が出てきたりし、そういう点も現代的かと感じた。
見どころの一部である列車絡みの動きは原作を踏襲しており、その部分はハラハラした。
主演の良さが出てなかったように感じた。
息を詰めて観る137分
どうなっちゃうの⁈と手に汗を握ったまま、気がつけば二時間以上、必死で行く末を追っていた。
JRの全面協力とあって運転室とか列車はもちろん、管制室も本物のようだったし、場面で言えば連結のシーンなどめっちゃリアルだったのだけど、あれは特撮なのだろうか…。とにかくあの救出作戦は凄いと思った。思いつきもしなかった(ズブの素人なので思いつく訳はない笑)。
真犯人については、ブラピファンとして、コロナ中で新幹線での撮影が叶わずカナダの特急列車で撮影した作品「ブレット・トレイン」が頭にあったので、本作品でもラスボスは保護してやらないといけない存在だと思われがちなJKに違いないと踏んでいたら当たって嬉しかった。笑
サンデル教授の授業のような倫理問題を組み込んだ、今どきの面々のパニック時の心理ストーリーも面白く、役者陣もハマっていた。
鉄道愛
本作を視聴する上で、鉄道、特に保安装置、車両に対しての情熱は欠かせない。この情熱を理解できない場合、ひどく退屈な映画に感じるだろう。
リメイクではなく、物語として時系列的繋がりがある完全な続編だ
オリジナルで語られた新幹線の理念は受話器のテプラに「まず止める」という記載があったり、ごくごく自然な会話の中で説明されており、冗長な説明パートはほぼ無い。
感心するのは様々な方法で救出を試みる際に、都度プラモデル、Nゲージで説明するシーンで、『BTTF』のような分かりやすさとともに、あのような製品が世の中にはあって、鉄道ファンはそこにも情熱を注いでいる、ということが端的に表れている。
主要登場人物がキャラ立ちしていて、多人数の中に埋もれないようになっているのも良い
オリジナルでは、鉄道設備を使用した派手なシーンは控えめで、爆破シーンは想像の中のみとなっていたが(本作で爆破せずに救出された109号事件の様子が差し込まれているのでネタバレではない)
本作ではありとあらゆるアイディアが詰め込まれ、しっかり爆破もする。作品コンセプトを守ったエンターテイメント作品として満足度の高いものになっている。
このコンセプトを理解し、そこに全力投球する姿勢が、映画としてクオリティが高いと感じる。
また、オリジナルでは学生運動的な時事を盛り込んだ内容であったが、本作でもSNSや毒親といったキャッチーな内容を取り込みつつ、社会への反発を描いており、精神的な続編として正しく描いている。それもあまり冗長にならない程度だ。
無理な設定にも説明があり、視聴時に隙がない。
以下印象的なシーン
オリジナルにはない空撮シーンの多用は最高
指差喚呼があらゆるシーンで印象的に使われていて、良い
ちゃんとATC開放がされたか、息を呑んで列車位置表示を見つめるシーンは、とてもよい
オリジナルでもあったニアミスシーンは、若干ぶつかり、傷ついた車両が痛々しく、作品の画面に緊迫感をあたえる良い演出
オリジナルの速度同期しての機材渡しシーンでALFA-Xが登場
配線盤を開けての改造、活線での作業、マークチューブでの番号指定、遠隔指示
救出列車
草彅剛の車掌役がハマり役すぎてすごい
東海道新幹線、東北新幹線直通工事はすばらしいアイディア
トラブル、救出されない絶望、怪我人の発生、犯人の自白、爆弾の解除方法、と怒涛の展開かつ物語的に絶望感を漂わせ、
そこからの複線ドリフトへの展開はまさかの展開で拍手喝采だ
仲間への帰還
総じて映画としてのクオリティが高く、続編としてオリジナルに敬意をもち、随所にアイディアが光る傑作。
監督は究極の撮り鉄だ。
一人ひとりの力を集め、協力して救出に挑む
1975年版が面白かったから、そこまで期待せずに鑑賞
最初のJRの仕事紹介的なシーンが長めで、こんなにいるかなーと思ってたけど
観終わってみると、一人ひとりの仕事が日常を支えていることが、
映画の見どころである人命救出に多くの人が関わり、
それぞれが自分の担当分野で最善を尽くして助けようとしているところと重なって納得。
司令室(?)も、政治担当者も、線路の作業員も
みんなが協力して危機を乗り越えようとするところがとてもよかった
みんなが力を合わせる話、好きかも
犯人役の女優さん、うまかったなー
のんが運転手役は驚いた。ほかにも研究者?が女性で
女性の活躍、リケジョ後押し的な社会の風潮を反映していた
車掌の藤井くん、あんなに出血してたら絶対助からないと思ったけど
一応助かる感じで終わってよかった
ここにピエール瀧を仕込むのね!とか、お楽しみもちょいちょい
映画館で観たい作品(タブレットで鑑賞)
ただただ斎藤工大ファンなので鑑賞。
最初から最後までスピーディで迫力ある内容でストーリー的にはありきたりなのかもしれませんが、飽きる事なく観れました。
犯人を知った時とニート大富豪がクラウドファンディング?達成の時は、やはりエンタメ映画なんだと感じました。
鉄道詳しい方が観たら更に面白さが倍増しそうですね。
個人的には上越新幹線ならもっと感情移入してしまったかも〜。
単純に楽しめた!!
爆発大好き監督さんの
楽しんで作った感が伝わってきて
楽しかったです!
Youtubeでのいろいろを見て
特撮にこだわるところも
熱いな~って。
このあと
1975年版も見ましたが
これはこれ、アレはアレって感じで。
草彅さんの車掌っぷりは
本当に業務全うした、
ザ・車掌!!って感じで好感がもてました。
車掌部下の、藤井さん役の細田くんも、
今時の、youtuberとか、有名人に弱いとこなんか
頼りなさげなとことか、すごい良かったです!
現在朝ドラ「あんぱん」で出征しちゃった
しっかりものの豪ちゃん役と違って
本当に、ダメダメで(誉め言葉です)
出血しちゃった藤井君の横で、
グダグダ喧嘩したりは、ちょと
ちゃうやろ~って思ったけど(汗)
車内のパニックぶりは
実際、そうなったら、意外と静かっちゃない?って思ったり。
あんなに騒ぎ立てたりする人って、
もう、昭和にしか残ってないやろ?って
(1975年版から)
犯人が、あの子だったことで
んなわけないやろ~みたいなレビューもありますが
思春期に、性暴力、虐待、いじめで
超絶ヤサグレテいた私からすると、
「悪い人」に引っかけられて、乗せられたのだとしても
あんな父親ぶっ飛ばす!とか
ついでに新幹線もぶっ飛ばすとか考えるし、
ピエールさんみたいな人がやってきたら
「騙された」んじゃなくて
自分からやったって
自分の選択なんだってこと、
結局、大人たちは自分基準で
誰もわかっちゃくれんよねって思う感じ、
め~~~っちゃ共感しました。
特に、あの子は、父親から
明らかに、性暴力に遭ってたと思うとです。
「せめてオスだったら」
娘(女性)ってことで、虐げられて利用されて。
ただ、オスだったとしても、
被害には遭ってただろうけど
ほんと、そこは怒りしかない。
私の場合、ピエールさんみたいな人が
現れなかったから、今、平和に暮らせてるけど
ホント、闇の思春期を思い出せました。
新幹線については、
何より、JR東日本さん全面協力なのが
ほんとスゴイと思います。
脱線シーンなんかは、
JR西日本の福知山脱線事故のこともあるし
センシティブな部分ではあるけど
あくまでも、エンタメとして取り組むことが
大事よね~って思いました。
ここに、脱線のシーンなんか、不謹慎!って言うなら
性暴力や、虐待や、DVも、
ぜ~~んぶ、映画やドラマにならんよねって。
そういう境界線も
大事~って思いながらの鑑賞でした。
-1点にしたのは、
車両連結のでっかいボルトを外すのに、
2人でイケるんや~???って(笑)
いやいや、そこは、せめて4~5人でやってくれ~って。
新幹線、よく利用するけど
2人分の負荷かかったら、
外れるっちゃないと???って
不安になるやんね(笑)
最初っから、ドキドキで
エンタメとして、楽しめました!!
ラストシーンで、
あれだけ出血してた藤井くんが
助かりそうで良かった~ってことで(笑)
ちゃんちゃん♪
意外と面白かった。
前作?は見てないのでそこは知らないですし、リアリティがないとか、色々批判はあるようですが、自分はまぁまぁ楽しめました。
現実的かどうかは別にして、つどつど問題解決案を出せるのは凄いなと。
1番驚いたのは、新幹線ってああやって後ろ向きに走れるんだということ。あれ本当?
決定論と自由意志の壮絶な闘い、誰もみた事がない思想表現
この映画を見た youtuber やレビュアーの多くが犯人設定に苦言を呈している。
確かにその指摘の数々は理屈としていちいち頷ける物ではあるし、脚本に空いた大きな穴であると認めざるを得ない。だが、個人的にはそれを埋め合わせて余りある必然性があるのなら、映画として全然ありであると考える。
この映画のテーマは決定論と自由意志の闘いである。他責思考と自責思考と言い換えても良い。さらに犯人を女子高生と設定したことで、生き方を見失った若者に対する大人からのメッセージという側面を併せ持つに至った。
そのメッセージとは、職分を全うするプロフェッショナルが放つ強烈な人間性肯定であり、その精神は人生に対するポジティブな思考を裏打ちするに十分値する美学である事というだ。これはかなりユニークで前代未聞の思想表現であると感じた。
この犯人設定がインパクト重視の思いつきであったとしても、「お仕事映画」 へのこだわりが奇跡的な融合を果たしテーマとして結実したと言って良いだろう。
犯人の小野寺柚月 (豊島花) は親ガチャに失敗した自分に未来は無いと悲観的な決定論に支配されている女子高生。彼女は人間の善意を信じることが出来ず、
人間が死の瀬戸際に迫ったときに見せる醜態こそがリアルであると確認するべく自分が乗った新幹線に爆弾を仕掛ける。
日本政府はテロリストと交渉しない。となれば仕掛けられた新幹線から爆弾を除去もしくはトリガーを解除しなくてはならない。しかし、どこに何個あるのかもわからない爆弾を高速走行中の新幹線の台車付近から除去/解除するのは技術的に非常に困難、というかほぼ不可能であり、となれば数百人の乗員乗客の大多数は東京までのどこかのゼロ地点で強制停止の措置を受け爆死、もしくは脱線により事故死する運命にある。
柚月を殺害するという唯一の解除方法を実行しない限り。
決定論に従えば、多くの乗客を救うために柚月が殺されるというプラグマティックな選択は必然の結果であり、その結末は彼女の信条が真実で有る事を証明し、人生を勝利のうちに完結しえる事を意味する。
 (自分を殺させることで目的を達成する犯罪映画は過去にも存在する)
これは自分の人生は他者の落ち度によって決定されてしまうという究極の他責思考とも言える。
柚月は最後に、犯行は自分の自由意志であると述懐する。しかし、彼女が自分の不遇に対して前向きに打開を試みようとした形跡は、少なくとも映画の描写内では皆無で有り、結局は悲観的運命決定論になす術なく従った、言い換えれば「利用された」事に変わりは無い。
人の善意を信じない彼女は 「かわいそうな女の子」 という視線から逃れたい余り虚無主義で武装して強がっているだけだ。
それと対比して描かれるのが定められたかに見える運命に自由意志で立ち向かうJR職員たちの挑戦である。彼らは事を起こした犯人に対する苦情や非難など一切口にしない(刑事はちょっと文句言うけど)
そんな事をやってるヒマはない。自分たちの全知全能を結集していかに難局を乗り越えるかに全リソースを集中させる。あたかも、乗客乗員にあってはならない事態が発生したのであればそれは自分たちに全面的に責任があると考えているかの如く。
ちなみに、完璧なプロフェッショナルとして終始振る舞い続ける車掌の高市(草彅剛)と司令室の笠置(斎藤工)だが、それぞれ終盤の極限の状況に直面して他責思考に陥ってしまう場面が用意されている。
それは彼らであってもどこかに不完全さを宿している所詮ふつうの人間に過ぎない事が強調され、だからこそその後プロとしての矜持を取り戻す場面がカタルシスを呼ぶ。
笠置は政府の無理解に対して 「何が政治だ!」 と激高するも、その後理性を取り戻しゼロ地点での強制停止を受け入れる。夕陽が差し込む司令室のこのシーンの悲壮感は強烈で有り、そこから急転直下奇跡的な救出作戦に思い至り最後の力を振り絞ってミッションの成功に奮迅する姿が凄まじく感動的だ。
もっとも、肝心の柚月は彼らの献身を実際に見ていないし、何かを感じたわけでもない。そもそも、JR職員たちの貢献は世間一般から特に顧みられず評価もされず感謝もされない。だからこそ尊いのだし、その思いは最後に柚月を見つめる高市のまなざしのみに託され、収斂していく。
最後のシーンの草薙の演技は非常に重要だし、彼は見事にやり遂げている。彼の視線は柚月を通して視聴者である我々の生き方を照射しているように思える。
これだけ見事な映画を見せられて、まだ犯人設定の粗を探そうという意欲が残っているのなら映画鑑賞において大きな損失であると言うしか無い。
よく言われるのがどうやって爆弾を仕掛けたのか?という疑問だが、そんなの75年作のオリジナルだって同じ事、20歳そこらの清掃員(おそらく民間委託)が、いつどうやって爆弾を仕掛けることができたのか説明されてただろうか?
あっちの方が車輪か車軸に連動してる分設置が難しそうだけど、こっちは磁石でくっつけるだけ。
刑事の台詞に 「爆弾設置の協力者がいる」 というのがあったが、保安作業員を抱き込んで設置を実行させ、柚月は立案と教唆だけだったかも知れない。
その辺はいくらでも脚本で設定追加することは可能だっただろうが、尺の制限もあるし大して意味があるとも思えない。
だいたい誘拐犯罪を子細に描いた 「天国と地獄」 が模倣され誘拐殺人事件が起きたんだから(吉展ちゃん事件)社会影響に鑑みその辺は想像に任せるって事で曖昧にしちゃいけないのだろうか?
★追記
犯人の行動原理や動機がよくわからないという声が多いので自分なりの解釈。
柚月の目的は倫理の崩壊を目の前に現出させることと、父親への復讐・殺害。自分は最初から死ぬつもりで、乗客を殺すつもりは無かった。法外な解除料要求は政府に交渉を断念させるためと、国民の善意を試すため(絶対無理とたかをくくっている)。そうやって絶体絶命の状況を作り上げて、救出の見込みがなくなった時点で(強制停止の可能性が色濃くなったタイミングで)父親の名誉を汚した上で爆殺。新幹線を使ったのは父親へのあてつけ込みで手段として利用したまでで主たる目的ではない。そして犯人として名乗りを上げて他の乗客に自分を殺させる。それが彼女の筋書きで、そうなれば彼女の信念が正しかった事の証明となり、悲観的決定論の勝利となる。職業倫理の権化のような高市(彼女にしてみれば偽善の塊)が柚月を扼殺したならば最高の形だったろうが、最後は自由意志が勝利し、彼女は敗北した。高市に抱きしめられた柚月が慟哭したのは目前で勝利を逃したから。ドーハの悲劇みたいに。
ただ、整合性の取れない描写が2点あって、それはクラファンの呼びかけをするシーンとSOSボタンを押すシーン。この映画は5回見たが、これからも何回も見返して理解が深まれば理由がわかるかもしれない。
鉄道関係者はカッコいいけどそれ以外の人間の描写が露悪すぎる
新幹線爆破をなんとか止めようと頭を駆使する司令部の人たちや作業員、責任重大な役割を頑張った女性運転手、自分らもパニックだろうに冷静にお客様対応する車掌たちの姿はカッコよく、特に司令部のシーンはシンゴジラを彷彿させるワクワク感があって良かった(多少のツッコミどころはまあご愛嬌ってことで…)
ただこの人ら以外の人間ゴミすぎじゃない?
可哀想だけど事件の動機が身勝手すぎて全く同情できない犯人、テンプレ毒の犯人親、理不尽なクレーマー客、事故を起こしてしまった人物を「助けなくていい」とえげつない差別する客や乗務員…。ここまで人間を露悪的に描く必要あったかな?って感じ。しかもそれによって話に深みが出るとか一切ない
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