「十字架を背負った男の半生」「桐島です」 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)
十字架を背負った男の半生
1970年代、企業に対する爆弾テロを実行し、指名手配されながらも逮捕されることなく半世紀にわたって逃亡を続け、2024年初頭、入院先の病院で「桐島です」と名乗り出た直後に息を引き取った桐島聡。その半生を描いた作品でした。
物語は、1970年代中盤、20~21歳だった桐島が爆弾テロを実行する場面から始まります。その後指名手配された彼は逃亡生活に入り、お話は1990年代に。この時代はほろ苦い恋愛経験が描かれ、2000年代には勤務する工務店での後輩との関係性、2010年代には安倍政権による解釈改憲と集団的自衛権容認に対する怒り、そして2020年代には病との闘いと死に至る姿が、情感豊かに、丁寧にドラマ化されていました。
本作は基本的に、テロリストである桐島を好意的に描いており、その点については賛否があると思われます。ただし、彼のテロ行為の動機には、戦前・戦中の日本企業による朝鮮人や中国人労働者の酷使と搾取、そして戦後に至っても同様の構造が大企業によって継続されているという現実への強い批判がありました。桐島らは、それらに掣肘を加えるという意志を持って行動しており、少なくとも“物語”としては一貫性と説得力を持っていました。
さらに、2000年代以降の桐島は、在日韓国人や在日クルド人といったマイノリティに対する差別に対して激しい憤りを感じており、共に暮らし、支える姿勢を貫いています。戦前から続く民族差別が、現在でも根強く、むしろ表面化しやすくなっている現実社会において、彼の姿勢は多分に今日的な意味合いを帯びており、そうした意味で物語全体に古さを感じさせませんでした。
映画としての最大の見どころは、主演の毎熊克哉が演じた桐島聡の存在感でしょう。実際の桐島聡の人物像を知る人はほとんどいませんが、指名手配写真と映画のチラシにある毎熊の姿は非常に似通っており、その再現度の高さだけでも一見の価値があります。
特に印象的だったのは、1990年代の“恋愛編”とも呼べるエピソード。若き歌手・キーナ(北香那)からアプローチを受けながらも、逃亡者として背負った十字架ゆえに彼女の気持ちを拒まざるを得ないという切なさが胸に迫ります。河島英五の名曲「時代おくれ」の「目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは、無理をせず」という一節を桐島が熱唱するシーンも、彼の孤独と信念を象徴しており、とても印象深い場面でした。また、爆破事件の夢に何度もうなされて目を覚ます描写も、彼の葛藤や後悔を静かに浮かび上がらせていたように感じられました。
そして、死を目前にした病室で「桐島です」と名乗り出る場面は、映画的にも、そして現実の出来事としても強い印象を残します。既に他界しているため真実を確かめる術はありませんが、半世紀にわたって偽名で生きてきた彼が、最期の瞬間だけでも本名を名乗りたいと願ったのだとすれば、それはごく自然な人間の感情であり、静かに胸を打つ場面でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.0とします。
