「桐島です」のレビュー・感想・評価
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目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず、時代遅れの男になりたい
死ぬ間際に実名を明かした、逃亡犯桐島聡。
いたるところでよく見かけた指名手配写真の容貌からは、優し気な印象さえ受けた。その彼がどんな行動をして、どう逃げて、どう最期を迎えたのか、たぶんにフィクションを交えた一部始終。監督は高橋伴明で、妻の高橋惠子も大物役でカメオ出演している。そこに夫婦の思想背景が見え隠れしているに思えた。脚本家が気になってみたら、彼女は実の父親が指名手配されて自らが14年間の逃亡生活を経験しているという。その生い立ちが今回の映画にリアリティを持たせているのだろう。工務店での実直な勤務態度、行きつけの飲み屋、ボーリング大会などの仲間との交流、、、実際の桐島は、まさにこんな日々を過ごしたのだろうか。そう懐疑的な視点で観ていたが、そうでもないと何十年も逃げおおせるわけはないのだろうな。そして、最期に名乗ったのは、警察への勝利宣言か。いや、自分はここにいる、捕まりたくはなかったけれど、自分を忘れてほしくはないという一抹の叫びのように思えた。その桐島を体現した毎熊克哉、適役であろう。
同志であった大道寺の句集の表題句「棺一基 四顧茫々と 霞みけり」もしみじみと沁みた。内田勘太郎の奏でる泣きの旋律もじんわりと沁みた。
焦点が絞り切れていない
テーマの焦点が絞り切れていなくて平板なメロドラマ風になってしまっている。また、全体的に説明的なショット・シークエンスが多かった一方、コーヒーを淹れる場面、歌唱の場面等必然性が感じられない場面もあり全体的に単調な感じがした(一貫して流れている同じ調子のギターのBGMも単調さを後押ししている)。
監督のロマンティシズム・センチメンタリズムは反映されているのかもしれないが、“桐島のリアル”は見えてこなかった。
なんとも微妙で絶妙
謎しかない
この事件は
私が生まれる前のことなので、事件のことで
知らなかったことを知ることが出来るかも!と期待して、観ました。
結果、報道以上のことは何にもなかったです。
桐島さんは入院してから、どこまで話せたのかなぁ……
何も解明しないまま、「桐島くんの勝利だ」と無理やり終わりました。
そもそも最初の事件すら、途中からいきなり始まった。
桐島さんの学生時代を窺わせるのは、恋人との映画鑑賞後のデートくらい。
同志は、桐島さんが湘南を選んで潜伏していた理由は
仲間との約束の地だとか、仲間と同名の神社があったからだとか、
当時と繋げたがってたけど、私はそうは思わなかった。
故郷の雰囲気に似ていたんじゃないかな……
家族も友達も学友も未来すらも、何もかも捨てて
自分の考えを優先させて生きては見たものの、
やっぱり故郷が恋しかったんじゃないのかな。
自分が幸せじゃないと、相手を幸せにすることは出来ない、
どんなに良い人をやってても……
そんなこと、思いました。
その生涯をもって反面教師とした意味があったThere was meaning in a life that served as a warning to others.
そうか、あのニュースは去年か
と改めて思った。
主な駅で、
通勤の時によく見かけていた
あの顔をした人物のお話だ。
55歳になった身としては、
当時の爆破事件の経緯は
あまりにもガキ臭いという印象を持ってしまった。
20代、30代、40代で印象は違っていたかも知れない。
ただ、目指したいことと
それに向けての手段が、
本当にそれしかなかった?
本当にその方法しかなかった?
力を持ち、行使するとは?
という観点があまりにも欠けていて
清濁合わせ飲むことができない連中が、
世の中を変えるぞ!と息巻いている様子が見えて
うすら寒くなった。
描かれる逃亡生活は
あまりにも平凡で、
違いはいつでも逃げ出せる用意があることくらい。
世の中を変えるということは
たくさんの人と交わることとイコールだと思う。
なんかそういうのが苦手な頭でっかちの
エリートだと思い込んだ若者が
どれだけ集まっても、
よほどの天才でない限り、
何もできないというのを
示した意味くらいしかないように感じた。
彼らの方法は、上手くいかないと
その生涯を持って広く知らしめたことは
意味があったか。
その意味で、この失敗は広く知られるべきだし、
同じ方法はやめておけとはっきり言える。
別の方法を考えろと。
これ、本当の意味での反面教師だと
映画を見終わって、そう思った。
So that news was just last year—
I thought again.
It’s about the man whose face I used to see often during my daily commute at major stations.
Now that I’m 55,
the whole story of the bombings from back then feels overwhelmingly juvenile.
Maybe I would’ve felt differently in my 20s, 30s, or 40s.
But still—
Was that really the only way to pursue what they wanted?
Was there truly no other path?
What does it mean to have power, and to exercise it?
They seemed completely lacking in that perspective.
What I saw was a group of people unable to accept complexity,
riling each other up, shouting, “We’re going to change the world!”
And frankly, it gave me chills.
The fugitive life portrayed in the film was
so ordinary it was almost mundane,
the only difference being that they were always prepared to run.
To change the world, I believe,
is to engage with many people.
But no matter how many so-called elite young people—
awkward with human connection yet convinced of their own brilliance—
gather together,
unless they’re extraordinary geniuses,
they won’t accomplish anything.
That, at best, is what their lives came to represent.
And maybe there was meaning in that.
In that sense, their failure should be widely known.
We should say it clearly:
Don’t choose that path.
Find another way.
That’s what I truly felt after watching the film—
that this was a genuine lesson in what not to do.
やはり美談にするには無理がある
顔は手配書で多くの人が知っているが、どこで何をしているか本人が死の床で名乗り出るまでは全く分からなかった謎の人物「桐島聡」の物語。
自ら「逃亡」という選択をしたため、その生い立ちは学歴はわかっても、大学入学までのエピソードはほぼ紹介されない。遺族は全ての関わりを拒否し(当然と言えば当然だが)取材が出来なかったと思われる。その一方で、同志であったU氏は取材協力者として名を連ねている。なので爆破事件にいたる経緯については非常に詳しく描写されている。取材協力者によって大きくストーリーは変わってくるのかなと思う。長い長い逃亡中のエピソードは日記など記録に残るものを残さなかったら故、乏しく創作や、多少盛って行かざるを得なかったと思う。いい人エピソードも幾つか紹介されているものの、実際の桐島氏は基本的には厳しい生活だったと容易に想像出来る。
エピソードの中で私が刺さった事を一つネタバレにならない範囲で紹介すると、それは前述のU氏が10年以上前に刑務所を出所したことを知った時の桐島氏の衝撃かなと思う。まともに取材できたのが、U氏だけと思うので(私の勝手な思い込みです。)この映画はU氏による桐島氏への鎮魂の意味が入っていると思う。そう考えると悪い映画ではないが、やはり美談にするには無理があると思う。
「桐島です。」
1982年の11月だか12月前後に
五反田駅前東口の大衆酒場で友人3人と飲んでいた時に桐島聡が友人(893の匂いのする人)と隣の席で飲んでいまして、
仲良くなり酒を酌み交わした事がありました。
私は五反田の日蓮系の大学に通っていてそれまで飲みながら2時間くらい
仲良く議論っぽく話をしていたのですが・・
桐島が日蓮の悪口を云うものだから口論になり『この共産主義者め!』と怒鳴ってしまいまして、
その瞬間、氷ついたようになり
桐島は辺りをキョロキョロ見渡し、
機転を利かせた様子で
『ごめん!ごめん!謝るから飲み直そうよ!』と180度態度を変えたのを覚えております。
この映画の中に出てくる『腹腹時計』を忠実に実行していたのでしょうね。
このあと私を含めて4人は異常におだてられ日本酒を勧められて4人ともほぼ潰されてしまいました。
この映画に出てくる桐島は少し線が細い印象を受けましたが、
実際の桐島は性格的には骨太で信念の固まりのような感じでした。
しかし優しさのある人でした。
人見知りはまったくありませんでした。
この世の中を変えたい。
と云うものを持っているのは話の中でも解りました。
私たち4人が酔いつぶされて数日経ってから
指名手配の人物だと云う事に気がつきました。
この映画に流れてくる河島英五の
『時代おくれ』は桐島聡の人生をしみじみと表現するに値する曲だと思います。
50年遅い。
彼なりの正義があって、彼なりの信念があって、彼なりの闘いがあったに違いない。それでも犯した重大な罪から逃げ続け何の責任も取らず最期は自分自身として迎えたいなど卑怯者としか言いようがない。
1970年代。高度成長の裏側で、暴動、立てこもり、爆破、ハイジャックと過激な行動を起こす組織があちこちで結成され日本という国が大きく動いた時代。指名手配されながらも自らを偽って半世紀もの間同じ土地で過ごした桐島聡という人間の本性は結局分からないまま。桐島です、と名乗った瞬間救われたのはきっと本人だけだ。
毎熊克哉さんは何度も目にしたあの手配写真そのものだった。ただ年配になってからの容姿がちょっとやり過ぎでここは本当に残念。
余談ですけど、以前毎熊克哉さんが製作に関わっている映画を観たあと、ロビーにご本人がいらっしゃってて、写真撮っていいですか?って聞いたら、よかったら一緒に撮りますか?って言って下さってとにかくめっちゃかっこよかったです。イケボでお洒落でそれはそれは素敵でした。
AYAの逃走も見てみたい
1970年代、高度経済成期の日本で、反日武装戦線「狼」の活動に共鳴した大学生の桐島聡は、組織と行動を共にし、1974年の三菱重工爆破事件で多数の犠牲者を出してしまった。組織が壊滅状態となり、指名手配された桐島は偽名を使い逃亡生活をつづけ、工務店で住み込みの職を得た。ライブハウスで知り合った歌手キーナが歌う曲に心を動かされ、相思相愛となったが破綻。年月が経ち、2024年1月、末期の胃がんで神奈川県内の病院に入院し、最後は本名で、との本人希望により、桐島聡と判明した。そして3日後亡くなった。そんな彼を描いた作品。
同じく桐島聡を描いた、逃走、とはまた違った感じだったが、いずれにせよ、彼の生き方に共感もしないし、やはり、なぜ、の部分の方が多かった。
大道寺あや子はまだ行方不明だが、もしかして本作の様に生きて闘争してるのかも。
彼女の所在が明らかになったらまた同様の作品が生まれるのだろうか。そんなことをラストで思わされた。
桐島聡役をの毎熊克哉は身長以外良く似てたし、ちょっとだけだったが、AYA役の高橋惠子の存在感は抜群だった。
「時代おくれ」
連続企業爆破事件の指名手配犯・桐島聡の50年に及ぶ逃亡生活を、同時代人である高橋伴明監督が映画化。
あの有名な笑顔の手配写真を彷彿とさせるように、毎熊克哉がナイーブさと人の良さを醸し出して好演。無名の人間として密かに生きる日常描写が印象的。
それにしても、作中でも隣人の甲本雅裕が勘づきかけるだけで、当時、あれだけ超法規的措置を行った事件が連続する中で、なぜ公安警察が彼の手がかりすら掴めなかったのか、今となっては不思議に感じるところ。
劇中歌となっている「時代おくれ」があまりにハマっていて、気恥ずかしいくらいだが、チャーミングな北香那とのシーンはグッとくる。この歌を使ったことで、映画作品としての魅力が上がった。観終わった後も、頭の中でリフレインするほど。
晩年の安保法制や外国人ヘイトに怒りをあらわにするさまは、それまでの人物像からすると違和感があるが、そこも含めて「時代おくれ」ということか。
おそらく桐島が自ら名乗って死んだあと、すぐに動き出した企画で、高橋監督も自分が元気なうちに作品化したいと思っただろうから、低予算で粗い仕上がりになっているのは仕方ないところ。もう少し、せめてもう一年でも熟成させたら、もっと味わい深い作品になっていたような。興味深い素材で、ねらいは理解できるだけに、残念。
沁みました
受け取る側にも「それなりの判断力」が求められる一作
1971年生まれの私にとって、指名手配犯或いはその写真ですぐに思い浮かぶ代表格「桐島聡」。昨年、突然の「桐島と名乗る人物」の身柄確保と間もなくの死去が報道され話題となった桐島聡を、巨匠・高橋伴明監督(兼脚本、プロデューサー)が描いたと聞いてサービスデイの本日、新宿武蔵野館にて鑑賞です。
本作は当時、大学生だった桐島(毎熊克哉)が同志たちと蜂起して起こすテロ事件をきっかけに、一部共犯者の逮捕と自らも指名手配されて追われる身となり逃走した「その後の桐島聡の人生」が描かれます。
その状況からも想像に難しくない桐島・逃走後の人生は、周囲から「そういう人いるよね」と言った感じの曖昧で抽象的な印象であり、特筆して目立つようなタイプではありません。普段は真面目に働き、余暇には程々の飲酒と好きな音楽を楽しんでいますが、不意に見かける警察の影に脅えたり、自らが犯した行為を見る悪夢にうなされて起きる朝など、安らぐことのない孤独な人生は「犯した罪への終わることのない代償」の日々。
そんな桐島が行きつけの酒場で、突如現れて舞台に上がる歌手キーナ(北香那)の弾き語りで披露される「あるヒット曲」に動揺しながらも心を震わせるシーン。この選曲と演出は本作最大の見せ場で大成功と感じる流石の巨匠・高橋伴明監督。とは言え、その後も再三にわたってヘビーローテーションするのは、ややその選曲の成功に頼りすぎな面も否めません。
また、桐島の「人となり」を示すためのエピソードの数々として。時に特別意識することもなく当たり前のように利他的な行動をとる桐島を見れば、その人間性についつい肩入れしたくなって大変に魅力的です。更に、周囲がこぼす「制度」や「社会システム」に対する不満に対し、国を相手取った「陰謀論」で対抗するところなどはユーモラスさを感じます。ただ一方で、世間知らずの若者による外国人(朝鮮人やクルド人)への差別的な発言に対するやや過剰な反応や、テレビから流れる当時の首相の「ある政策」に怒って取る行為など、若干ステレオタイプに感じていささか表層的。その人物像を語るには、いくらフィクションとは言え「実在する人物」が基になっているだけに肝心なリアリティが足りておらず、むしろ「こうであって欲しい」と背負わせすぎな印象も感じます。(※蛇足として…個人的には「最期の自供」や「うーやんというニックネーム」など、逃走後は「桐島ではなく内田洋」に成り切り、思想家とは遠くてもっと俗っぽい人生を送るように心がけていたのでは??なんて、ただの想像ですが。)
兎も角、高橋伴明監督ということで少々ハードルを上げすぎたのか、つまらなくはないけどちょっと物足りなさも感じた本作。主義主張のために一般人を巻き込む事件を起こし、罪を償うことを良しとせずに逃走した人物を「英雄視」こそしていませんが、指名手配犯・桐島を通して(或いは利用して)語るという「手段」には、受け取る側にもそれなりの判断力が求められると思います。本作、観終わってから「(本作冒頭の)事故を報じた映像」を思い出すことも重要。突然の大道寺あや子a.k.a.“謎の女AYA”(高橋惠子)登場に惑わされてはいけませんよ。
彼の生き様は海を超えたけど、いずれ再び、日本に戻ってくるのかもしれません
2025.7.9 イオンシネマ久御山
2025年の日本映画(105分、G)
実在の人物、東アジア反日武装戦線「さそり」のメンバー・桐島聡の逃亡生活を描いたヒューマンドラマ
監督は高橋伴明
脚本は梶原阿貴&高橋伴明
物語の舞台は、1970年代の東京
東アジア反日武装戦線のメンバー・桐島聡(毎熊克哉)は、ボスの黒川芳正(伊藤佳範)、同胞の宇賀神寿一(奥野瑛太)とともに、労働環境を改善しない企業に対して、爆破テロ行為を続けていた
世間を震撼させた三菱重工の爆破テロ事件以来、公安は目を光らせていたが、桐島たちはその目を掻い潜って、爆破事件を繰り返していた
ある日のこと、黒川が逮捕されたことをきっかけに逃亡生活に入った桐島と宇賀神は別行動をすることになった
安いアパートを借りて、日雇いなどで生計を立てていたが、桐島は東京を離れることに決めた
湘南の海辺の街に辿りついた桐島は、そこにあった小林工務店に転がり込む
この頃から内田洋と名乗るようになった桐島は、小林社長(山中聡)の信頼を得て、同僚の金田(テイ龍進)たちと佐官などの仕事を行なっていく
会社が借りているアパートで生活を始めることになった桐島は、奇妙な隣人(甲本雅裕)などに警戒をしながら、日々を積み重ねていくことになった
だが、爆破の悪夢を繰り返し見るようになり、穏やかな日は訪れようもなかったのである
映画は、2024年に桐島が病院で名乗ったことをきっかけにして、偽名を使いながら47年間も続けた逃亡生活がフォーカスされるようになっていた
本作はドキュメンタリーではなく、あくまでも架空の話になっていて、このような生活を送っていたのではないかというものを、様々な資料や証言などから構成している
だが、当時を知る人が「=桐島だった」と認識はしておらず、死亡のニュースが流れても、使われたのは20代の頃の写真だっただろう
なので、どこまでの人が「あの時の彼が桐島だったのか」と思ったのかはわからず、同胞だった宇賀神たちの持っているイメージというものが色濃く出ているように感じた
物語は、企業による労働搾取問題に抵抗する様子が描かれていて、それに対抗する手段が爆破テロだった、という時代になっている
学生運動が盛んな時期で、日本赤軍なども活動していた時期なのだが、今の若い世代はほとんど知らないと思う
私の世代でも、生まれた頃に起きた事件で、しかも関東圏のことだから身近に感じることはなかった
全国的に指名手配されているものの、取り立てて興味を持った覚えもなかった
今の時代も労働者の搾取問題は取り沙汰されるが、もっと巧妙で、当時以上に法律の目を潜り抜けているものが多い
現在進行形で様々な問題が報道されているのだが、映画の中の時点でもすでにクルド人の不法滞在問題なども登場しているので、2014年くらいからのパートに関しては聞き覚えのあることも増えてきていた
桐島は、安倍総理の演説にブチ切れたり、新入りのたけし(和田庵)の差別的な発言にキレることもあった
根底にある労働者の搾取構造に対して、どんな運動を行なっても変わらず、ますます悪化していることを肌で感じていたと思う
失われた30年の中で逃亡生活を続けていて、自分の近くに来る人たちも変化してきたと思うのだが、そう言った部分はあまりふれられていないように感じた
ラストでは、中東地域のどこかの武装勢力が描かれ、AYA(高橋惠子)の元にメッセージが届いていた
そのメッセージに字幕がついていないのはアレだが、アラビア語で「神の御加護がありますように。桐島聡氏は亡くなりました」と書かれていた
彼の思想や生き方が現代にも根付いていることを意味し、その行動は国内を飛び出しているということになるのだが、この状況を桐島が望んでいたのかは何とも言えない
それでも、色んな国が辿る道でもあり、未来の日本も転落して高度成長前まで戻ってしまうのなら、同じことが繰り返されるのかな、と感じた
いずれにせよ、かなり訴求する層が少ない映画で、劇中の桐島たちの思想に共感する若者もほとんどいないと思う
人に怪我をさせないと言っても、どこかの工場を爆破させたツケは現場の底辺に押し付けられるだけで、企業の体質が変わるということはない
社会構造が変わっても、企業はどんどん巧妙になっていくだけなので、そう言った時代の中でどう生きていくかというのは二極化していくのかもしれない
どのレイヤーで生きていくかを選ぶ時代になっていて、そう言った構造を根本から覆すよりは、構造の中に新しく自由な構造を作る以外にはない
その方法はたくさんあると思うが、とりあえずは世の中の仕組みを理解して、自分なりの角度で築き上げるしかないのかな、と思った
切なくやるせなく・・・いい映画だった。
共感
小学生の頃から見ていた「桐島聡」だし、学生運動への興味は以前からあったし、で鑑賞。
まさか高橋伴明監督作とは思ってなかったが、事前の予想に反してまさに今撮られるべき作品になっていた。
正直、全共闘世代ど真ん中の高橋伴明に物語られるのは若干モヤるものが無いではないが、それでもやはり現在の日本を射抜く作品になっているのは流石。
本作のテーマはまさに桐島に捧げられた「やさしさを組織せよ」ということば通りだった。
潜伏50年(ほぼ)ということで事実はほぼ不明ながら、同士であった宇賀神氏への聞き取りなどから、『「指名手配の爆弾犯」桐島』でなく、大日本帝国の先兵となってアジア諸国を搾取しながら責任を取ることのない日本企業や政府そのものへの責任を問うひとりの青年としての桐島聡を描いている。彼はきっと昨年初に亡くなる前には、在日朝鮮人への差別には「そんなわけないだろ」と言い、クルド人差別にはその境遇を理解しようとする、そんな人だったろうと描かれる。
そうだろうなと思う。彼らが武力闘争を選び爆弾テロを行ったことは間違っていたが、そもそもは「やさしさ」から始まっていることであり戦後誰も問わず取らなかった「責任」を問うているのだから。
序盤で桐島は「学生運動なんて時代遅れだし、上場企業に就職したいし」という理由で彼女に振られる。私が全共闘世代を許せないのはそこで、彼らは社会変化運動をファッションとして消費し「時代遅れ」と葬ったうえで転向して体制側に加わった。その後の社会変革運動はすべてそこに飲み込まれてしまい、その結果として今の日本がある。
現在の日本社会に蔓延るヘイトや差別は当時もあり、桐島たちがそれに抵抗していたにもかかわらずそれは今も温存され、再び猛威を振るっている。
我々は桐島の「ごめんなさい、こんな日本で」という贖罪に共感すべきだ。共に謝り共に未来に向かうべきだ。でなくては、彼らの爆破闘争は正しかったということになる。
高橋伴明監督のそういう想いは伝わったし、そこに本当に共感する…
一番観たかった所が描かれていなかった
2025年劇場鑑賞200本目。
エンドロール後映像無し。
指名手配犯が偽名で生活していて、死の間際に名乗り出たというニュースは知っていました。当時(と言っても最近ですが)最後まで名乗るべきじゃない、責任を取らずに気持ちだけ楽になろうとするなんて卑怯者だという意見が多かった記憶があります。ただ、この桐島という男が何をしたのかよく覚えていませんでした。
てっきり名前と顔をころころ変えて転々としていたのかと思っていたのですが、そうではなく、バレないもんだなと思いました。本人から聞いたわけではないでしょうし、日記をつけている描写もなかったので、潜伏中の彼の様子は当時関わっていた人たちの証言から描かれているはずなので、隣の男の話とか、恋の話とか、怒った話、同僚の話、どこまで本当か分かりません。それはいいのですが、本人が死の間際に告白してから、その後の周りの反応が一番見たかったのに、元同志の書いた記事しかなく拍子抜けでした。
先に逮捕された同志は獄死した例もありますが出てきており、一生偽って生き続けるなら早く捕まった方が楽なのではとこの映画を観るまでは思っていましたがそれなりに自由を満喫していたのでどっちが良かったのか・・・。
彼は自分の人生を生きられたのだろうか…
駅で見かける指名手配写真。
彼らの人生を考えたことは無かった。
なんだか過激な事件を起こしたヤバい人。
そんな冷たい視線を送っていました。
この映画を観るまでは。
1974年の三菱重工本社ビル爆破事件など、いわゆる過激派が起こした一連の犯罪で指名手配犯となった青年の半生を、正体を隠して生きた50年間の軌跡を描いています。
警察を見るたびに隠れ、いつでも逃走できるよう枕元に靴を置いているのも彼。
かつての仲間たちの逮捕に怯え、消息を伝える新聞記事を息を潜めて読み、実家と連絡をとることもできないのも彼。
同じ工務店で40年余りの年月を勤めあげ、同僚や地域の人々に親しまれる好人物もまた彼。
故なき差別に我を忘れて激高してしまうのも彼。
彼が生きたかった人生はこの中のどれだったのだろうか。
平和な世界を願い、不当な搾取に断固意見する。
食い物にされている弱者には手を差し伸べずにはいられない。
そんな優しい人がこのような生涯を送らざるを得なかった状況に忸怩たる思いを抱きました。
40年間住み続けた部屋の家具や所持品が、時を経るにつれて少しずつ現代風になってゆくのが妙に印象的でした。
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