劇場公開日 2025年3月14日

「詰め込み具合が半端ない」早乙女カナコの場合は R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5詰め込み具合が半端ない

2025年6月10日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

ひとことでは評価できない作品
モチーフとミスリードに加え、不確かに感じるテーマの存在 恋愛と文学 それらが背景にある遊園地のジェットコースターのように入り乱れている。
群像でありケースでもあるキャラクターたちと、そして最後は視聴者の感性に委ねている是非
冒頭 演劇サークルの部員勧誘方法と部室での二人のダンス
世間知らずだった早乙女カナコが受けた衝撃 そして恋
描かれなかった大学の3年間は、二人の急ピッチであっという間に過ぎた恋愛のひと時を表しているのだろう。
「欲しいものはすべてガラスの向こうにある」
それは、そこに見えている実際のペアリングだったが、届きそうで届かないものを象徴している。
それに手を伸ばして買ったカナコ
長津田の想いがこんなに簡単に、しかも彼女の手によって差し出された現実に狼狽えるのはよく理解できる。
長津田があの時見た夢は、確かのあのリングだったが、そのまた先にある脚本家という夢だったのだろう。
いとも簡単に手に入るものと、絶対に無理だと思っているものの差を彼は感じたのかもしれない。
現実
物も賞も、恋もお金も、時に優劣がつけられなくなってしまうものだ。
部室のドアの張り紙
「死者を起こすには、強くノックすること」
この言葉は物語の中でも語られるが、実際に映画作家ジャン・ユスターシュが自殺した部屋のドアに貼られていた遺言
彼は脚本家志望でありながら、何も書かず、卒業もせず、現実から逃げるような生活をしていた。
そして長津田はその意味を「自分のような“死んだように生きている人間”を目覚めさせるための合図」と考えていたのかもしれない。
その事をしてくれるのが早乙女カナコだと直感したのだろう。
それを知る彼女とのダンス 自分の心を開放して死んだようになってしまっている「何か」を目覚めさせてくれる期待
そうして過ごした3年間 しかし卒業しないと言った長津田に、カナコは別れを告げた。
カナコの怒り
自分の脚で自分の人生を歩こうとしない長津田に対する怒り
強烈な出会いと楽しかった長津田との恋愛 大学生活
ずっとなりたかった出版者への就職と、好きな作家の担当編集者になる夢
カナコの現実
ひとつのケースが慶野亜衣子
彼女の5年計画と潰えた夢
受け取った花嫁のブーケを墓地のどこかの墓の上に置いた心境
墓地もまたこの作品のモチーフだが、ミスリードでもあったように思う。
少し前に流行ったタスク管理 自己実現のための手帳 中長期的な人生設計を含む自己管理ツール
それがいいとされた時代背景 そして挫折
思い描いた通りにはならないのが人生だろう。
このようなケース
この作品ではカナコという一人の人物を中心にしながらも、彼女を取り巻く人物たち(長津田、慶野亜衣子、演劇部の仲間たちなど)それぞれに焦点が当たるため、群像劇的な構造を持ている。
一方で、カナコの「事件」や「選択」が、まるで一つの「ケース」として提示されており、観客が「この場合、どうすべきだったのか?」と考えるように仕向けられている点では、ケーススタディ的な要素も強い。
ここがある意味ミスリード的な感じを受けてしまう。
特に最後のシーン 長津田が電話してきて「死者を起こすには、強くノックすること」という意味深な言葉を遣う。
彼が自殺していれば、それもケースだが、この作品はかなり文学的要素が強く感じる。
ところが…。
そうしておきながら、カナコが最後に部屋を飛び出していく。
カナコは自分でもまったく自分の感情がわからなくなったのだろう。
ジェットコースターのように、乱高下する感情を抑えきれなくなっている。
カナコにとって夢を掴んだことは人生の最高地点だった。
同時にいつまでも煮え切らないでいる長津田への想いもある。
アイドルのマネージャーとなった長津田を祝し、そしてまたダンスをした。
いつまでも消えずにいるあの時の強烈な出会いとダンス
それは確かに過去のことだったし、もういい加減切り替える必要があると、ず~っと思ってきただろう。
でも、その度に再会してしまうことと、あげても捨てても舞い戻って来てしまうあのペアリング
カナコの場合、一般的な恋愛に関する認識や常識では解決できない縁とか運命が介入してしまう。
読書好きであれば、知識もたくさんあるだろうし、どうした方がいいのかは判別がつく。
しかしどうしても長津田との縁は、運命的な介入によって強制されるようだ。
「死者を起こすには、強くノックすること」
かつて長津田は、自分の中に眠る死者をカナコが起こしてくれると思っていた。
カナコは長津田に「一人で歩け」と切り捨てた。
カナコにとって長津田とは、不可思議な運命上にあって消せない情熱なのだろう。
彼はただの怠け者とか何もできない者ではなかった。
さて、
墓地
この作品におけるモチーフでありミスリード的存在でもある。
死者を連想させるこの言葉は、男女の密会の場所でもあると言っている。
生まれて死んでいった無数の人々 彼らの恋愛
諦めの象徴でもあり、宿命でもある。
同時に恋に落ちるのもまた常だ。
墓地は過去であり、節目であり、孤独でもある。
喪失と人生を終わらせたい想いがあり、別れと決別の象徴でもある。
カナコは亜衣子に「二人ともと付き合いません」と断言した。
しかし、この彼女のケース
そんなことも、あるいはあるのかもしれない。
恋愛において、別れた男女が再び恋愛する場合
どこにでもありがちなもののように感じるが、実際には難しいことも多いように思う。
そのケースはこうして「ある」というのがこの作品だったのかもしれない。
かなり深い作品であるものの、詰め込み過ぎていて抽出に手間がかかってしまうのが難ありだった。
でも、面白い作品だった。

R41