「親切さというものは対象者に向けた一本の矢であり、それを知らない人にとっては凶器にも見えてしまう」ユニバーサル・ランゲージ Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
親切さというものは対象者に向けた一本の矢であり、それを知らない人にとっては凶器にも見えてしまう
2025.9.1 字幕 アップリンク京都
2024年のカナダ映画(89分、G)
英語の代わりにペルシャ語が公用語となったカナダ・ウィニペグに住む人々を描いたヒューマンコメディ
監督はマシュー・ランキン
脚本はマシュー・ランキン&ピロウズ・イーラ・フィルザバディ
原題は『Universal Laungage』で「世界共通言語」という意味
物語の舞台は、カナダのケベック州とマニトバ州
ケベック州に住んでいるマシュー(マシュー・ランキン)は、離れて暮らす母()の元を訪れるためにバスに乗って生まれ故郷のマニトバ州ウィニペグへと向かった
どうやらマスード(ピロウズ・ネマティ)という男と一緒に住んでいるようだったが、そのいきさつは不明のままだった
とりあえず父の墓参りと生家に向かうことになったマシューは、そこに住んでいるダラ(ダラ・マジマバディ)に逢って話を聞くことになった
一方その頃、ウィニペグの小学校では、担任のビロド(マニ・ソレイマンルー)が生徒たちを叱りつけていた
休みが明けても成長しない生徒たちを怒っていたのだが、そこにオミッド(ソブハン・ジャヴァディ)が遅刻してきてしまう
先生は理由を聞くものの、オミッドは「駐車場で七面鳥にメガネを奪われた」と言い、先生は作り話だと思って、「メガネが出てくるまで授業はしない」と怒ってしまった
その後、オミッドを心配するクラスメイトのネギン(ロジーナ・エスマイリ)は、彼の言う駐車場へと向かった
だがメガネは見当たらず、そこで氷の中に閉じ込められていたお札を見つけてしまう
ネギンは姉のナズゴル(サバ・ヴァヘドユセフィ)に助けを求めるものの、そこにお金を狙う不審者がやってくるのである
物語は、マシューが母を探す旅と、ネギンとナズゴルがお金を得るために道具を探す様子が同時並行していく
その関係性が最後に明かされることになるという構成で、この狭すぎる人間関係の妙を楽しめるかどうかによって評価が分かれるのだと思う
お金を盗んだ男はマシューの母を保護していたマスードであり、彼はオミッドの父親でもあった
またマスードの妻は涙を集めている女性サハル(サハル・モフィディ)だったりする
マシューの生家に住んでいたダラは訪ねてきたマシューを快く受け入れ、そして彼の身を案じて抱擁をする
このシーンが海外版のポスターに使われていた
映画には、数多くのキャラが登場し、ネギンたちが氷を割る道具を探す過程で、花屋でマシューと出会っていたりする
その花はマシューの父の墓前に飾られることになるし、墓地に来ていたのがサハルだったりするし、ビンゴゲームの会場でも出会っていたりする
かなり狭い範囲で何度も交わっているのだが、肝心なことは最後までわからない
マスードは貧困にあえいでいて、息子のためにメガネを買ったものの、七面鳥に奪われてしまった
その七面鳥は七面鳥屋のハーフェズ(バフラム・ナバティアン)の弟アブデル(ムハンマド・サラビ)の入賞した自慢の七面鳥だったのだが、アブデルとマシューはカフェで同じ場所にいたりする
このカフェにはサハルもいて、そこには編み物をしている女性たちがいたりするのだが、彼女たちと母親を重ねてみていたり、サハルも在りし日の母親のように誤認している
そして、母親は認知症が進行していて、マシューのことを息子だとわかっていない
長い間、マスードがマシューの役割を演じてきたからなのだが、マシューが母親との対話を避けてきたことが要因のようにも思えた
映画では、言葉よりも伝わるものがあるというテーマになっていて、それは人類共通の言語であると描いている
ダラの抱擁、サハルを見間違えるなどのマシューの感情も然ることながら、お金を奪われると感じたネギンの感覚も正しかった
そう言った人から溢れてくるものがたくさんあって、それは言葉を超えて直接的に伝わってくる
だが、その雰囲気や感覚を作り出している原因までは相手に届かず、それを補完するために「言語」が必要となってくる
言葉がいらない瞬間もあれば、言葉が必要な場面もある
それこそが人類の普遍的なテーマとしてあり、多言語が交錯するゆえに人の間に軋轢が生まれてしまうと言えるのではないだろうか
いずれにせよ、感覚的に捉えればよい映画で、あえて見せないことで対象者(画面に映る人物)の感情を引き出して描いていたと思った
不審者がマスードであるというのは最後までわからないし、それゆえにネギンたちの感情が高ぶったままになっていたりする
だが、お金がないので拾ってでも息子にメガネを買ってあげたいとは誰にも言えないもので、そんな彼はマシューの母に献身的な時間を与えていたりする
親切さというものが行動規範になっているものの、それは誰かに向かう一本の矢のようなもので、それを俯瞰している人を置き去りにしている部分もある
今回の場合だと、マシューの感情は置き去りにされているし、ネギンたちも同じ想いを抱えていた
そう言った部分を補完するためには相互理解が必要であり、そのために「言語はある」と言える
そう言った意味合いにおいて、単純そうに見える人間関係の深いところを描いていた作品だったのかな、と感じた
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