トレンケ・ラウケンのレビュー・感想・評価
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アルゼンチンから届いた進化しつづける異色作
この映画はPart1とPart2で合計4時間を超える。ならばそれに見合う超大作かと思いきや、目の前に広がるのはスケールや量で推し量れない不可思議な構造を持ったストーリー。何よりも特徴的なのは明確な解決や結末が存在しないことだ。劇中では幾人かの女性が姿を消すのだけれど、理由や根拠はまったく示されず、いわゆる謎解きのカタルシスは皆無。その代わり、本作には脈打つ”進化”の過程がある。まるでバトンリレーのように作風がミステリー、メロドラマ、ラブストーリー、SF幻想譚へと変化を遂げるのだ。決して目くるめく衝撃の4時間などではないが、そこには人を焦らせない、ゆったりした時の流れ、黄昏、心のうごめきがあり、人をナチュラルに謎へ向き合わせる心地よい風が吹いている。いまだ私は本作をどう表現すべきか最適解が掴めていないが、主人公と同じラウラの名を持つシタレラ監督がこれから世界的に注目されていくのは確実だろう。
丸い湖をぐるっと回っても、真ん中の島には辿り着けないのです
2025.5.29 字幕 京都シネマ
2022年のアルゼンチン&ドイツ合作の映画(260分、G)
失踪した植物学者を巡るミステリー映画
監督&脚本はラウラ・シタレラ
原題の『Treque Lauquen』は、舞台となるブエノスアイレスの町の名前で、「丸い湖」という意味
物語の舞台は、トレンケ・ラウケンのとあるロータリー
失踪したラウラ(ラウラ・パレーデス)を探すために、恋人のラファ(ラファエル・スプレゲルブルド)と、彼女の同僚だったエレキエルことチーチョ(エレキエル・ピエリ)は待ち合わせをしていた
ラファの長い電話が終わりようやく出発することになった二人は、彼女が行きそうな場所を巡って車を走らせた
ラウラは植物学者として大学に在籍していて、新種の植物を探すためにこの町に訪れていた
だが、任期を終えても大学に戻らず、借宿だった場所からも姿を消していて、そこでラファとチーチョが探すことになった
ラファにはある仮説があって、彼女は仕事を全うするために出かけたのだろうと言う
そして、それを確認することで、彼女の帰りを待とうと考えていた
一方のチーチョは、ラファが知らない彼女の一面を知っていて、さらに車に挟まれた彼女の置き手紙を見つけてしまう
そこには「さよなら、さよなら、じゃあね、じゃあね」と書かれていて、これは二人が知るある楽曲の歌詞の一部だった
ラウラは植物採取の傍らで地元のラジオ局の番組「ニュースの海」にてコーナーを持っていて、ホストのフリアナ(フリアナ・ムラス)、パティタ(Eugenia Campos Guevara)、クルシオ(Matias Feldman)たちと番組を盛り上げていた
彼女がそこで語るのは「歴史を変えた女性たち」と言うもので、そこで様々な歴史上の人物を取り上げていた
番組では町で起こるニュースも配信されていて、最近の話題は「湖に謎の生物が現れた」と言うもので、その担当者だった女性がその生物を持ち帰ったなんて噂も話題に上がっていた
物語は、全12章(前半7章、後半5章)の構成となっていて、前半は「男性目線で紐解く想像の物語」で、後半は「女性目線で語る真実の物語」となっている
ラウラの失踪に関して「論理的に仮説を立てるラファ」と「状況と感情で推測するチーチョ」と言う対立構造になっていて、それが後半であっという間に覆されると言う流れになっていた
いわゆる「迷宮」と呼ばれるゴールの見えない物語になっていて、それに身を委ねられる人は楽しめると思う
逆に、あの生物は何だったとか、あの花は何だったなどの「完全なる答え」の欲しい人にとっては、中途半端なところで終わったように感じられると思う
私も当初は「これで終わりなの」と思ったタイプだったが、物語の構造を考えているうちに、論理と感覚が導くものは全く違うのだなと言う結論に至った
ラファは仮説と言うある種の答えありきの推測になっていて、チーチョよりは情報量が少ない
チーチョはラファには言えないことがたくさんありすぎて、さらに自分の行動が彼女を追い詰めたのでは?と思っているところがあった
だが、実際には、ラウラは彼女自身の思考と感情によって動いていて、二人の男の知るよしもない行動を取っていたのである
彼女がどこに行ったかとか、どうしてそのような生活をしているのかは想像の範囲になるが、映画を観て想像するものとは違うものがあるのだと思う
その正解はラウラ自身にしかなく、彼女が理想とする人物に近づきたいと言う衝動から来るのかなと感じた
私=私たちと言う記述にこだわりを見せていたラウラは、同じ感性を持つ人間と同化したいと言う衝動があって、それを発芽させたのはカルメン・スーナ(ラウラ・シタレラ)であり、成長させたのがエリサ(エリサ・カリカホ)なのではないだろうか
いずれにせよ、感覚に委ねる作品となっていて、このレビューの解釈も的外れであるかもしれない
男性脳で紡がれる文章を完全に切り離すことができないので限界があるが、それでも論理的に考えたいと言うのが根底にある
そう言った意味ではある種の仮説に近づくのかもしれないが、それは浮かび上がる事実に対して従順であればこそ近づけるようにも思える
文章として記すならばこのような感じになるが、ぶっちゃけると「ラウラ、すげえ」みたいなところに行き着くので、共感を得られるのは女性の方なのかな、と感じた
ラウラは何処へ行く?
「ブルータリスト」(3時間35分)に「アラビアのロレンス 完全版」(3時間47分)と、今年3時間越えの作品は2本観ていましたが、本作はPART1(2時間8分)とPART2(2時間12分)合わせて4時間20分と、初めて4時間越えの長丁場となりました。ただ、いずれの作品も中入りがあり、本作に至っては別の上映回という体だったので、精神的にも肉体的にもリラックスして鑑賞出来ました。
初体験は4時間越えということだけではなく、アルゼンチン映画という点も初体験(厳密にはドイツとの合作ですが)。果たしてどんな雰囲気の映画なのか、興味津々で観始めましたが、正直序盤はちょっと退屈に感じられました。内容的には失踪した女性植物学者のラウラを、恋人のラファエルと同僚のエセキエルが探すという話でしたが、どうにも要領を得ず、またこれと言ったインパクトがあるシーンもなく、何の意味があるのか分からない流れが続いていた感がありました。ただ良くあるパターンですが、冒頭で現在のシーンを描いてから、過去と現在を行きつ戻りつしてそこに至る経緯を描く作品であることが分かり、最後まで観ると実は冒頭のシーンにもヒントが隠されていました。
また、テーマ性も多岐に渡っていて、人探しのミステリーの面もあれば、図書館の蔵書に隠された手紙の謎を追うミステリーの面もある。さらにはラウラとラファエル、エセキエルの三角関係を描いた恋愛物という側面もあれば、後半になるとエリサという女性に惹かれるラウラの姿を描く部分もある。さらには題名である”トレンケ・ラウケン”というアルゼンチンの地方都市にある湖で発見された謎の生物の存在などの話題もあり、SF的要素も含めて極めて複層的な構造をしている作品であり、物語が進むにつれて退屈さは雲散霧消しました。
さらに全11章立てにした物語の章と章の繋ぎ目の描き方もお洒落。曲の歌詞のワンフレーズが次の章の名前になったところなんかは、実にスマートでした。BGMの選曲も秀逸で、クラシックからUFO襲来っぽい不協和音まで、実に幅広いもので、観客の心理を上手に誘導していたように思えました。
また、主人公ラウラを演ずるのがラウラ・パレーデス、恋人ラファエルを演ずるのがラファエル・スプレゲルブルドというように、役者の名前をそのまま役名に使っているところも意味深。フィクションでありながらも、現実世界との繋がりを強く意識させる演出なのかしらとも思えました。
最終的には、「えっ、これで終わり?」って感じのエンディングでしたが、これまたラウラの心情や今後の行方を観客の想像に任せるものであり、観終わってからも脳裏に残る作品でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.4とします。
謎に包まれていて興味深かったです
パート1パート2と別れた上映スタイルで観賞しました。繋がっていながらも、2つの内容が結構違っていた印象で、長くて、ぶっちゃけ眠っちゃいそうな箇所もあったけど、最後まで楽しめました前半は謎解きかな?どんどんオモロいところをついて、夢窓に耽りながら神秘的に、妖艶に、ストーリーを紡ぎ出していく感じが興味をそそりました。独特の音楽・音響の感じなんかも好みでした。映像はそれほど・・・と思っていたのですが、それが後半に行くにつれて非常に美しい映像美で構成されているように感じたので、全体的に相当凝ってるなぁと思った次第です。とはいえ、映像にこだわりを感じるようになった後半は、それなりに眠気も来た感じです。内容はどんどん面白くなって行くような気にさせてくれるんだけど、如何せん、ほぼほぼ分からんですよねー、まぁ勝手に推測して楽しんどけばいいんでしょうけど─
発見
前半と後半の2パートに分かれており、前半はとある手紙をきっかけにその行方を追うラウラとそんなラウラに魅了された男2人が失踪したラウラ自身を追う形になっていた。冒頭からいなくなった女を探す中で徐々に話が見えてきて、後半に向かって興味のギアが上がっていく興奮に身を包まれる。後半のパートはそれを今度はラウラ視点で描かれる(とその仕事仲間)
前半の目線が裏切られていき、正直途中で興味が湧かなくなってしまったというのがある…。と同時に自分は映画の中で常に答えを探していて、それらが発見されないとテンションが下がるのかなとも思った。
いやすごい
アルゼンチンはブエノスアイレス郊外の街 トレンケ・ラウケン (「丸い池」という意味らしい)。そこで失踪した女性ラウラの謎を追う、パート1、パート2、各2時間強の、衒学的でスリップストリームな物語。
目立つのは女性たち。パート1では二人の男性がラウラを探すのだが、物語を駆動するのはラウラを始めとする多くの女性たち。男性二人はただの傍観者に過ぎない。
そして、視点が変わるパート2 においては何をかいわんや、男性たちは遠い背景と化し滑稽ですらある。
何の確証も無いのに真実らしきものを語り、騙る二人のパート1。それを置き去りにして、全く別の層、別のラウラで話が進むパート2。
ナレーション多用ながら、その扱いがスマートで全く興がそがれない。最後の最後、2段階の映画的趣向が待ち受けるラストも見事。
『TWIN PEAKS』や『アンダー・ザ・シルバーレイク』といった考察系とも違う (「そういうのがやりたい訳ではない」というのが監督のインタビューからも伺える)、南米お得意のマジック・リアリズムとも違う、もっとアップデートされた何か。
奇妙な味わいを演出するクラシック音楽使いも、音響も、編集も、全てがハイレベル。
終映後に残るのは、昨年の『王国 (あるいはその家について)』の様な、何かとんでもない物を観てしまった感覚。
ただ『王国』同様、長いのと、これでもかという長回しの多用が玉に瑕。全体で3時間に収まっていたら文句なしの年間ベスト級。しかし、『王国』もその長さゆえランク外にした昨年の過ちを、今年は繰り返すまい。
終映後に、国内上映の企画化と字幕を担当した 新谷和輝 氏 (ラテンアメリカ映画研究者) と、山中瑶子 氏 (映画監督)とのトーク・セッションあり。初の生 山中瑶子 監督にちょっと感激。
プチ情報:
「カルメン」役で監督の ラウラ・シタレラ が出演。「チーチョ」役を演じるのは監督の夫。
未確認〇〇
ある日同僚に車を借りに来て、離れた場所に車を預けて姿を消した女性と、彼女を捜す彼氏と同僚の話。
Part1とPart2に分けての上映だったけれど、第1章〜第7章がPart1、第8章〜第12章がPart2として元々分割して作られているんですね。
あらすじ紹介には平原がどうとかあるけれど全然そんなんじゃないし、とりあえずいなくなったラウラと車をラファエルとチーチョが捜す始まりだけど、背景説明が全然なくて、そこは何処?その人誰?の連続。
まあ、一応それは終盤繋がるけれど謎にする様なことでもないし。
いなくなる前のラウラのエピソードも、寧ろ関係ない人の手紙の秘密の話しで、だからどうした?
Part2になって、今度はモノローグだとしたら随分話しをまとめるのが下手だし、何を伝えたくてそれをその人に残した?な訳わからん90分に、オカルト?カルト?からの結局消えた理由なくなってない???と何を言いたいかわからないままエンディング。
ゴディバ夫人伝説も今更語って何の意味が?
まさか男から離れたかっただけ?
1/3ぐらいの尺で作れそうな話しを、後出し祭りでこねくり回して余計なもの足して、タラタラタラタラ…自分には面白さが全然わからなかった。
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