異端者の家のレビュー・感想・評価
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たとえ美味しそうなパイの匂いがしても知らない他人の家には絶対に上がらないでおこうと心に誓う
一切の前情報なしでの鑑賞。知っていたのは、タイトルとメインビジュアルのイメージのみ。まさかこんなに恐ろしいサイコスリラー映画だったとは…😱聞いてないよ〜🤫知ってたら絶対観なかったかもしれない。だってホラー映画嫌いだもの🙄
私の知っているヒュー・グラントは「ノッティングヒルの恋人」など甘いマスクで惑わすラブコメ作品のイメージですが、本作ではその彼のイメージを根本から覆されます。いつもの甘い笑顔は封印され、不気味なうすら笑いで追い詰めてくる奇人を好演。またそれがうまくマッチしているんだな🙄 でも男前ってのは、歳をとってシワが刻まれても、どんなに恐ろしい役を演じても、やっぱり根底にあるカッコ良さは隠せないよね。キムタクがいつもキムタクなのと同じ🧐ヒュー・グラントにこの役をキャスティングした人は素晴らしいですね、ほんまハマり役です🤫
私の中のホラー映画ってこういう映画なのです。お化けとか出てくる必要ないのよ👻 いつも思う「普通の優しげな人の豹変」がいっちゃん怖いからね🧐「ブルーベリーパイ食べてく?」からの「なんかこれおかしいんじゃね?」と2人のシスターが徐々に気がつくまでの間合いが絶妙。ちゃんと、段々、少しづつ、レベルアップしていく「怖さ」で心震える😱これってよくありがちなホラー展開なんですか?ホラー初心者すぎてわからん🔰わからんけど、私には十分過ぎるほど怖かった〜。密室で出られないというだけでもう絶望だよね。私があのシスターたちの立場だったらどうするんだろう?と常に考えながら観てるから、もっと怖くなるよね。シスターたちは、偉いよね👏恐怖に怯えながらもちゃんと選択してるんだから。私だったら絶望を通り越してもう号泣してるよね😭チョロいのよ、わたしホラー初心者🔰だから。いや、どうだろう?逆に火事場の馬鹿力みたいなのが湧いてきて勇ましく戦ってみたりする自分に出会えたりするんかな?絶対に体験したくはないけど、ほんとにそんな場面に出会した時に自分がどんな「選択」をするのかは興味はあるよね🧐
正直、宗教的なことはよく分かりません。けれどもミスター・リードの言い分にも半分くらい理解できる部分はありました。しかし「支配」こそが宗教なのだといった彼の考えとは異なり、私の中の宗教的なものは「自分の信念」みたいなものに置き換えられるかもしれません。
そんな私の信念から導き出した本日の教訓はコチラ
「たとえ美味しそうなパイの匂いがしても知らない他人の家には絶対に上がらない」
追伸
しばらくパイと扉がトラウマになりそうなくらい度直球に恐怖を喰らい夜道を帰るのが怖くなる🥲😭
5分後に始まった映画「たべっ子どうぶつ」に幸い心癒され無事帰宅♪
宗教マニアをぢ vs モルモン布教女子のアンフェアファイト
すっかり性格俳優にシフトしたヒュー・グラントを楽しめる映画。「ジェントルメン」での癖つよ探偵役を見たあたりから、もっとそっち方面を演ってほしいと思っていた私はそれだけでプラス評価。
彼のキラースマイルの威力はまだ健在で、玄関のドアを開けた時に彼が見せた微笑みには、悪役だとわかって見ているこちらの気持ちさえ一瞬油断させる力があった。話が進むにつれ、その笑顔や愛嬌ある笑い皺がリードの不気味さに似合って見えてくるところはさすがだ。
サイコスリラー映画としては、うーんどうだろう。怖い映画苦手の私でもあまり怖くなかったから、このジャンルが好きな人には物足りないかも。
(二の腕の傷をほじくるシーンだけはギエエエエとなった、怖いというより痛そうで)
前半、リードが宗教や信仰心の本質(彼の持論)についてシスターたちに滔々と語るくだりは興味深かった。(「ボブの絵画教室」バージョンモノポリーには笑ってしまった)
八百万の神の国に生まれ育った消極的無宗教の私にとっては、正直なところ物語の前半においてはリードの主張の方が、モルモン教より首肯できる部分が多かった(ただし、パンフレット掲載の寄稿によると各宗教についてのリードの説明は所々嘘を含んでいるそうなので、鵜呑みにするわけにもいかないが)。
アメリカ国民にはキリスト教信者(もちろん宗派は分かれているが)が多いというイメージがあるが、イエス・キリストの逸話への冒涜とも取れそうなリードの主張は批判を招かないのだろうか。Rotten Tomatoesでの評価は比較的高く、社会問題化するほどの反発を受けてはいないように見える。
末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教の教団)は本作を非難する声明を出しているそうだが、作品を鑑賞したモルモン教徒当事者にとって、序盤に描写された宣教師の日常は結構リアルなものだったようだ(The Guardian、2024年11月の記事より)。
本作の2人の監督、スコット・ベックとブライアン・ウッズはモルモン教徒の友人らに脚本について相談し、彼らの日常会話をもとに台詞を創造したという。
そのリアリティと、キリスト神話説的な主張をしているのがサイコパスな悪役、という設定であること、そして最後には「誰かのために祈ることは素晴らしい」と信仰を肯定するパクストンがリードを倒す展開。これらがあるから、前半のキリストに対する冒涜的なリードの主張も、キリスト教徒から見れば「迫害者の間違った考えの描写」として消化されているのかもしれない。
前半のマンスプレイニング的宗教論破がそのまま続くのもまた一興だが、それではスリラーというよりめんどくさいおじさんの話だ。ここからどうサイコスリラーに持っていくのか、と思っていたら、後半での怖がらせ方自体は結構ありきたりな感じでちょっと気分が盛り下がった。暗い地下、唐突に出現する貞子みたいな女。ジャンプスケアと流血。
宗教マニアを極めた結果無神論者になったのかと思いきや、宗教の本質は支配であるという結論に至りそれを実践したリード。結局、支配行為という邪教の信者になったということか。
悪役の背景をどこまで描くべきかは作風や好みによって分かれるだろうが、リードについては個人的には、あのような考えに至った理由や彼のヒストリーが見えた方が面白くなりそうな気がした。パクストンが地下でいくつかの部屋を通った時、そこに雑然と置いてあった色々なグッズにヒントがあるのかなと思ったが残念ながら分からず。キリスト教圏の人が見たらピンとくるのだろうか。
「胡蝶の夢」の話をどう効かせたいのかよく分からなかった。脱出後のパクストンの手に蝶がとまった時、まさか夢オチなのか?という安直な不安がよぎったが、さすがにそれはなかった(笑)。
ところで、合言葉として出てきた「魔法の下着」だが、モルモン教に入信した人が一生身に着ける、上は半袖アンダーシャツ下は膝丈ステテコみたいな衣服のことだそうだ。神との聖約の象徴であり、下着の上から着る服で完全に覆わないといけないので、自然と露出の少ない服装になるという。その名称を合言葉として使うのは、魔除け的なニュアンスがあったのかもしれない。
頭脳を刺激する宗教談義スリラー
思っていた以上に本気の宗教談義が続く。たまたま中学生のときにモルモン教の経典を読んだことがあり、そのときに抱いた疑問を思い出したりして、ついヒュー・グラント側に肩入れしそうになるのだが、いやいやコイツも大概というか絶対アウトな人でしょう!と思いなおしたりして情緒的に忙しいのも、結果的に地味シブジェットコースタームービーとして機能してくれて得をした気分。
ヒュー・グラントの怪演が話題になるのは当然として、対する小娘ふたりに一筋縄ではいかない顔をもたらしたソフィー・サッチャーとクロエ・イーストも素晴らしかった。日本はわりと信仰心と縁の薄いお国柄だと思うが、他人の信仰心を無碍にするわけにもいかないので、役に立つ知的な遊びという面でも楽しめる。とはいえヒュー・グラントの言うことをまんま鵜呑みにするとたやすく陰謀論者の落とし穴に落ちるんでしょうけども。
ヒュー・グラントの妙味を研究し尽くした唯一無二のホラー
かつてヒュー・グラントがロマコメ帝王だったことが都市伝説に思えるほど、ここ最近の彼は変幻自在だ。たとえ陰湿でナルシストな”嫌な奴”に振り切れたとしても、観客は苦笑いしながら、でもやっぱり彼の個性に魅了されてしまう。そんな彼が行きついたホラーの新境地。今回のキャラを構成するのはやはり”喋り”だ。ほぼ全編が彼のセリフ回しで占められていると言っていい。通常なら一人の俳優がこれほど喋り続けると観客も早々に飽きるものだが、相変わらずの甘いマスクで、まるで歌うように知的で優雅で緩急タイミングの絶妙な演技をやられると、この出口なき家さながらにもう止められないし、出られない。私自身、鑑賞中の自分が果たして恐怖しているのか、それとも魅了されているのか、最後まで分からなかったほど。どんな役でもグラントはグラント。これは他のキャストでは置き換え不可能な、もはや彼のために仕立てられたホラー。だからこそ最高なのだ。
サイコパスなのにいつものヒュー・グラント!?
宗教の布教活動をしている2人の若い女性がドアをノックすると、目の前にリードと名乗る気さくな中年男性が現れて、家の裏で妻がブルーベリーパイを焼いているから一休みして行かないかと提案する。女性たちはその誘いを受け入れる。
しかし、男は2人の話に耳を傾ける気などさらさらなく、宗教に関する持論を展開し始める。同時に、その家は脱出不可能な設えになっていて。という密室サイコパスホラー。
これまでも、入ってはいけない家に入ってしまった訪問者たちが死ぬほど怖い思いをする同じジャンルに属する傑作が何本かあった。しかし本作の場合、宗教にまつわる(まつわらなくても)持論というものが他者にとっていかに不快か!?というテーマが観客を苛立たせるところが異色と言える。そして、この世界のどこかでは閉ざされた家の中であらゆる異端者が息を殺して獲物が引っ掛かるのを待っているというリアリティが、異色に拍車をかける。
最大の見どころは多少既視感がある物語を独特の個性で牽引していくリード役のヒュー・グラントだと言って過言ではない。英国が生んだ世紀のチャラ男から、最近は軽妙や悪役までカバーするグラントが、ここではなんと、いつも通りのグラントを演じることで恐ろしいサイコパスになりきっていることに驚く。いう言われれば、グラントの目はいつも危険な光を放っていたことに気づく人は多いかも知れない。異なる役に挑戦し、都度変身するのではなく、役を自分に引き寄せてきたということに。改めてヒュー・グラント、凄い俳優である。
かなりの良作
ヒューグラントがうますぎ、ヤバすぎ、怖すぎ😱
女性二人がモルモン教の布教活動で訪問した家が…
と言った内容なのだが、本当に面白くて怖かった。
冒頭は本当に心優しい紳士的なおじさんかと思いきや、少しずつ宗教の話になると、その人が様々な宗教に詳しい事が分かってくる。女性二人を試すような質問をしたりちゃんと理解してるのかとか…信仰心を試したり…ヒューグラントはめちゃくちゃ宗教マニア。
もしかしたらその辺詳しいとより楽しめるのかもしれないが、なにも分からない我々日本人でも十分に楽しめる会話劇!
そして舞台はこの家の中だけなのだが、見事なカメラアングルで資格も飽きさせない。さり気ない伏線。
話がすすむに連れて家の奥へと入っていくのだが、それに連れて会話劇も激しくなり男の本性も明らかになってくが狙いが分からなくて最後までずっと楽しい。怖いのが大丈夫な人には見てほしいが覚悟して見てほしい👀
神がいなければすべてが許される
コンビクリエーター、スコットベック&ブライアンウッズの、Heretic以前のもっとも大きな成果はクワイエットプレイスのライターだった。監督業では好評を得たHaunt(2019)があるが、アダムドライバーの華々しい映画出演歴に泥を塗る怪作65(2023)も彼らが書いて演出した。
そんな来歴を見る限りこのコンビクリエイターがHereticをつくったのは意外だった。意外と同時に、映画クオリティについての考え方が調節された。
映画のクオリティは監督の力量や才能によるが、動機やアイデアもクオリティに作用することがhereticを見て解った。
それを解っていなかったわけではないが才能という礎石に動機やアイデアを載せることで映画クオリティが形成されることを、65からHereticへの変化があらわしている気がした。
成熟した映画製作環境があり、そこに集うクリエーターの技量or能力が横並びのような状況ではむしろ動機やアイデアこそが傑出の条件になる。当たり前のことでもある。
かえりみればアリアスターもジョーダンピールもダニー&マイケルフィリッポウも、タイウェストやロバートエガースやマットベティネッリオルピンやデヴィッドロバートミッチェルも斬新なホラーアイデアによって頭角を露わしたわけである。
業界も観衆も黒澤明やキューブリックやタルコフスキーのような天才の出現を待っているわけではなく、新しいアイデアの顕現を待っているのだ。
映画を見慣れている方ならご同意いただけると思うが、映画を見始めて10分ぐらいは、たいていその映画世界にじぶんの感性を慣らしている時間帯であろうかと思う。
ゲームならチュートリアル、仕事ならオリエンテーション、まだ面白いのか面白くないのかが解らず、楽しむためにじぶんを映画側の歩調に合わせている時宜がある。
一方で、最初からスッと引き込まれてしまう映画もある。Hereticは冒頭のマグナムコンドームの会話からスッと引き込まれ終いまで夢中になった。
見終えて、これがあの65と同じスコットベック&ブライアンウッズ監督だと知り、映画クオリティの考え方の調節を余儀なくされた。65は退屈で見ていられなかったからだ。65からHereticに至る1年のあいだにスコットベック&ブライアンウッズ監督の映画製作能力が向上したのか?そうでないなら何が違うのか。動機とアイデアが違う、という結論になった。
Hereticの動機となったのはブライアンウッズの父親が食道がんにより死去したことだという。そこから死後の世界に関する疑問がストーリーを形成していった。
伝道者のキャラクターを可能な限り本物らしくステレオタイプにならないようにするため、様々なモルモン教徒から取材し、且つ元モルモン教徒である女優二人(Sophie ThatcherとChloe East)を主演に据えた。
宗教を真剣に扱いながら、あくまでエンタメの文脈で書き、大まかなアイデアは風と共に去りぬ(1960)とコンタクト(1997)から得たという。
いったい誰がHereticを見て風と共に去りぬやコンタクトを思い浮かべるだろう?すなわちHereticは身内の死という強い動機から突飛なアイデアを経由し元モルモン教徒を揃えてつくられた。だからクオリティが上がったわけである。
Hereticの核心、リード氏(ヒューグラント)の主張は、宗教とはユダヤ教が時代や地域によって形を変えながら存在しているに過ぎないという観点から、すべてが焼き回しのような事象で世界が構成されていることへの嘲笑である。ボードゲームのモノポリーも楽曲のCreepも焼き回しで、もしモノポリーの発案者が権利を主張すれば、あるいはThe HolliesがRadioheadを訴えれば、類似品は存在できない。ユダヤ教が類似を許さなければ宗教は生まれない。であるなら他者を支配することが宗教をも超えたすべての欲望の根源だという理屈である。モルモン教分派の一夫多妻を実現し女たちを支配監禁するうちに邪曲、変節していったと思われる。
理屈はともかくとして、映画Hereticを貫く緊張は、監禁状態に陥った二人の女性の凄まじいまでのストレスが怒濤のようにこっちへ伝播してくることに他ならない。初見では常人気配のあるリード氏が妻がパイをごちそうすると言うので入って会話するあいだに、違和感が不安に変わり、不安が怪しさに変わり、怪しさが確信に変わり、確信が恐怖に変わり、恐怖が逃走や闘争の本能を目覚めさせる、その過程がマジ険悪で、グラントはノッティングヒルと同一人物とは思えないほど怖かった。
死の淵から最後の力を振り絞ってリード氏を倒したシスターバーンズ(Sophie Thatcher)を預言者と見なし、結局シスターパクストン(Chloe East)が論理的にも肉体的にもリード氏を凌駕して、幻影に蝶を見るところで映画は幕を閉じる。
モルモン信徒は、アルコール煙草コーヒーお茶薬物が禁じられ、婚外性交渉もポルノも自慰も避妊も禁忌とされている。すなわち映画Hereticは、ダサい聖徒の神殿下着を履き、一般社会から嘲弄されるような世間知らずの新米モルモン信徒が、勇気と知恵をもって異端者に抗い、最終的にそれを凌駕する様を描いた映画、と言える。
隠喩や小道具や仕掛けも多くとうてい恐竜とアダムドライバーが追いかけっこする映画をつくった監督と同じ監督がつくった映画とは思えない。
雰囲気はアスターのHereditary(2018)、ストレスはLenny Abrahamson監督のRoom(2015)、宗教的筋書きを差し引いても、Hotel Coolgardie(2016)のように男が女に与えるハラスメントの恐怖の本質を描いていると思う。
imdb7.0、RottenTomatoes91%と76%。
私的好みではない表現でしたが、一方で見事に深さある秀作だと思われました
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作の映画『異端者の家』を、正直に言うと表現されている内容は好みではなかったのですが、一方で見事に深さある秀作になっていると思われ、大変面白く観ました。
個人的な関心に引き寄せると、今作は、「奇跡」と「信仰」について描かれた映画だと思われました。
すると、ではその「奇跡」と「信仰」とは何なのか?との設問が現れると思われます。
先回りして個人的な答えを示すとすれば、哺乳類である人間は生まれた後に親などの庇護や養育が必要になるのですが、「奇跡」とは、生まれ落ちた赤ん坊が親などの取り上げや庇護や養育によって生き延びることが出来た、その事に当たると思われます。
そして「信仰」とは、赤ん坊が生き延びる事が出来た「奇跡」を生み出した、親などの周りとの関係性をしっかりと感受して抱きしめる、実感のようなものとして信じる事に当たると、個人的には思われます。
すると、この映画の異端者の家の主人である、ミスター・リード(ヒュー・グラントさん)は、自身が生まれ落ちて生き延びることが出来た、親などとの周りの庇護や養育の記憶が、体感されずに破壊されている(「奇跡」も「信仰」も破壊されている)人物として存在していると解釈されると思われます。
ミスター・リードは、自身の異端者の家の家にやって来たモルモン教の宣教師のシスター・バーンズ(ソフィー・サッチャーさん)とシスター・パクストン(クロエ・イースト)を家に閉じ込め、2人に宗教問答を仕掛けます。
しかしミスター・リードの話は、理屈が通っている部分はあるかもしれませんが、観客である私達を含めて、大半の人間に、彼の理屈は根本的におかしい間違っている、と感じさせます。
なぜなら、ミスター・リードは、自身が生まれた後に親や周りから受けた庇護や養育によって生き延びたという実感の「奇跡」も「信仰」も根源的に破壊されているので、他者に対する信頼の根源である思いやりや共感と言った、心が破壊されていると伝わるからです。
他者との信頼の基盤である思いやりや共感と言った心が破壊されている人物の理屈は、信頼の基盤が壊れている為に、どこまで行っても本当の意味で正しいと他者に伝わる事は不可能なのです。
そしてミスター・リードは、生まれ落ちた後の周りとの関係性における「奇跡」も「信仰」も破壊されているので、心が基盤から溶解して、他者との区別を失くしていると感じさせます。
それが、モノポリーを例に使った、各宗教の違いを溶解させ、一体化させようとする論理の披露になります。
この全ての差異を溶解させようとするミスター・リードの理屈に、毅然と反論するのがシスター・バーンズです。
シスター・バーンズは、それぞれの宗教の違いを具体的に述べ、ミスター・リードの全ての差異を溶解させ一体化させようとする理屈が、間違いであることを示します。
これは、シスター・バーンズが、生まれ落ちた後の周りとの関係性における「奇跡」や「信仰」をしっかりと体感しているからこそ、他者との関係性の基盤の強さから、他者と自身や様々な差異を、しっかりと認識出来ているから成し得た主張だと思われました。
多くの観客も、シスター・バーンズの「奇跡」や「信仰」に裏打ちされた毅然とした態度に、静かな勇気づけをもらったのではと推察します。
ただ、この映画が凄いのは、この毅然とした魅力あるシスター・バーンズが、首をミスター・リードに切られて、命を落とすところにあると思われました。
そして、最後に異端者の家から脱出し、生き残ったのは、ポルノビデオにも興味を示す、「信仰」の意味から言うと中途半端にも思えたシスター・パクストンの方だったのです。
この中途半端にも思えたシスター・パクストンが生き残った意味は、以下だと解釈されると思われます。
実は、ミスター・リードの「信仰」の破壊(「不信仰」)も、シスター・バーンズの「信仰」の強さも、どちらも多くの私達はグラデーションの中で持っていると思われるのです。
なので、私達は、ミスター・リードの「信仰」の破壊(「不信仰」)も失笑して退けることも出来なければ、シスター・バーンズの「信仰」の強さにも惹かれ重要だと思われています。
そして、シスター・バーンズが首を切られて命を落としたように、「信仰」の強さが、特に現在では、破壊された「信仰」(「不信仰」)を救うことは出来ない、というのも真理として伝わるのです。
私達は現在、「信仰」と「不信仰」とに(あるいは、生まれ落ちた後の親や周りからの庇護や養育を、実感として持っている人物や思想と、破壊されている人物や思想とに)、分断されている時代に生きていると思われます。
そして多くの私達は「信仰」と「不信仰」との間のグラデーションの中の中途半端な人物として生きていると思われるのです。
その意味で、中途半端にも思えたシスター・パクストンが最後に生き残った事は、双方が両極端で分かり合えない分断の現在の中で生き延びなければならない、双方のグラデーションの中にいる多くの中途半端な私達への、勇気づけの表現になっていると思われました。
今作の映画『異端者の家』を、以上の点から深い秀作に思われ、ただ一方でスリラー的な描写は好みではない点もあって、僭越、今回の点数となりました。
宗教ホラーは最低限の予備知識が必要かも
先が見えない面白さ
あらすじ
地域の子供にもバカにされるモルモン教。宣教を担当するシスター二人は、パンフレットを請求した人物を訪ねるよう教会から指示を受ける。
訪問するとそこは郊外の一軒家。住人の中年男性は二人を家の中へと招き入れるのだった。
前提として「ヒュー・グラントが悪役のホラー」という情報だけ入れて鑑賞に臨んだ。
ところが、冒頭のA24のロゴで嫌な予感。また「一体何を見せられてるんだ」的な作品なのかと。(アリ・アスター関係映画に懲りた)
しかし、見進めていくと、物語展開が見えない序盤、トラブルに巻き込まれていく中盤は惹き込まれる感覚に久々にゾクゾクした。実に面白い。
ホラーの文脈・お約束は守られ、伏線らしきものもしっかり提示。
実に王道なホラーに仕上がっているため、ストーリーに集中でき安心して鑑賞できた。
音によるびっくり演出はほとんどないものの、後半・終盤でグロ演出はあるので、耐性ない方はご注意を。
宗教の成り立ち、モルモン教とは、スパイダーマン(1作目orアメスパ)、スターウォーズEP1などの
知識があるとより楽しめると思う。(劇中で説明されるので無くても大丈夫。)
以下ネタバレ
第一印象としては、「これユタ州で流せるんかいな?」というもの。
そのくらいモルモン教をディスりまくっている。(案の定猛抗議があったそう。)
でも、よく見ていくと、特定の宗教をディスっているのでは無く、「大体の宗教は模倣である」っていうのが
ヒュー・グラントの表向きの主張なので、日本の某巨大新興宗教も当てはまるなあ、と思って見ていた。
ヒューグラントはノリノリで悪役を演じている。決して暴力的では無く(序盤・中盤)、
理路整然(かなり自分勝手な解釈を下敷きにしてるが)と主人公達を追い詰めていくところがまた一段と恐怖を生む仕掛けになっていた。
先へ先へと変化していくトリッキーな屋敷の作りも良い。
途中で主役が交代するのも、予想していた展開が裏切られた感じでよかった。
黒髪の比較的世慣れした主人公だと、単純に力で反抗して脱出だと思っていたが、物語の「先が読めない感」が加速した。
最後は奇跡をひとつまみ、という演出も憎らしいがストーリーにスパイスを効かせていて合っていると思った。
屋敷からの脱出も、何故か出れた!ではなくちゃんと理由づけしているところも良かった。
ただ、終盤にかけてのヒュー・グラントの目的の陳腐さの開示や普通の暴力に訴えるホラーに成り下がったのは非常に残念だった。
絶対に思考停止してはいけない
信仰心と呼ばれるものとは
信仰心と言うものは、我々日本人には少し馴染みがないかも知れない。
それ故にこの映画の本当の恐怖や不快感は想像でしかわからない。
それでも、その「信仰心」を「大切な誰か」や「譲れない信念」に置き換えるとわかりやすい。
冒頭の会話シーンから二人のシスターの立ち位置や性格がわかりやすく、すんなり頭に入ってくるのが良い。
冷静で判断能力に長け、頭の回転も早く知識豊富なシスター・バーンズと、どこか俗世への憧れのようなものを捨てきれず、年齢よりも幼さを感じさせるシスター・パクストン。
この二人との何気ない会話から「より自分が操りやすい方」を最初から選んでいたミスター・リードの異常性と知能の高さにはゾッとさせられた。
ミスター・リードの語る「宗教」のそれは、まるで大学の講義のような説得力があった。
特に「宗教のファストフード」のくだりはとても興味深いとすら思えた。
言葉だけではなく、時に視覚や聴覚からも強いストレスを与え、更に絶望的な状況へと追い込んで行く。
特に地下室に降りてからの密室での恐怖と悪夢のような奇跡を見せつけられる展開には「自分ならどうするのだろう」と言う考えが止まらなかった。
あの状況で自我を保っていられたのは「二人だったから」ではないか。
それと同時に「二人でなくなったから」こそ強くなったシスター・パクストンの覚醒は痺れる展開だった。
「支配」と言うひどく身勝手なそれは、宗教における「信仰」とも似てるとも言える。
では何がそれをわけるのであろうか。
自分自身で選択し、進んだと思っていた道が全て誰かの思い通りだったなら?
自分の信念と思っていたものが全て誰かのシナリオだとしたら?
今ここに立っている事すら自分ではなく、誰かの意思だとしたら?
そんな身勝手でただの屁理屈でしかないミスター・リードの言い分を、跳ね除ける勇気も打ち勝つ強さも持てず、ただ受け入れる事でしか生きる事の出来なかった人々の成れの果てが「彼女達」だったのだろう。
綺麗事のようにまとめられた美しいラストシーンは、あれこそ奇跡とも言えるのかも知れない。
二人のシスターの信仰心が起こした、本当の奇跡。
神などいないのかも知れない。
それでも、自分が信仰するものは自分自身で選んでいいのだ。
祈りは、誰の為でも美しいのだから。
想像を覆すサスペンスホラー
最後は、奇妙に清々しい気分で見終わることが出来た作品でした。
導入と終結が、非常に上手く出来ていたなぁと思い返します。しっかりとした伏線と回収、そして考察の機会を与えてくれたと思います。
文字通りの始めのシーン(ベンチにてシスター二人の会話)に心をいきなり乱されて、二人が舞台(ミスター・リードの家)に上がった後も、二人のシスターを私はすっかり「偏見的」に観てしまいましたが、起承転結の転句でまんまと騙されていた事に気がつき映画のストーリーに引き込まれました。
結句では、真実だけでなく人間の身勝手さに支配されなかった超越した行為に、感動しました。
本作はホラーの枠組み(主演3人も同意)ですが、王道のようなホラー展開では無いので、油断すると気持ち悪く感じるかもしれません。
ですが、ミスター・リードが何故このような事をするのか、各シスターがどのような素顔をしているのか、最終的には私は納得出来たので、物語の構成と見せ方は良かったと思いました。
面倒くさい、ヒュー•グラント。
予備知識なしで観た方が面白い。
しかし、宗教や音楽やモノポリーの知識あった方が理解度が上がるので、ないとちょっと眠くなる難しい話かも。
「見るからに胡散臭いヒュー・グランドに閉じ込められる?!なんか家に色々トリッキーな仕掛け施してて、そこから決死の脱出劇?」くらいの知識と推測で観たけど、「ヒュー・グラントによる、宗教プレゼン映画」だった。
ホリーズとレディオヘッドとラナ・デル・レイの曲が似てて盗作疑惑、というのはYouTubeで既に見て知っていたので笑った。
映画的な面白さや、サスペンスとしての質は置いといて、宗教の捉え方の一意見として、めちゃめちゃためになったし、独自の見解が面白かった!!
セリフばっかだけど、飽きずに観られて、まぁ、細かいところはいいや、って思えた。
もっと聴きたいぞ!!
もうさ、パワポ見えた。
プレゼン、上手い。
宗教YouTuberみたいだった。
熱弁を奮うも、聞いてる女子がなかなかに鋭く「ホロコーストについて触れてない!!頭が鳥の神もいるのに、差異には触れてないじゃんか」って指摘されてるのも面白かった。
コメディ?
でも結局、なんか詰めが甘くて、信仰を持ってる人に難癖つける映画、とも言える。
「今回はここの説明があんまりしっくり来てなかったから、次から少し言い回し変えてみようかな」とか考えながらブラッシュアップしてたりして、とか考えると微笑ましくて笑ってしまった。
宗教は支配。
指示通りにすることが信仰心だとしたら、私は自分で選択したいから、宗教、向いてないと、改めて思った。
信仰と依存
ドントブリーズ以来の密室ホラー
宗教勧誘系女子を待ち受ける苛烈な運命。ヒュー・グラントの狂気に過去の自分を見る。
面白かったけど、なんとなく思っていた映画とは違ったような。
なんなら、2時間みっちり、モルモン教徒と無神論者の論戦を拝聴したかったくらい。
せっかく「キリスト教信者Vs.無神論者」という、魅力的なシチュエーションを設定したのに、わざわざしょぼいサイコ・キラーの話にしちゃうのは竜頭蛇尾過ぎて、じつにもったいない。
というか、ヒュー・グラントを「実はただの頭のおかしいろくでなしでした」って落ちにしないと、全世界のキリスト者がとうてい許してくれないから、というだけの理由で「ただのホラー」に貶めたのだとすれば、製作者の度量不足であり、軟弱もいいところだとも思う。
敢えて、ホットゾーンに踏み込んで、この危険なネタに挑むことを選んだのならば、徹底的にキリスト教の欺瞞には踏み込むべきだし、キリスト者はキリスト者として、徹底的に無神論者の怠惰を責め立てるべきだ。
それに、振り返って考えるほどに、脚本の流れがとても歪で不自然な映画だった気がする。よく言えば先読みしづらい展開なのだが、悪く言えば理不尽なイベントが多すぎる。ヒュー・グラントが何をどうしたかったのかも、ヒロインが何をどう考えて行動していたのかも、両者の迷宮内での動線も、正直観ているだけでは細かい部分がよくわからない。
ただ、とにかく、これだけは思った。
やっべえ、あんなおうちに住んでみたい!!
超住んでみたい!!!
大邸宅とか、お城みたいな家だったら、
ああいう構造の屋敷もあるかもしれないけど、
一見「ただの家」なのに、奥がひたすら、
迷宮化・ダンジョン化してるとか、
マジでうらやましすぎる。
ホントに、机上のドールハウスの通りに
(あの模型も欲しい! 超欲しい!!)
「最奥部」が広がっているのなら、
こんな愉快でわくわくする自宅ないよね。
明らかにダンテの『神曲』地獄篇の
影響下にある建築構造だし。
あと、モルモン教の女の子二人が、超好み。
かたやウィノナ・ライダー系。
かたや正統派の地味系乙女女子。
こんな可愛くて、清楚で、礼儀正しい子たちが
おうちに来たら、おじさん舞い上がっちゃう(笑)。
なので、ホラー・サスペンスとしては、低きに流れた印象は否めないが、おうちの魅力とヒロインの魅力で、十分面白く観ることができました。
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最初は観るかどうか決めていなかったし、相変わらずまったく予備知識も入れなければ、人の感想やプロの映画評もろくに読まない無精者なので、映画が始まって「A24」と出て、初めてこの映画ってA24作品 なのか、じゃあ観にきてよかったなってくらいの感じ。
実は、ずっと仲良くしてくれていて、このあいだ退職された会社の元同僚が薦めてくれたので観に行ったのでした。「セリフ使いが好きだと思うのでぜひ」とのことだったが、いざ観終わって思うに、これってもしかして、僕の会社でのしゃべり口調がヒュー・グラントそっくりだっていうご指摘なのかな??
なんか失礼にもほどがあるだろ!!(笑)
僕はたしかに理屈っぽいかもしれないし、ここの書き言葉とほぼ同じ調子で朝から晩までのべつしゃべくりまくってる気もするけど、絶対あんなんじゃないから!! あんなんじゃないって自分では思ってるから。
ていうか、あんな感じにまわりの人たちに思われてるとは思いたくないから……。
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正直なことを言えば、僕はこの映画のヒュー・グラントに、結構なシンパシーを抱いている。
それは単に自分も無神論者で、「キリスト教なんかでたらめだ」と心底思っているというだけの話ではない。
僕は実際に、これまでもそれなりにいろんな宗教勧誘の人と、じっくり膝を突き合わせて話してきた人間だからだ。
とくにエホバの証人の皆さんとは、2年以上はお付き合いしていたと思う。
大学生で一人暮らしをしていたころにアパートに布教に来られたから、ぜひお話を聞かせてください、ただしそちらのホームに行って洗脳されると嫌なので、そちらからうちにいらっしゃってくだされば、と答えた。
最初はおばちゃんとお兄さんのコンビ(おたがいを「きょうだい」と呼んでいて、最初姉弟かと思っていたのだが、なんのことはない、エホバの証人の皆さんは全員「きょうだい」と呼び合うのだ。ブラザー&シスターなわけね)が、ひと月かふた月に一度、新世界訳の聖書の講読会をしに来られた。
そのたんびに僕が「本当に七日間で神が世界を創ったという話を信じておられるのか?」とか「聖書の内容を現代の事象に合わせて解釈するエホバの長老たちの権威は何によって保証されるのか?」とか「予告された終末の日が何度も何度も先送りされることに仲間うちで疑念はないのか?」とか、いちいち面倒くさい質問ばかり10も20もするものだから、ついには「詳しい者を同行させます」といって、この映画でいう「エルダー」も一緒に来るようになり、最後は四人で来るようになった。
毎月、珈琲をふるまいながら、カルトの方から聖書の話をうかがうのは、とても刺激的な体験だった。あの人たちは決して悪い人ではなく、むしろとても善良な方々だったし、つねに懐疑的で冷笑的な僕に対して、怒ることもなく拉致することもなく、理論で調伏しようといろいろと話してくださった。
僕は、彼らの優しさに甘えて、徹底的にキリスト教をこき下ろし、宗教全般をこき下ろし、隣の人から聞いてもまず信じないような話を「聖書に書いてあるから」というだけの理由で信じようとする精神の愚昧さを嘲弄しつづけた。
そもそも本来は、誰が何を信じていようがどうでもいいと心底思っている僕なんかより、「世界の終わりが近づいているから準備しなければならない。このただならぬ『真実』を、信じていない人にも伝えて、何が何でも救いを広めなければ」という強固な使命感をもって布教して回っているエホバの証人の皆さんのほうが、よほど善良でお人よしな人々である気もする。
逆に、基本的に懐疑論者で相対論者で冷笑的な人間である僕から見ると、躍起になって信仰に生きる彼らの姿勢は、純粋な知的好奇心を抑えられないくらいに興味深いものだったわけだ。
僕が知りたかったのは、聖書に書かれていることが正しいかどうかといった些末なことではなかった(2000年の歴史と数十億人に支持される書物に、何らかの教訓や示唆がないわけがない)。
それよりも興味があったのは、宗教者の心の在り方だった。
何かを信じると決めて生きることで、果たしてどれくらい生きやすくなったのか。信仰に目覚める前はどんな生活ぶりで、何をきっかけに信仰の道に入ったのか。とくに身近な死や病気や不幸に見舞われたとき、心のなかで懐疑が生じる瞬間はないのか。聖書に従って生きるという「拠り所」のある生活は、むしろ退屈でモノトーンなものではないのか。
僕はそういったことを彼らに問い続け、彼らはそれに真摯に答えてくれた。
結局、2年くらいたったころに僕の就職が決まり、引っ越すことになった。
皆さんは「一度会館へ」とおっしゃってくれたが、そこは丁重に断った。
引っ越しのときに、なんと数名の方が、おにぎりをもって荷造りとゴミ捨ての手伝いに来てくださった。「何も聞いてくださらないかたより、ハルマゲドンであなたが救われる可能性は高まっていると思いますよ」といわれて、悪い気はしなかった。
ただ、「これを記念に」と下さった標語の書かれた妙な盾のようなものは、ちょっと気持ち悪かったので、そっと粗大ごみに紛れさせてから、住み慣れたアパートを後にした。
あのときはいろいろありがとうございました、そして本当に申し訳ありませんでした!
他にも、大学の正門のところにはいつも二人組の原理ねーちゃんがいたし、高校の同期で同じ大学に行って統一教会の信者になったS君や、同じく親鸞会の信者となったT君とは、何度も学生会館で論戦した。
妙齢の生保レディのお姉さんが、実は「冨士大石寺顕正会」の熱心な信者だったこともあった。お姉さんにバレンタインデーに駅まで呼び出されて、もしかして僕に気があるのかと内心バクバクしながらのこのこ出向いたら、「実は富士山の近くに大変ご利益がある曼荼羅があって」と切り出されたときには、さすがに泣きたくなった(そのあと速攻で生保会社にチクりの電話を入れた。笑)。
僕は無神論者だが、信仰を否定しない。
趣味の一環として、30年以上かけて1000体以上の仏像を(美術品として)鑑賞して回ってきた僕が、ほとけを信仰する人々の素朴な宗教心を、望ましく思わないわけがない。
信仰している人が布教するのも、むしろ当たり前の行為だと思う。
相手の信仰や無宗教を認容し共存するよりも、自分の信じる「真実」を分け与えたいと考えるほうが、宗教者としてはまともだとすら考える。
だが、やはり布教されるのは、率直に言って迷惑だ。
皆さんが真剣なのはわかっているし、優しくもしてあげたいし、駅でエホバの証人が「エホバ立ち」(独特の姿勢)で寒い中ポーズを決めているのを見るとつい応援したくなる。
それでもふつうに考えて、宗教の勧誘はウザがられて当然だと思う。
そんなこんなで、僕は「前半のヒュー・グラント」には全幅の共感を抱かざるを得ないし、だからこそ後半に単なるバカ&サイコに堕していくヒュー・グラントには、がっかりせざるを得ない。
前半のテイストのまま、ひたすら私的な公会議を美少女ふたりとえんえん繰り広げてくれたら、さぞ傑作になったろうになあ。
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●「魔法の下着」という「きっかけのキーワード」が、ちゃんと二回ともバリバリに機能していたのはネタとして面白かったけど、「魔法の下着」って、パンフによれば「モルモン教徒が性交渉や自慰行為から身を守るために着る独特の下着」のことで、「この下着を正しく身に着ければ、誘惑や悪から身を守ってくれるとされる」らしい。全く知らなかった。
だから、わざわざこれを反撃のキーワードにしたんですな。
●アメリカでもモルモン教徒は思い切りカルト扱いなんだね。出だしでモルモン教徒とは言わないまでも、「ユタ州ソルトレイク」と言った瞬間に「ああそうか」とわかる感じ。町の若者からも「ウィアード」扱いでひどい悪戯されてるし。こんなにふたりとも超可愛いのにクソガキどもに迫害されるなんて、本当にあってはならないことだと思う(ルッキズムw)。
●ブルーベリーパイに特別な意味合いがあるのかと思ったのだが、映画を観ているあいだはわからず。単に「パイを焼いてると思ったら、アロマキャンドルだった」ってだけのネタ?
●モルモン教が一夫多妻制を敷きながら、それを後から辞めて世間に妥協したとヒュー・グラントは責める。そんな簡単に変えられる教義ならそれはそもそも欺瞞ではないのか、と。で、自分は似たり寄ったりのああいうことをやってるわけですね。初志貫徹というか同族嫌悪というか。
●パンフ掲載のヒュー・グラントのインタビューが妙に面白かった。
「私は自分の仕事が嫌いなんです。(略)撮影中に1、2度パニックで凍りついたことがあり、常に恐怖状態にあります。それが私と撮影現場全体に暗い影を落としています」
「私はメッセージが嫌いなんです。映画や本、小説など架空のものには決してメッセージがあるべきではないと思います。メッセージを伝えたり、政治的社会的、何かの主張をしたいなら、他に適した媒体があるでしょう。創造的なストーリーテリングは、ただそれだけを伝えるためにあります。映画クリエイターや作家が『これが私が伝えたいメッセージだ』と言い始めたとたん、彼らはくだらないクリエイターに成り下がると思います。それが私の考えです」
久しぶりにこんな見識に富んだ俳優の見解を拝聴した。よくぞいった。
左派系監督の激怒しそうなことを、まるで「無神論者」のように高らかに主張している。
だから彼はキャリアの初期をロマンティック・コメディに捧げていたのか!
そりゃオックスフォード出の、バリバリのインテリなんだもんね。
ヒュー様、100%あなたのご意見に賛同します。
ぜひ弟子にしてください(笑)。
ヒューの怪演
少し遅れてですが、ほぼ観に行ってるA24なのでとても楽しみにしていた作品。友人と鑑賞してきた。
今日までにたくさんの方が観てる本作。皆様にとって、どう思ったのか。
私的には掴みOK、途中からしんどい、結末最高という感じだった。
まず、配給会社のイントロロゴ。最近よくみるHappinet PhantomからA24までどのイントロロゴも音響が素晴らしく、音響への期待値が高まった。
が、映画が始まると音響がなぜか下がり、リアル感が少し減り勿体なかった。ホラー特有の音響効果はかなり強めに出してはいたがイントロロゴに比べたら弱く、少し残念だった。教皇選挙なみの音響だったらびっくりできたのかもしれない。
ジャンルはミステリーホラーと言ったところだったが、正直我々、日本人にとっては面白く感じなかったのではないかと思う。あらすじ通り若い女の子たちが宗教布教して始まる作品。
つまり宗教が絡んでいる時点でほぼ無宗教の日本人にとって共感するのが難しい。
ただ、宗教布教で煙たがられているところは日本とは変わりない。とにかく布教しようとその宗教の説明をするが、その宗教の方達には申し訳ないが胡散臭くてしんどい。
そんな中から始まるほぼセリフのストーリー展開。眠気との戦いで地獄すぎる。私にはその人がまともに見えて仕方ない。
そして次にミステリー展開、来た来たと思い、伏線+怖がらせてくるのかなと思ったやつはそのまま置かれ、また長セリフ。
確かに分からんでもない。オリジナルが薄れていく。とても分かる。オリジナルを大切に思っているからこそのその想い。これは現代の私たちに訴えているようで、分かりやすくて良かった。ただ長い。
そして始まる冒険ミステリー。私なら諦めて明るいところで居座るよ害ないしって思いつつ、分かりきったホラー展開で恐怖要素なし。
ここまで私的には普通で終わっていたのだが、最後の展開が本当に素晴らしかった。
正直、あそこであの子が入ってきた時に「ないわー」って思ってたんだけど最後のアレ👉もそうだが、タイトルのところで大感激した。
そこだけでも大満足。
演技の面では、主演のヒューグラントの怪演。画面いっぱいに映るあの不気味な表情や、声のトーン、所作。サイコパスすぎて脳裏に焼きつくほどだった。
女の子2人もお顔立ちとキャラクターがマッチしすぎて、すんなりと彼女たちのキャラクターを理解しやすかった。また全員がほぼ同じ立ち位置であるシーンから立ち位置が変わっていたのもよかった。
あと、カメラワークが最高にいい。私たちに注目して欲しいところの持っていき方や、これから何かが起こるよと見せるような動き、とても素晴らしかった。街中の階段もこれから起こる不気味っぽいしA24の世界っぽくて良かったなぁ。
本作怖いor怖くないで割れていた作品だったが、ホラー慣れしてるかしてないかの違いではないかと思った。ホラー好きな方、よく観てる方は怖くない派だけど、初心者はおそらく怖いのではないかと思った(友人が飛び跳ねてた)。
思ってたより重かった(笑)
脱出系と見たのとヒュー・グラントさんが出てたので鑑賞した理由かな☝️。
脱出を予告でうたってたからや「CUBE」や「ソウ」みたいな感じかな〜って思ってたから拍子抜け💧、でもそれなりには楽しめました😁。
宗教関係からの内容でしたので、字幕を読むのが難しかったー(笑)、宗教の意味はあまりわからないからそこが重いというか意味不明な感じがあり、私的にマイナスでしたがなんとなく状況が理解し始めてくると面白くは感じてみれました。
地下に居た人や家からの脱出シーンなんかは特に良かったです。
ヒュー・グラントさんはいつものラブコメヒーローじゃなく、クセのある役柄でいつも違う演技を見れたのもそれはそれでよかったです😁。
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