異端者の家のレビュー・感想・評価
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たとえ美味しそうなパイの匂いがしても知らない他人の家には絶対に上がらないでおこうと心に誓う
一切の前情報なしでの鑑賞。知っていたのは、タイトルとメインビジュアルのイメージのみ。まさかこんなに恐ろしいサイコスリラー映画だったとは…😱聞いてないよ〜🤫知ってたら絶対観なかったかもしれない。だってホラー映画嫌いだもの🙄
私の知っているヒュー・グラントは「ノッティングヒルの恋人」など甘いマスクで惑わすラブコメ作品のイメージですが、本作ではその彼のイメージを根本から覆されます。いつもの甘い笑顔は封印され、不気味なうすら笑いで追い詰めてくる奇人を好演。またそれがうまくマッチしているんだな🙄 でも男前ってのは、歳をとってシワが刻まれても、どんなに恐ろしい役を演じても、やっぱり根底にあるカッコ良さは隠せないよね。キムタクがいつもキムタクなのと同じ🧐ヒュー・グラントにこの役をキャスティングした人は素晴らしいですね、ほんまハマり役です🤫
私の中のホラー映画ってこういう映画なのです。お化けとか出てくる必要ないのよ👻 いつも思う「普通の優しげな人の豹変」がいっちゃん怖いからね🧐「ブルーベリーパイ食べてく?」からの「なんかこれおかしいんじゃね?」と2人のシスターが徐々に気がつくまでの間合いが絶妙。ちゃんと、段々、少しづつ、レベルアップしていく「怖さ」で心震える😱これってよくありがちなホラー展開なんですか?ホラー初心者すぎてわからん🔰わからんけど、私には十分過ぎるほど怖かった〜。密室で出られないというだけでもう絶望だよね。私があのシスターたちの立場だったらどうするんだろう?と常に考えながら観てるから、もっと怖くなるよね。シスターたちは、偉いよね👏恐怖に怯えながらもちゃんと選択してるんだから。私だったら絶望を通り越してもう号泣してるよね😭チョロいのよ、わたしホラー初心者🔰だから。いや、どうだろう?逆に火事場の馬鹿力みたいなのが湧いてきて勇ましく戦ってみたりする自分に出会えたりするんかな?絶対に体験したくはないけど、ほんとにそんな場面に出会した時に自分がどんな「選択」をするのかは興味はあるよね🧐
正直、宗教的なことはよく分かりません。けれどもミスター・リードの言い分にも半分くらい理解できる部分はありました。しかし「支配」こそが宗教なのだといった彼の考えとは異なり、私の中の宗教的なものは「自分の信念」みたいなものに置き換えられるかもしれません。
そんな私の信念から導き出した本日の教訓はコチラ
「たとえ美味しそうなパイの匂いがしても知らない他人の家には絶対に上がらない」
追伸
しばらくパイと扉がトラウマになりそうなくらい度直球に恐怖を喰らい夜道を帰るのが怖くなる🥲😭
5分後に始まった映画「たべっ子どうぶつ」に幸い心癒され無事帰宅♪
宗教マニアをぢ vs モルモン布教女子のアンフェアファイト
すっかり性格俳優にシフトしたヒュー・グラントを楽しめる映画。「ジェントルメン」での癖つよ探偵役を見たあたりから、もっとそっち方面を演ってほしいと思っていた私はそれだけでプラス評価。
彼のキラースマイルの威力はまだ健在で、玄関のドアを開けた時に彼が見せた微笑みには、悪役だとわかって見ているこちらの気持ちさえ一瞬油断させる力があった。話が進むにつれ、その笑顔や愛嬌ある笑い皺がリードの不気味さに似合って見えてくるところはさすがだ。
サイコスリラー映画としては、うーんどうだろう。怖い映画苦手の私でもあまり怖くなかったから、このジャンルが好きな人には物足りないかも。
(二の腕の傷をほじくるシーンだけはギエエエエとなった、怖いというより痛そうで)
前半、リードが宗教や信仰心の本質(彼の持論)についてシスターたちに滔々と語るくだりは興味深かった。(「ボブの絵画教室」バージョンモノポリーには笑ってしまった)
八百万の神の国に生まれ育った消極的無宗教の私にとっては、正直なところ物語の前半においてはリードの主張の方が、モルモン教より首肯できる部分が多かった(ただし、パンフレット掲載の寄稿によると各宗教についてのリードの説明は所々嘘を含んでいるそうなので、鵜呑みにするわけにもいかないが)。
アメリカ国民にはキリスト教信者(もちろん宗派は分かれているが)が多いというイメージがあるが、イエス・キリストの逸話への冒涜とも取れそうなリードの主張は批判を招かないのだろうか。Rotten Tomatoesでの評価は比較的高く、社会問題化するほどの反発を受けてはいないように見える。
末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教の教団)は本作を非難する声明を出しているそうだが、作品を鑑賞したモルモン教徒当事者にとって、序盤に描写された宣教師の日常は結構リアルなものだったようだ(The Guardian、2024年11月の記事より)。
本作の2人の監督、スコット・ベックとブライアン・ウッズはモルモン教徒の友人らに脚本について相談し、彼らの日常会話をもとに台詞を創造したという。
そのリアリティと、キリスト神話説的な主張をしているのがサイコパスな悪役、という設定であること、そして最後には「誰かのために祈ることは素晴らしい」と信仰を肯定するパクストンがリードを倒す展開。これらがあるから、前半のキリストに対する冒涜的なリードの主張も、キリスト教徒から見れば「迫害者の間違った考えの描写」として消化されているのかもしれない。
前半のマンスプレイニング的宗教論破がそのまま続くのもまた一興だが、それではスリラーというよりめんどくさいおじさんの話だ。ここからどうサイコスリラーに持っていくのか、と思っていたら、後半での怖がらせ方自体は結構ありきたりな感じでちょっと気分が盛り下がった。暗い地下、唐突に出現する貞子みたいな女。ジャンプスケアと流血。
宗教マニアを極めた結果無神論者になったのかと思いきや、宗教の本質は支配であるという結論に至りそれを実践したリード。結局、支配行為という邪教の信者になったということか。
悪役の背景をどこまで描くべきかは作風や好みによって分かれるだろうが、リードについては個人的には、あのような考えに至った理由や彼のヒストリーが見えた方が面白くなりそうな気がした。パクストンが地下でいくつかの部屋を通った時、そこに雑然と置いてあった色々なグッズにヒントがあるのかなと思ったが残念ながら分からず。キリスト教圏の人が見たらピンとくるのだろうか。
「胡蝶の夢」の話をどう効かせたいのかよく分からなかった。脱出後のパクストンの手に蝶がとまった時、まさか夢オチなのか?という安直な不安がよぎったが、さすがにそれはなかった(笑)。
ところで、合言葉として出てきた「魔法の下着」だが、モルモン教に入信した人が一生身に着ける、上は半袖アンダーシャツ下は膝丈ステテコみたいな衣服のことだそうだ。神との聖約の象徴であり、下着の上から着る服で完全に覆わないといけないので、自然と露出の少ない服装になるという。その名称を合言葉として使うのは、魔除け的なニュアンスがあったのかもしれない。
ヒュー・グラントの妙味を研究し尽くした唯一無二のホラー
かつてヒュー・グラントがロマコメ帝王だったことが都市伝説に思えるほど、ここ最近の彼は変幻自在だ。たとえ陰湿でナルシストな”嫌な奴”に振り切れたとしても、観客は苦笑いしながら、でもやっぱり彼の個性に魅了されてしまう。そんな彼が行きついたホラーの新境地。今回のキャラを構成するのはやはり”喋り”だ。ほぼ全編が彼のセリフ回しで占められていると言っていい。通常なら一人の俳優がこれほど喋り続けると観客も早々に飽きるものだが、相変わらずの甘いマスクで、まるで歌うように知的で優雅で緩急タイミングの絶妙な演技をやられると、この出口なき家さながらにもう止められないし、出られない。私自身、鑑賞中の自分が果たして恐怖しているのか、それとも魅了されているのか、最後まで分からなかったほど。どんな役でもグラントはグラント。これは他のキャストでは置き換え不可能な、もはや彼のために仕立てられたホラー。だからこそ最高なのだ。
サイコパスなのにいつものヒュー・グラント!?
宗教の布教活動をしている2人の若い女性がドアをノックすると、目の前にリードと名乗る気さくな中年男性が現れて、家の裏で妻がブルーベリーパイを焼いているから一休みして行かないかと提案する。女性たちはその誘いを受け入れる。
しかし、男は2人の話に耳を傾ける気などさらさらなく、宗教に関する持論を展開し始める。同時に、その家は脱出不可能な設えになっていて。という密室サイコパスホラー。
これまでも、入ってはいけない家に入ってしまった訪問者たちが死ぬほど怖い思いをする同じジャンルに属する傑作が何本かあった。しかし本作の場合、宗教にまつわる(まつわらなくても)持論というものが他者にとっていかに不快か!?というテーマが観客を苛立たせるところが異色と言える。そして、この世界のどこかでは閉ざされた家の中であらゆる異端者が息を殺して獲物が引っ掛かるのを待っているというリアリティが、異色に拍車をかける。
最大の見どころは多少既視感がある物語を独特の個性で牽引していくリード役のヒュー・グラントだと言って過言ではない。英国が生んだ世紀のチャラ男から、最近は軽妙や悪役までカバーするグラントが、ここではなんと、いつも通りのグラントを演じることで恐ろしいサイコパスになりきっていることに驚く。いう言われれば、グラントの目はいつも危険な光を放っていたことに気づく人は多いかも知れない。異なる役に挑戦し、都度変身するのではなく、役を自分に引き寄せてきたということに。改めてヒュー・グラント、凄い俳優である。
宗教勧誘系女子を待ち受ける苛烈な運命。ヒュー・グラントの狂気に過去の自分を見る。
面白かったけど、なんとなく思っていた映画とは違ったような。
なんなら、2時間みっちり、モルモン教徒と無神論者の論戦を拝聴したかったくらい。
せっかく「キリスト教信者Vs.無神論者」という、魅力的なシチュエーションを設定したのに、わざわざしょぼいサイコ・キラーの話にしちゃうのは竜頭蛇尾過ぎて、じつにもったいない。
というか、ヒュー・グラントを「実はただの頭のおかしいろくでなしでした」って落ちにしないと、全世界のキリスト者がとうてい許してくれないから、というだけの理由で「ただのホラー」に貶めたのだとすれば、製作者の度量不足であり、軟弱もいいところだとも思う。
敢えて、ホットゾーンに踏み込んで、この危険なネタに挑むことを選んだのならば、徹底的にキリスト教の欺瞞には踏み込むべきだし、キリスト者はキリスト者として、徹底的に無神論者の怠惰を責め立てるべきだ。
それに、振り返って考えるほどに、脚本の流れがとても歪で不自然な映画だった気がする。よく言えば先読みしづらい展開なのだが、悪く言えば理不尽なイベントが多すぎる。ヒュー・グラントが何をどうしたかったのかも、ヒロインが何をどう考えて行動していたのかも、両者の迷宮内での動線も、正直観ているだけでは細かい部分がよくわからない。
ただ、とにかく、これだけは思った。
やっべえ、あんなおうちに住んでみたい!!
超住んでみたい!!!
大邸宅とか、お城みたいな家だったら、
ああいう構造の屋敷もあるかもしれないけど、
一見「ただの家」なのに、奥がひたすら、
迷宮化・ダンジョン化してるとか、
マジでうらやましすぎる。
ホントに、机上のドールハウスの通りに
(あの模型も欲しい! 超欲しい!!)
「最奥部」が広がっているのなら、
こんな愉快でわくわくする自宅ないよね。
明らかにダンテの『神曲』地獄篇の
影響下にある建築構造だし。
あと、モルモン教の女の子二人が、超好み。
かたやウィノナ・ライダー系。
かたや正統派の地味系乙女女子。
こんな可愛くて、清楚で、礼儀正しい子たちが
おうちに来たら、おじさん舞い上がっちゃう(笑)。
なので、ホラー・サスペンスとしては、低きに流れた印象は否めないが、おうちの魅力とヒロインの魅力で、十分面白く観ることができました。
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最初は観るかどうか決めていなかったし、相変わらずまったく予備知識も入れなければ、人の感想やプロの映画評もろくに読まない無精者なので、映画が始まって「A24」と出て、初めてこの映画ってA24作品 なのか、じゃあ観にきてよかったなってくらいの感じ。
実は、ずっと仲良くしてくれていて、このあいだ退職された会社の元同僚が薦めてくれたので観に行ったのでした。「セリフ使いが好きだと思うのでぜひ」とのことだったが、いざ観終わって思うに、これってもしかして、僕の会社でのしゃべり口調がヒュー・グラントそっくりだっていうご指摘なのかな??
なんか失礼にもほどがあるだろ!!(笑)
僕はたしかに理屈っぽいかもしれないし、ここの書き言葉とほぼ同じ調子で朝から晩までのべつしゃべくりまくってる気もするけど、絶対あんなんじゃないから!! あんなんじゃないって自分では思ってるから。
ていうか、あんな感じにまわりの人たちに思われてるとは思いたくないから……。
― ― ― ―
正直なことを言えば、僕はこの映画のヒュー・グラントに、結構なシンパシーを抱いている。
それは単に自分も無神論者で、「キリスト教なんかでたらめだ」と心底思っているというだけの話ではない。
僕は実際に、これまでもそれなりにいろんな宗教勧誘の人と、じっくり膝を突き合わせて話してきた人間だからだ。
とくにエホバの証人の皆さんとは、2年以上はお付き合いしていたと思う。
大学生で一人暮らしをしていたころにアパートに布教に来られたから、ぜひお話を聞かせてください、ただしそちらのホームに行って洗脳されると嫌なので、そちらからうちにいらっしゃってくだされば、と答えた。
最初はおばちゃんとお兄さんのコンビ(おたがいを「きょうだい」と呼んでいて、最初姉弟かと思っていたのだが、なんのことはない、エホバの証人のみなさんは全員「きょうだい」と呼び合うのだ。ブラザー&シスターなわけね。)が、ひと月かふた月に一度、新世界訳の聖書の講読会をしに来られた。
そのたんびに僕が「本当に七日間で神が世界を創ったという話を信じておられるのか?」とか「聖書の内容を現代の事象に合わせて解釈するエホバの長老たちの権威は何によって保証されるのか?」とか「予告された終末の日が何度も何度も先送りされることに仲間うちで疑念はないのか?」とか、いちいち面倒くさい質問ばかり10も20もするものだから、ついには「詳しい者を同行させます」といって、この映画でいう「エルダー」も一緒に来るようになり、最後は四人で来るようになった。
毎月、珈琲をふるまいながら、カルトの方から聖書の話をうかがうのは、とても刺激的な体験だった。あの人たちは決して悪い人ではなく、むしろとても善良な方々だったし、つねに懐疑的で冷笑的な僕に対して、怒ることもなく拉致することもなく、理論で調伏しようといろいろと話してくださった。
僕は、彼らの優しさに甘えて、徹底的にキリスト教をこき下ろし、宗教全般をこき下ろし、隣の人から聞いてもまず信じないような話を「聖書に書いてあるから」というだけの理由で信じようとする精神の愚昧さを嘲弄しつづけた。
そもそも本来は、誰が何を信じていようがどうでもいいと心底思っている僕なんかより、「世界の終わりが近づいているから準備しなければならない。このただならぬ『真実』を、信じていない人にも伝えて、何が何でも救いを広めなければ」という強固な使命感をもって布教して回っているエホバの証人のみなさんのほうが、よほど善良でお人よしな人々である気もする。
逆に、基本的に懐疑論者で相対論者で冷笑的な人間である僕から見ると、躍起になって信仰に生きる彼らの姿勢は、純粋な知的好奇心を抑えられないくらいに興味深いものだったわけだ。
僕が知りたかったのは、聖書に書かれていることが正しいかどうかといった些末なことではなかった(2000年の歴史と数十億人に支持される書物に、何らかの教訓や示唆がないわけがない)。
それよりも興味があったのは、宗教者の心の在り方だった。
何かを信じると決めて生きることで、果たしてどれくらい生きやすくなったのか。信仰に目覚める前はどんな生活ぶりで、何をきっかけに信仰の道に入ったのか。とくに身近な死や病気や不幸に見舞われたとき、心のなかで懐疑が生じる瞬間はないのか。聖書に従って生きるという「拠り所」のある生活は、むしろ退屈でモノトーンなものではないのか。
僕はそういったことを彼らに問い続け、彼らはそれに真摯に答えてくれた。
結局、2年くらいたったころに僕の就職が決まり、引っ越すことになった。
みなさんは「一度会館へ」とおっしゃってくれたが、そこは丁重に断った。
引っ越しのときに、なんと数名の方が、おにぎりをもって荷造りとゴミ捨ての手伝いにきてくださった。「何も聞いてくださらないかたより、ハルマゲドンであなたが救われる可能性は高まっていると思いますよ」といわれて、悪い気はしなかった。
ただ、「これを記念に」と下さった標語の書かれた妙な盾のようなものは、ちょっと気持ち悪かったので、そっと粗大ごみに紛れさせてから、住み慣れたアパートを後にした。
あのときはいろいろありがとうございました、そして本当に申し訳ありませんでした!
他にも、大学の正門のところにはいつも二人組の原理ねーちゃんがいたし、高校の同期で同じ大学に行って統一教会の信者になったS君や、同じく親鸞会の信者となったT君とは、何度も学生会館で論戦した。
妙齢の生保レディのお姉さんが、実は「冨士大石寺顕正会」の熱心な信者だったこともあった。お姉さんにバレンタインデーに駅まで呼び出されて、もしかして僕に気があるのかと内心バクバクしながらのこのこ出向いたら、「実は富士山の近くに大変ご利益がある曼荼羅があって」と切り出されたときには、さすがに泣きたくなった(そのあと速攻で生保会社にチクりの電話を入れた。笑)。
僕は無神論者だが、信仰を否定しない。
趣味の一環として、30年以上かけて1000体以上の仏像を(美術品として)鑑賞して回ってきた僕が、ほとけを信仰する人々の素朴な宗教心を、望ましく思わないわけがない。
信仰している人が布教するのも、むしろ当たり前の行為だと思う。
相手の信仰や無宗教を認容し共存するよりも、自分の信じる「真実」を分け与えたいと考えるほうが、宗教者としてはまともだとすら考える。
だが、やはり布教されるのは、率直に言って迷惑だ。
皆さんが真剣なのはわかっているし、優しくもしてあげたいし、駅でエホバの証人が「エホバ立ち」(独特の姿勢)で寒い中ポーズを決めているのを見るとつい応援したくなる。
それでもふつうに考えて、宗教の勧誘はウザがられて当然だと思う。
そんなこんなで、僕は「前半のヒュー・グラント」には全幅の共感を抱かざるを得ないし、だからこそ後半に単なるバカ&サイコに堕していくヒュー・グラントには、がっかりせざるを得ない。
前半のテイストのまま、ひたすら私的な公会議を美少女ふたりとえんえん繰り広げてくれたら、さぞ傑作になったろうになあ。
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●「魔法の下着」という「きっかけのキーワード」が、ちゃんと二回ともバリバリに機能していたのはネタとして面白かったけど、「魔法の下着」って、パンフによれば「モルモン教徒が性交渉や自慰行為から身を守るために着る独特の下着」のことで、「この下着を正しく身に着ければ、誘惑や悪から身を守ってくれるとされる」らしい。全く知らなかった。
だから、わざわざこれを反撃のキーワードにしたんですな。
●アメリカでもモルモン教徒は思い切りカルト扱いなんだね。出だしでモルモン教徒とは言わないまでも、「ユタ州ソルトレイク」と言った瞬間に「ああそうか」とわかる感じ。町の若者からも「ウィアード」扱いでひどい悪戯されてるし。こんなにふたりとも超可愛いのにクソガキどもに迫害されるなんて、本当にあってはならないことだと思う(ルッキズムw)。
●ブルーベリーパイに特別な意味合いがあるのかと思ったのだが、映画を観ているあいだはわからず。単に「パイを焼いてると思ったら、アロマキャンドルだった」ってだけのネタ?
●モルモン教が一夫多妻制を敷きながら、それを後から辞めて世間に妥協したとヒュー・グラントは責める。そんな簡単に変えられる教義ならそれはそもそも欺瞞ではないのか、と。で、自分は似たり寄ったりのああいうことをやってるわけですね。初志貫徹というか同族嫌悪というか。
●パンフ掲載のヒュー・グラントのインタビューが妙に面白かった。
「私は自分の仕事が嫌いなんです。(略)撮影中に1、2度パニックで凍りついたことがあり、常に恐怖状態にあります。それが私と撮影現場全体に暗い影を落としています」
「私はメッセージが嫌いなんです。映画や本、小説など架空のものには決してメッセージがあるべきではないと思います。メッセージを伝えたり、政治的社会的、何かの主張をしたいなら、他に適した媒体があるでしょう。創造的なストーリーテリングは、ただそれだけを伝えるためにあります。映画クリエイターや作家が『これが私が伝えたいメッセージだ』と言い始めたとたん、彼らはくだらないクリエイターに成り下がると思います。それが私の考えです」
久しぶりにこんな見識に富んだ俳優の見解を拝聴した。よくぞいった。
左派系監督の激怒しそうなことを、まるで「無神論者」のように高らかに主張している。
だから彼はキャリアの初期をロマンティック・コメディに捧げていたのか!
そりゃオックスフォード出の、バリバリのインテリなんだもんね。
ヒュー様、100%あなたのご意見に賛同します。
ぜひ弟子にしてください(笑)。
ヒューの怪演
少し遅れてですが、ほぼ観に行ってるA24なのでとても楽しみにしていた作品。友人と鑑賞してきた。
今日までにたくさんの方が観てる本作。皆様にとって、どう思ったのか。
私的には掴みOK、途中からしんどい、結末最高という感じだった。
まず、配給会社のイントロロゴ。最近よくみるHappinet PhantomからA24までどのイントロロゴも音響が素晴らしく、音響への期待値が高まった。
が、映画が始まると音響がなぜか下がり、リアル感が少し減り勿体なかった。ホラー特有の音響効果はかなり強めに出してはいたがイントロロゴに比べたら弱く、少し残念だった。教皇選挙なみの音響だったらびっくりできたのかもしれない。
ジャンルはミステリーホラーと言ったところだったが、正直我々、日本人にとっては面白く感じなかったのではないかと思う。あらすじ通り若い女の子たちが宗教布教して始まる作品。
つまり宗教が絡んでいる時点でほぼ無宗教の日本人にとって共感するのが難しい。
ただ、宗教布教で煙たがられているところは日本とは変わりない。とにかく布教しようとその宗教の説明をするが、その宗教の方達には申し訳ないが胡散臭くてしんどい。
そんな中から始まるほぼセリフのストーリー展開。眠気との戦いで地獄すぎる。私にはその人がまともに見えて仕方ない。
そして次にミステリー展開、来た来たと思い、伏線+怖がらせてくるのかなと思ったやつはそのまま置かれ、また長セリフ。
確かに分からんでもない。オリジナルが薄れていく。とても分かる。オリジナルを大切に思っているからこそのその想い。これは現代の私たちに訴えているようで、分かりやすくて良かった。ただ長い。
そして始まる冒険ミステリー。私なら諦めて明るいところで居座るよ害ないしって思いつつ、分かりきったホラー展開で恐怖要素なし。
ここまで私的には普通で終わっていたのだが、最後の展開が本当に素晴らしかった。
正直、あそこであの子が入ってきた時に「ないわー」って思ってたんだけど最後のアレ👉もそうだが、タイトルのところで大感激した。
そこだけでも大満足。
演技の面では、主演のヒューグラントの怪演。画面いっぱいに映るあの不気味な表情や、声のトーン、所作。サイコパスすぎて脳裏に焼きつくほどだった。
女の子2人もお顔立ちとキャラクターがマッチしすぎて、すんなりと彼女たちのキャラクターを理解しやすかった。また全員がほぼ同じ立ち位置であるシーンから立ち位置が変わっていたのもよかった。
あと、カメラワークが最高にいい。私たちに注目して欲しいところの持っていき方や、これから何かが起こるよと見せるような動き、とても素晴らしかった。街中の階段もこれから起こる不気味っぽいしA24の世界っぽくて良かったなぁ。
本作怖いor怖くないで割れていた作品だったが、ホラー慣れしてるかしてないかの違いではないかと思った。ホラー好きな方、よく観てる方は怖くない派だけど、初心者はおそらく怖いのではないかと思った(友人が飛び跳ねてた)。
思ってたより重かった(笑)
脱出系と見たのとヒュー・グラントさんが出てたので鑑賞した理由かな☝️。
脱出を予告でうたってたからや「CUBE」や「ソウ」みたいな感じかな〜って思ってたから拍子抜け💧、でもそれなりには楽しめました😁。
宗教関係からの内容でしたので、字幕を読むのが難しかったー(笑)、宗教の意味はあまりわからないからそこが重いというか意味不明な感じがあり、私的にマイナスでしたがなんとなく状況が理解し始めてくると面白くは感じてみれました。
地下に居た人や家からの脱出シーンなんかは特に良かったです。
ヒュー・グラントさんはいつものラブコメヒーローじゃなく、クセのある役柄でいつも違う演技を見れたのもそれはそれでよかったです😁。
根拠の希薄な正しさの強要、反証不能性、宗教勧誘の持つ加虐性を何倍にも濃縮して追体験させる
シスター・パクストンとシスター・バーンズは、布教のため森に囲まれた一軒家を訪れる。ドアベルを鳴らすと、出てきたのはリードという気さくな男性。妻が在宅中と聞いて安心した2人は家の中で話をすることに。早速説明を始めたところ、天才的な頭脳を持つリードは「どの宗教も真実とは思えない」と持論を展開する。不穏な空気を感じた2人は密かに帰ろうとするが、玄関の鍵は閉ざされており、助けを呼ぼうにも携帯の電波は繋がらない。教会から呼び戻されたと嘘をつく2人に、帰るには家の奥にある2つの扉のどちらかから出るしかないとリードは言う。信仰心を試す扉の先で、彼女たちに待ち受ける悪夢のような「真相」とは——(公式サイトより)。
宗教とは、信仰とは何かをテーマとした会話劇で進むサイコスリラー。恐怖は、閉鎖空間、粘性のある液体、不釣り合いな音楽、灯り等々、色々な要素で醸し出されるが、本作では特にコミュニケーション不全が印象的。同じ言語なのに、何を言っても反駁されそうな、妥結点を見出しづらそうな予感、目的の見えない対話相手は無邪気に楽しんでいる、そんな空気が場を延々と支配する感覚。
狂気の家人リードは完全にイカれてはいるものの、その論旨には本質を突く何かがある。歴史的にみて、聖書のようなストーリーが少なくとも12は存在しており、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はそれぞれ別の視点からまとめられただけの反復であること、教義は時代の統治者によって、神託という名の下に容易に改ざんされることを、昔からあるボードゲーム「モノポリー」に喩えて喝破する。シスターたちに対して、根拠の希薄な正しさの強要、反証不能性、宗教勧誘の持つ加虐性を何倍にも濃縮して追体験させる。
シスター役のソフィー・サッチャーとクロエ・イーストはフレッシュさが良かった。「ロマコメの帝王」であるヒュー・グラントが神学、宗教学に深く通じたサイコなリードを好演。日本で言えば石田純一が演じたみたいなものか。違うか。
ヒューグラントの話し方が好きだ。 ノッティングヒル~ではちょっと自...
信仰とは?という異常なまでの問いかけ
(※以下、宗教、信仰について自分の感想を書いていますが、あくまで個人的な思いなのであしからず!)
面白かった!
予告を観て、ヤバいおじさんによる女性の監禁、そして家に隠された危険な仕掛けの数々、この家から脱出することはできるのか?といったアクションスリラーを想像していたのですが、公開後に宗教に関する話が主題だという口コミを読んで「なるほどそっち系か」と想像を改めていました。
しかし、今回本編を観て、宗教・信仰というテーマ性のあまりの濃度とグロさ・怖さが想像以上で驚いた!
そのサプライズがとても興味深く、自分は楽しむことが出来た。
自分だったらあの地下への階段降りれないかもしれないなぁ。
朝扉があくまで待ちます、ここで話しましょうとか言うかも。
あそこを降りる覚悟はないな。
預言者には心底ビビりました。
私は特定の宗教を信仰していないので、この映画の主軸である「信仰とは何なのか?」「絶対の宗教とは何か」「何が真実なのか?」といった部分への理解度は十分と言えない。
理解しきれないところがとても残念で、ここの知識や接してきた経験があるともっとこの作品の核を味わえたのだろうと思う。
ただそれでも、映画を観終わったとき、「現代の宗教という“システム”はあまりにも不完全で支配的、ただし信仰は極個人的なものであり、きっかけや始まり、目的が何であれそれは誰にも否定できないものなんじゃないか」という自分なりの解釈をした。
自分で考えたのか?自分で本当に選んだのか?そこにもしかしたら不正解はあるのかもしれないけど、正されるべきは都合良く人々を搾取する宗教という器で、信仰はただそこにあることが全て、間違いも正解もないというか。
だから、そういう意味で言えばあの男の個人的な信仰も誰にも否定できるものではないのではないか。彼こそ信仰というものを突き詰めた結果、あの形をとるまでに狂ってしまったのかなとか。
最期、祈るシスターに息も絶え絶えに近づいたとき、彼女を殺そうとしていた行動ではあるんだけれどもどこかすがるような、祈りの力を信じたいような、そんな姿にも見えて、彼がここまでくる過程に何があったのか、何を知ったのか、何に絶望したのか想像をめぐらせたりした。
ふたりのシスターを探しに来た教会の男がついでに冊子を渡そうとしたとき、何とも皮肉を感じて、その時のヒュー・グラントの表情も含め印象に残ったワンシーンだった。
また、宗教をモノポリーで例えるところも好き。深い歴史と精神世界をもつ宗教のはずが、商業的なひとつのゲームで例えられる。「なんなんだろうな、この世界も人間も」と思ってしまった。
ヒュー・グラントがこういう役をやってくれることが嬉しいし、これからも色んな姿を見せてほしい。
少し頼りなく世間知らずだったシスターが最初と最後では別人のように変わったことも、彼女の表情、演技ともに素晴らしかった。
映画を観終わった後にちょうどネットニュースで「新教皇が“家族は男と女の結びつきに基づいている”と宣言した。」という記事を読んで、そこについた様々なコメントを読み、またこの映画について考え込んだりなどした。
その宣言の内容がどうこうという話ではなく、神への信仰とまでいかずとも、何を信じてどう行動するのか、常々自分で決めることが大切なのだろうなと。
焦点の定まらないヒュー・グラントが凄い!
作品によっては当たり外れの振り幅が大きいコンビ監督による新作ゆえに大きな期待もせずに鑑賞しに行ったのですが…
ヒュー・グラントが凄い!
単なる会話劇になりかねない導入を彼の演技が支えます。
目を見開き焦点の定まらない彼の表情を見た瞬間、背筋が凍り付きました。
女性たちの不安が募って行く表情も相まって、ただならぬ緊張感が増していきます。
仕掛けにも無駄がありません。
魔法の下着、
蝶、
自転車の鍵、
ブルーベリーパイ…、
一見すると本筋に関係ないものまで伏線として利用してきます。
中でも良く知られたボードゲームと音楽を出して来た時は度肝を抜かれました。
怖いシーンの最中に、絵面とは合わない玩具や音楽を使う事で、「空恐ろしい雰囲気」を増幅させる異化効果を狙っただけかと思ったら、きちんと物語の根幹を伝える要素として利用して来ました。
誰もが抱くであろう信仰に対する疑問や問題点を浮き彫りにしていくこのシーンは瞬きを忘れるくらい真剣に聞き入ってしまいました。
ヒュー・グラント(監督たち)の思う壺です。
クライマックスでは「唯一無二の宗教とは何か」に答えが出ます。
全ての宗教に紐付けできる答えですが、納得する人、否定する人、それぞれが言及したい事が出てくると思います。
映画を見終わった時、誰かと答え合わせしたくなるかもしれませんね。
キリスト教に興味がある人なら引き込まれる会話
サスペンス的な動きのある盛り上がりは、終盤に集中。
「ダ・ヴィンチ・コード」でのイアン・マッケランのような感じに、ヒュー・グラントがキリスト教の正体について延々と講釈をたれるのを、若いシスター2人がいやいや聞かされ続けるシーンというのが全体の半分以上を占めているので、雰囲気が凄くホラーっぽくて緊張感がみなぎっているのだが、宗教にまったく興味がない人には会話が長すぎると感じるだろう。
日本でモルモン教という俗称で呼ばれるキリスト教の一派があるということ程度を知っている人なら、問題なく楽しめると思う。
ヒュー・グラントが繰り返し問いかける質問、「究極の絶対的な宗教は何か」の答えが聞きたくて興味が引っ張られ続けたが……
終盤で語られる答えを聞くと、質問が変だった。
あの答えなら質問は「究極的に言えば、宗教とは何か」がふさわしい。
字幕の訳が、面白く聞こえるようにアレンジされたものだったためなのかもしれないが、(英語力がないので直訳かどうか分からないので)ともかく、あの質問に対して主人公があの答えを返して、それを正解だと言われるのは、ちょっと違和感があった。
話は簡潔にお願いします
職場でさも重要なことですという顔をしながら全く中身のない話をする人がいた。不思議なことに堂々とした態度もあってその人の話をみんな聞いてしまう。やけど最後まで聞いても中身がなく、5分で終わる話を20分もかけてはて?何を聞かされてたんや…と内心腹立たしくなる。特に私のようなせっかち人間は🤨
この映画のヒューグラントがまさにそれ。意味があるようでない。聞いたところで解決のヒントにもならない。やけど、追い込まれた極限の状況では冷静にはなかなか判断できない。自分と考えが違うからといってなぜあそこまで過激な行動に出るのか?そしてたまたまあの家を訪れた2人を監禁する。あの2人にそれをしたところで何の意味があるのか。?がたくさんやった。そして痛々しいシーンが多く終始眉間に皺を寄せて観ていた。
ヒューグラントはいいひと役のイメージが強いけれどこういう悪役もやるんやなあ。新鮮やった。最後の蝶は夢か現実か…
信仰と脱出
宗教勧誘に来たシスターが議論好き
サイコパスおじさんの家に閉じ込められ
追い込まれていく。
紳士的なヒューグラントの笑顔が怖い。
信仰心をぶちのめしにかかり、理詰めで
攻める。怪しい家には必ず地下室が存在する。
あの階段降りるだけで死を予測してしまう。
宗教者を嫌らしく追い詰める良質な
サスペンス。大切な人の為に祈る事は
美しくもあるなぁとも思った。
サイコスリラーは前半だけ
前半はセリフに引き込まれてなかなか面白いが、後半急にゾンビ映画風でつまらなくなる。捜索に来た男性信者が活躍すると期待させるわりには、何の役割も果たさないし。色々もったいない。
ありえないことではないかも
タイトルなし(ネタバレ)
猟奇ホラー系好きなのだが、私の好み的には少し微妙。
色々理屈捏ねているが、結局女性にマンスプレーニングかまして支配したいキモおじな感じが嫌。(突き詰めると性癖っぽい感じとしか思えない感じがする)
宗教、信仰に対する思考実験みたいな雰囲気やミニチュアハウスに閉じ込められてる映像演出などは面白いけど、革新的な感じはない。
個人的にはハウスジャックビルトの様な、全然共感できないが
こいつの体内にはこいつの神話や哲学があってこいつなりの倫理があるが、社会的倫理とまったく噛み合ってないから社会悪とゆう猟奇犯とかの方が好み。
この作品は、それっぽい感じの結局キモいおっさんなのが不快感強めに感じた。
A294 相手がやばい奴でもしっかり説得して来るねんぞ!
2025年公開
1000段以上の階段(適当)をも自転車をかついで登る
女子二人組。
宗教の前にはどんな悪人もひれ伏せる、と
ほんまに思っているのか欧米人。
ミスターリードはいったい何をしたかったのか?
言論でマウントとって地下室に送り込み檻に追い込んだら
ハイ俺の勝ち!って誰がこんなゲームに付き合うねん?
こんなシチュエーションになってゲームをするか?
やはりオトコは家に閉じ込めたらすることはだいたい
よからぬ方向に持っていくとおもうのだが。
ところが地下室の奥にはそんなゲームに付き合った方たちが
いるわいるわ。
この方たちの職業はやはり勧誘員だったのかね?
にしてはこの地域で行方不明の女子が結構な数でいてる
というのはお上もわかってるでしょうに。
本作はその構成の不足が気になりハマりませんでした。
てか雪が降ってたんですね。
昼間は夏の雰囲気だったので。
で、あのししおどしの意味は何?
魔女の下着は危険なキーワードやってんや。気をつけよう。
50点
鑑賞日 2025年5月12日 イオンシネマ草津
配給 ハピネット/A24
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