HERE 時を越えてのレビュー・感想・評価
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リッキーが僕らの曲と言って二人で踊る
曲はLet It Be Me、The Everly Brothersが歌ってます♪
他にも時代や場面に合わせた楽曲が聴き逃せません、
とくに40年代から60年代ぐらいのがリアタイでないのにわたしにはささります。
ベトナム前はハリウッドもアメリカもいちばん輝いて見えるからだと思います。
グレンミラーを数曲、映画館で聴けて耳がしあわせでした〜
アラン・シルベストリのスコアもガンプ以上に心に沁みます
フォレストとジェニーのマルチバースを観てるような気になりました。
最後、視点が切り替わった時に飛んできたのはハチドリ、でも羽根に見えましたよ。
先住民も国史に組み入れつつ、しかし定点なのにフランクリン兄弟が住んでた歴史地区に
したので後の世代にならないとアフリカ系は住めない、
のが現実的なところに感じました。
コロナと対比した時代、墜落でなく流感で亡くなった飛行趣味人の奥さん、
ミシェルさんは好きな女優さんです、最近ではマークウォルバーグと戦う作品で活劇して
ますが今作の方も魅力的です。
リッキーの両親も大好きな俳優さん、とくにお母さん役はヴェネツィア舞台のポアロ作品
やイエローストーンでケビンコスナーの娘さんを演ってて。
ここであえてしあわせでしたー
アメリカでは受けたんですかね
とりあえず今回も音楽が楽しめました
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の動かない版
ここ、映画.comの記事で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の動かない版、という言葉を目にし、
それまでスルーしようと思ってた気が180度変わり、期待して観てきました。
原始時代から現在まで、ひとつの土地で起きた出来事を、動かない定点カメラで捉えています。
恐竜の時代、氷河時代、ネイティブ・アメリカンの時代、
日本軍の奇襲を知らせる40年代、ビートルズがテレビで歌う60年代、ランナウェイズがリビングに響く70年代、などなど、
縦横無尽に、ひっきりなしに、せわしなく、直線的じゃない動きで、時間軸を行ったり来たりして、面白い。
壮大な時間旅行を楽しめます。
最後は、切ないというか、ジーンとして、涙が出そうになり、エンドロールも目を閉じて余韻に浸りました。
エンドロールが終わっても、名残惜しい気持ちで、席を立つのも腰が重く、映画館を出る足どりも重かった(笑)
いい映画だった…
こういう気分にさせてくれるのが、いい映画だと思う。
子供のとき親に連れていってもらい『グレムリン』を観たときも似たような気持ちになったんだけど、
当時『グレムリン』を観た劇場も、この映画を観た劇場の近くで、あれから何十年も経ったことを思い、
土地の時間の流れを描いた、この映画の内容とリンクし、とても感慨深かった。
元気なうちにやりたいことはやっておきたい
定点カメラから映し出されるここ(HERE)
リチャード家3世代をいったりきたりと
言う訳ではなく、まさにその場所で
起こったことが描かれていました。
フォレスト・ガンプのチームが再集結との事なので
(後から知った)
既視感もあり、期待していたほどではなかったかなぁ。
マーガレットの50歳誕生日のサプライズで
彼女が涙ながらに訴えたシーンに
夫婦生活で大切なことのひとつだなぁ。と思ったし
鑑賞後、友達と
「やりたいことは先延ばししちゃだめだね😢」と
反省しました。
ラストで定点カメラが初めて部屋の反対側をとらえ
マーガレットが「ここが好きだった」と呟いたのには
少し泣けました。
好きです
定点観測
発想は良いのかもしれないけどお料理の仕方に問題があるのか、ドラマ?としてはかなり見所が少なく、出落ち感満載で途中から飽きてしまった。
地球創生以降定点カメラを通して観ているという設定だが、(当然だけど)時代によってフォーカスのしかたが違い、どうでもいい時代はサラッっと流す割にはまたその時代が差し込まれたり、最もフォーカスされたトム・ハンクスとロビン・ライト夫妻の時代も庭に遺物が埋まってたとか逆に結構薄めのくだりが時間稼ぎのように差し込まれたりで、ギュッとしたら正味1時間で済みそうな内容の様に感じたし、あれだけ時系列をバラした割には最後こう繋がるのか!というオチ的な驚きも用意してくれておらず、全体に刺激や感動が薄口すぎてガッカリだった。
エンタメを知り尽くした名監督ロバート・ゼメキスなので何かしらの意図を持って「家族」や「家庭」を表現したかったのだとは思うが、残念ながら頭の悪い自分には伝わらなかった。
【”光陰矢の如し。”定点観測カメラアングルで、太古のジュラ紀、白亜紀から第二次世界大戦後に生まれた家族の変遷を、ソファのあるリビングのみで捉えたロバート・ゼメキスらしい作品。】
■スクリーンには、太古のジュラ紀、白亜紀の様子が映し出され、”あれれ”と思っていると、アメリカ合衆国建国の頃から、第二次世界大戦終了後に、アル(ポール・ベタニー)とローズ(ケリー・ライリー)が家を購入し、リチャードが生まれる。
そして、高校生になったリチャード(トム・ハンクス)はガールフレンドのマーガレット(ロビン・ライト)と、居間のソファでセックスし、マーガレットは妊娠し結婚する。
◆感想
・走り続ける「フォレスト・ガンプ/一期一会」とは対照的に、今作では画面は固定である。映されるのは、ほぼソファのあるリビングのみである。
・今作では、そこで、繰り広げられる或る家族の二世代に亘る変遷を描き出している。それにしても、相変わらずの映像の魔術師、ロバート・ゼメキス監督である。
高校生のトム・ハンクスの表情にはビックリである。技術の進歩なのだろうが、どのように撮ったのだろうか。
・内容としては、リチャードの両親の若き頃から始まり、彼が生まれ、結婚し、娘が生まれる家族の変遷を描き出している。
大きな出来事はないが、中産階級よりやや下の家族の悲喜こもごもが描かれているのが、印象的である。
リチャードは、早くに子が出来た事で画家の夢を諦め、全米で12番目の保険会社の営業マンになるが、豊かではなく、妻マーガレットが求める自分達の家を持つ事が出来ずに、今でいう二世帯同居で暮らしているのである。
・だが、諍いはあっても、サンクスギビングやクリスマス、年越しの日には家族が集まり御馳走を食べるのである。
・そして、リチャードの母ローズは早逝し、父も居間で寝たきりになるが、悲壮感はない。その後、老いた父アルは施設に入居し、リチャードに家を譲るのである。
だが、サンクスギビングの時に、招かれたアルが亡くなった妻ローズの想い出を語り、泣き出すシーンは少し沁みたな。
■今作を観ていると、人間は生まれたら、(当時は)結婚し、子供が生まれ、子供が成長する中で反抗期を含めイロイロと起きるが、子供は旅立ち、最後は夫婦二人になる、という拡大再生産時代から縮小再生産時代を辿るのだなあ、としみじみと思ってしまったな。
しかも今作では、リチャードとマーガレットは、中年以降にマーガレットの独立心もあり、別居しているのである。
けれども、二人は心のどこかで繋がっているのである。老いたリチャードがマーガレットに居間で言う言葉。”もう一度、一緒に暮らさないかい?””無理だわ・・。”けれども、二人はその会話後にそっと抱き合うのである。
<今作は、”あまり豊かな生活を送れなくても、愛する女性と結婚し、子供を立派に育て上げただけでも、一大事業ではないか。”というロバート・ゼメキス監督のメッセージではないかな、と妻子持ちの私は思ったのであります。面白き構成の映画でもあるとも思いました。>
トム・ハンクスに期待したけど、期待倒れかな?
アイデアは斬新。展開はグダグタ
主人公は家。定点カメラがある家の一室の時の流れを撮し続ける映画です。
始まりは、恐竜が走り回っている時代からとなっています。後に家が建てられます。時代経過の順に進むと思ったそうではありません。過去に行って、現代に戻って、また過去、さらには先住民まで飛びます。しかもその時々の話がどう意味をなしているかついていけません。
部屋の中ですから、薄暗いので人物像もなかなか把握しにくい映像です。
映像で残念なのは、CG処理です。AIを活用しての映像ですが、雑です。景色、樹木、動物がいかにもCG丸出しです。トム・ハンクス、ロビン・ライトの若い姿も作られた映像で違和感しかありません。
自分が今住んでいる所はどいった歴史があるのか?と成り立ちを考える方には本作品は魅力を感じると思います。
ラストの光陰矢の如し、今を大切に生きようというのが沁みたので星が1つ増えました。
技術の粋を尽くした古き良きハリウッド映画の現在地
本国の評判を小耳に挟んでいたので若干ハードルが下がっていた部分もあるのですが、だとしても相当面白い作品だと思いましたし、おそろしくシンプルなアイデアをおそろしく手間暇をかけて作った古き良きハリウッド映画の趣きが感じられる作品でもありました。ある一視点から見る「時を越えた」家族の物語というふれこみだったので、予告を見た段階では舞台劇の要素が強い作品なのかな?と思っていました。しかし時系列のシャッフルや時代時代の風俗が微に入り細に入り作りこまれている美術は舞台劇では決してできない試みだと感じ、「画面を見る」という映画の根源的な面白さが今作は最大限発揮されていたと感じます。本作はそうした舞台劇的な制約を逆手にとって作られた、実験的だけど実はものすごくオーソドックスな映画です。
トム・ハンクスとロビン・ライトの家族が本作品の主軸ストーリーではありますが、それに絡む横糸として、太古に暮らす先住民家族、植民地時代の白人夫婦、20世紀初頭の発明家夫婦、そして現代に暮らす黒人家族の物語といった、一つの家族の話にとどまらない「アメリカ」という地の歴史についての物語にもなっており、そうした壮大な歴史大河を堅苦しくない娯楽作品として昇華してしまうゼメキス監督の手腕はさすがといった感じです。まったく唸ってしまいました。
「フォレストガンプ」が黒人の歴史を描かなかったことが未だに尾を引き、とかく政治的な批判を浴びてしまうゼメキス監督。今回の黒人家族の描き方に関しても色々と批判があるようですが、あくまでもハンクス&ライトの家族の物語が主軸であるということ、そして同時にアメリカという地についての物語であるということを考えると、私としては今作のそれぞれの家族と時代の描き方の比重はとてもバランスの取れた見やすいものであったと思います。万遍のない政治的正しさを目指した作品はある種の理想形だとは思いますが、一つの作品である以上、メインストーリーとサブストーリーがあります。それをすべてが平等で間違いがない形で提示しても、反対に胡散臭くなってしまうだけではないのかな?と思いました。
…とごちゃごちゃと書き連ねてしまいましたが、劇場で鑑賞するだけの一見の価値はある作品だったと思います。私は大満足でしたのでおすすめさせていただきます。
原作のグラフィックノベルを読んでみたい
Here…ここから始まり、居住し、集って、ここから旅立つ…というような内容。
人に、地球に歴史がある。
今、この地点にいるのも経緯や物語がある。
ほとんど同じ部屋の映像だけど、なかなかに斬新と思った。舞台を見ているような感じだったが、途中少し飽きたりもした。なので、104分はまあまあの長さだった。
漫画ハコヅメで防犯カメラの画像を主役のおにゃのこが見て精神崩壊するとこあるじゃん?
この映画はまさにそれだ。いやぁ、ここまでヤマも落ちもないストーリーにすらなっていない役者の演技をただただ眺めているという、神の視線とはこういうモノなのかという事は理解できるが、
普通の人間はストーリーがない芝居を長時間見るようには出来ていない。芝居を知らない人には分からないだろうけど、最近、流行っているインプロという手法があってだな?
人前でお芝居をするのに、事前に稽古をしないで、その場の勢いだけでアドリブ芝居をするわけだ。落語家や漫才師が血の滲むような努力で稽古しているから、面白いものが作れるのに、インプロ野郎は全く稽古をしない。
恐ろしい事にインプロ野郎は、ワークショップで演劇素人を集めて会費をとって、インプロをやらせて、素人にも演技が出来たと勘違いさせて、素人が素人を育てて、またその素人が、素人を呼んで、素人だけのインプロを開催するという佐世保ガレージ劇場の悪しき習慣は断ち切らねばなりませぬ。
いや、マジでこの映画はインプロなみに、つまんない!アメリカンドラマの笑いどころが無い日常シーンが、ぶつぶつ挿入されて、ヤマもオチも無く、
場面が切り替わって、他の家族が登場するも、毒にも薬にもならない芝居がつらつら続くのら、人形の家。
何度も僕等を楽しませてくれた、ロバート・ゼメキスに一体何があったのだ?まだ、アニメの黒猫が彷徨うだけの映画の方がまだマシだぜ?
うん!この映画!見なくていい!配信でも見るのはキツイと思う!アノーラを見ろ!あれは、やっぱり完璧な映画だった!
実験映画
超つまらない
でもいつも色んな形で愛があるんよ
場面はリビングから一つも動かないのに、目まぐるしく時代も住んでる家族も変わって行く不思議。
ちょっと舞台を観ているような感じでもあった。同じ空間に、色んな場面が出入りするような所とか。
この作品は一度では全てを理解するのが難しいかもしれないなーと観ながら思った。見るたびに発見がありそう。
登場人物の整理も必要。
同じ家なのに、住む人が変わると家の雰囲気が全く変わっていくのが面白くて目が離せない。
住む人の時代と共に価値観も変わり、生き方が変わっていく。
家族の為に自分を家の中に閉じ込めていた女性たちが、時を重ねるうちに徐々に自由になっていく事で変わりゆく家族の形態も必見!
でもいつも色んな形で愛があるんよ。
ちょくちょく挟まれる家から解放されない彼女たちに、あーこの自由なイメージの国でも、こんな時代があったのねと思う。
自由を勝ち取るために戦った女性達の姿をなんとなく垣間見た気がする。
これ、旦那さんと一緒に観に行ったのだけどね。色々身につまされる場面やセリフが多くて、泣きたい気持ちになったけど、隣が気になって泣けなくてねぇ。
けど、彼も思い当たる面があったのか、やたら帰り道から親切だったわ。笑
後日、この作品の話を家族でしてたら、まああれ観た後は仲良くなるよね、この年代は特にね、という感想に行き着きました。
個人的にアラフィフの皆様にご夫婦での鑑賞をおすすめしたいです。
最初から美しくて鳥肌もの
内容はわかっても製作の意図が... まったく... 姑息
一つのリビングの窓から、人々の暮らしと歴史を垣間見る... その時の移り変わりを例えて言うならば あるプロデューサーのフィルモグラフィーより
1953年、『Houdini』から始まり、後に数々のSci-Fi 映画を世に送り出し、その中でもおバカが製作したものではないオリジナルの『The War of the Worlds』を...
そして秘密結社の一員で世の中における二大 Sci-Fi 小説家の一人で、彼の小説を基に、いわゆる "タイムパラドックス" を回避した1960年の映画『The Time Machine』を彼はSci-Fi 映画史に残した...
以前にも彼ゼメキスは、この『The Time Machine』のシチュエーション(シーン)を『Back to the Future』で拝借している。だから、彼は、よほど好きだったのか?グラフィック・ノベルを言い訳に「またやっちゃってるんですか?」なんてね?と聞きたくもなる。
ゼメキス、ハンクス、ロビン・ライトって事で本作『HERE 時を越えて』は、いわゆる亜流の『フォレスト・ガンプ』的でゼメキス流、彼によるモーションキャプチャー技術という視覚効果の革新提唱者としては、元になったグラフィック・ノベルで取り入れられたフレーム内フレームという静止画像を重ね合わせ移行するというコンセプトの視覚的アイデアを利用した映像をいくつかの素材と組み合わせたコラージュ効果による発想からCGIで作り上げた四角形でも長方形でも多様に積み重ねたものをスクリーン上に映し出し、そして、ある時には、いくつかのシーンで登場人物自らがフレーム・アウトしていく。その上、プロットが "タピストリー" 風ノンリニア・ナラティブ" のタイムラインにより、記録のない先史時代から始まりベンジャミン・フランクリンとその息子が通りの向かいに植民地時代の邸宅を構え、また第二次大戦を経由して観る者のノスタルジアを誘う『エド・サリバンショー』に登場するずーとるび、もとい、ビートルズと共に現代にいたるまでを定点カメラで撮影している。そのためアト ランダムに時を行き来する事で時代を見失わないようにと暖炉の脇には "idiot box" が形を変えながら象徴的に鎮座する。
“Your scientists were so preoccupied with
whether or not they could that they didn’t
stop to think if they should.” (ジェラシックパークより)
愛と別れ、結婚と憎しみ、SEXと不仲、喜びと悲しみ、希望と失望。そして、コケージョン特有の独立記念日とクリスマスと感謝祭 、... etc.
彼は世界中のありとあらゆる家庭で起こる普遍的なイベントと同時に時代時代の背景から起こりえるシチュエーションを独特な方法で身近に描き出そうとしている。ただ...
ゼメキスが子供の頃のベビーブームに沸く60年代のアメリカの若き夫婦リチャードとマーガレットを時間軸とプロットの中心に置いたことが父親は収入のために外で働き、母は子育てと家庭を守るために家にいる150年間続いた良きアメリカとされる典型的ステレオタイプ的家族の在り方がまだ保っていた時代をただ単に回顧する...
先史時代からの流れでネイティブアメリカンによる誕生と死への儀式、現代になるとこの家に住む唯一の黒人であるハリス家の物語は、両親が10代の息子に警察の暴力を説き、またラテン系家政婦がコロナに感染したことについて話すという内容だけで、このネイティブアメリカンと黒人家族の両方が、やや無理矢理に繋ぎ合わせただけのコラージュとして、それが何度も繰り返す軽率さから、これらの人々についてあまり情報を語ることはない。そんなことから黒人一家の描き方のたんぱくさが無意識の偏見を生みだしてもいる。
なんといってもストーリーが一貫して、おなじみのドラマチックなシノプスをただハイライトなシーンをアトランダムに並べ集めただけで、しかも長い人生を短いスパンで無秩序にモンタージュで描くことが偶然性だけの必然性に欠けている。それと...
トム・ハンクスのエイジングや10代への若返り...
特に若返りに関しては、彼の実際の年齢を知る者からするといくら最先端のモーションキャプチャーであっても、その歪さが軽減されたとはいえ、あたしのような脳みそウニの者からすると、うにの部分にトムハンクスの現在の年齢の彼の姿がどこかにこびりついていて若返りの認識があたいの脳では処理できずに「そんなはずはない」と思ってしまい、認識できたとしても違和感でしかなくなる。彼には二人の息子がいるんだから彼らに役を演じてもらってもいいんじゃないかと思うけど最先端技術の先駆者で気取り屋でミエハリの彼は、技術を見せびらかしたくて居ても立っても居られないゼメキスでは、自尊心がそうはさせないらしい。
その上、四角で囲むことだけが理由ではなく、目に見えない第四の壁にさえぎられた閉塞感と疎外感が入り交ざったようなつまらない代物と個人的にはなってしまい、悪質とは言えないまでも甘ったるい "rom com" によって、人工的で意図的で恣意的で感傷に満ち溢れた涙腺崩壊型を狙うかのような空々しいフィルムとなってしまっている。
I remember finding it. She was so happy. And you-you came
in the door, and you were so happy. Oh, I remember all that.
That was right here. I remember being here. I love it here.
"I love it here."
確かに認知症は短期で直近の記憶は無くなってしまう。でも過去の記憶の断片を思い出しもする。それをなぞらえた映画のモチーフとなるマーガレットの上記の言葉が、心地よい響きと美談に済ませる事で出来過ぎてしまっている為に誰もに感動を呼び、その感動を呼ぶことがタップもしていないのに自動的に誘導する一般受けする住宅保険会社の宣伝文句に聞こえてしまう。
ロバート・ゼメキス = スティーブン・スピルバーグ ≒ CGを駆使した絵面だけの中身のない映画を妄信的に作りたがる。しかも牛のヨダレのように垂れ流す。言い過ぎです(💕ᴗ͈ˬᴗ͈)”peko
彼らの〇の不自由なファンの皆様... あくまでもあたしのザレゴトですのでご容赦を!?
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