HERE 時を越えてのレビュー・感想・評価
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PCのGUIと複数ウインドウから着想した1989年の原作漫画の前衛性は失われ、「ここ」に縛られる不自由さが残った
ロバート・ゼメキスは大成してからも開拓精神を失わない稀有な映画監督で、当代の最新技術を導入した映像で観客を驚かせ続けてきた。2019年日本公開作「マーウェン」の映画評を担当した際は、『「永遠に美しく…」「フォレスト・ガンプ 一期一会」で90年代ハリウッドのCG視覚効果による映像革命を、ジェームズ・キャメロンやスティーブン・スピルバーグとともに牽引したロバート・ゼメキス監督』と書いた。だが、興行的・批評的ともに成功した傑作群を高打率で世に送り出してきたスピルバーグとキャメロンに比べ、ゼメキスの場合はその実験精神が空回りして幅広い評価や支持を得られなかった作品も多い。残念ながら「HERE 時を越えて」も微妙な出来に留まっている。
原作は米国人漫画家リチャード・マグワイアが1989年に6ページの短編漫画として発表し、2014年には304ページのグラフィックノベルとして出版した「Here」。マグワイアはインタビューで、1980年代にMacintoshやウインドウズPCによって普及したGUI(グラフィック・ユーザー・インターフェイス)とマルチウインドウから、1つのコマの中に別の時代を映す小さな“窓”を描くことを着想したと語っていた。
GUIが普及する前はテキストベースのコマンドを打ち込んで処理を実行させるインターフェースだったから、マウスでファイルをつかんで別のフォルダに移動させるといった操作は直感的だったし、デスクトップ上にテキストを扱うウインドウや画像を表示するウインドウなどを複数同時に並べられるのも便利で画期的だった。1980年代にコンピュータの分野で起きていた革命を漫画表現に応用したという点で、マグワイアの「Here」は確かに当時前衛的だっただろう。
映画「HERE 時を越えて」も、マグワイアのコンセプトを踏襲し、全体のフレーム(親画面)の中に別の時代を映す小さな窓(子画面)を複数出現させ、子画面が伸長して親画面になるなどしてさまざまな時代を行ったり来たりする。カメラはほぼ全編で定点観測のスタイルにこだわり、キャラクターを別の角度からとらえることもなければ、クローズアップして表情に寄っていくこともない(俳優がカメラに近づいてアップになることはあるが)。
このスタイルにこだわった映像を観続けているうちに、映画鑑賞とは自分が同じ席(ここ)に座ってスクリーンを眺める行為だということを改めて思い知らされる気がしてきた。従来の映画、作品の世界に没入できるタイプの映画なら、自分の物理的な居場所から解き放たれ、カメラが移動したりカットでシーンが変わったりするたび、海でも山でも外国でも瞬時に移動した気分になれる。だが本作の、スクリーン上に展開するさまざまな時代の映像を定点から見続けるというスタイルが、いかに窮屈で不自由なことか。その意味で、作品世界に没入して今の居場所(さらに言えば“今の自分”)を忘れさせてくれる自由さがあるからこそ、映画鑑賞は素晴らしいのだということを、本作から反面教師のように教わった気がする。
あらゆる手法を経験し尽くしたゼメキスが挑む時空を超えた定点観察映画
私たちが暮らすこの場所、この住居はいかなる歴史を重ねて、いま現在へと至り、未来へと続いていくのか。一見、物語にも満たない取り止めもない視点に思えるが、すでにあらゆるタイプの映画を具現化済みなゼメキス監督にとってこれくらいのチャレンジングな切り口でないと挑む価値はないのだろう。とは言え、目の前に展開するのは「定点観察カメラ前で織りなされる、時代を超越した複数の登場人物の群像劇」という言葉でいくら説明しても伝わらないシロモノだ。万人受けするとは言い難い。中にはピンとこなかったり、つまらないと感じる人もいて当然。が、慣れ親しんだ不動産の売却や、新たな物件の購入などを経験した人にとっては他人事と言えない内容かと思う。時空を超えたり、CGだったり、実写との融合だったりと、ゼメキスならではの一つの映像内に同時共存する幾つもの要素のタペストリーを見つめつつ、今ここに立つ喜びを噛みしめたくなる一作である。
タイトルなし(ネタバレ)
定点で環境・人間・家族の移り変わり、歴史を一挙に浴びた。
服装や背景、会話の内容から時代の変遷を読み取るのが最初難しく追いつくのに必死になっていたけど、メインのトムハンクスの時代にどんどん絞られて行ったのでそこの物語に集中できた。
一度にいろんな時代のいろんな家族の話がギュッとまとめられているので朝ドラを何本も並行して一気見してる感覚だった。
要所要所で出てくるハチドリが幸運の鳥と見て、そ全ての時代で必ずしもそうだったわけではないけれども、ある家族の幸せの形を、私は今見届けたのかなと思った。
主人公は家
自分の人生を投影しながら観る作品
人は生まれてから、誰かと出会い、愛を育み、家族を育てる、やがて老いて、生涯を終える。本作は、人類が始まって以来、太古の昔から時代や世代を超えて繰り返されできた、そんな人々の営みを定点カメラによって現代までずっと映し出している作品だ。
10代、20代の若い世代向けではないかも知れないが、ある程度振り返るに足る年数を人生で費やした人々にとっては、住んでいる国や時代が異なっていても、登場人物の誰か、あるいは起きる何らかの出来事に自分自身を重ねることができて、胸に刺さるに違いない。
ところで、VFXを駆使して主演の二人が10代から70代まで演じているが、そこまで必要だっのだろうか?若手の役者と交代だと出演時間が少なくなってしまうといった懸念でもあったのだろうか?それこそ、ロビン・ライトが主演を務めた2013年制作の『コングレス未来学会議(The Congress)』を思い出してしまう。
固定カメラ的撮影🎥
トム・ハンクスさん劇場鑑賞は意外に初かも❓なんでもみるけど惹かれるのが邦画が多いから、トム・ハンクスさんの作品は家で観て好きなやついっぱいあるけど、劇場で観るの初だったかもしれない🫢。
アップダウンは無いが個人的には好きな方かな🤔、リチャード達がメインなんだけどちょいちょい前の家族や時代近々の家族が出てきてそのあたりだけ時系列にしてほしかったとは思うが唯一の一つの場面だけ良かった所が👍、近々時代の黒人家族が家を出るために家具を移動中に鏡のついた家具をちょうどメイン部屋の反対が写る位置に置いてご飯休憩、その最中鏡の一部がリチャード達の時代になり父の介護ついて話をしてる所が写り時代が違うのに写って嫌がっている会話が聞けたシーンはこの撮影の上手い使い方でしたね👏。
アルの写真撮る時の照明ライトには笑かせてもらったが(笑)、その時代にその発想あるかな❓。
一つの家族が長くいれば必然的に順番に別れが来てしまうよね、泣く事は無かったが悲しい気持ちになりました😢。飛行機お父さんも事故じゃないけど病気をわらべ歌的に皮肉ってる感がなんかイナメナイね仕方ないのに。
あの土地に関係あった家族って時系列は
原始夫婦→戦争時代(この時代だけ家族無し)→飛行機家族→ソファー発明夫婦→リチャード家族→黒人家族で良いのかな❓。
ロバート・ゼメキス監督も令和健在ですね、恐竜時代のCGも凄く綺麗でした🤩。プラスマイナス合わせたらプラスで私は楽しませてもらいました。
トム・ハンクスさんはいいとこつく作品多くて、こちらも健在してて良でした‼️。
顔が?
この撮り方・構成であれば、伏線・仕掛・捻りが欲しかった。。
ロバート・ゼメキス監督の映画。
そして、トム・ハンクス主演。
彼らの映画と言えば、『フォレスト・ガンプ』は覚えていた。
『キャスト・アウェイ』もなのね。
でも、なんといっても『バック・トゥ・ザ・フィーチャー』が有名。
あらためてwikiを見て見ると、ジョディ・フォスターの『コンタクト』も監督してたんですね。
80年代は人気作品ばかり監督しているイメージがあった。
久しぶりに名前を聞いて、是非見てみたいと思って行ってみた。
事前に口コミサイトを見ていたけど、評判がよろしくない。
実験的という言葉を見て、劇場で見ておこうと思った。
たしかに実験的というのか、定点映像で同じアングルでの画が続く。
映画冒頭では恐竜のいる時代から隕石が落ちて氷河期~近代まで一気に描かれる。
なぜ、その場所なのか特に理由は分からなかった。
第二次大戦後に住み始める家族の話がメイン。
その家族の子供がトム・ハンクス。
先住民、独立戦争自体、家族三世代、その後に引っ越してくる別の家族。
その時代がいったりきたりで描かれる。
意外に集中して見ていたのか、気づくと1時間30分が経っていた。
ただ、ホント集中してみていないと、描かれる時代がしょっちゅう変わるので分からなくなってしまう。
基本、同じ画角、引きの映像が続く。
だから、トム・ハンクスが演じる若い頃も気にならなかった。
試みは良いと思うが、この撮り方をするなら、もっと脚本を練らないとダメですね。
ただ、家族の歴史を見せられただけという印象。
もっと、伏線、仕掛、捻りが欲しかった。
家族のドラマを定点カメラで描かれ、それがなぜか太古の昔から現代のメインで描かれる家族以外まで。
私も、事前に見た口コミ評価と変わらない評価となってしまった。
一つの視点で地球の始まりから現代まで。
Time flies.なのでいい映画いっぱい見ましょ
ゼメキスの挑戦的実験作品。定置カメラで一つの場所のみを、太古から現在に至るまでを最新VFXを駆使してとらえ続ける。
クローズアップなし、時代もあちこち飛ぶのでエピソードも浅く、咀嚼しにくいんですが、まあそれはそれでいいんです。
初めからそういうコンセプトで挑戦してやっているのだし、最後にちょっとホロっとさせるところまで持ってくるのは流石ゼメキスの力量でしょう。
でも次回は外に出ていっぱい暴れて下さいね。
リチャードとマーガレットの、ちょっと落ち着きないげどロースクールには合格してしまう娘役やってたザザ・ゼメキスは、ロバート・ゼメキスの実の娘。父子共に天才肌なのかな。
あと母役のケリー・ライリー イギリス出身だけに今回のような上品な役が似合う今どき稀有な女優さん。
「ヘンダーソン夫人の贈り物」以来のファンです。
定点観測ならでの展開がもう少しほしい
定点観測映画という発想は面白い。あの場所、あの家に暮らす家族の物語と思っていた。でも実際は、時代を超えでいくつかの家族を描いた群像劇に近い。同じ部屋の同じ場所でカメラを固定して映し出される物語の描き方はいろいろと工夫されていたし、撮影も大変だったんだろうなと想像する。出演する俳優(特にトム・ハンクスとロビン・ライト)の特殊メイク?CG?も素晴らしい。若い時から年老いてまで違和感が全くなかった。この手の技術は本当進歩しているなと感じる。
でも、観ていても気持ちがあまり乗らない。定点カメラだから飽きさせないようにと考えたのかもしれないが、場面転換が多すぎる。これでは、今どの時代の物語なのかを理解することに意識がいってしまい感情移入しづらかった。でも、そもそもどの家族にも大きな事件が起きるわけでもない。若い男女が家族となり、新しい家族が生まれ、子どもが旅立ち、年老いた家族が亡くなっていく。そんな家族の物語が比較的淡々と描かれていた印象だ。メインとなる家族の物語として考えれば、感動的なラストと言えるのかもしれないが、やはり気持ちが入り込んでいないので感動も今一つとなってしまった。群像劇としての面白さが圧倒的に足りていない。
ロバート・ゼメキス監督、トム・ハンクス主演だったから期待値が高かったかもしれないが、それでももう少し脚本に工夫がほしかった。部屋に飾られている絵や置かれているオブジェや壁のシミや傷がこんな経緯で生まれた!なんて、定点観測ならではのエピソードがあってもよかったのに。様々な工夫と技術は素晴らしいが、肝心の物語が今一つのため、こんな点数とした。
歴史の蓄積を残すものは
時代を越えて徹底的に定点を描く試みは面白く、その実験精神に敬服。
時代が部分切り抜きフレームで交錯する様は面白いですが、
各時代の家族の点描のエピソードが典型的なものが多く、ちょっと弱いように思え、
恐竜時代や先住民時代、開拓時代などインパクト、変化のある映像で
それを無理に補填しようとしているような不自然な構成の印象を受けた。
いっそのことトムハンクスが開拓時代の人間も演じるなど
時代を越えて俳優を重複させたら繋がりも見えるし面白いのでは、なんて思った。
定点映像では、顔、人物以外の器物にも視点を誘導し
空間全体から豊饒なドラマを引き出すことを狙っているように思ったが、
家具とか柱の傷、汚れた感じなどで歴史の蓄積をみせるのではなく
ソファなど一部を除いて、物が新しいものに置き換わっていくことで時代の変化をみせている感じがして、あまり心に突き刺さらなかった。
常に新しいものに更新されていく、若い、夢に溢れた物質世界のアメリカという国が
歴史の蓄積を語ることの、なにか空虚さを感じるようでちょっと複雑な気持ちになった。
全編同じ視点で描かれる実験的な映画ですが、
有史以前から定点観測カメラがとらえた、ある場所で繰り広げられた、いくつかの家族の物語。
全編「ほぼ」最初から最後まで同じ場所を撮影しただけという斬新さ。
原作本の発想自体が素晴らしく、それをそのまま映画にしようとしたゼメキスの実験映画的な精神は健在。
同じフレームでカメラが一切動かないのに、画面内のビジュアルの工夫で面白く観れるのがさすが。
時系列がたびたび変わって、住人とその人生を理解するのは、せわしないが。
さらに、話の中心となる主演の二人、トム・ハンクスとロビン・ライトの「フォレスト・ガンプ」コンビが、CGで青年期から老人まで演じている。
顔が、ちょっとのっぺりしてるかもしれないが、結構自然で、特に、トム・ハンクスは、若い頃の映画を思い出してました。
仕掛けにこだわっている分、出てくる家族の話は、簡単でどこにもある話。
(誰もが共感できるとも言う。)
次第に、映画が同じ場所しか撮っていないことと、ハンクス夫妻が家に縛られていることがリンクしてくる。
娘に読み聞かせた絵本にあるように「ぼくたちはここが好きだ。」と言い聞かせて、同じ家に縛り付けられた人生。
今回も、保守的で家にとどまったトム・ハンクスに反して、家を出ていったロビン・ライトは、自由を得るが、すでにボケが始まっているという不憫さ。
「フォレスト・ガンプ」でも、保守的なハンクスは安定してたのに、行動的なライトは散々な目にあってたことを思い出す。
ゼメキスって男性上位主義か、めちゃくちゃ保守的なのだろうか?
終盤、家具の鏡にカメラ側のキッチン?が映ったかと思いきや、ライトが昔を思い出すシーンでは、唯一、カメラがこれまでとは逆の方向を映した時、とってもとっても解放された気がしました。
これまで一方向しか観れていなかったために、息苦しさを感じていたのだと、まるでその時の彼女の心境のようで、これまで映画で経験しなかったことを初めて経験したのでした。
定点カメラから紡がれる人の営みは、時代の変化こそあれ、根っこは変わらないものかも
トム・ハンクスにロビン・ライト、ロバート・ゼメキス監督(あと作曲家のアラン・シルヴェストリ)が一堂に会したとなれば、思い出すは名作「フォレスト・ガンプ」。30年の時を越え、再集結したとあらば、これは興味しかない!今度は一体どんなヒューマンドラマを魅せるのか、という気持ちで映画館に向かいましたが、
のっけからびっくりと戸惑いが襲ったんですな・・・。
物語はたった一か所の“定点カメラ”から、そのフレームに入った人たちの生活を移すだけというもの。しかも時代は恐竜時代~アメリカ植民地時代~開拓時代~現代と幅広い。その定点カメラに収まった人たちの営みのみを本作は映し出している。まあこれだけでは物足りないだろうからか、メインはトム・ハンクスとロビン・ライトが出会ってからの60年間、この家で起きた諸々の出来事を描いている。
まあ眠くなりましたよ。
「12人の怒れる男」のように1つの部屋でストーリーを完結する映画というのはあったが、全編“定点カメラ”から見るなんて。これは一つの実験映画か?しかもゼメキス監督お得意のCGを駆使して主演の二人は10代~70代まで演じている。よーやったよ、この企画。
しかしよー見てみると、時代の変化こそあれ、「これって現代でも変わらんよな?」てな印象を感じてくるんですな。なんでそう思ったんかなと考えたとき、
本作の根っこには“思いやり”というものがあるのではないか。
いつの時代にも、人を愛し、喧嘩をし、どうにもならない思いがあったとしても、確かにその人は、他者に対し“思いやりの心”を持っている。もしかしたら、それを広義の意味で“愛”と呼ぶのかもしれないのではないか?そう思ったとき、思った以上に腑に落ちたんです。本作は、
すべての時代において変わらぬ人類の営みを見せることで、いかに人と人とのつながりというものが大事であるかを伝えているのではないでしょうか。
悪い映画ではないんですが、退屈感はあるし、時代があっちゃこっちゃ飛ぶので頭の整理が追い付かないときあるし、そんなに面白い映画ではないと思います。しかし、確かにじんわり来るものがある。若者より歳を重ねた人向けのような気がする作品ですが、
思いやりというものを、改めて感じる映画かなと思います。
光陰矢の如し
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