邪悪なるもののレビュー・感想・評価
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悪魔憑きホラーの美味しいところどりの作品だった。(笑) クセの強さ...
悪魔憑きホラーの美味しいところどりの作品だった。(笑)
クセの強さもこれくらいでちょうど良いでしょう。
お約束と、ツッコミどころと、充実してて満足度高かった。
グロ耐性は必要だけど、なかなかのモノなのでホラー好きは是非。
邪悪なるもの(映画の記憶2025/2/2)
いっさい容赦も忖度もなし!『ミスト』を強烈に意識した南米産のオカルティック・ホラー。
感想欄では評価が二分されているようだが、個人的にはめちゃ面白かった。
悪魔憑きがテーマっていうけど、
これ、祖型となってるのはきっと『ミスト』(2007)だよね。
スティーヴン・キング原作(1980)で、フランク・ダラボンが監督した映画。
本稿では、『ミスト』のラストを思い切りネタばらししちゃってるので、未見かつ今後観る可能性のある方は、ここで僕の感想は閉じていただければ幸いです。
― ― ― ―
『ミスト』がなぜ衝撃的だったかというと、いわゆる「アメリカン・ヒーロー」の全否定という恐ろしい皮肉を利かせた映画だったからだ。
いかにもヒーロー然として登場したベビーフェイス(善玉面)の主人公が、いかにもヒーローらしくふるまってその他大勢の人々を導こうとするのだが、最終的に彼の判断は「すべて間違っていて、すべて裏目に出る」。
付き従った連中は片端から死んでいくわ、一番助けたかった自分の子供まで手に掛けるはめになるわ、それすらもすべて「早とちり」で、結局彼についていかなかったその他全員が助かる、というきわめてシニカルな結末。
要するに、アメリカ映画で一般的だった「ルール」(マッチョでエネルギッシュな主人公は間違わない、子供は犠牲にならない)を逆手に取った「イヤミス」ぶりが、アメリカ合衆国の権勢と正義の凋落と軌を一にしているように思えたことで、観客の心胆を寒からしめたのだ。
『邪悪なるもの』のプロットは、おおむね『ミスト』のそれに呼応している。
得体の知れない異形の怪異の日常への侵食。
対応方法についての村民間の意見の相違。
主人公の決断するスピード感と行動力。
最大の目的が「息子を守ること」である点。
結果的に「すべてが裏目に出る」最悪の展開。
彼の行動に巻き込まれた周囲の「全員」が、
とばっちりを受けて凄惨な死を迎える点。
妻を喪い、息子を喪い、悪魔祓いに失敗するバッドエンド。
本作でも、ヒーローは彼なりの決断を下して行動するが、結果的には「悪魔憑き」のパンデミックを街へと拡大し、世界滅亡への終末時計を進める役割しか果たさない。
彼がいちばん守ろうと腐心した子供たちには、悲惨な末路が待ち構える。
『ミスト』と違うのは、主人公がバカにしか見えない点だ。
『ミスト』の主人公は、「アメリカン・ヒーロー」に「擬態」していた。
『邪悪なるもの』の主人公は、魯鈍で、直情的で、コミュ障で、血のめぐりが悪い。
観客が「やめとけばいいのに」と思うことばかりを順繰りにやって、どんどんとドツボにはまっていく。その意味では、コーエン兄弟のテイストに近い部分がある。
さらに、『ミスト』においてはまだ一応のところいったん、「世界は救われた」。
だが本作のラストでは、反キリスト(アンチ・キリスト)が復活し、世界はしれっと滅亡する。
その意味で本作は、『ミスト』以上に「最悪」を極めている。
この映画における悪は、だれにでも無差別に牙をむき、
そこには容赦もなければ、忖度も、遠慮もない。
そして基本的に、善は悪に勝つことができない。
でも、これはこれで、とても「リアル」な恐怖映画だと思う。
むしろ、アメリカの「ルールまみれ」のホラーのほうが、実は道徳律に縛られた、よほど「不自然」で「いびつな」物語だともいえはしまいか。
たとえば、アメリカの一般的なホラーでは、子供や弱者、けなげなヒロインはだいたい助かることが多い。あと、ペットの犬が頑張って活躍したりとか。
でも、『邪悪なるもの』は違う。むしろそのノリは、イタリアのジャッロやルチオ・フルチの残酷ホラーに近い。「弱いもの」から順番にやられていく(フルチはとくに、子供を殺すことにためらいのない監督だった。ちなみに、アルゼンチンは南米にありながら国民の多くがイタリア人移民の血筋という白人主導の国家であり、イタリアとの文化的なつながりは深い)。
悪魔に魅入られるときに、最初に支配されるのは、
あたまが弱くて、精神が弱くて、防御の弱い順だ。
すなわち、動物がまず犯されて、
子供が次に汚染されて、
障碍者が手もなく篭絡させられ、
そのあと老人と女がやられる。
これが、世界の「弱肉強食」の「正しい」ルールなのだ、本当にリアルな現実なのだ、という話は、『胸騒ぎ』(2022)の感想でもまったく同じことを書いた。
僕はこういう「正しい」ホラーが好きだ。
弱いものから狩られていく、犠牲者の選定になんの忖度もないホラーが。
「悪いことをやった人間から罰を受けるように始末されていく」凡百のホラーや、「観客のためを思って子供は最後まで生き残らせる」上品なホラーより、「まっとうな因果律で編まれたホラー」のほうが、よほど世界の現実を知るよすがになると思う。
今度10年ぶりの新刊が出るジャック・ケッチャムの小説群などは、まさにそういった「天災」としての理不尽な加害と、屠られる犠牲者の酷薄な運命を学ぶ、恰好の教材だ。
『邪悪なるもの』の根底に流れているのも、まさにケッチャム的な運命観にほかならない。
主人公が「底抜けのバカ」なのも、実にリアルだ。
あまりこんなことを書いていると運営さんに削除されそうだが(笑)、
あんな僻地の農村で、そんなに頭のいいやつなど、いるわけがないのだ。
粗暴で、勝手で、弱虫で、いざというところで判断を間違う。
やるなといわれたことをやる。
行くなといわれたほうに行く。
妻に暴力をふるう。
障碍者の子供をもてあまして捨てる。
でも、弟とはホモソーシャルな血縁の愛情で結ばれている。
ああ、いかにも、こういう村にいそうな男ではないか。
(ちょっとエストニアの幻想映画『ノベンバー』(2017)の村民たちを想起させる。そういえば、あれもまさに「悪魔」が「動物に乗って」結界を破って村に侵入してくる話だった。時系列的に、本作の監督が『ノベンバー』を観て参考にしていてもちっともおかしくないように思う。)
それどころか、出てくる人間はアホばっかりだ。
わざわざ「元凶」の死体を移動し、撃つなと言われてる動物を撃つ農場主。
触るなと言われてる「腐乱者」を触りまくり、汁をまき散らして回る三バカトリオ。
挙句に、兄弟は感染した体で街まで出張ってパンデミックを暴発させる。
奥さんは奥さんでろくに話を聞かないただのヒステリー女だし、主人公は主人公でろくに説明をしない。
おばあちゃんは正常化バイアスにとらわれ、弟は事態の深刻さをイマイチ理解できていない。ちょっと月影先生みたいなたたずまいの「処理人」の女性だけがまともだが、こういう指導的立場の人間が容赦なくやられるのも、『エクソシスト』(73)の神父や『ジョーズ』(75)の船長でも見られた、古くからのギミックだ。
その後も、主人公は判断を間違いつづけ、処理人のおばちゃんまで見殺しに。
あれだけ悪魔憑きだと警告されていた長男と、自分の母親を家に置き去りにして悪魔退治にでかけたのには、さすがに呆れた。
だが、彼らの行動は、ある意味とてもリアルだ。
人は実際に追いつめられたとき、
ちゃんとした行動など、とれるわけがないのだから。
超常現象の在り方も、実にリアルだと思う。
この映画における融通無碍な「悪魔」顕現のヴァリエーションに違和感を覚えるのは、むしろアメリカ的な「ルール」と「法則」重視の、型にはまったホラーに身体が馴染みすぎているからではないか。
この映画の悪魔は、とにかく、ありようが茫洋としている。
肉体変容と腫瘍状の腐乱という、糖尿病や癌を思わせる身体破壊恐怖の形を取ることもあれば、動物を介して乗り移ることもある(そのまんまコロナのアナロジーとなっている)。さくっと殺してくることもあれば、精神を乗っ取って操ってくることもある。犠牲者は殺されたままの姿で徘徊することもあれば(母親)、なぜか無傷で悪魔の僕として戻って来ることもある(娘)。
起きる現象が一貫しない。現実的なロジックで組み立てられていない。悪魔憑きが出た時の「7つのルール」というのも、あやふやでとらえどころがない。
(悪魔の立ち現れ方の幅が広いというのは、ちょっと『オーメン』(76)に近いかも)
むしろ「本人が怖いと思っていること」「起きるとイヤだと考えていること」の心理的反射として、「いちばん悪いこと」があらゆるシチュエーションで起きる仕組みになっている。
いわゆる「悪夢のロジック」を用いて「悪魔の絶対的恐怖」が描かれているわけだ。
この教会すら廃れ果てた「神なき国」では、因習と、言い伝えと、被害者本人の恐怖によって、現象は「後追い」で生成され、最悪の形であらゆる人々を汚染し、侵蝕していく。
なにが現実で、なにが幻想か、
なにが原因で、なにが結果かは、
もはやどうでもいい。
「恐怖の澱み」のなかでは、
あらゆる怪奇体験が発生し、
人の心をへし折り、諦めさせ、
悪魔へと隷従させていくのだ。
― ― ― ―
この映画では、「犠牲者のルール」もなければ、「起きる現象のルール」もあやふやだ。
したがってジャンル感もあやふやで、ゾンビも出てくれば、『クージョ』(81)みたいな犬も出てくるし、悪魔憑きによる肉体変容も出てくる。
家族を食べちゃうゾンビネタは『ブレインデッド』(92)でも似たネタがあった。
メンチを切ってくるヤギなんかは『LAMB/ラム』(2021)を想起させるし、先述したとおり、動物に乗って悪魔が村の結界を越えるのは、『ノベンバー』と共通する。
そもそも、今回の「悪魔憑き」の設定は、強くコロナ禍のパンデミック恐怖と結びついている。
後半には、『ザ・チャイルド』(76)みたいな「おそるべき子供たち」も登場する。
あるいは、マリオ・バーヴァの『呪いの館』(66)の影響もあるかも。
悪魔に取り憑かれた少女が言葉巧みに騙してくるあたりは、しっかり『エクソシスト』の系譜の作品群からネタを持ってきているし、急な交通事故などは『オーメン』を想起させる部分もある。
ラストにおける反キリスト(アンチ・キリスト)誕生は、『エクソシスト』や『オーメン』『ローズマリーの赤ちゃん』でも展開された、まさに悪魔たちの「本願」である。
主人公の額につけられた悪魔の紋章は、まるでその愚かさゆえに自らの復活に「おおいに役に立ってくれた」下僕へのご褒美であるかのようだ。
こういった、「あらゆるホラーからいただいてきた」ネタの雑駁な詰め込みように加えて、土着的な幻想や伝承が現実世界と混淆しているようなボルヘス的な魔術性や、幻想シーンと現実シーンがシームレスに同居するブニュエル的なモンタージュからは、「南米」らしいテイストが強烈に感じられる。しれっと「教会の廃れた世界」といった宗教的なSF要素をかませてくるあたりも、いかにも南米の映画っぽい。
映画としての出来が、相応にきちんとして見えるのもポイントが高い。
おそらく低予算映画だとは思うのだが、そのわりに映像感覚としてチープな印象があまりなく、一貫した美意識と冷え冷えとした鈍色の色彩感覚で貫かれている。
いわゆる「爆弾理論」(時間制限で爆発することのわかってるものを交互に映すことでサスペンスを高める手法)のモンタージュを多用しているのも見どころで、犬の周囲をぐるぐる回りながら撫でる幼女とか、悪魔の名前をつぶやき続ける自閉症児とか、「あああ、気を付けてえええ!」みたいなシーンが頻出する。羊と斧の出てくる例の意想外な殺戮連鎖シーンと、いきなり自閉症児がぺらぺらしゃべりだすシーンの怖さは、本作の白眉といえる。
一方で、いわゆるジャンプスケアは極力抑えて使用していて、観客の目をそらさせることなく、じっくりと「ひどい」シーンをガン見させる方向で演出しているかのようだ。
つくづく優秀な監督さんだな、と思う。
観のがしていたデミアン・ルグナ監督の前作『テリファイド』も、ぜひ観てみたくなった。
オカルトモノではありません
アルゼンチンだったかな、「テリファイド」を作ったデミアン・ルグナ監督の最新作「邪悪なるもの」を見てきました。
去年だったかな、ラッセル・クロウ主演の「ヴァチカンのエクソシスト」が大変に良かったので、「邪悪なるもの」をオカルトモノだろうと勝手に決めつけて見に行きました。
まずは、題材というかアイデアを大変にいいと思うんだけど・・・・俺的には、もっとしっかりとしたオカルトモノにして欲しかったな・・・・
最初から終わりまで、ある意味で、内容が分らない・・・内容が分らないと言うか、どうしてこうなったのかと・・・どうしようとか、淡々に日常に起きた非日常を淡々と描いているだけで・・・・見ている方も、淡々に見せられているだけで・・・・
ラストだけは俺好みなんだけど・・・・
ポスターからも予告編からもオカルト的要素が沢山有ったのに・・・裏切られたな・・・・
役者さんの雰囲気や周りの雰囲気はいいだけどね・・・・なんか見終って「勿体ない映画」と言うのは私の印象・・・・
設定斬新ながら予告編超えは無し。
悪魔憑き映画といえば、「エクソシスト」が
代表されるモノ…若干色は違えども
神父vs悪魔
という形のものばかりというイメージのジャンルでしたが。
これはその設定が最初から破綻してる設定で
新しい。(一応悪魔祓い的な人も居る)
人の信仰が廃れたのか何なのかは詳細は語られないけど教会が既に無いそう。
その時点で詰んでる感が凄い笑
悪魔憑きというものを何かウィルス感染みたいな感覚で捉えてる世界観も新しい。
教会消滅してる設定も含めて
全体的に色々…ハッキリしない作品
ではあります。
ルールの理由とか…どうしたからこうなったとか…
あれはどう使うねん??とか笑
何となく匂わせはするものの
全く何もハッキリしない。
制作側の詰めの甘さと見えるか
意図的なぼかしと見えるか…これまた良い具合にギリギリのライン笑
甘さに見えて色々目に付いてしまう方、
諸々はっきりしないのがストレスの方にはお勧めできないなと感じました。
登場人物が基本皆んなパニック等で
怒鳴ったり泣き叫んだりを好き勝手に
悪い方向に向かうようにやるので
イライラはするかなと思います。
がそれもホラーの定石っちゃあ定石なので。
古典的にイライラさせに来てるなー笑
位で観てると寧ろ何か感情豊かな南米ノリ
っぽくもあり良いかなと思いました。
B級ホラー臭はしそうなものの
安さはあまり感じなかった。
全体的に暗く地味でじっとりと…良い厭な感じ。
15Rで目を背けたくなる画面はあるものの
そこまで直接グロくは無かったかな。
画にしてない所を想像させるのが巧みで
そっちのが精神やられました。
実に「厭」な見せ方が上手い。
私は嫌いでは無かった。
が、ぶっちゃけ予告動画が突き抜けてると思う。一言でまとめると
「予告編をまーーーーったり薄く伸ばした感じ。でも悪く無いよ。」という作品です。
割とテンション高めで良かったけれども…
なにか各種細かい設定がありそうなんだけど劇中で全くといって良い程語られないのと登場人物達の行動に突っ込み所が多いのは気になる所
スマホがあるぐらいの時代設定なのに
悪魔憑きが普通に信じられてるのも良くわからない
ただショッキングシーンの演出はかなり好み
自分で自分の顔面に斧ぶち込むシーンとか
ゾンビ的な存在と化した母親が殺した我が子を抱えながらその子の脳味噌クチュクチュしながら喰ってる所とか
少年少女が老婆引きずりながらハンマーで頭を殴打し続けるシーンなんかも良かったね
幼い子供も普通に死ぬ所はハリウッド映画には多分真似出来ない所だよなぁ
もう少し各種設定を練ってシンプルにするか
登場人物達の行動に納得出来るだけの説得力を持たせてくれたらもっと良かったと思う
頭の悪い田舎のおじさんが世界を滅ぼそうとする話?
アルゼンチンのホラー映画。
粗は目立つが、久しぶりに身体の芯から怖さを感じた。
やはり得体が知れず抗いようのない悪魔憑きもので、見透かされているかのように人の弱さにつけ込んでくるという狡猾さに対する恐怖には本当に弱いので。
悪魔憑きの処理人や処理手順、やってはいけない7つのことなどは非常に面白い設定だし、もう少し掘り下げても良かった気はするが、学校のシーンは怖すぎてマジに震えた。
登場人物達、特に主人公ペドロはほんとに自分勝手で心底頭が悪く、冷静に話し合ったり言葉で説明する事が一切出来ず、ひたすら大声で喚き散らし、人の言うことに従わず強引に動くので、結果自身が媒介役となり感染を広げて行ってしまうといったアホさには辟易としたが、逆にああ言う人間を悪魔はいつもじっと待っていると考えるとまた恐ろしく感じてしまう。
7つ目言っていないの良くわかったね
夕べ銃声を聞いたという男が、山で何者かに襲われた様な死体を見つけ、そこから辿り着いた家で寝たきりだけど生きながら腐敗した悪魔憑きの男と出会い巻き起こっていくストーリー。
感染じゃなくて憑依なのに増殖?という良くわからないところから始まって、死んだはずなのにキレイに生き返っていたり、人を襲ったかと思ったら自死したりとなんでも有り過ぎな設定で訳がわからない。
そのくせ7つのルールとか???
登場人物みんな自分の言いたいことを喚き散らすばかりで、人の話しは聞く聞く気ないし、持っていたアイスはどういうこと?
しかもそこで終わり?
不気味さは良かったけれど、もうちょい設定や展開にちゃんとした縛りとか理屈を練り込んで、ちゃんと展開してくれないとね。
鑑賞動機:テリファイド9割、予告での容赦ない斧の振り下ろしっぷり1割
子供は観ちゃダメですよー。
暗闇での銃声とふたりのおっさんの緊迫したようすから始まるので、「これは前菜にされちゃう人たちね」と思ったら…あんたら主人公かーい。
悪魔付きが伝播するという設定をいつ飲み込めるかでだいぶ印象変わる気がする。
グロテスク描写というか、精神攻撃がすごいかも。子供もお年寄りも妊婦も容赦や忖度0なので。犬は酷い目には合わない…犬に酷い目に合わされるのですけどね。
不満は既存の悪魔の枠組みであるように見えること。名付けられない純粋に邪悪なるものだったらなあ。
まあでもお約束の範疇を超えてくるということで、中南米ホラーには今後も期待したい。
悪魔的?病気的!
銃声の音がした夜の翌日、辺りを散策し変死体を見つけた兄弟ペドロとジミーの話。
変死体から出てきた物を頼りに一軒の家に辿り着くと…、置くの部屋で寝る腐敗(悪魔に取り憑かれる)し始めた男を見つけたことで事は起こる。
部屋に寝る体中から膿男に悪魔的なこと!?いやっ病気でしょ!と、ツッコミと疑問を持ちつつも…。やはりお国柄?!もあり、この手の作品、悪魔絡みは正直怖くない、元々ホラー、心霊系は好物な私だからってのもあると思うけれど。
ただ本作にあった斧で旦那の顔を殺っちゃって、その後、奥さん自身も斧で顔を切るとか分かりやすく例えるなら「ミッドサマー」的な気持ち悪さはあったかな。
上映時間約100分とあったけど何一つ解決してませんね…、てか状況悪化(笑)
ずっと気持ち悪かった
アルゼンチンで、悪魔に魂を乗っ取られて身体が腐敗する、悪魔憑き、という現象が起きていた。ペドロとジミーの兄弟が森の中で変死体を発見し、さらに近くの住民が家族の悪魔憑きを隠していることがわかった。兄弟はルールに従って処理しようとしたが、人々の無謀な行動によってタブーが犯され、周囲は悪魔憑きだらけになってしまった。家族を守ろうとする兄弟は・・・そんな話。
終始気持ち悪いだけだった。
兄貴ペドロがやることなすことが裏目で、ポンコツだった。元妻の所に行かなきゃ良かったのに、なんて思った。
子供が大人を殺す、って大人が殺人するよりグロい。
だけど、同じようなシーンが続いて気持ち悪いのに眠くなった、
そして何も解決しないからスッキリもしない。
不気味な映画
あの兄弟に、特に兄貴にイライラ。ことごとくやる事、判断を間違えたよね。結局は悪を拡大し被害者を広げただけ。しまいにはあーいうエンド。最後のかすかな光だった彼女を信じなかったの事はかばいようもない落ち度。彼の教養の無さが招いた災いとしかいいようがない。怖さより不気味さとイライラした。でも面白かった(笑)
EVIL
感染する呪い
どうすればよかったのか?
映画が臭う!!
この映画には、入り口も出口もない!
Evil comes in many forms, and
whether you are male or female,
that doesn't matter as much as
what lurks in your mind.
ヤングアダルト向け小説家サバア・タヒア(New York Times-bestselling)の語録より そして何よりもこれより
The Man Who Can Scare Stephen King...
の見出しで始まる "American Heritage" による1995年のコラムより一部抜粋
“Lovecraft. . . opened the way for
me,” writes King, “as he had done
for others before me.... it is his
shadow, so long and gaunt, and his
eyes, so dark and puritanical, which
overlie almost all of the important
horror fiction that has come since.”
邪神の名前である「Cthulhu」は、本来人間には発音不可能な音で現在でもハッキリとはしていない... ので、建前上「クトゥルフ神話」と呼ばれている。何故なら、その神話の創設者であり怪奇小説・幻想小説の先駆者の一人である彼は、夭折し、名前すら知らていない為に... 付け加えると、このような事を何故?載せるのかというと彼の思想的宇宙観は、地球というちっぽけなモノではなく、本作に登場する "悪" のような人の理解の範疇を越えた邪神とあたしは捉えている為に
話を映画に戻すと...
Mom: You don't kill evil like that,
it will be worse.
Her son: If you kill him, you die.
Mom: It will take our bodies, it will
take our souls. Don't do it,
please, it will make it worse.
この警告を無視したジミーとペドロの兄弟は、今後、果てしのない悪夢を見続けることとなる。
ストリー展開やシナリオ自体は単純明快で分かり易くできていて、それでも本作『When Evil Lurks』が人々を夢中にし虜にさせるのは、想像もできない "モノ" の設定と精巧にできたギミックによるゴアな表現であり、その巨大化したヒキガエルともジャバ・ザ・ハットとも例えることもできるウリエルの気色の悪さや血生臭さ、そして、彼の体から流れる浸出液のグロテスクさは画面を見ているだけで臭ってきそうにも感じる。ただ、少し誇張ですので失礼しました。(※そんなゴア表現の中でも映画製作者に対して好感が持てるシーンがある。あまり詳しくは言いたくはないが、少女を〇めるところでは、何故か稚拙な人形で代替えをしていた。)
Mirta: Evil loves children.
And children love evil.
男の名前にもなったウリエルとは何者なのか?
『ペトロの黙示録』にも登場するウリエル... "最後の審判" の時に全ての魂を席に着かせる役割を担い、「懺悔の天使」または「地獄の支配者」として描かれ四大天使の中でもマイナーで知る人は少ない。何故なら、ウリエルだけが堕天使となった理由かもしれない。天界にいる天使が堕落すれば、追放され地上まで堕ちた天使は人間に、またさらに深く堕ちた天使は悪魔になったとされる。
covid-19を彷彿とさせる最も悪質に残酷で無垢で善良な人々の魂と心の深淵をえぐるような不安で不快な際どい映画となっている。アルゼンチンの日本では敵わない程の特殊効果には拍手を送りたい。しかも筋書きをシンプルにしたことで、家族の崩壊が手に取るように明快になったことが反って、第四の壁に阻まれるただ見ている事だけしかできない傍観者となってしまい、それにともなう喪失感が、最後のツイスト・エンディング的ファクターに活かされているのかもしれない。
前出のラドクリフがこんなことを残している。
The oldest and strongest emotion
of mankind is fear, and the oldest
and strongest kind of fear is fear
of the unknown.
深淵と言えば「人生や世界は無意味であり、道徳的な基準は存在しない」と表現しているニヒリストで後に若くして病死をしたニーチェの言葉は、映画の本質を捉えている。
"Whoever fights with monsters
should see to it that he does not
become a monster in the process.
And if You Gaze Long into an Abyss,
the Abyss Also Gazes into You"
最後に
重要なカギとなる7という数字
"Remember the Sabbath day, to keep it holy"
the Sabbath day:安息日
何故一週間が7日になったのかは、ユダヤ教の十戒の第四条からで、もう少し説明を加えると「神は6日間で世界を創造し、7日目に休息し、その日を祝福し聖なる日とした。」
南の島にいた時、日曜日になると大手のスーパーからショッピングモールに至るまでシャッターを閉めて休業をしていた。なれない旅行者が食料品を買う方法といえば、デイリーという個人経営(移民の方が多い)のコンビニのようなショップが、開いていた。この世界は天国では決してないのでそんなことは長続きしないし、天国でしか成立はしないので、経済破綻の結果、現在は、ショッピングモールもスーパーも日曜日も平日と変わらず開いています。(※ジュースなんかを自動販売機で手軽に買えばいいジャンなんて、日本でしか通じません。その当時、島で唯一のコーラの自販機は、ぶっといチェーンでグルグル巻きにされていました。)
そして、キリスト教では別の呼び方をする"七つの大罪"
"七つの大罪" の存在も忘れることは出来ない... のではなくて、忘れることを禁じていると言えるかもしれない。
皆さんは、7をラッキー・セブンとか言って、幸運の数字として捉えている方が多いかもしれないけど、あたしからすると...
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