邪悪なるもののレビュー・感想・評価
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7つも禁忌があると何にも出来ないね。
これ好き!
ドッカンびびらせるタイプのホラーではなく人間の弱い所を突いて自己崩壊させる邪悪な物が村に広まって行く惨劇。赤いポスターをボッと見ててたけど、なるほどそのシーンか、、、エグっ。
しっかり腐った人間とか食人とか、、さすが朝起きると毎日街に死体が転がっているという南米ならではのエグさはしっかり楽しめます。エグい絵をドカンと見せないけど、それが確かに隣にある感じが怖かった。悪魔とは?腐れとは?とかあんまり深く考えてはいけません。人間ごときにわかる物ならとっくに科学が解決しています。
情けないショーンペンに似た兄さん、弟頑張ってるのに結果自分に負け人間の弱さを露呈してものの哀れ全開。
前作「テリファイド」も機会があれば見たいなぁ。
ザ・傾聴の姿勢
悪魔憑き+パンデミックという、盛りだくさんのホラーでした。
全体的に怖がらせ方はアルゼンチン流で、ハリウッド系ホラーのジャンプスケアや、Jホラーの『お分かりいただけただろうか』とは、全く違いました。
ジャンプスケアの代わりにコンマ五秒で暴力に切り替わるし、お分かりも何も、大抵のことは目の前で起きていた感じです。
特に、マスチフ犬とヴィッキーの場面では、私と隣のおじさんは座席から数ミリ浮いたと思います。
現実と地続きのようで、教会が役目を終えたという設定があり、悪魔憑き=感染症のような扱いです。それほど頻度が高くないのか、警察も『悪魔に憑かれた』という通報から一年ぐらい放置したり、積極的に触れようとしません。
放っておいたら朽ちて終わるんじゃね? みたいな扱いです。
興味深かったのは、主人公の母親が『都市の病気でしょ?』と言っていた辺りでした。
どことなく他人事で、実際本編で起きることのほとんどは、悪魔という存在を抜きにしても動物や人間の行動でそれとなく説明がつく辺りが、巧みでした。
・森の中で起きた猟奇殺人
・斧で刻まれた農場主とその妻
・子供を連れ去りに来る厄介者の元夫
・手懐けていたはずのマスチフ犬に顔を食いちぎられる子供
・元夫から子供を連れ戻したら、元夫の弟に車で轢かれる元夫の嫁
どれも、ニュースで一度は記事になったことがあるような出来事です。悪魔と思うから怖いのであって、現実にみんな共存しています。
加えて、悪魔に憑かれた人間に近づいてはならない、着ていた服に触ったりしてもいけないなど、こういった設定の塩梅は、どことなくコロナ禍の初期を彷彿とさせます。何より、この映画の悪魔には対処法があり、ルールもあります。
とは言え、接触してはいけないと分かっていても声をかけてしまうし、自分だけはルールから逸れたことをやってしまう。親しい相手だったり、自分がど真ん中に放り込まれたりすると、やっちゃいけないことをやってしまうものです。
でも、ペドロ。
あんたはもうちょい 人の 話を 聞け(笑)
どのコミュニティでも「厄介な人」扱いを受けている辺りが、リアルでした。悪気はないけど、突っ走りすぎて周りが酷い目に遭う。私の周りにも、こんな人はたくさんいます。
個人的には、ウリエルと戦うときに、首の後ろに刺せと言われていたダガーナイフ?を探すのではなく、手近な別の部品で頭をタコ殴りにする場面が好きです。
関西弁ではこういうとき「ちゃうて」と突っ込みますが、半年分の在庫を一本の映画で使い切りました。
結局悪魔の子供が誕生してしまい、「サンキュな」みたいな感じで頭に手を置かれたり、結果は散々。フルパワー往復ビンタを食わせたばかりの子供が「斧はあっちよ」って、言うわけないでしょうが。
それに、車で眠るジャイルから出てくる絵は、赤色に塗られた人型が朝日に照らされているという構図で、あれこそまさに悪魔の子供が誕生する瞬間の予言なのに、「ほーん」みたいな感じで眠ったり。もうちょい、周りを見ろと。
設定は凝っていますが、完成するのに五分かかるラーメンなのに、ペドロが三分で食べ始めた感じでした。
悪魔って手が付けられない割に変な制約を科してるよね
大変雰囲気があって面白かった!
主要人物が40絡みのおっさん二人なので画面が地味で良い。
悪魔憑き、腐敗、処理人(デビルバスター)、世界の終わりという中二病臭の強い要素と、悪魔の影響で起こる悲惨で衝撃的なシーンの数々が楽しめた。
子供が悲惨な目に遭うシーンには目を背けたくもなるが、その後しれっと戻ってきたりするあたりは一層(悪魔が)憎たらしくて良い。
キリスト教文化圏の外からの目線で他人事として楽しむにはもってこいだ。
アルゼンチンの一地方でおよそ21世紀とは思えない暮らしをしている人が「こんなこの世の果てみたいなところに」という事を言っていたのが心に残った。中心部から外れたところで苦しい暮らしをしているとそんな認識になるよね。洋の東西を問わない感覚なのだ。
一度目の結婚で失敗をしていると思しき兄、恋多いがだいぶ年上好きっぽいのが難儀そうな弟に、と多くは語られないが主要人物の背景もちゃんと見えるようになっている。ちゃんとしている。
終始落ち着きが無い主人公
監督の前作「テリファイド」は落ち着きを保ちながらじっとり来る嫌味なホラーで、そこが魅力だったが、本作はその世界観を踏襲しつつ、ややパニック的描写もある様に思えた。その要因の1つとして、主人公は大いに関係しているだろう。主人公は我が道を進み過ぎて人を巻き込んでしまうタイプの"ヤバイ人"である。劇中でも近隣住民や無能な警官らからも良くは思われていない様だ。突然の様に教会が終わった世界という設定であり、かなりの世紀末感があるが、それありきで生活する人々らは中々不気味である。特にナレーションで解説する事なくいきなり放り込まれる為、ある程度慣れていないと置いてきぼりになるかも知れないが、ウイルスの様に広まっていく"悪魔憑き"は明らかに関わってはいけない存在だし、憑かれない為の7つのルールたるものも存在している。それにもろ関わった主人公らの行動に巻き込まれて死んだ人間が何人いるのか。
それを突っ込み出したらキリが無いが、鑑賞後に訪れる何とも言えぬ気分を味わえばそれも吹き飛ぶだろう。
どうもグロ描写が全面に押し出された様なイメージが付いているが、実際はそこまでの残虐シーンは無い様に思える。これらのシーンについては自分の顔に斧を叩き付けるシーンが恐らくベストだと思う。それ以上は予告編を超えて来る事は無かった。観ているこちらが慣れているという事も考えられるが、グロ目的では観なくて良いだろう。
本作の1番の楽しみ方はやはりその世界観にどっぷり浸る事だ。劇場の大画面で鑑賞するか、スマホ等の小さい画面で観るかによって本作の楽しみ方が変わってきそうだ。
匂わせるのは上手いけど…
無知なるものと、善人だと思い込んでいるものが、悪魔に一番近いのかもしれません
2025.2.6 字幕 アップリンク京都
2023年のアルゼンチン&アメリカ合作の映画(100分、R15+)
ある田舎町の異変を描いた伝染系ホラー映画
監督&脚本はデミアン・ルグナ
原題は『Cuando acecha la maldad』、英題は『When Evil Lurks』で、ともに「悪魔が潜むとき」と言う意味
物語の舞台は、アルゼンチンのヘネラル・ピラン郊外の田舎町
そこに住むペドロ(エセキエル・ロドリゲス)とジミー(デミアン・サロモン)は、ある夜に奇妙な銃声を聞いてしまう
ペドロは猟銃ではなくリボルバー式の拳銃の音だと言い、夜が明けてから探索をすることになった
一帯は地主のルイス(Luis Ziembrowski)が仕切っていて、ペドロも隣人のマリア・エレナ(Isabel Quinteros)も借地人として農場を経営していた
森に入った二人は、そこでマリア・エレナの家へと向かったと思われる一体の惨殺死体を発見する
鋭利な刃物で体を真っ二つに切り裂かれていて、そばにはジミーが見覚えのある何かの部品が散乱していた
ともかくマリア・エレナの家に行けば何かわかると思って向かう
だが、そこには「腐敗者」となった彼女の息子のウリエル(Pablo Galarza&Gonzalo Galarza、声:Berta Muñiz)がいて、彼女らは「処理人」を待っていた
だが、その処理人はたどり着く前に何者かに殺されていて、ペドロがそれを伝えることになった
物語は、ペドロが地主のルイス(Luis Ziembrowski)に相談をして、ウリエルを村の郊外に捨てようと考えるところから動き出す
村から数百キロ離れた場所に向かうものの、通行人と事故りそうになってしまう
何とか目的地に辿り着いたものの、いつの間にかウリエルはどこかに消えていて、通行人を避けようと急ブレーキを踏んだ時に落ちたのではないかと思われた
ペドロは「探すべきだ」と主張するものの、ルイスは「村からかなり離れたから問題ない」と言って、探すこともなく村に戻ることになった
だが、この事態を重くみたペドロは、家族を連れて村を脱出しようと試みる
母サラ(Paula Rubinsztein)を連れて、元妻のサブリナ(Virginia Garófalo)のところに向かうものの、かつての事件で「接近禁止命令」が下っていて、彼女は拒否反応を示す
彼女の今の夫レオ(Federico Liss)もパブロがとち狂ったを考えるものの、パブロは強硬な姿勢を崩さない
彼は自分の息子ジャイル(エミリオ・ボダノヴィッチ)を車に乗せ、レオの息子・サンティーノ(Marcelo Michimaux)と娘のビッキー(Lucrecia Nirón Talazac)も連れて行こうとする
だが、そこでレオの愛犬ロジャーがいきなりビッキーを襲ってどこかに消えてしまい、それを起点として、カオスな世界が訪れてしまうのである
映画では、悪魔に憑かれたものを「腐敗者」と呼び、それと遭遇した時には「7つのルール」というものがあった
サラはサンティーノに対して、「電気をつけてはダメ」「動物に近づいたらダメ」「悪魔憑きに近づいたものを身につけてはダメ」「彼らを傷つけてはダメ」「悪魔の名前を呼んではダメ」という6つのルールを伝える
サンティーノは一つ足りないというものの、サラはそれで全部だと思い込んでいた
そして、最後の一つは、ジミーの知り合いである元処理人のミルタ(シルヴィナ・サバテール)によって、「死を恐れては行けない」というものが判明する流れになっている
最後の一つを含め、そのルールは「処理人のルール」のようなもので、それを知る人々は災厄を避けることができるという感じに思えた
だが、無知なる者は禁忌を犯し、それによって悪魔は「伝染」してしまうのである
この悪魔は、コロナをモチーフにしている印象があって、それゆえに「伝染」という言い方をしているのだと思う
また、教会は滅んだというが、医療崩壊を起こしているようにも聞こえてくる
体が腐るものもいれば、精神を侵されるものもいて、腐敗の場合は進行速度も遅く治癒も難しい
だが、主に子供たちが感染して起こる瞬間的な精神支配の方は、免疫が作られれば元に戻るのかな、と思った
パンフレットなどが作られていないので、どのような意図で作られたのかはわからないのだが、腐敗者の体液を受けてはダメとか、さわってしまったら体を清める、服を燃やすなどの対応が、そのまま強度な感染症への対策のように思えた
いずれにせよ、ほとんどのキャラが喚き散らして理性的な行動を取れないところとか、善人だと思っている主人公が一番ヤバい行動をするなどの面白みがあって良かった
グロ描写はそこそこあるので耐性が必要だが、ウリエルがキモいのと、最後のシーンがちょっと気持ち悪さがあるかなと思った
田舎町で情報が伝聞しかないというところがリアルで、主人公がキリスト教の聖人の名前なのも色々と攻めているなあと思った
悪鬼のウイルス?
あえて今さら悪魔憑きものであることや、予告の雰囲気に惹かれて観たが…
とりあえず、登場人物がことごとく人の話を聞かないし終始喚き散らすしでストレスが溜まった。
また、悪魔憑きに法則性がなさ過ぎて意味不明。
他は凶暴化するのにウリエルは膨れて腐り、娘は即座に治癒したのにサブリナは怪我したまま。
というかサブリナは殺された側なのに何故悪魔に?
ウリエルの膿がアウトならマリアも憑かれるハズでは。
サブリナを轢いたジミーも、ウリエルを殺したペドロも何故か平気。
処理人がどう対応するかも結局不明で、7つのルールも特に活きてこない。
ってか、『傷付けるな』と『銃で撃つな』は同義だし、7つ目の『死を恐れるな』は無理ゲーです。
悪魔憑き自体はそれなりに認知されてるのに、対処法が周知されてないのも謎。
ペドロが警官から嫌悪され、元妻や子供に接近禁止令が出ている経緯も特に明かされない。
最後はミルタの家に母がいないことに疑問を抱かず、結局そのまま自宅に戻ってきてしまう。
悪魔の子(?)が生まれたところで終わってよかったのでは。
散々喚いてたのに、ミルタの断末魔やペドロの最後の叫びはなんであんなに下手なんだろ。
ラストカットで無駄に長回ししたせいで、手持無沙汰なジミーがウロウロしててかわいかった。
悪魔憑きホラーの美味しいところどりの作品だった。(笑) クセの強さ...
邪悪なるもの(映画の記憶2025/2/2)
いっさい容赦も忖度もなし!『ミスト』を強烈に意識した南米産のオカルティック・ホラー。
感想欄では評価が二分されているようだが、個人的にはめちゃ面白かった。
悪魔憑きがテーマっていうけど、
これ、祖型となってるのはきっと『ミスト』(2007)だよね。
スティーヴン・キング原作(1980)で、フランク・ダラボンが監督した映画。
本稿では、『ミスト』のラストを思い切りネタばらししちゃってるので、未見かつ今後観る可能性のある方は、ここで僕の感想は閉じていただければ幸いです。
― ― ― ―
『ミスト』がなぜ衝撃的だったかというと、いわゆる「アメリカン・ヒーロー」の全否定という恐ろしい皮肉を利かせた映画だったからだ。
いかにもヒーロー然として登場したベビーフェイス(善玉面)の主人公が、いかにもヒーローらしくふるまってその他大勢の人々を導こうとするのだが、最終的に彼の判断は「すべて間違っていて、すべて裏目に出る」。
付き従った連中は片端から死んでいくわ、一番助けたかった自分の子供まで手に掛けるはめになるわ、それすらもすべて「早とちり」で、結局彼についていかなかったその他全員が助かる、というきわめてシニカルな結末。
要するに、アメリカ映画で一般的だった「ルール」(マッチョでエネルギッシュな主人公は間違わない、子供は犠牲にならない)を逆手に取った「イヤミス」ぶりが、アメリカ合衆国の権勢と正義の凋落と軌を一にしているように思えたことで、観客の心胆を寒からしめたのだ。
『邪悪なるもの』のプロットは、おおむね『ミスト』のそれに呼応している。
得体の知れない異形の怪異の日常への侵食。
対応方法についての村民間の意見の相違。
主人公の決断するスピード感と行動力。
最大の目的が「息子を守ること」である点。
結果的に「すべてが裏目に出る」最悪の展開。
彼の行動に巻き込まれた周囲の「全員」が、
とばっちりを受けて凄惨な死を迎える点。
妻を喪い、息子を喪い、悪魔祓いに失敗するバッドエンド。
本作でも、ヒーローは彼なりの決断を下して行動するが、結果的には「悪魔憑き」のパンデミックを街へと拡大し、世界滅亡への終末時計を進める役割しか果たさない。
彼がいちばん守ろうと腐心した子供たちには、悲惨な末路が待ち構える。
『ミスト』と違うのは、主人公がバカにしか見えない点だ。
『ミスト』の主人公は、「アメリカン・ヒーロー」に「擬態」していた。
『邪悪なるもの』の主人公は、魯鈍で、直情的で、コミュ障で、血のめぐりが悪い。
観客が「やめとけばいいのに」と思うことばかりを順繰りにやって、どんどんとドツボにはまっていく。その意味では、コーエン兄弟のテイストに近い部分がある。
さらに、『ミスト』においてはまだ一応のところいったん、「世界は救われた」。
だが本作のラストでは、反キリスト(アンチ・キリスト)が復活し、世界はしれっと滅亡する。
その意味で本作は、『ミスト』以上に「最悪」を極めている。
この映画における悪は、だれにでも無差別に牙をむき、
そこには容赦もなければ、忖度も、遠慮もない。
そして基本的に、善は悪に勝つことができない。
でも、これはこれで、とても「リアル」な恐怖映画だと思う。
むしろ、アメリカの「ルールまみれ」のホラーのほうが、実は道徳律に縛られた、よほど「不自然」で「いびつな」物語だともいえはしまいか。
たとえば、アメリカの一般的なホラーでは、子供や弱者、けなげなヒロインはだいたい助かることが多い。あと、ペットの犬が頑張って活躍したりとか。
でも、『邪悪なるもの』は違う。むしろそのノリは、イタリアのジャッロやルチオ・フルチの残酷ホラーに近い。「弱いもの」から順番にやられていく(フルチはとくに、子供を殺すことにためらいのない監督だった。ちなみに、アルゼンチンは南米にありながら国民の多くがイタリア人移民の血筋という白人主導の国家であり、イタリアとの文化的なつながりは深い)。
悪魔に魅入られるときに、最初に支配されるのは、
あたまが弱くて、精神が弱くて、防御の弱い順だ。
すなわち、動物がまず犯されて、
子供が次に汚染されて、
障碍者が手もなく篭絡させられ、
そのあと老人と女がやられる。
これが、世界の「弱肉強食」の「正しい」ルールなのだ、本当にリアルな現実なのだ、という話は、『胸騒ぎ』(2022)の感想でもまったく同じことを書いた。
僕はこういう「正しい」ホラーが好きだ。
弱いものから狩られていく、犠牲者の選定になんの忖度もないホラーが。
「悪いことをやった人間から罰を受けるように始末されていく」凡百のホラーや、「観客のためを思って子供は最後まで生き残らせる」上品なホラーより、「まっとうな因果律で編まれたホラー」のほうが、よほど世界の現実を知るよすがになると思う。
今度10年ぶりの新刊が出るジャック・ケッチャムの小説群などは、まさにそういった「天災」としての理不尽な加害と、屠られる犠牲者の酷薄な運命を学ぶ、恰好の教材だ。
『邪悪なるもの』の根底に流れているのも、まさにケッチャム的な運命観にほかならない。
主人公が「底抜けのバカ」なのも、実にリアルだ。
あまりこんなことを書いていると運営さんに削除されそうだが(笑)、
あんな僻地の農村で、そんなに頭のいいやつなど、いるわけがないのだ。
粗暴で、勝手で、弱虫で、いざというところで判断を間違う。
やるなといわれたことをやる。
行くなといわれたほうに行く。
妻に暴力をふるう。
障碍者の子供をもてあまして捨てる。
でも、弟とはホモソーシャルな血縁の愛情で結ばれている。
ああ、いかにも、こういう村にいそうな男ではないか。
(ちょっとエストニアの幻想映画『ノベンバー』(2017)の村民たちを想起させる。そういえば、あれもまさに「悪魔」が「動物に乗って」結界を破って村に侵入してくる話だった。時系列的に、本作の監督が『ノベンバー』を観て参考にしていてもちっともおかしくないように思う。)
それどころか、出てくる人間はアホばっかりだ。
わざわざ「元凶」の死体を移動し、撃つなと言われてる動物を撃つ農場主。
触るなと言われてる「腐乱者」を触りまくり、汁をまき散らして回る三バカトリオ。
挙句に、兄弟は感染した体で街まで出張ってパンデミックを暴発させる。
奥さんは奥さんでろくに話を聞かないただのヒステリー女だし、主人公は主人公でろくに説明をしない。
おばあちゃんは正常化バイアスにとらわれ、弟は事態の深刻さをイマイチ理解できていない。ちょっと月影先生みたいなたたずまいの「処理人」の女性だけがまともだが、こういう指導的立場の人間が容赦なくやられるのも、『エクソシスト』(73)の神父や『ジョーズ』(75)の船長でも見られた、古くからのギミックだ。
その後も、主人公は判断を間違いつづけ、処理人のおばちゃんまで見殺しに。
あれだけ悪魔憑きだと警告されていた長男と、自分の母親を家に置き去りにして悪魔退治にでかけたのには、さすがに呆れた。
だが、彼らの行動は、ある意味とてもリアルだ。
人は実際に追いつめられたとき、
ちゃんとした行動など、とれるわけがないのだから。
超常現象の在り方も、実にリアルだと思う。
この映画における融通無碍な「悪魔」顕現のヴァリエーションに違和感を覚えるのは、むしろアメリカ的な「ルール」と「法則」重視の、型にはまったホラーに身体が馴染みすぎているからではないか。
この映画の悪魔は、とにかく、ありようが茫洋としている。
肉体変容と腫瘍状の腐乱という、糖尿病や癌を思わせる身体破壊恐怖の形を取ることもあれば、動物を介して乗り移ることもある(そのまんまコロナのアナロジーとなっている)。さくっと殺してくることもあれば、精神を乗っ取って操ってくることもある。犠牲者は殺されたままの姿で徘徊することもあれば(母親)、なぜか無傷で悪魔の僕として戻って来ることもある(娘)。
起きる現象が一貫しない。現実的なロジックで組み立てられていない。悪魔憑きが出た時の「7つのルール」というのも、あやふやでとらえどころがない。
(悪魔の立ち現れ方の幅が広いというのは、ちょっと『オーメン』(76)に近いかも)
むしろ「本人が怖いと思っていること」「起きるとイヤだと考えていること」の心理的反射として、「いちばん悪いこと」があらゆるシチュエーションで起きる仕組みになっている。
いわゆる「悪夢のロジック」を用いて「悪魔の絶対的恐怖」が描かれているわけだ。
この教会すら廃れ果てた「神なき国」では、因習と、言い伝えと、被害者本人の恐怖によって、現象は「後追い」で生成され、最悪の形であらゆる人々を汚染し、侵蝕していく。
なにが現実で、なにが幻想か、
なにが原因で、なにが結果かは、
もはやどうでもいい。
「恐怖の澱み」のなかでは、
あらゆる怪奇体験が発生し、
人の心をへし折り、諦めさせ、
悪魔へと隷従させていくのだ。
― ― ― ―
この映画では、「犠牲者のルール」もなければ、「起きる現象のルール」もあやふやだ。
したがってジャンル感もあやふやで、ゾンビも出てくれば、『クージョ』(81)みたいな犬も出てくるし、悪魔憑きによる肉体変容も出てくる。
家族を食べちゃうゾンビネタは『ブレインデッド』(92)でも似たネタがあった。
メンチを切ってくるヤギなんかは『LAMB/ラム』(2021)を想起させるし、先述したとおり、動物に乗って悪魔が村の結界を越えるのは、『ノベンバー』と共通する。
そもそも、今回の「悪魔憑き」の設定は、強くコロナ禍のパンデミック恐怖と結びついている。
後半には、『ザ・チャイルド』(76)みたいな「おそるべき子供たち」も登場する。
あるいは、マリオ・バーヴァの『呪いの館』(66)の影響もあるかも。
悪魔に取り憑かれた少女が言葉巧みに騙してくるあたりは、しっかり『エクソシスト』の系譜の作品群からネタを持ってきているし、急な交通事故などは『オーメン』を想起させる部分もある。
ラストにおける反キリスト(アンチ・キリスト)誕生は、『エクソシスト』や『オーメン』『ローズマリーの赤ちゃん』でも展開された、まさに悪魔たちの「本願」である。
主人公の額につけられた悪魔の紋章は、まるでその愚かさゆえに自らの復活に「おおいに役に立ってくれた」下僕へのご褒美であるかのようだ。
こういった、「あらゆるホラーからいただいてきた」ネタの雑駁な詰め込みように加えて、土着的な幻想や伝承が現実世界と混淆しているようなボルヘス的な魔術性や、幻想シーンと現実シーンがシームレスに同居するブニュエル的なモンタージュからは、「南米」らしいテイストが強烈に感じられる。しれっと「教会の廃れた世界」といった宗教的なSF要素をかませてくるあたりも、いかにも南米の映画っぽい。
映画としての出来が、相応にきちんとして見えるのもポイントが高い。
おそらく低予算映画だとは思うのだが、そのわりに映像感覚としてチープな印象があまりなく、一貫した美意識と冷え冷えとした鈍色の色彩感覚で貫かれている。
いわゆる「爆弾理論」(時間制限で爆発することのわかってるものを交互に映すことでサスペンスを高める手法)のモンタージュを多用しているのも見どころで、犬の周囲をぐるぐる回りながら撫でる幼女とか、悪魔の名前をつぶやき続ける自閉症児とか、「あああ、気を付けてえええ!」みたいなシーンが頻出する。羊と斧の出てくる例の意想外な殺戮連鎖シーンと、いきなり自閉症児がぺらぺらしゃべりだすシーンの怖さは、本作の白眉といえる。
一方で、いわゆるジャンプスケアは極力抑えて使用していて、観客の目をそらさせることなく、じっくりと「ひどい」シーンをガン見させる方向で演出しているかのようだ。
つくづく優秀な監督さんだな、と思う。
観のがしていたデミアン・ルグナ監督の前作『テリファイド』も、ぜひ観てみたくなった。
オカルトモノではありません
アルゼンチンだったかな、「テリファイド」を作ったデミアン・ルグナ監督の最新作「邪悪なるもの」を見てきました。
去年だったかな、ラッセル・クロウ主演の「ヴァチカンのエクソシスト」が大変に良かったので、「邪悪なるもの」をオカルトモノだろうと勝手に決めつけて見に行きました。
まずは、題材というかアイデアを大変にいいと思うんだけど・・・・俺的には、もっとしっかりとしたオカルトモノにして欲しかったな・・・・
最初から終わりまで、ある意味で、内容が分らない・・・内容が分らないと言うか、どうしてこうなったのかと・・・どうしようとか、淡々に日常に起きた非日常を淡々と描いているだけで・・・・見ている方も、淡々に見せられているだけで・・・・
ラストだけは俺好みなんだけど・・・・
ポスターからも予告編からもオカルト的要素が沢山有ったのに・・・裏切られたな・・・・
役者さんの雰囲気や周りの雰囲気はいいだけどね・・・・なんか見終って「勿体ない映画」と言うのは私の印象・・・・
設定斬新ながら予告編超えは無し。
悪魔憑き映画といえば、「エクソシスト」が
代表されるモノ…若干色は違えども
神父vs悪魔
という形のものばかりというイメージのジャンルでしたが。
これはその設定が最初から破綻してる設定で
新しい。(一応悪魔祓い的な人も居る)
人の信仰が廃れたのか何なのかは詳細は語られないけど教会が既に無いそう。
その時点で詰んでる感が凄い笑
悪魔憑きというものを何かウィルス感染みたいな感覚で捉えてる世界観も新しい。
教会消滅してる設定も含めて
全体的に色々…ハッキリしない作品
ではあります。
ルールの理由とか…どうしたからこうなったとか…
あれはどう使うねん??とか笑
何となく匂わせはするものの
全く何もハッキリしない。
制作側の詰めの甘さと見えるか
意図的なぼかしと見えるか…これまた良い具合にギリギリのライン笑
甘さに見えて色々目に付いてしまう方、
諸々はっきりしないのがストレスの方にはお勧めできないなと感じました。
登場人物が基本皆んなパニック等で
怒鳴ったり泣き叫んだりを好き勝手に
悪い方向に向かうようにやるので
イライラはするかなと思います。
がそれもホラーの定石っちゃあ定石なので。
古典的にイライラさせに来てるなー笑
位で観てると寧ろ何か感情豊かな南米ノリ
っぽくもあり良いかなと思いました。
B級ホラー臭はしそうなものの
安さはあまり感じなかった。
全体的に暗く地味でじっとりと…良い厭な感じ。
15Rで目を背けたくなる画面はあるものの
そこまで直接グロくは無かったかな。
画にしてない所を想像させるのが巧みで
そっちのが精神やられました。
実に「厭」な見せ方が上手い。
私は嫌いでは無かった。
が、ぶっちゃけ予告動画が突き抜けてると思う。一言でまとめると
「予告編をまーーーーったり薄く伸ばした感じ。でも悪く無いよ。」という作品です。
割とテンション高めで良かったけれども…
なにか各種細かい設定がありそうなんだけど劇中で全くといって良い程語られないのと登場人物達の行動に突っ込み所が多いのは気になる所
スマホがあるぐらいの時代設定なのに
悪魔憑きが普通に信じられてるのも良くわからない
ただショッキングシーンの演出はかなり好み
自分で自分の顔面に斧ぶち込むシーンとか
ゾンビ的な存在と化した母親が殺した我が子を抱えながらその子の脳味噌クチュクチュしながら喰ってる所とか
少年少女が老婆引きずりながらハンマーで頭を殴打し続けるシーンなんかも良かったね
幼い子供も普通に死ぬ所はハリウッド映画には多分真似出来ない所だよなぁ
もう少し各種設定を練ってシンプルにするか
登場人物達の行動に納得出来るだけの説得力を持たせてくれたらもっと良かったと思う
頭の悪い田舎のおじさんが世界を滅ぼそうとする話?
アルゼンチンのホラー映画。
粗は目立つが、久しぶりに身体の芯から怖さを感じた。
やはり得体が知れず抗いようのない悪魔憑きもので、見透かされているかのように人の弱さにつけ込んでくるという狡猾さに対する恐怖には本当に弱いので。
悪魔憑きの処理人や処理手順、やってはいけない7つのことなどは非常に面白い設定だし、もう少し掘り下げても良かった気はするが、学校のシーンは怖すぎてマジに震えた。
登場人物達、特に主人公ペドロはほんとに自分勝手で心底頭が悪く、冷静に話し合ったり言葉で説明する事が一切出来ず、ひたすら大声で喚き散らし、人の言うことに従わず強引に動くので、結果自身が媒介役となり感染を広げて行ってしまうといったアホさには辟易としたが、逆にああ言う人間を悪魔はいつもじっと待っていると考えるとまた恐ろしく感じてしまう。
7つ目言っていないの良くわかったね
夕べ銃声を聞いたという男が、山で何者かに襲われた様な死体を見つけ、そこから辿り着いた家で寝たきりだけど生きながら腐敗した悪魔憑きの男と出会い巻き起こっていくストーリー。
感染じゃなくて憑依なのに増殖?という良くわからないところから始まって、死んだはずなのにキレイに生き返っていたり、人を襲ったかと思ったら自死したりとなんでも有り過ぎな設定で訳がわからない。
そのくせ7つのルールとか???
登場人物みんな自分の言いたいことを喚き散らすばかりで、人の話しは聞く聞く気ないし、持っていたアイスはどういうこと?
しかもそこで終わり?
不気味さは良かったけれど、もうちょい設定や展開にちゃんとした縛りとか理屈を練り込んで、ちゃんと展開してくれないとね。
鑑賞動機:テリファイド9割、予告での容赦ない斧の振り下ろしっぷり1割
子供は観ちゃダメですよー。
暗闇での銃声とふたりのおっさんの緊迫したようすから始まるので、「これは前菜にされちゃう人たちね」と思ったら…あんたら主人公かーい。
悪魔付きが伝播するという設定をいつ飲み込めるかでだいぶ印象変わる気がする。
グロテスク描写というか、精神攻撃がすごいかも。子供もお年寄りも妊婦も容赦や忖度0なので。犬は酷い目には合わない…犬に酷い目に合わされるのですけどね。
不満は既存の悪魔の枠組みであるように見えること。名付けられない純粋に邪悪なるものだったらなあ。
まあでもお約束の範疇を超えてくるということで、中南米ホラーには今後も期待したい。
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