満ち足りた家族のレビュー・感想・評価
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精緻な構造で魅せる家族劇
ホ・ジノ、ソル・ギョング、チャン・ドンゴンが組んだ本作は、タイトルやビジュアルから想像できる通りの家族の崩壊劇でありながら、まるで舞台戯曲がベースにあるかのように(実際はオランダ生まれの小説が原作)、細部と細部が噛み合ってカチッと音が響くほどの構造の精密さが光る。あらゆる要素を現代韓国へ綺麗さっぱり置き換えた翻案ぶりも見事。そこからは静かな衝撃が続くのだが、目を覆いたくなる、というよりは、むしろどんどん瞳孔が開き、目が釘付けになっていく展開というべきか。正反対の性格の兄弟が盤上の駒のようになす術もなく運命に突き動かされていく過程は、このメンツだからこその見応え感がたっぷり。さらに妻役の二人をはじめ、多彩な表現力で胸の内をあらわにできるキャストがずらり揃ったことによって、役柄的には不揃いな個々が、その実、驚くほど効果的に機能し合いながら、物語の全体像を不気味で秀逸な最終形へと至らしめている。
ケレン増し増しが韓国流。“信頼できない語り手”の妙味は薄れたが
オランダ人作家ヘルマン・コッホが2009年に発表した小説「Het diner」(邦訳題「冷たい晩餐」)は、“信頼できない語り手”の手法を用いて、語り手の家族が関わった深刻な事件と語り手自身の問題が徐々に明らかになる知的スリラー。40カ国語以上で翻訳されるなど世界的ベストセラーになった。映画化は2013年のオランダ版、2014年のイタリア版(邦題「われらの子供たち」)、2017年の米国版(同「冷たい晩餐」)、そしてこの韓国映画「満ち足りた家族」で実に4度目となる。
小説では、語り手が弟の元歴史教師、その兄が著名な政治家で、兄には実の息子のほかにアフリカ系の養子がいる(この養子が事件発生後の問題にも関わってくる)。こうした主要人物の設定は米国版でほぼ忠実に引き継がれ、未見ながらオランダ版もネット検索で調べたプロットや配役を見る限り同じようだ。他方、イタリア版では弟が小児科医、兄が弁護士に職業が変更されたほか、兄の家族で事件に関わるのが息子から娘に置き換えられた。さらに、路上で起きた事件で重傷を負った子を弟が手術し、兄が加害者の弁護を担当する設定が追加されている。イタリア版も未見ながら、人物設定などの共通点を見る限り韓国版は実質的にイタリア版のリメイクと言えそうだ。なお日本では過去の3作品のうちイタリア版と米国版が限定的な上映、米国版がDVD化されたのみで、現在はいずれも鑑賞困難。この韓国版劇場公開を機に他の3バージョンも配信で視聴できるようになれば、比較する楽しみが増えるのだが。
さて、最新作の「満ち足りた家族」は、先述のようにイタリア版の影響を受けているものの、冒頭の危険運転から生じた死傷事件、被害者の手術と加害者の弁護をめぐる兄弟の葛藤、そして2組の夫婦の子供たちが犯した重大な罪、さらに原作から改変された衝撃の結末など、韓国映画が得意とする外連味たっぷりのサスペンスに仕上がっている。とりわけ深刻な事件を起こした子供たちの罪の意識の希薄さは、本作の“胸糞悪さ”に大いに貢献している。
ただし、韓国版では弟の視点に加え、その妻、弁護士の兄の視点からの語りを行ったり来たりして、2つの家族の状況を俯瞰することでわかりやすくなった一方で、原作の語り手である弟の次第に明らかになる精神面での問題や、ある遺伝的な傾向についての苦悩、過去に起こしたいくつかのトラブルが回想されるにつれ裏の顔が徐々に見えてくるといった読者の知的好奇心を刺激する仕掛けが、相対的に弱まったのが惜しい。米国版では、“信頼できない語り手”の妙味はかなり再現できているのだが、改変された結末が唐突な終わりを迎えて投げっぱなし(その後を観客の想像にゆだねるエンディング)なのが難点。結末に関しては、韓国版のほうが派手でインパクトがあり、ある意味きちんと終止符が打たれている。
さらに韓国版での変更のポイントを挙げるなら、弟の妻が認知症の始まった義母の介護で疲弊するくだりなどは原作にない要素で、日本を含むアジアの観客の多くに共感を得られそうな改変点と言えるだろう。
最後にトリビアを1つ。原作者コッホは2005年12月にスペインのバルセロナで起きた実際の事件に着想を得ている。冬の夜ATMのブースにいたホームレスの女性ロサリオ・エンドリナルさんが、未成年1人を含む若者3人に揮発性溶剤の入った容器を投げつけられてから放火され、重度のやけどを負い2日後に死亡。3人は逮捕され、裁判で懲役刑の判決を受けた。犯行の様子は監視カメラに収められ、ニュース番組で流れて世間に衝撃を与えた。この監視カメラの映像と、被告らが裁判を受けている様子を収めた映像が、YouTubeで現在も公開されている。「De neefjes van Herman Koch」(ヘルマン・コッホの甥たち)というフレーズでウェブ検索して、これら2本の動画を埋め込んだ記事(ジャーナリストEdwin Winkelsの個人サイト)を閲覧すると手っ取り早い。監視カメラ映像の中で、ホームレス女性を攻撃する若者たちは薄ら笑いを浮かべている。そのことがフィクションの小説や映画よりよほどおそろしい。
リメイクでもやっぱり韓国映画
子供の振り切ったゲスぶりを産み出した親の絶望の描写が潔いかも。
弁護士の兄ジェワンは、最初、世間体故に娘の犯罪を隠蔽しようとする。
弟の小児科医ジェギュは、逆に、最初は、正義感から息子を自首させようとする。
ところが最後になって立場が逆転し、兄は娘のために罪を償わせるために自首を、弟は息子を守るために隠蔽を画策する。
そのチェンジのタイミングはそれぞれの親が自分自身のスタイルや信念でなく、直の子供と向き合ったあとのことだ。
兄ジェワンは娘の人としての更生を願い、弟のジェギュは息子の涙の反省で子の真実を悟る。そしてそれは簡単に裏切られるのだ。
子供と向き合い理解したという想いは幻想だったのだ。
それぞれの親が理解したと思った子供の真実は、ゲスの極みである子供の言動で打ち砕かれる。
兄のジェワンは最後に人としての尊厳を取り戻したかに見えたが、弟のジェギュによってその信念は破壊される。
最初の富豪の三男のゲスぶりもそのままで何も回収されない。
子供たちのゲスはまったく回収されない。
この絶望は深い。
親はもはや「まともさ」を留めた最後の世代かもしれず、ゲスを生み出したあとに滅びるしかないのだ。
全体に分かりにくいところ、不自然な展開はまったくなく、全てが予定調和で展開する。
エンタメとして破綻なく、謎めいたこともなく、それでも深いところに届く描写は韓国映画ならではなのかもしれない。
父を亡くした放蕩娘、人殺しになった父と人殺しの息子。
このまま子供たちの罪が罰せられるか、隠蔽されるか。もはやどうなるかわからない。
この後子供たちはどうなるかの視点はもはや無い。
なかなかにえぐい。
映画のポスターの「満ち足りた家族」の後ろの英語の表題は「A Normal Family」。
あの、およそ庶民とはかけ離れた生活、レストラン、下層の人たちとの対比を、どちらも「A Normal」(これが普通でしょ)と言ってしまう韓国の絶望を他人事と私たちは言えるだろうか?
リメイクの快作
凄まじい演技合戦!
Another ethical issue movie、ココに。
なーんか終始ずっとモヤモヤさせられる。
クローディア・キム/キム・スヒョン演じるジスさんのまともっぷりに救われる。
人の良し悪しって決して歳とってるから正しいとか若くて経験少ないから違うとか一概には言えないってことを気づかせてくれる。自分も気をつけよ。
最後の最後の伏線回収にゾワった。
(余談)
全速力で走った後のチャン・ドンゴンの嫁役の女優さんの佇まいに並々ならぬ色気を感じてしまった。介護生活に疲れくたびれてる主婦を上手に演じていたけど、全速力ダッシュの直後には演じきれず、色気がダダ漏れになってしまった模様。
チャン・ドンゴン、今回ちゃんと見たの初めて。かつての四天王よね。流石です。かっこよかった。でもフロントガラスは早よ直すのをオススメするぞ。
満ち足りているように見えていただけの家族
冒頭の轢き殺し犯は俗にいう"上級“なわけで、パパに頼んで腕利きの弁護士雇えば金でどうにかしてくれる、と反省したふりでしれっとしている。
隠蔽か自首かで意見が割れるのも、親なら無理はない。
逮捕されて刑務所なり少年院なり入って終わりというわけではなく、親のキャリアも周りの扱いも一変するだけに、保身というのも分からないでもない。正直なところ、自分ならどうするか想像もつかない。
過保護な母親、娘に気を遣う継母、家のことは母親まかせの父親。早いうちに子どもの問題に向き合わず、金さえあれば満ち足りていると思い込んでいた家族の末路。
子供たちがまったく罪の意識を持っていないことが恐ろしい。
親の力だけでは更生しないと兄の覚悟がせめてもの救いだったのに。
結末は読めてしまったけど、あんな伏線の回収の仕方をするのかい
全滅。
中々面白い。親子と言う関係をいろんな方向から検証、観る人にあなたならどう判断するか問いかけてくる構造になってます。少々ヤバい案件もこなす売れっ子弁護士の兄と病院勤務で人道主義の医者の弟、そしてその家族が両家の子供達が起こした事にどう向き合って行くか?揺れる判断がエモい。
ソルギョンが抑制が効いていて感情爆発して暴れそうな話の流れをを引き締めている。
関係ないけどキムヒエ見てて長澤まさみもこんな風にカッコ良い役者に育つと良いなぁ、とふと思った。
役者もいい感じだったけど個人的に残念だったのは絵がいまいちだった事かな。絵でもっと観てる人に圧力かけられた気がする。
落ちは形勢が逆転した時予想できるけど、納得のエンディングです。会社の子に勧められて滑り込んだんだけど見てよかったわ。
「イタリア版を撮影する」
色々と考えさせられる魅力的なサスペンス
この映画を観て思うのが、人は見かけによらないということ。そして、人は変わってしまうということ。当たり前とも言えることだが、やはり物語として提示されると色々なことを考えてしまう。
冒頭のシーンから人の感情を揺さぶってくる。割り込み運転をした男が注意されても悪態をつく感じも嫌だったが、バットを振り上げて他人の車に殴りかかろうとする男もヤバい。そして金と権力がある人間の親族はかなりの恩恵を受けられるということも嫌な気分になるには十分な要素だ。
クールな現実主義者と熱いヒューマニストの対立という構図に見えた兄弟関係が徐々に変わっていく。また、兄弟それぞれに影響を与える妻も見え方が変わっていくのが面白かった。そしてあの2人の子どもたち。お互いのことを思いやる優しい気持ちは持ち合わせている少年少女なのに。人間は一つの側面だけではできていないということだよな。
後半に4人でテーブルを囲んで食事をとるシーンはとても緊張感があって締まったものになっていた。やはりソル・ギョングとチャン・ドンゴンの存在感は大きかったということ。ただ、ラストは若干中途半端に思えた。あれでは何も解決しないから。それでも、収入も社会的地位も高い兄弟夫婦の家族が綻びを見せて崩れ落ちていくのを観るのはとても苦しくなる。サスペンスとして十分魅力的だった。
どちらにしても最悪しかない家族の決断
何度も映画化されているオランダの作家ヘルマン・コッホの小説「冷たい晩餐」を韓国の名匠ホ・ジノ監督が韓国の社会問題も加味し改めて映画化した。
境遇の異なる兄と弟の2組の家族の子供たちが侵した罪をめぐり、2組の夫婦が倫理観で対立するサスペンス。
何度も映画化されているだけあり、対立軸が分かりやすくエンタメ的な展開も映画らしい映画だ。
兄のジェワン(ソル・ギョング)は権力になびく利益優先の弁護士として富を得ている。一方弟のジェギュ(チャン・ドンゴン)は正義感の強い小児科医で認知症の母親の介護もしている。
2人の兄弟は妻を伴い月に一度高級レストランで会食をすると決めている。
ジェワンの二人目の妻ジス(クローディア・キム)は若くて美しく子供が生まれたばかり。ジェギュの妻ヨンギョン(キム・ヒエ)は義母の介護と学校で孤立する10代の息子の事で疲れている。
境遇も倫理観も違う夫婦の対立構図がわかりやすく面白い。
ある日、いとこ同士で仲のいい兄弟夫婦の子供たちが、重大事件に関わった疑惑が浮上する。
事態を収拾するための話し合いの過程で出てくるそれぞれの家庭の問題や伏せていた不満が噴出し兄弟も夫婦も険悪になっていく。
答えは一つしかないはずなのだが、自分の保身や子供たちの将来のことで家族の対立は深まるばかり。
子供たちの善悪判断の希薄さや過保護すぎる親など、韓国の学歴社会の歪みをホ監督は今回の再映画化の主題としたようだ。
ただ、エンタメ映画とはいえ罪に対して曖昧なまま結末を迎えるため星は3.5とした。
優しそうに見えて怖い人
面白いが、しかし……
どんな人間にもある二面性がよく表現できている。特に金目当てで後妻に収まったような若妻の使い方がうまい。彼女が一番実は人間味に溢れてるというのはよかった。
また弁護士の兄の変化も展開が巧妙で納得できる。あんな映像見せられたらそうなるでしょと。
出てくる子供がみなサイコ的なのは笑ってしまった。いや違うか。大なり小なり子供なんてあんなものかも。とりあえず自己弁護するよな、全子供が。
問題は弟の医者の変化がちょっと不自然に感じること。彼への追い込み方が足りない。だからあのラスト、ちょっと無理があると思う。そこが減点ポイント。
※ その後原作を読んでみた。これは原作のほうが圧倒的に面白い。正直改悪されてる。特に「弟」を原作では「信頼できない語り手」として使ってるのにそこをばっさりなくしたのは大きな失敗だ。
この親にして…
構成がお見事
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