「幸せの黒い鳥」ブラックバード、ブラックベリー、私は私。 レントさんの映画レビュー(感想・評価)
幸せの黒い鳥
48歳で独身のエテロはブラックベリーを摘みに来た河川敷で黒ツグミに目を奪われ崖から転落しそうになる。
死を意識した彼女は経営する雑貨店にいつも配達に来るムルマンと関係を持つ。今まで彼女は男性との付き合いをしたこともなければ結婚などしたいとも思わなかった。母親のいない家庭で長年父と兄の世話を強いられてきた彼女にとって結婚に対して幻想を抱くことはできなかった。それは結婚のいやな面だけを見てきた彼女には無理もないことだった。
いまだに処女崇拝が残るような閉鎖的で古い考えに縛られた人たちが暮らすジョージアの田舎の村。その中でも彼女の家庭は異常で、エテロは父や兄から精神的な虐待を受けて育った。
独身の自分を揶揄する茶飲み友達にも彼女はこう答える。自分は結婚による苦労を背負わずに済んだ、この年になっても肌のつやもあり髪が白くなることもない、役立たずのドラ息子を育てて国に貢献したなどという彼女らに対して図星をつくきついパンチをお見舞いする。またカフェで独身の彼女を侮辱した高齢男性には結婚やペニスが幸せをもたらすというなら結婚した世の女性たちはすべて幸せなはず、でもとてもそうは見えないと言い返す。彼女の芯をついたその言葉に彼は返す言葉もない。
河川敷にテラスのある小さな家を建ててブラックベリーを摘みながら新たな人生を過ごしたいという彼女にブラックバード(黒歌鳥)の奏でる歌声は幸せをもたらすのかあるいは死をもたらすのか。
関係を持ったムルマンは孫もいるような男性だが詩を詠むロマンチストであり彼女は彼に惹かれて逢瀬を重ねる。
しかし彼の一緒になろうという言葉をはねのける。いまさら人の世話をするために残りの人生を使いたくない。父や兄、男たちから解放されてやっと自分のための人生を生きられるようになったのだから。
いつものように河川敷に来ていた彼女は以前から続く不正出血にただ事ではないことに気づく。自分も母と同じ子宮頸がんなのでは、死の影が彼女に忍び寄る。
しかし彼女が診察に訪れた病院で告げられたのはご懐妊の事実だった。ブラックバードは彼女に死ではなく命をもたらした。しかしそれは彼女にとってある意味死よりも辛い残酷な仕打ちだったのかもしれない。
ひとりカフェでナポレオンを頬張りながら、お腹のレントゲン写真を見つめてむせび泣く彼女。その涙がうれし涙ではないことだけは確かだろう。
結婚はいい面もあれば悪い面もある。パートナー次第では昔ほど自分が犠牲を強いられることもない。またそもそも結婚制度にこだわる必要もない。異性間同性間にもこだわる必要もない。
一人でいることは気楽である一方で寂しい面もある。ラストの彼女の涙はそんな相反する思いがごちゃ混ぜになったような涙だったのかもしれない。
中年期の女性の性と生を皮肉とペーソスいっぱいに溢れる作品に仕上げた。これはなかなかの拾い物だった。
ちなみにあのエテロが好んで食べていたナポレオンパイ、ミルフィーユみたいなものかな、ちょっと食べてみたいけど彼女の姪(?)は一切手をつけてなかったからかなりの高カロリーだろうな。男の目を意識せずボディーラインを気にする必要のないエテロにとってはカフェでのあの時間は至福の時だったろうに。