おんどりの鳴く前にのレビュー・感想・評価
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you talkin’ to me? 綾波レイも言っていた
「視野が狭い田舎者、一人前の大人になれない」
この主人公の自嘲的なセリフは、
映画全体を、あるいは世界中の問題や、
本作の舞台であるチャウシェスク政権の崩壊も記憶に新しいルーマニア、
または現在のSNS上を貫くテーマを鮮やかに描き出しているのかもしれない。
短絡的で感情的な主人公は、
論理的な思考力に欠け、
周囲からも「一人前の大人」として認められない存在として描かれる。
そんな小さな田舎で発生した事件は、
主人公の内面を揺さぶる。
彼は被害者を悼み、心を寄せ、
そして行動に移す。
その行動には、計算や戦略、
野心や金銭的な目的といったものは見当たらない、
村の腐敗を正したいという思いもない。
もし、主人公が論理的な思考を持っていて、
村の在り方、政治等に興味があれば、
トラビス・ビックルのように、
「you talkin’ to me ?」と言ってたのかもしれない。
戦略的に事態への対応もできない、
ただ部下への悼みと隣人への痛みを共感する心だけが存在する。
悼みを、傷みを、行動に移せること。
それは、一見未熟に見える主人公が、
実は大人であることを証明しているとも言える。
感情に振り回されながらも、
正義感を持って行動する・・・
その一方、主人公は果樹園に興味を示す。
それは、彼の小さな純粋な気持ちが、
果樹園を生き返らせ、
その実が、土が、
チグリス・ユーフラテス川へと注ぐ一滴となるかもしれない。
その様子をじっと見つめるおんどりの姿は、
主人公の未来への希望を象徴しているのだろうか。
そしてこのおんどりが鳴く次の朝には、
この村には何が起きているのだろう・・・。
この映画は、人間関係において、
解決策を探るだけの論理的な思考力だけでなく、
感情や共感の大切さを教えてくれる。
(綾波レイとシンジの関係もそうだった)
主人公の一見短絡的な行動を通して、
私たちは「大人になる」とはどういうことなのか、
改めて考えることができるだろう。
結構滑稽コケッコー
ちゃんとサスペンスなのにどこか滑稽という珍しい空気感の作品。
主人公がこう、うだつが上がらない感じのしょんぼりした警察官なのが最初ちょっとイラつくんだけど、話が進むにつれて、味わい深いというか。
最初、人間の関係性を見せる所が割と冗長でちょっと眠かったけど、事件が起きてからは面白くて、あのどこか抜けた主人公と同じぐらい抜けたワルモノとのやり取りとかw
ヒィー!て悲鳴がやたらにリアル過ぎて笑いそうにwなかなか見ないリアルすぎるリアクションすごい好き。
この映画、ラストの主人公のセリフに全てが込められてる気がする。ちょっと変わった空気感で、最初どうなるかと思ったけど、良かったです。
2/14 北野武監督のbroken rageを見て暴力と笑いがテーマなんだなぁと思ったけど、おんどりは暴力と笑いが完全に重なってる、紙一重所ではなく重なってる。そこがとても良いんだと気が付いた。ので、スコア3.5から4.0に変更した。
微妙にスカッとさせない辺りが上手いというか 最後までもどかしいとい...
果樹園
真っ黒ですけどね。
モルドバ地方の小さな村に住み10年の、果樹園を営むことが目標の警察官が、村で起きた殺人事件により翻弄される話。
元妻と共同で所有するアパートを売り、果樹園を買おうと目論むも期待する額に遠く及ばないことを知った主人公に始まって、村に新人警官が赴任してきた矢先、殺人事件が発生し巻き起こっていく。
犯人探しのサスペンスかと思っていたら、えっ、そういう話し!!?
しかも穏便に済ますつもりまるでなし?
ちょっと、いや、かなり情けなく陰鬱な主人公を軸に、まったりとみせて行く流れからの終盤の展開はなかなか以外で面白かったけれど、赤い包の件からの怨も入ってますかね…。
始まりからぬめ〜っとしていたりとちょっと空気感がだるかったけれど、話し自体は面白かった。
ところで、ラストはめんどりじゃなかったですか?
25-014
期待度◎鑑賞後の満足度○ 『嗤う蟲』の元ネタか?
満席だったけど…
ルーマニアの社会風刺
“まるでタランティーノ”とか“ルーマニア・アカデミー賞6冠”とかポスターに書いてあって、ポスターのデザインも凄い感じを放っていて、
かなり楽しみにしてたんだけど、観たらガッカリ(笑)
何を観せられてるんだろうと思う、どうでもいいようなルーマニアの田舎の日常が、たらたらダラダラ起伏なく続き、眠くなってウトウトしながら鑑賞。
ラスト10分ぐらいは派手で目が覚めた。
そんな感想だったんですが、終わってからユーチューブで町山智浩さんの解説を観たら、まー分かりやすい素晴らしい解説。
そういう事だったのか!と腑に落ちまして、もう1回観たくなった。
興味を持った方は、ネタバレに触れてるので、映画を鑑賞後のチェックをオススメします。
ネタバレしない程度に解説すると…
ルーマニアの田舎の村、表面上は平和そうに見える村、冴えない常駐警察官イリエ、正義感の強い若い警察官ヴァリが来たことで、今までの日常は崩れていく…
ルーマニアの社会風刺が入ってるそうで、村長役はルーマニアの実在した人物に似てるそうです。
僕は、もう1回観てみます。
ニワトリは見ていた! コーエン兄弟っぽいテイストで締めるルーマニア発の田舎警官もの。
映画『コックファイター』をこよなく愛し、
ここで『殺しを呼ぶ卵』の感想も書いた僕としては、
「ニワトリ映画」なら観ずばなるまいと思って
はせ参じたが、別にニワトリ映画ではなかった(笑)。
いや、だからといって残念なわけでもないけど。
ルーマニアのど田舎の農村地帯を舞台にした
警察捜査ものではあるのだが、
ミステリ的な趣向があるわけでもない。
なので『マクベス巡査』とか『シェトランド』
みたいなのを期待すると肩透かしを食う。
語弊を生む言い方だという気もするけど、
むしろ「ハードボイルド」寄りではないか。
宣伝では、タランティーノを挙げてたけど、
コーエン兄弟にテイストは近いと思う。
あとは、ラスト近くはちょっとペキンパー風味。
ただねえ。
とにかくお話が動かないんですよ(笑)。
ひたすら地味に、地味に、展開する。
音楽も最低限、カット割りも最低限。
長回しで主人公の警官イリエの行動を追う。
フィリップ・マーロウものじゃないけど、
基本、主人公の行動を追う映画なのに、
彼の意図と目的が敢えて描かれない。
どうしてそこに向かったのか、
なんでその行動をとっているのか、
いま何を考えているのか、
そこで何がわかったのかが、
いまひとつ伝わってこないんだよね。
結局、農村をふらふらと移動してまわる
主人公の目に入ることや、耳にすること、
出会った人の様子などを一緒に体験して、
我々も事件の真相を一緒に考えながら観るしかない。
でも、これがひたすら単調なリズムで、
淡々と描かれるものだから、
とにかく眠たくて、眠たくて、眠たくて……(笑)
前半はかなりうとうとしちゃってて、
いろいろ大事な部分を見落としてしまったような気が。
農園を見回ってヒロインと会うあたりで
一度、しゃっきり覚醒したつもりだったんだが、
そのあとまた睡魔が忍び寄ってきて……。
若手警官に例の件が起きてからは、
しっかり集中して観られていたと思うけど。
― ― ― ―
この映画でとにかく重要なのは、主人公のイリエだ。
見た目はちょっと、デンジャラスのノッチとか、
ウォーレン・オーツを思わせる、疲れた初老の男。
(『コックファイター』つながりで、
そう思うだけかもしれないがw)
魯鈍そうな外見。猫背。ふらふらしたがに股歩き。
うつろな眼差し。弛緩した顔の筋肉。
田舎警官としての地域勢力との癒着。
若手警官に対するパワハラ的な言動。
けっして、善良な人間とはいいがたいが、
根っからの悪い人間というわけでもない。
終盤、元奥さんの口から語られるイリエの過去。
過去に不正と馬鹿正直に向き合った結果、
キャリアを喪った敗残者。それがイリエだ。
彼はそれをきっかけに「正しくある」ことを辞めたのだ。
そんな「惰性」で生き、引退後の果樹園での
生活だけを呑気に夢見るイリエのまわりで、
「日常」をゆるがす事件が立て続けに起きる。
長年続いてるような、村ぐるみでの密輸なら、
べつに見逃したっていい。
だが、殺人は? 見せしめの報復は?
ラストで、彼は行動する。
行動の結果は、ここでは書かない。
ただパンフで、パウル・ネゴエスク監督が面白いことを言っている。
主人公のラストのセリフについて質問されて、
このセリフを書いたのは脚本家だとしたうえで、
「なぜならイリエは常に物事に対する評価が甘いからです」と。
彼は自分のアパートが高く売れると思っていたし、
クリスティナが自分に恋をするかもしれないとも考えていた、と。
言われてみればそうだ。
彼は「なんとなく」、
いつも「なんとかなる」と考えている。
そして、うまくいかなくて途方に暮れる。
本作で、本来は悲劇に思われるような物語が、
どこか喜劇的な風合いをまとうのは、そのせいだ。
ドン・キホーテと同じようなもので、
彼はラスト、あれで意外と
「うまくいく」と思っていたかもしれないのだ。
だから、悲壮感がない。
とぼけている。
『ワイルド・バンチ』的な
「レッツゴー」「ファイノット」感がない(笑)。
そういうイリエに寄り添えた観客ならば、
この、全体に息を殺したように地味で、
そこはかとなくオフビートな映画を、
純粋に楽しめるのだと思う。
― ― ― ―
本作は結局のところ、ルーマニアの農村部においては一般的とされる、村ぐるみの汚職とちっぽけな正義の「兼ね合い」の話なのだが、そこはラストとも深くかかわりあってくるので、ここではあえて詳細には触れない。
とはいえ、「地方自治体レベルで機能している巨悪」を前に、「虐げられる弱者」がいるという理由で、ひとりの官吏が「正義」のために立ち上がることの意義と矛盾。
これ自体は、きわめて普遍的なテーマではあると思う。
犯罪自体が地域の主幹産業として成立し、村の富の大半を生み出す原動力となっていて、村民の大半がその恩恵に預かっているという場合、切り捨てられる弱者に報いるために悪を討つことが、本当に正義なのかどうかは、僕にはよくわからないし、あまり確信もない。
犯罪と正義については、いろいろなフェイズでの論理実験が可能だ。
たとえば、戦時中の「闇市」を法で裁いて、みんなで飢え死にしたほうがよかったのかという問いには、「しないほうがよかった、仕方がなかった」と答える人が大半だろう。
では、犯罪者のほうが一般人より多いような、メキシコの麻薬栽培地域での浄化作戦の場合はどうか? ああなると、もはや内戦と変わりないのではないのか。カルテルを温存するほうが、地域の「最大多数の最大幸福につながる」とはいえないか?
あるいは、日本の遠い過去を振り返ったとき、田沼時代の賄賂政治は間違いなく江戸の貨幣経済を発展させ、松平定信や水野忠邦の「正義」の改革は、むしろ江戸幕府を衰退させたのではなかったか。
「悪を裁く」というのは、意外に「社会を弱らせる」ことにもつながる諸刃の剣である。
現代の日本においても、その構図は変わらない。
「悪」を通じて流通している金や利権は、必ずしも巨悪の懐のみに滞留しているわけではない。そこから土建業やら飲食やらといった「特定の業種」に流れて、間違いなく「誰か」の得にはなっているし、それで生活が出来ている人たちがたくさんいる。彼らは悪の「おこぼれ」に預かってはいるが、必ずしも「悪そのもの」ではない。
僕たちは本作において、ルーマニアというきわめて旧弊かつ前近代的な土地柄で、まさにそういった社会の矛盾の「縮図」をまざまざと見せつけられることになる。
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今回、パンフレット記載の専門家のコラムが、作品の理解にとても参考になった。
観終わったあと「なんか最後以外はだっるい映画だったなあ」と思った人こそ、パンフを購入して答え合わせをされることをぜひお勧めしたい。
学習院女子大学の中島崇文教授は、ルーマニアの地域性と犯罪状況について、示唆的な一文を寄せている。この映画で描かれていることが、ごく通常の「あたり前」なのだと教えてくれる。
そのあとの町山さんのコラムでは、「なぜニワトリなのか」が鮮やかに論証される。
町山さんいわく、本作の邦題は新約聖書のマタイ福音書からとられている。
イエス・キリストが使徒ペテロに予言したセリフだ。
「あなたは今夜、ニワトリが鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」
ここからの解説は本当に素晴らしいし、一読の価値がある。
ただ、観ていてそんなことに気づいたり考察できたりする客は、ほとんどいないだろうが(笑)。
ちなみに監督自身はニワトリについて、もともとの脚本には出てこなかったのだが、オープニングとエンディングに登場させるのはいいアイディアだと思ったと述べている。「物語の見届け人」が必要だったのだ、と。
あとモルドヴァにロケハンに行ったときに、実際にあちこちでニワトリがうろついていたのも大きかったらしい。監督からは一言も新約聖書の話は出てきていないようだが、たとえディープ・リーディングだとしても、町山説には実に説得力がある。
というか、町山説に確信があったからこそ、配給会社はこの邦題をつけたということなのだろう。
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●シネマカリテでは、映画が始まる前になんと監督本人が突然映像で登場して、日本の観客に向けて挨拶をしてくる珍しい仕掛けあり。
監督曰く、観て面白かったらぜひSNSで宣伝してね。面白くなかったら面白かったとウソをついてねってことでした(笑)。
●とにかく「酒」と「たばこ」が頻繁に出てくる映画。
このあたり、現代劇なのに、まるで西部劇のようだ。
たばこを渡して火をつけることと、ショットグラスに酒を注いで渡すことが、ある種の「共犯性の確認」になっているあたりも、実に西部劇っぽい。
●ところどころで、シンメトリカルなショットが画面を引き締めている。
とくに元奥さんとのシーンは、冒頭の売却予定の部屋での対話、中盤での予定を変更する際の対話、噴水での資料引き渡し時の対話のいずれもが、シンメトリカルな構図どりとなっている。
●いっさいの宗教的な威厳を感じさせず、ただのプロレスラー崩れの用心棒みたいな言動しか作中でしない謎の狂犬司祭が草。でも胸には大きな十字架が輝いている!
●村長宅での食事シーンは、ルーマニアならではの感じで面白かった。あの黄色いシフォンケーキかトルティーヤみたいなのは、コーンミールを練ってつくる主食らしい。
シモーヌ・シニョレみたいに肥った村長夫人の、慈愛に満ちた雰囲気もいかにもそれらしい。そういえば村長一派の面々は、良いものを食ってるからか、みんなよく肥えている。
●基本ずっと静かな映画であるぶん、イリエが絶叫するシーンには、いずれもインパクトがある。とくに若手警官のヴァリ絡みで、彼は何度か衝撃を受けて大きな声を出す。
そもそも、ヴァリにやたらきつく当たってたのも故あってのことであり、実際は「内心彼のことはかわいがっていた」のだろう。
相棒のために、大金を渡してくる自分の飼い主を●●●●●にするって展開は、実は『ガルシアの首』ともよく似ているような気がする。
●イリエが川に顔を映す例のシーン、僕はなぜか『ガルシアの首』で、ウォーレン・オーツが出陣前に部屋で鏡に自分を映して、一瞬だけサングラスを取って自分の素顔を見つめるシーンを思い出していた。どっちも銃に再装填するシーンが近くにあるからかもしれないが。
●結局、この閉鎖的な村において「川」こそは重要な外界との出入り口(接点)であり、そこを支配しているのが、まさに村長一派だということだ。ラストが埼玉あたりの河川敷のキャンプ場みたいな川べりで展開されるのも、決して故なきことではない。
サスペンス風味の田舎芝居
封切り2日目でほぼ満席。ルーマニア・アカデミー賞6冠てのと「今年最高のラストシーン!」という触れ込みが効いたか。
ほとんど仕事らしいこともせず、果樹園を持つことだけを夢想する中年警官が主人公。前半、なんとも魅力のないこの男の怠惰な日常が延々と続き、いささかげんなりする。そこへ見習いのハリキリ警官が登場、頭を斧でかち割られた殺人事件発生、で急展開かと思いきや、あれ? 謎解きのピースかと思わせる美人妻のエピソードも肩透かし、新人君の事件も早々にホシが割れてあらあら。どないやねん。
「最高のラストシーン」ね。うーむ。ドラマの盛り上げに重きを置かない、という試みは評価できるかもしれんが。
ラスボスの最期よりギャグかます方を選択してるからね。
不器用な男の悲劇の物語
ルーマニア・アカデミー賞6冠という宣伝文句に惹かれて鑑賞。(ルーマニア映画初めてかも)
監督のリューベン・オストルンドは「逆転のトライアングル」であまりいい印象はない。
主演のユリアン・ポステルニクは痩身・猫背でクタクタでヨレヨレの制服を見事に着こなし何とも言えない中年おじさんのモノ悲しさがあって非常に良かった。
肌感覚だが少なくとも9割以上は画面に出続けていた事からも、良くも悪くもこの映画はこの人が全てなんだろうと思う。
正直言って、葛藤から来る心の揺れやクライマックスに向かってのボルテージの上がり方の表現が少し伝わりにくく、最後の行動が唐突過ぎたように感じてしまったことが残念だったが、最後までかっこよくなく、ある意味この主人公っぽかったのにはリアリティを感じた。
ルーマニア国内で高く評価されたのは、ルーマニア農村部の村社会の現実を上手く描いているからなのかなとは思った。
こんな警官は嫌だ!
多分、相当リアルなんでしょう
他国の、しかも個人的には不勉強な所の物語であったためか、内容とか背景がしっくりくるまで相当時間がかかった印象です。
とはいえ、敢えて細部を隠しつつのストーリー展開だったように思うので、なかなか把握しきるのには苦労しました。
ぶっちゃけますと、見終わって全く気持ちがスッキリしない感じです。まぁこのモヤモヤもリアルなところを反映しているからなのでしょう、終始いやーな現実が描かれていて、見ていて結構しんどいのですが、良き映像とメインともいえるかなりリアルな銃撃戦など、楽しめる要素は満載な気がします。
物語の象徴として時々映し出されるオンドリも、見事な表現で、実に美しく、それ自体には秀逸さを感じたのですが、どうも全体のお話がねぇ・・・それが現実であり、なるべくありのままを表現したいという志は強く伝わってきます。そこのところに重きを置くというのであれば、非常に素晴らしい作品なのかもしれません。
浮かび上がる醜悪さ
欲望に弱い人間の「醜悪さ」を描いた作品だと感じました。
観て楽しいものじゃなかったな……
長いものに巻かれたまま、村の不正を見逃して、利益を得るべきか。
村長たちの不正を暴いて、良心のまま逮捕すべきか。
主人公の警官がその二つの間で揺れるのはわからなくはないが、大半のシーンで優柔不断に揺れ動くために、だらしない買収された不正警官にしか見えず。
その利己的姿をずっと追う感じが単調で単調で。
ポスターなど広告では「最高のラストシーン」「衝撃の結末」と煽っていたが、惚れた女が傷けられたことにブチ切れしただけにしか思えず、驚きに至るダイナミズムとは受け取れませんでした。
全39件中、21~39件目を表示