劇場公開日 2025年2月21日

「題材を活かし切れなかった平凡な脚本」死に損なった男 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0題材を活かし切れなかった平凡な脚本

2025年2月26日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

楽しい

構成作家と幽霊の奇妙な共同生活を描く。主人公・関谷一平役に、お笑いコンビ「空気階段」の水川かたまり。一平に取り憑く霊・森口友宏役に、ベテラン俳優の正名僕蔵。その他のキャストに唐田えりか、ゴールデンボンバーの喜矢武豊。監督・脚本は『メランコニック』(2018)で注目を集めた田中征爾。

「関谷一平よ」
お笑い芸人の構成作家をしている関谷一平(水川かたまり)は、夢を叶えた先に何も無かったという絶望感から、電車のホームに飛び降り自殺を図る。しかし、直前の駅で発生した人身事故の影響で電車が止まり、思い止まる。後日、亡くなった人物が森口友宏(正名僕蔵)である事を突き止めた一平は、友宏の葬儀に参列する。そこで見かけた友宏の娘・綾(唐田えりか)は、DVで別れた元夫の若松(喜矢武豊)に付き纏われている様子。
帰宅し、軽い夕食を済ませようとした一平の前に、友宏の幽霊が現れる。互いに事情を把握し、一平は友宏に「成仏してほしければ、若松を殺せ」と命じられる。やがて、構成作家としての最後の仕事を済ませてからという条件を取り付け、幽霊との奇妙な共同生活が始まる。

水川かたまりの演技が素晴らしく、気弱で理不尽に対して怒りを露わにする事すら出来ず、周囲に流されて生きている一平の姿は非常にリアリティがある。思わず、「実生活でもそうなのでは?」と心配になってしまうほど。

一平に取り憑く友宏役の正名僕蔵の存在感は、流石ベテラン俳優。「こんな人に憑かれたら嫌だな」という、ギリギリ“嫌”の方に振れてしまう絶妙な面倒くささが良い。一平に声を掛けるごとに「関谷一平よ」と始める様には、融通の効かなさそうな生真面目さが現れている。

意外なハマり役は、若松役の喜矢武豊だろう。正直、エンドロールでクレジットを確認するまで気付かなかった。元々の端正な顔立ちに加え、顎髭を蓄えた姿は、いかにも「女殴ってそうな男」感が抜群(褒め言葉)。また演技に関しても自然で無理がなく良かった。

また、作中のコントを「インパルス」の板倉俊之が手掛けているだけあって、中盤の山場となるお笑いコンテストの“喪主コント”は笑えた。

ただし、コメディとシリアスのメリハリが弱く、特別盛り上がる箇所も無く平坦なまま話が進んで行くのは非常に勿体なく感じた。両方をやるならば、コメディパートとシリアスパートでもっとしっかりと盛り上がり所を用意して、ストーリーにメリハリが出るようにすべきだったし、それでこそ両者の要素が輝くと思うのだが。コメディならコメディ、シリアスならシリアスで振り切っても良さそうな内容だっただけに、そのどちらにも振り切れず、また活かし切れずに終わってしまったのは残念。

致命的なのが、お笑いという先の展開への“ネタ振り”が重要になる題材を扱っていながら、ストーリーの中でそれを“ハズす”という点だ。ネタ振りだけしてハズすというのは、それ自体が笑いに繋がる事もあるが、高い技術が求められる。本作においてそれは失敗であり、あまり美しく感じられなかった。
若松が部屋で1人本に何かを書き込んでいる姿は、ラストで改心した際に、実は資格や物書きの勉強をしていましたという展開の為のものと思っていたし、一平との取っ組み合いの果て、綾の名刺を落として走り去ってしまう件は、若松が綾の職場に押し掛ける又は仕事上がりを待ち伏せる等のスリリングな展開を期待した。こうしたネタ振りをしていた以上、その回収はマストだったと思うのだが。

更に言えば、一平と友宏が奇妙な友情を育んでいくお笑いのネタ作りや護身術の指導を音楽に乗せたダイジェストで済ませ、“何となく楽しそうな雰囲気”で流してしまった点だ。これは明らかな悪手だったと思う。ダイジェストで流す事自体は構わないのだが、例えば、一平とネタ作りをする最初だけでも、「妻を亡くした夫が、喪主として挨拶しなければならないのだが、上手く話せる自信が無くて、娘に手伝ってもらう」程度の前振りはしておくべきだったと思う。そのネタ作りの際に、元ネタである亡き妻の葬式や、綾がDVに悩んでいる様子をフラッシュバックさせ、その上でネタ見せが終わった後で綾に「まるで母の葬式の時の父のようでした」と言わせても良かったのではないだろうか。そして、何も知らなかった一平は、自らの過去をも切り売りしてネタ作りに協力してくれた友宏に絆を感じ、彼の望みを叶えようとした方がバディ感が出たと思う。

「夢が叶った先に何も無かったから。だから、死にたくなった」という一平の自殺の動機も、随分と贅沢な動機だと思う。良い家に住んでいるし、パソコンやタブレットも充実している様子で、少なくとも1人で生きる分には何不自由無さそうだ。そうした“良い生活”風景も、彼への感情移入を阻害する要因の一つだろう。
そもそも、世の中には夢を叶えた人より、夢破れた人の方が圧倒的に大多数を占めている。だからこそ、夢を叶えた先の苦悩の演出には細心の注意を払い、説得力を持たせて感情移入させる必要があったはずだ。だが、一平が自殺寸前にまで追い込まれる件の説得力が弱く(ちょっと仕事が上手くいかない、柄の悪い人に絡まれる程度)、本当に追い詰められた人間の思考からはかけ離れてしまっている。それにより、友宏の犠牲によって自殺を思い止まった際にも、タイトルにある「死に損なった」感が薄いのである。肝となる部分すら“何となく”の空気感で流されていくのは失敗だっただろう。

ラスト、若松の改心と謝罪を受けた事で、1度はアッサリと姿を消した友宏。しかし、駅のホームで一平と同じプロダクションの竹下が先方からの電話に困らされている姿を目撃した際、アッサリと現れて「声を掛けろ。いい子そうじゃないか」と背中を押す。最後に1人ラーメン屋のテーブル席に入った彼の向かいに座り、新しいネタを提供して、周囲が一平に白い目を向ける中、楽しげな2人を捉えて物語は幕を閉じる。

この手のネタを扱った話で、最後に重要になるのが「成仏するか・しないか」だろう。そして、本作では成仏しない方を選択する。元々、友宏の死因は不慮の事故だったので、まだまだこの世に未練を残して彷徨い続けるのは分かるのだが。しかし、本作が人々にほんの少しだけ“生きる気力”を抱かせるような内容だった以上、最後はキッチリお別れしても良かったと思うのだ。
特に、駅のホームで一平が竹下に声を掛ける件。今まで散々聞いてきた「関谷一平よ」という出だしの台詞を活かす意味でも、姿は見せずに声だけで彼の背中を押す方がドラマチックだったのではないかと思う。一平には“友宏の声が聞こえた気がする”という方が。
ラストのラーメン屋も、テーブル席ではなくカウンター席で1人ラーメンを待ち、おもむろに開いたネタ帳に、友宏とのネタ作りで出したネタの付箋がビッシリと貼ってあり、「まだまだ自分にはやる事がある!」と、友宏との日々を振り返りつつ、新しい一歩を踏み出してみせるやり方もあったはずだ。

題材や出演者には恵まれていると思うが、肝心のストーリーが何から何まで“何となく”の雰囲気で流れて行ってしまい、メリハリの弱い平坦な作品に収まってしまったのが残念でならない。

緋里阿 純