「他に道なき二人なのに」死に損なった男 鉄猫さんの映画レビュー(感想・評価)
他に道なき二人なのに
水川かたまり氏、鈴木もぐら氏の空気階段と作家長井ふわふわ氏のラジオ「空気怪談の踊り場」リスナーなのでこの映画を非常に楽しみにしていました。水川氏が演技するイメージは単独公演の長尺コントのような感じになるのかなと想像していましたが、果たしてそんな感じの自然さでとても良かったと思います。正名僕蔵さんの教頭先生とか学年主任とかの“歳を重ねた先生あるある“のような仏頂面が終始スクリーンを圧倒していて、あの仏頂面はまるで何かを“計算中“と言わんばかり、過去数千人の生徒のデータベースから類似人格を導き出し、正確度の向上のため問いを生成しインプットを求めまた計算して自分なりの答えが出ると指示を出したりプイッといなくなったり。「お前はAIアンドロイドか!」と心の中で突っ込んでいました。
「もし自分がいなくなったらこの世の中はどうなるのだろうか」と考えたことは誰しもあると思います。その刹那頭には誰かの顔、家族だったり同僚だったりの悲しむ顔が思い浮かんで来て、その良からぬ考えを頭の中から振り払うようにブルブルと首を横に振り否定することになると思うんです。しかし“自分がこの世界からいなくなる線“が自分の1m前方にあるとき、一歩また一歩と近づき“自分のいない世界“の実現確率が上がっていっても頭には誰の悲しい顔も浮かばず、やがて線から頭が飛び出し、後は誰かに止められるか電車が来るのを待つだけの丁半博打、それでもまだ誰の顔も頭に浮かばなければ遂に自死に至るんでしょう。
関谷一平は誰の顔も思い浮かばずホームの際に立つも前駅の人身事故で死に損い、どんな顔か知りたくて無関係な葬式に現れ、お前の顔など見たことないお前は誰だと幽霊に詰め寄られ、アイツを殺せと無愛想な顔に終始付き纏われ、これだけはと沢山の笑う顔を思い浮かべながら二人でコントを作る。幽霊森口友宏は他の全てのことは放っておいて悲しむ娘の顔を思い起こし、邪魔者が消えたとばかりに近づく憎っくきアイツの顔を思い浮かべ「どうせ死ぬならアイツを殺してからにしてくれ」と脅し、ヤってくれるならと誰かが笑う顔を思い浮かべながら二人でコントを作る。
夢を叶えたのに道の先が見えなくなり希望を無くした関谷一平と不慮の事故で期せずして人生の道が閉ざされてしまった幽霊森口友宏の共同制作作業、そこが「袋小路の行き止まり」直前の最後の曲がり角だったはずなのに関谷一平は律儀にも約束のために対決の場に刃物を持って現れ、一体どうするつもりだったのかパニックになったのか最後は自分を傷つけることを選び事態を打破することになって曲がり角の先は行き止まりにはならず、2ヶ月後の事務所ライブのささやかな打ち上げではみんなのたくさんの笑顔で締めくくれてハッピーエンド、別に“顔“をテーマにした映画ではないと思うのですが正名僕蔵さんの突飛な仏頂面が強烈すぎて最初から最後まで“顔“が気になる映画でした。
娘の幸せのために幽霊森口友宏は関谷一平に頼った、関谷一平は間近に迫るコント大会のために幽霊森口友宏のアイデアに頼った。行き止まりの道を突破するには誰かに頼り頼られることも大事、漫画「三月のライオン」の「一人じゃどうにもならなくなったら誰かに頼れ、でないと実は誰もお前にも頼れないんだ」という名言を思い出しました。世の中良く出来たもんで、働かなければ誰もお金をくれないし、助けないと誰も助けてくれないし、話しかけないと誰も話しかけてくれないし、好きにならないと誰も好きになってくれません。人生が行き止まりにならないように道を延ばして広げていくにはまずは“誰か“を好きになることから始めるべきかも知れません。幽霊森口友宏も駅のホームで堀未央奈さん演じる竹下希に声をかけるよう促していましたしね。“好き“は行き止まりのない永遠の道の始まり、なんて素敵じゃないですかね?
タイムフリーのおかげでまたラジオを聴くようになって車の運転中に聴きながら爆笑したり感涙したりしているのですが、各ラジオ番組の放送作家さん構成作家さんたちは笑い声ぐらいしか聞こえてきませんけどもトークの助言やコーナー作成、メール選定などなど面白い番組作りにご尽力されているのだと想像します。私もラジオ「空気階段の踊り場」の「孤独なおじさん、いざゆかん!」のコーナーにいつか投稿してやろうと企んでいるのですが、たった数行でもネタを作ることの何と難しいことか!いろんな制作現場のいろんな作家さん方々には全く持って敬意しかありませんです。