子どもたちはもう遊ばないのレビュー・感想・評価
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自信に満ちたドキュメンタリー「映画」
戦争真っ只中のイスラエルとパレスチナ、しかもその火種の中心地であるエルサレムにiPhone一つで乗り込むモフセン・マフマルバフ。学生時代、祖国イランで革命運動に気炎を上げ、警官を刺して逮捕された経験さえある彼であれば、その程度のことは何でもないのだろう。カメラを向ける手捌きに澱みがない。
日本のドキュメンタリーを見ていると、「カメラの暴力性」だとか「編集の恣意性」だとかいった撮る側の倫理ばかりが主題化されがちだ。もちろんそれはそれで面白いのだけど、何というか、たまには自信たっぷりなドキュメンタリーというのも観たい。それでいてその自信を裏付けるものが狭隘な排他主義や陰謀論でないものが。
その点マフマルバフのドキュメンタリーは強い自信に満ち溢れている。彼は自分がやっていることについて無意味に立ち止まったり懊悩したりすることがない。
そして彼自身が自信に満ち溢れているからか、彼が出会う被写体もみな自信に溢れている。キッパリとパレスチナ差別をやめろと言える老爺や、イスラエルとパレスチナの分断について確固たる視座と解決の糸口を語る若いイスラエル人。よくもまあこんな人に遭遇できるものだ。
こうして嘘も衒いもない被写体の言葉と身体によって編み上げられた映像は、力強くありながら、同時にプロパガンダ的な危うさとは一線を画している。
また本作は映画としても非常に趣向の凝らされた作品だった。『子供たちはもう遊ばない』というタイトルは、エルサレム周辺に住まう子供たちが、イスラエルとパレスチナの文化的境界を跨いで共に遊ぶことはもうない、という意味である。劇中では子供たちが遊んでいるシーンが幾度となくインサートされるが、それらが文化的境界を跨ぐことは決してない。「もう遊ばない」という喪失の感覚を、映像編集が痛切に語っている。
また、ドキュメンタリーともなれば街中の至る所に存在する鏡(本物の鏡、水面、鉄枠など)に撮影者が写り込んでしまうものだが、本作では、マフマルバフが意図的に自分の身体を鏡に晒すシーン以外、注意深く写り込みを避けていた。こういうところに彼の映画監督としての(それは決してジャーナリストとしてではない)自負心が滲んでるよなあと感じた。
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