「グレターガーウィグトリビュート」マイ・オールド・アス 2人のワタシ 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
グレターガーウィグトリビュート
未来の自分に会って今の自分を見つめ直すという話になっている。レディバード(2017)を思わせた。というのもレディバードの骨子は家族愛と地元愛を再認識するところにあったし、主人公エリオット(Maisy Stella)の弟がシアーシャローナンのストーカーちっくなファン(アイルランドに行って結婚すると豪語している)に設定されていて、またストーリーオブマイライフ(2019)を何度も見た──というエリオットの台詞もあり、全体としてグレターガーウィグトリビュートな映画になっていたと思う。
Megan Park監督は銃撃事件のトラウマを乗り越えようとする女子高生を描いたジェナオルテガ主演のThe Fallout(2021)で長編デビューし、これが2作目だそうだ。
監督はグレタガーウィグの大人っぽい精神性を受け継いでいて、主人公らの魅力を引き出してもいる。西洋世界への羨望傾向をもった人間に、やみくもな卑下祭をさせるような、大人の青春映画だった。
毎度の言及だが、たとえば日本の女流監督の第一人者とされている人と本作の精神的大人度を比較するとその隔たりに唖然とする。と同時にMaisy StellaもPercy Hynes Whiteも魅力的で、さりげなくLGBTQ値も効かせて、日本人のWestern feverをくすぐりまくったあげく、やつがれさせる映画になっていた。
レディバードはサクラメントだったが、本作はどこか解らないが、魅力的な地元描写があった。
高校を卒業したエリオットは毎日ボートを蛇行運転し、湖でスキニーディッピングをし、森に入って幻覚キノコをきめて、時には親のクランベリー湿地の収穫も手伝う。
どうだろう。日本にはこういう地元愛をもてる地方があるんだろうか。個人的には故郷にわずらわしさしか感じたことがない。ほかの人がどう思っているか知らないが、日本の地方というものは、ここにでてくるような美しい場所ではなく、たんに国道の両脇にすき家とか回転寿司とかファミレスがならび、商店街がシャッター街になっていて、イオンだけに人がいる、どこでも同じ「ファスト風土」である。
だいたい日本人は嫌悪から郷里を出ていくのだが、レディバードやこの映画のエリオットは居心地が良すぎる地元に慣れてしまうことに危機感を感じて郷里を出ていく、わけである。ぜんぜん違う。
以前ストーリー・オブ・マイライフのレビューに『レディバードは中産階級より低層な家庭の設定だが、冒頭で母子はスタインベックの怒りの葡萄のオーディオブックを聞いて涙を流している。──のである。』と書いたのは、登場人物の大人度が日本とは違うと感じたからだが、健全な地元愛があってこそ家族愛や教養がはぐくまれる──という感じがこの映画にもあった。
つまり登場人物の大人度にも映画のつくりとしての大人度にもわれわれとの懸隔があり、Megan Park監督は若い頃の自分と今の自分の和解をテーマに、ユーモアとペーソスをもってこれを書いたのであって、その感性の格差はわれわれというか少なくともわたしを悄然とさせた。
あたりまえだが、外国人がたとえば「日本のアニメはすばらしい」と思う以上に米映画は日本人を驚嘆させる。そこは勘違いしてはいけないと思う。
未来の自分に会うという超現象はさりげなくて理由も構造も明かされないが違和感はなかった。Maisy Stellaには自然な肉感があり、率直に言ってその未来がオーブリープラザとは思えないが、毒舌と奇矯な性格のタイプはオーブリープラザに似ていた。
Maisy Stellaはフローレンスピューのようなトランジスタな肉食女の気配と思春期らしい多感さが同居した2024時点で20歳のZ世代だがすでに老成した大人っぽさもかいま見えた。
サンダンスでプレミア上映されたあとアマゾンが23億円で配給権を買ったそうだ。ゆえにプライムビデオ内で見ることができた。
imdb7.0、RottenTomatoes90%と89%。