ノー・アザー・ランド 故郷は他にないのレビュー・感想・評価
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逞しく、勇気溢れる姿に感動
21世紀の現代においても、
はるか昔の植民地と変わらず、
武力で先住者を追い出し、土地を強奪することが
日常的に繰り返されている現実に対して、
そしてテクノロジーは著しく進歩しても、
人間自身がまったく進歩していないことに対して、暗澹たる気持ちになった。
仮に古代の歴史とか、法律とか追い出す側に何か理由があるにしても、
長く同じ地に住み、平和に暮らし家族の歴史を紡ぎあげてきた先住者に対して
敬意をもって近しい目線、態度で接することが人としての最低限だと思うが、
そうできないのは、差別とか偏見とかが根底にあるんだろうなと想像する。
頻繁に武器を目の前に突きつけられる不安に晒される日々でも、
ひたすら悲観的に落ち込むことなく、
家族みんなの集まる食卓には、会話に笑いもあるし、
厳しい現実に悩みながらも、将来や家族について思いを馳せる
若者の強く逞しい姿にはほんとうに勇気づけられ、救われる思いがした。
命をかけて現実を伝え、そして様々に考える機会を与えてくれたことに感謝。
不法入植という「絶望」の実態
本作は、中東の地で続くパレスチナ問題を映し出したドキュメンタリーである。ユダヤ人とパレスチナ人が共同で制作し、ユダヤ人の中にもパレスチナ人への仕打ちに憤る人々がいることがわかる。映像は淡々と事実を映し出し、視聴者に直接的な説明を与えず、感じ取ることを求めている。
◇土地収用の実態
ヨルダン川西岸における入植地の接収は国連決議に反し、国際法にも違反している。正式な国家として成立していない状況を利用し、パレスチナ人の土地が奪われ続けている。映画では、住民の抵抗に対する発砲、住居の破壊、井戸の封鎖、夜間の家宅捜索など、数々の暴挙が映し出される。
◇ユダヤ人ジャーナリストとパレスチナ人
パレスチナ人コミュニティに溶け込み、事実を伝え続けるユダヤ人ジャーナリストの存在が印象的である。彼は軍や入植者の行動に立ち向かいながらも、パレスチナ人と友情を築いていく。彼らの関係は、映画の中で唯一希望を感じさせる瞬間である。
◇日常の抑圧
ガザ地区のみならず、西岸地区においても、パレスチナ人の日常は制限されている。経済活動や移動の自由が奪われ、監視と圧力が続く。入植地の拡大により、土地を失った人々が強制的に移住させられる現実も描かれている。
◇移民政策と入植者
中東の地では、移民の受け入れが積極的に行われている。近年のロシア・ウクライナからの移民増加により、さらに多くの土地が奪われている現実がある。土地を追われるパレスチナ人の苦悩が、この映画を通じて浮き彫りになる。
◇長期化する闘争は子孫が継承
パレスチナ人は、世代を超えて土地を守るための闘争を続けている。短期的な抵抗が無力であっても、彼らは長期戦を覚悟している。怒りと悲しみを抱えながらも、土地への愛着を胸に、未来への希望をつなぎ続けている。
本作は、単なる過去の記録ではなく、今もなお続く現実を映し出している。パレスチナ人の声に耳を傾け、抑圧の歴史を記憶し続けることが、我々に求められているのかもしれない。
両方の歴史をいちから学ぶ必要がある
ただただ胸が痛む
私達日本人に、この作品に星をつける権利があるのだろうか
正義とは、一体何?
人間が持つ、根本的な矛盾を目の当たりにする。
遠い海の向こうの事は関係無いと思ってる日本人が観るべき作品。
本年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した本作。
紛争中のガザ地区の話では無いが、この作品の舞台はガザ地区よりはまだ良いと言われている“ヨルダン川西岸地区”のドキュメンタリー。同じ“人間”がかくも非人道的な事を行なっているのかと思うと胸が張り裂ける。
そこに人権などない。
そして、海の向こうの出来事に、ほとんど触れる事も無い日本の報道機関やジャーナリズム、毎日使うスマホの情報は人々の思考にあわせた都合の良い情報ばかり。
知らぬ間に、何者かに支配されている我々に“民主主義”の“正義”を語る資格はあるのだろうか?
ヨルダン川西岸地区という通り、川の対岸はヨルダン王国。中東は「危険」という先入観があるかもしれないが、ヨルダンは比較的安全な国と言われている。外務省の渡航危険レベルでは“1”十分注意となっているが、エジプトやモロッコもレベル“1”、地域によってはより危険な地区もあり、中東の中では比較的治安は良いとされている。実際10年ほど前に映画「インディージョーンズ」でも有名なペトラ遺跡に行きたくてガイドブックを購入したが、「とても治安が良い。一般家庭に鍵が付いていない家も多く、道に迷ったらどこからともなく人が集まって、あーだこーだと教えてくれる」なんて嘘か本当かわからない様な情報が載っていた。
そんな、ヨルダンの対岸に位置するパレスチナ人の土地。
Wikipedia(適切な出典では無い)には、ユダヤ人入植地について「イスラエル入植地はアラブ人を追放する事を目的とした物ではなく、実際に行ってもいない。また、入植地はヨルダン川西岸地区の3%程度の面積である」と発表しているそうだが、そんな方便が嘘八百な事は容易に想像できる。
何故イスラエルの人々はそんな非人道的な事をするんだろう、何故?
日本人がイスラエルに“イメージ”するのは、恐らく“ユダヤ人”の国、そして“ユダヤ人”と言えば、第二次世界大戦で抑圧と虐殺をされた民族、そう思うのは私だけでは無いと思う。
しかし、この作品に登場するイスラエル兵士や入植者達の姿にはそんなイメージは結び付かない、彼らの行為は全く共感できないし、何故この様な事をするのか、理解もできない。
海の向こうにいる日本人には、まるでウクライナで非人道的なジェノサイドを行なっているロシア人兵士と同じに見える。
そして、そんな非人道的な行為を支援しているのが“アメリカ”だという事もわかっている。
何故「力による現状変更」を、日本の民主主義同盟国でもあるアメリカが支援するのか?
正義とは何なのかがわからなくなる。
日本国憲法第十四条
「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
法治国家における“法”とは、公正で公平な社会を築く基礎であり、国民の自由と権利を守る民主主義の根幹だ。
ただ、法律にも矛盾が無い訳では無い。
人を殺す事は“悪い事”、「そんな事は当たり前」と思うだろうが、戦争で“敵”兵士を殺す事はある意味“良い事”英雄視される事だってあり得る。
昨年公開された映画「オッペンハイマー」に映し出された原子力爆弾をとってみても、日本人にとっては“悪”な存在だが、アメリカ人にとっては“善”な存在だ。
21世紀になっても、世界のどこかで殺戮が繰り返されている。「人を殺してはいけない」という“概念”は、決して人間の本能では無いのだ。
そんな、人間の中に当たり前の様にまかり通っている“矛盾”を、改めて痛感させられた。
今日ドラッグストアでチョコレートを買おうとして躊躇した。有名メーカーの手頃で美味しいチョコレート。
以前、カカオ原産国の農場で、人身売買で買われた子供がカカオ農場で働かされていることが問題になった。そして、我々が身近に享受しているささやかな喜びも、遠い目の見えないところでは全く違う真実があるのかもしれないと初めて知った。
原産国の児童労働は未だ改善されていない。
日本の有名メーカーの、子供等を笑顔にさせるお菓子、なのにそのお菓子の向こうに何があるのか、なんて考えて買う事も無いだろう。
我々には知らない事が沢山ある。目の前に見えている事が全てではない。
ただ大切なことはある。
それは、“真実を見極める”事。
断片的でもよい、常に事実を見つめそれらの行為が人類にとって正しい事なのか、正しくない事なのか。
その先にある真実とはなんなのか。
人間が“真実”とはなんなのか見つめる事を放棄した時、人間は滅びのカウントダウンを始めるかもしれない。
この95分の映像の“事実に”触れる事は、真実に辿り着くための重要な一歩かもしれない。
3月26日BBCの報道で、映画「ノー・アザー・ランド」の共同監督でパレスチナ人のハムダーン・バラールさんが、イスラエル人入植者に暴行された後に軍に連行され消息不明になっていた。と報道があった。米アカデミー賞でオスカーを掲げていたのがついこの間なのに、
ヨルダン川西岸の入植地の警察署で「恣意的に」拘束され、イスラエル兵から暴行を受けた、イスラエル人入植者たちが村を襲撃したとき、入植者たちはバラールさんの頭を「サッカーボールのように」蹴った、軍に拘束された後も目隠しをされ、イスラエルの兵士らが交代で見張りに来るたびにバラールさんを蹴ったり棒で殴ったりしたとの証言もAP通信に述べている。
日本の地上波報道機関でこのニュースに触れているニュースは聞いたことが無い。残念ながらそれが事実。
“真実”がどこにあるのか、この95分のドキュメンタリー映像を、その目で見て、確かめて欲しい。
パレスチナ人の不満はわかるが・・・
破壊される故郷を撮影するパレスチナ人青年が2019年夏から2023年10月までの4年間にわたり動画を記録したドキュメンタリー。
ヨルダン川西岸マサーフェル・ヤッタで生まれ育ったバーセル・アドラーは、イスラエル軍による占領が進む故郷の様子を幼い頃から撮影し、世界へ向けて発信してきた。次第にイスラエル軍の破壊行為は過激さを増し、ガザのハマスが2023年10月にイスラエルへ攻撃した事により、ヨルダン川西岸のマザーフェル・ヤッタにも影響があり、撮影が続けられなくなった、という話。
不条理な占領行為というのはパレスチナ人からみた言い分であり、1900年から住んでいたと言ってたが、紀元前10世紀頃にはその地に古代イスラエルが有ったのだし、1948年の現イスラエル建国によりユダヤ人はやっと約束の地に戻って来れた訳で、その後も領土を巡る争いは続き現在に至る、という事だろう。
ユダヤ人は約束の地を追われ、現イスラエル建国まで長い間住む所を持てなかったのだから、いつから住んでいた、というのも言い出したらどこまで遡るのか、と収拾がつかない気がする。
不法占拠と言えば、日本の北方領土を今だに占領し続けてるソ連からのロシアや、今もウクライナで酷い事をしてる同じくロシアなんて、あんなもんじゃない。
マリウポリの20日間、などはもっと悲惨だった。
住民を無差別に殺し、人々を車に積んで自国の別の場所に運び、強制労働させ、抗議が有ったら釈放と称して送り返す。
そんな事に比べたらまだゆるい感じがした。
生まれた土地を離れたく無いという気持ちは良く伝わったが、もっと酷い侵略者は他にいくらでもいると思う。
嘆くだけでは、、、
あまりの現実に理解が追いつかない。
アカデミー賞をはじめ世界中で高く評価されても、パレスチナの状況は悪化するばかりだ。長年、多くの人が声を上げ、今日も世界中でデモが行われている。それでも現実は変わらない。イスラエルの正義を語る声はほとんど聞かれないのに、この事態が容認され続けていることに違和感を覚える。
同時に、イスラエルの安全保障への脅威や、一部の過激なパレスチナ人によるテロ行為が状況をさらに悪化させている現実もある。暴力の応酬が、和平への道を遠ざけている。
映画を観ても、「パレスチナ人は迫害されているよな」という記憶だけが残り、私たちは今日も日常を生きている。
世界中が怒っている。けれど、その怒りは現実を動かさない。
この映画の称賛が、免罪符になってはいけない。
自分もまた、「分かったつもり」になっていないか――そんな問いが残る。
解決には、構造そのものを問い直す必要がある。
それでも、信頼される指導者が現れ、国家としてのビジョンを描けたなら――そこに希望はある。
国家とは象徴ではない。経済、防衛、統治、外交。現実的なビジョンと、それを導くリーダーシップが不可欠なのだと思う。
見捨ててないよ
学校をブルドーザーで壊し、発電機を奪い、取り返そうとした人を撃ち、井戸を埋め、大工道具も奪い…。
イスラエルや入植者の酷さはSNSでよく知っていたので驚きはなかった。SNSだと入植者の子供までもがパレスチナ人を迫害していて怒りがわく。
あんな風に簡単に人が撃たれ、誰も罰せられない世界があるなんて。それが同じ現代に起きてる。
バーゼルとユバルにいつしか芽生える友情めいたもの。パレスチナ人とイスラエル人、立場の違いが浮き彫りになる。交わされる言葉、沈黙。
時には怒りが抑えられなくなって、バーセルが無口になるシーンもあった。いつか自由に行き来できるようになればとユバルに言われても、バーセルはうまく思い描くことができないようだった。
ユバルがアラビア語を覚えたことでいろいろなことを知ったと言っていたので、ヘブライ語だと情報に偏りがあるのだろう。それにしても、イスラエル兵や入植者はどんな気持ちであんな酷いことをしているのか、そちらのインタビューもあってもよかったかも。聞くに耐えない言葉だとしても。
私からみると、パレスチナ人もイスラエル人も見た目では見分けはつかない。よく似ているように思う。彼らが破壊し、追い立てているものはなんなのだろうか?恐れは何も生まないのだと思う。
希望があるとすれば、今日の映画館にたくさんの人がいたこと、このドキュメンタリーがアカデミー賞をとったこと。世界は見捨ててないよと伝えたい。
70年以上にわたるイスラエルの侵略とパレスチナの苦難を多くの人に知ってもらえたらと思う。どっちもどっちではないし、暴力の連鎖ではない。イスラエルによる侵略とパレスチナによる抵抗なのだと。
世界平和は永遠に来ないのか
映画を観たばかりで起きた、この映画のパレスチナ人監督へのイスラエル兵による暴行、拘束と釈放のニュース。
イスラエルパレスチナ問題は複雑過ぎて意見する事はできないが、仕事で毎日イスラエル製機会を動かし、あちらのエンジニアもたまに来日来社してくれるが、そんなイスラエルに対する俺の感想は「理解できない」。分からないとしか言えない国。
映画は西岸地区でのイスラエル兵によるパレスチナ人迫害を克明に映し出して行く。
平日にも関わらず、都内の映画館は満席に近かったが、日本人がパレスチナ問題に関心を寄せるのは正直難しい。
イスラエルの後ろには西側諸国、パレスチナの後ろにはアラブ諸国、ロシア、中国がいる。この対立が第三次世界大戦につながれば世界が滅びる。その可能性は決して低くない。
今必見の一本
こんな現実があるなんて
日本人でパレスチナの現状を積極的に学ぼうとしない人にとっては
パレスチナで起きていることはイスラム国やアルカイダのように、テロとの戦いだと思ってしまうかもしれない。
だが、それは違う。
これはイスラエルという国家による、パレスチナ市民への侵略なのだ。
入植者のにやにや笑いには本当に背筋が凍る思いだ。
自分の立場が上だと感じると、人はこんなにも残酷になれる。
昔から暮らしていた場所で、勝手に法律が作られ、家や小学校が破壊される。
そんな不正義が現実にあるなんて、とても信じたくない。
遥か遠くに住んでいる私たちでさえそう思うのに、当事者たちの絶望感はどれだけ深いのか。
それこそがイスラエル政府の狙うところなのだろう。
だが、重要なことは、私たちが唱えなければならないのは反ユダヤ主義ではなく、
反イスラエルであるということである。
監督の一人はユダヤ人であり、イスラエル政府の不正義に反対を表明しているのだ。
森を見て木を見た気になってはいけない。
再現映像なのか実際の映像なのか判断が難しい部分がある。
正直、淡々と進むので集中できない場面もあった。
自分の甘っちょろさを恥じ入るばかりである。
絶望感フルだけど…
マサーフェル・ヤッタの普通の人々
圧倒的な非対称性
イスラエルとパレスチナ、民法と軍法、重機と取り壊される家、武器と丸腰のデモ、どこにでも行けるユヴァルと西岸に閉じ込められたバーセル、スクリーンのこちらと向こう、この圧倒的な非対称性に打ちのめされた。
軍時訓練=社会防衛という名の下に、国家がマイノリティの住居を破壊する。(それは映画内で明かされていたように、マイノリティを弱らせる事こそが真の目的)
このあからさまなレイシズムに対するパレスチナ人の命がけの抗議を、ルールだから、法律で認められているからとニヤニヤしながら踏みにじるシオニストたち。
差別ではなく区別、法律を守っているだけと言いながら、反差別規範をかいくぐってマイノリティを痛めつけるこの行為は、沖縄の基地問題など、世界各地の植民地主義的な場所で共通に行われている。
デモでもスタンディングでも署名でもBDSでも、何かしら自分にできる植民地主義に抗う行動を起こす事でしか、この映画に刻みつけられた凄まじい胸糞の悪さを解消することはできない。
とにかく無事に帰ってきて欲しい。
「アンネの日記」を読んだり、アウシュヴィッツの映画を見たりしていたのでどうしても、イスラエル側の立場から考えることが多かった。今度のガザへの侵攻も、最初に見た動画は、フェスティバルでハマスに襲われる映像だった。そのため、「確かにやりすぎだな」と思うまで、しばらくは、なぜパレスチナ側の肩を持つ発言があるのか理由がわからなかった。
今回疑問に(と同時に凄い!と)思ったことは、ユダヤ人の監督がパレスチナ側からの映画を作ったこと。ずいぶん勇気が必要だったことだろう。
アカデミー賞での二人のスピーチも感動的なものだった。というか、そもそもアカデミー賞を受賞できたことにも驚いた。この作品に栄誉を与えたアカデミー賞の関係者にも拍手を送りたい。
この映画で一番印象的だったことは、ある場面の雲が、日本の夏によく見るような雲だったこと。当たり前だが、同じ地球上での出来事であることを改めて認識しショックを受けた。
追記
監督が襲撃を受けたとのこと。今はただ無事であることを祈ります。
追記2
1日拘束の後、無事に帰って来られたそうです。ひとまず安心しました。
追記3
アカデミー賞受賞後、入植者からの攻撃はさらにひどくなったという記事を読みました。映画の無力を感じてしまいました。彼らはどんな気持ちで攻撃しているのだろう。
友情モノじゃなく、パレスチナの惨状
パレスチナ人とイスラエル人の敵対関係を超えた友情みたいな宣伝されてますが、
このドキュメンタリーは、別に友情を前面に出しておらず、前面に出てるのはパレスチナの惨状です。
これを観る限り、イスラエル軍の非道さが凄まじく怒り心頭、イスラエル軍は犯罪者で悪にしか思えない。
このパレスチナとイスラエルの問題は、池上彰さんの番組で観たのとネットで調べたぐらいの知識です。
これを観たあとなので、もちろんパレスチナを支持しますが、イスラエル視点のドキュメンタリーも観てみたい。
片方だけじゃなく両方の視点で考えないとダメだと思うので、
とはいえ、人を傷つけていることを、どんな言い訳するのか?
イスラエル政府には、元々いい印象ないです。
ネタニヤフもキライだし。
自分を含め、対岸の火事だと思っている人が多いと思いますが、多くの人に観られるべきドキュメンタリーだと思います。
フィクションの劇映画の悪役のようなイスラエル軍の悪っぷり、迫害され悲しむパレスチナの人々、現場で至近距離で撮られた緊迫感あふれる映像の数々。
凄い観ごたえ、迷ったら観て下さい。
知る義務
アメリカ本国では小規模な自主上映にとどまり、ほとんど配給がなされていない。
にも関わらずアカデミー長編ドキュメンタリー賞をとったことは、アカデミー賞の意地を見せてもらったような気持ち。
イスラエルによるパレスチナの虐殺を止める力がなく、それに異を唱えることが映画作品からもできないとなれば、より絶望が大きかった。
今回のアカデミー賞受賞は、この賞自体の質を担保することにもなったし、映画業界全体の意思を強く打ち出すことになったと思う。
ヨルダン川西岸地区で粛々と進行していた人権侵害。2023年のハマスによるテロは衝撃だったが、それの前段階としてこれほどの事態があったことは、恥ずかしながら知らなかった。
100年以上住んでいた自分達の村が、ある日突然ブルドーザーで潰されていく。
ドキュメンタリーでは兵士による銃殺や、兵士ですらない武装した入植者による襲撃も捉えられている。入植者達は上裸で頭にシャツをまいた異様な格好で現れ、それにイスラエルの兵が帯同する。異様な光景だ。
主人公達は圧倒的な武力の前に無力ではあるが、そんな中で身を守る術、対抗する術が撮影することと、この映画を作ることだ。映画の力を改めて感じさせる。
印象的だったのは、兵士に打たれて首から下が不随となり、最終的にその怪我が原因で亡くなってしまう男性。
気力がなくなってしまい、積極的に人前に出ること自体を拒否するようになる。
自分が彼の立場であれば、おそらく同じように何もすることができなくなってしまうだろう。すべてに絶望してしまうと思う。故郷は奪われ身体の自由さえも奪われてしまう。なんという悲劇だろう。
この映画の批評でライムスター歌丸さんが「知る義務」と称していたが、まさにその通りだ。
「知らない」ことは罪になる。だが私達には知らないことが多すぎる。日々をぼんやり過ごしていると、容易にその立場になってしまう。
そして知っていたとしても、その後に実際に行動することができる人はごくわずかだ。
自分が知らないこと、知っているのに何もしないこと、そんな無力観が『関心領域』を観たあたりから臨界点に達しているように思う。
せめて知る。そして行動する。それが今必要なことだ。
イスラエル軍の行いが想像を超えて酷かった
子どもたちが中で授業中の小学校に大勢で押しかけ、子どもたちの目の前で校舎を重機で破壊する場面は、なぜそこまでできるのか分からずもはや唖然としてしまった。映画の中の2人の様に、分かり合える人達もいるのに。
蒙昧な大統領はここもリゾートにするのか
イスラエルからの爆撃で街をズタズタにされたガザから50~100キロほど東方のヨルダン川西岸パレスチナ人自治区(本来は、当然パレスチナ人の居住区の筈)で、パレスチナの人々が長年暮らして来た村の家を次々と破壊するイスラエルの蛮行を記録したドキュメンタリーです。本作の特徴は、それをパレスチナ人監督だけでなくイスラエル人監督と共に記録した点です。
軍事訓練所にするという名目でイスラエルは一方的に住民の立ち退きを迫ります。それは道理が通らないと裁判に訴えても、審理するのはイスラエルの裁判所ですから簡単に退けられます。イスラエルは、ブルドーザーで家を押し潰して行きます。更に、村で用いて来た井戸にコンクリートを流し込み、水道用のパイプは切断してしまいます。銃を突きつけられる村の人々はそれを見ているしかないのでした。
こんな非道な行為に直接関わるイスラエルの警察官らは「恥ずかしくないのか」と問われて
「決まった事だ。なぜ恥じる必要がある」
と傲然と答えます。更に恐ろしいのは、パレスチナ人居住区に入植して来たイスラエル民間人までもが銃を持ってイスラエル警官と並んで銃撃して来る事です。イスラエルは国連決議などは一切無視しているので、「パレスチナ人はみんなここから出て行け」と言いたいのでしょうが、パレスチナ人が国外に出るにはイスラエルの厳しい制限があり容易ではありません。まさしく彼らにとっては、心の中でも現実社会でも "No other land" - 故郷は他にない のでした。
解決の糸口などどこにも見出せそうにありません。「ガザをリゾート地に」などという蒙昧な大統領の妄言が妙にリアルに響いて来ます。この作品をイスラエル人、イスラエル支持者はどう見るのか、多くの意見を是非聞きたいな。
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