ノー・アザー・ランド 故郷は他にないのレビュー・感想・評価
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闘いの記録
私はほとんどドキュメンタリー映画を観たことがない。ドキュメンタリーにどのような態度で臨めばよいか分からなかった。故に今回最も心掛けたのは、この映画を、フィクションを観る時と同じ態度で観ることだった。故にその前提の下で話していく。
まずもっとも印象的であったのが、パレスチナ人のバーセル・アドラーがカメラを持ち、命の危険を顧みず抗議をしている時、イスラエル人のユヴァル・アブラハームはむしろそれを止めようとしていた。この時点で2人には考え方に開きがあることが分かる。ユヴァルからしてみれば、目の前にいる人ないし友人が危険を冒すことを止めようとしているのだが、バーセルは自分の命(ももちろん大事ではあるだろうが)を落としてでも撮影や、抗議をすることに意義を感じているし、その他の村を捨てない人々も同じ気持ちであるだろう。
もうひとつ印象的であったのは「侵略者」であるイスラエル人の表情の多様さだ。そこに写るパレスチナ人の顔は皆比較的一貫していたと思う。脅威の中の日常での笑顔や、怒りや悲しみ、そして今後について考えている表情などだ。しかし、あそこに出てくるイスラエル人の表情は人によってかなり違っているように見えた。ニヤついている者もいれば、黙々と職務を遂行するように努めている者、暗い顔の者もいた。彼らがそれぞれどんな背景で、その立場にいるのかは分からないが、現場での生きている人間をそこからも感じることができた。
この作品は人が殺される様子、殺す様子が直接描かれる。そこには理由がない。理由がなくても人は人を殺すし、殺されるし、争う。
こんな現実があるなんて
日本人でパレスチナの現状を積極的に学ぼうとしない人にとっては
パレスチナで起きていることはイスラム国やアルカイダのように、テロとの戦いだと思ってしまうかもしれない。
だが、それは違う。
これはイスラエルという国家による、パレスチナ市民への侵略なのだ。
入植者のにやにや笑いには本当に背筋が凍る思いだ。
自分の立場が上だと感じると、人はこんなにも残酷になれる。
昔から暮らしていた場所で、勝手に法律が作られ、家や小学校が破壊される。
そんな不正義が現実にあるなんて、とても信じたくない。
遥か遠くに住んでいる私たちでさえそう思うのに、当事者たちの絶望感はどれだけ深いのか。
それこそがイスラエル政府の狙うところなのだろう。
だが、重要なことは、私たちが唱えなければならないのは反ユダヤ主義ではなく、
反イスラエルであるということである。
監督の一人はユダヤ人であり、イスラエル政府の不正義に反対を表明しているのだ。
森を見て木を見た気になってはいけない。
再現映像なのか実際の映像なのか判断が難しい部分がある。
正直、淡々と進むので集中できない場面もあった。
自分の甘っちょろさを恥じ入るばかりである。
絶望感フルだけど…
マサーフェル・ヤッタの普通の人々
圧倒的な非対称性
イスラエルとパレスチナ、民法と軍法、重機と取り壊される家、武器と丸腰のデモ、どこにでも行けるユヴァルと西岸に閉じ込められたバーセル、スクリーンのこちらと向こう、この圧倒的な非対称性に打ちのめされた。
軍時訓練=社会防衛という名の下に、国家がマイノリティの住居を破壊する。(それは映画内で明かされていたように、マイノリティを弱らせる事こそが真の目的)
このあからさまなレイシズムに対するパレスチナ人の命がけの抗議を、ルールだから、法律で認められているからとニヤニヤしながら踏みにじるシオニストたち。
差別ではなく区別、法律を守っているだけと言いながら、反差別規範をかいくぐってマイノリティを痛めつけるこの行為は、沖縄の基地問題など、世界各地の植民地主義的な場所で共通に行われている。
デモでもスタンディングでも署名でもBDSでも、何かしら自分にできる植民地主義に抗う行動を起こす事でしか、この映画に刻みつけられた凄まじい胸糞の悪さを解消することはできない。
とにかく無事に帰ってきて欲しい。
「アンネの日記」を読んだり、アウシュヴィッツの映画を見たりしていたのでどうしても、イスラエル側の立場から考えることが多かった。今度のガザへの侵攻も、最初に見た動画は、フェスティバルでハマスに襲われる映像だった。そのため、「確かにやりすぎだな」と思うまで、しばらくは、なぜパレスチナ側の肩を持つ発言があるのか理由がわからなかった。
今回疑問に(と同時に凄い!と)思ったことは、ユダヤ人の監督がパレスチナ側からの映画を作ったこと。ずいぶん勇気が必要だったことだろう。
アカデミー賞での二人のスピーチも感動的なものだった。というか、そもそもアカデミー賞を受賞できたことにも驚いた。この作品に栄誉を与えたアカデミー賞の関係者にも拍手を送りたい。
この映画で一番印象的だったことは、ある場面の雲が、日本の夏によく見るような雲だったこと。当たり前だが、同じ地球上での出来事であることを改めて認識しショックを受けた。
追記
監督が襲撃を受けたとのこと。今はただ無事であることを祈ります。
追記2
1日拘束の後、無事に帰って来られたそうです。ひとまず安心しました。
追記3
アカデミー賞受賞後、入植者からの攻撃はさらにひどくなったという記事を読みました。映画の無力を感じてしまいました。彼らはどんな気持ちで攻撃しているのだろう。
友情モノじゃなく、パレスチナの惨状
パレスチナ人とイスラエル人の敵対関係を超えた友情みたいな宣伝されてますが、
このドキュメンタリーは、別に友情を前面に出しておらず、前面に出てるのはパレスチナの惨状です。
これを観る限り、イスラエル軍の非道さが凄まじく怒り心頭、イスラエル軍は犯罪者で悪にしか思えない。
このパレスチナとイスラエルの問題は、池上彰さんの番組で観たのとネットで調べたぐらいの知識です。
これを観たあとなので、もちろんパレスチナを支持しますが、イスラエル視点のドキュメンタリーも観てみたい。
片方だけじゃなく両方の視点で考えないとダメだと思うので、
とはいえ、人を傷つけていることを、どんな言い訳するのか?
イスラエル政府には、元々いい印象ないです。
ネタニヤフもキライだし。
自分を含め、対岸の火事だと思っている人が多いと思いますが、多くの人に観られるべきドキュメンタリーだと思います。
フィクションの劇映画の悪役のようなイスラエル軍の悪っぷり、迫害され悲しむパレスチナの人々、現場で至近距離で撮られた緊迫感あふれる映像の数々。
凄い観ごたえ、迷ったら観て下さい。
知る義務
アメリカ本国では小規模な自主上映にとどまり、ほとんど配給がなされていない。
にも関わらずアカデミー長編ドキュメンタリー賞をとったことは、アカデミー賞の意地を見せてもらったような気持ち。
イスラエルによるパレスチナの虐殺を止める力がなく、それに異を唱えることが映画作品からもできないとなれば、より絶望が大きかった。
今回のアカデミー賞受賞は、この賞自体の質を担保することにもなったし、映画業界全体の意思を強く打ち出すことになったと思う。
ヨルダン川西岸地区で粛々と進行していた人権侵害。2023年のハマスによるテロは衝撃だったが、それの前段階としてこれほどの事態があったことは、恥ずかしながら知らなかった。
100年以上住んでいた自分達の村が、ある日突然ブルドーザーで潰されていく。
ドキュメンタリーでは兵士による銃殺や、兵士ですらない武装した入植者による襲撃も捉えられている。入植者達は上裸で頭にシャツをまいた異様な格好で現れ、それにイスラエルの兵が帯同する。異様な光景だ。
主人公達は圧倒的な武力の前に無力ではあるが、そんな中で身を守る術、対抗する術が撮影することと、この映画を作ることだ。映画の力を改めて感じさせる。
印象的だったのは、兵士に打たれて首から下が不随となり、最終的にその怪我が原因で亡くなってしまう男性。
気力がなくなってしまい、積極的に人前に出ること自体を拒否するようになる。
自分が彼の立場であれば、おそらく同じように何もすることができなくなってしまうだろう。すべてに絶望してしまうと思う。故郷は奪われ身体の自由さえも奪われてしまう。なんという悲劇だろう。
この映画の批評でライムスター歌丸さんが「知る義務」と称していたが、まさにその通りだ。
「知らない」ことは罪になる。だが私達には知らないことが多すぎる。日々をぼんやり過ごしていると、容易にその立場になってしまう。
そして知っていたとしても、その後に実際に行動することができる人はごくわずかだ。
自分が知らないこと、知っているのに何もしないこと、そんな無力観が『関心領域』を観たあたりから臨界点に達しているように思う。
せめて知る。そして行動する。それが今必要なことだ。
イスラエル軍の行いが想像を超えて酷かった
子どもたちが中で授業中の小学校に大勢で押しかけ、子どもたちの目の前で校舎を重機で破壊する場面は、なぜそこまでできるのか分からずもはや唖然としてしまった。映画の中の2人の様に、分かり合える人達もいるのに。
蒙昧な大統領はここもリゾートにするのか
イスラエルからの爆撃で街をズタズタにされたガザから50~100キロほど東方のヨルダン川西岸パレスチナ人自治区(本来は、当然パレスチナ人の居住区の筈)で、パレスチナの人々が長年暮らして来た村の家を次々と破壊するイスラエルの蛮行を記録したドキュメンタリーです。本作の特徴は、それをパレスチナ人監督だけでなくイスラエル人監督と共に記録した点です。
軍事訓練所にするという名目でイスラエルは一方的に住民の立ち退きを迫ります。それは道理が通らないと裁判に訴えても、審理するのはイスラエルの裁判所ですから簡単に退けられます。イスラエルは、ブルドーザーで家を押し潰して行きます。更に、村で用いて来た井戸にコンクリートを流し込み、水道用のパイプは切断してしまいます。銃を突きつけられる村の人々はそれを見ているしかないのでした。
こんな非道な行為に直接関わるイスラエルの警察官らは「恥ずかしくないのか」と問われて
「決まった事だ。なぜ恥じる必要がある」
と傲然と答えます。更に恐ろしいのは、パレスチナ人居住区に入植して来たイスラエル民間人までもが銃を持ってイスラエル警官と並んで銃撃して来る事です。イスラエルは国連決議などは一切無視しているので、「パレスチナ人はみんなここから出て行け」と言いたいのでしょうが、パレスチナ人が国外に出るにはイスラエルの厳しい制限があり容易ではありません。まさしく彼らにとっては、心の中でも現実社会でも "No other land" - 故郷は他にない のでした。
解決の糸口などどこにも見出せそうにありません。「ガザをリゾート地に」などという蒙昧な大統領の妄言が妙にリアルに響いて来ます。この作品をイスラエル人、イスラエル支持者はどう見るのか、多くの意見を是非聞きたいな。
こんなん見たらイスラエル支持者なんて1ミリも信用できない
自分の無力感とパレスチナ人の深すぎる悲しみと不屈の闘志にただ茫然とするばかりだ
先祖伝来の土地に住むパレスチナ人の村々が、ある日突然イスラエル軍の演習地を拡張するとウソで固めた理不尽な理由で強制的に立ち退きさせられる4年間の話
重武装したイスラエル兵が押し寄せてブルドーザーで家をペシャンコにされるがその都度、穴蔵で暮らしながら何度でも再建してはまた壊される
その度に家族は何人も銃で撃たれ死んだり半身不随にされ、再建させないように大工道具や発電機まで奪われる始末
そのうち近所の綺麗な家に住むイスラエル人入植者も武装して迫害の主役に名を連ねてゆく
バブル期のヤクザの地上げ屋が可愛く思える非道ぶりだ
彼等もパレスチナ人を撃ち殺す
カメラを向ける事が唯一の対抗手段でイスラエル人の人権活動家の青年が単身村へ入り、同年代のパレスチナ人と共に記録しSNSに実態を投稿し続ける
小学校も破壊され井戸にはセメントを流し込まれ またもや撃たれて罪なきパレスチナ人の死
こんなん見たらイスラエル支持者なんて1ミリも信用できない
見て見ぬふりを決め込んでるのだから
そしてまたしても日本のジャーナリズムの欧米偏重と無能さ
中東は日本人の無関心領域なのか知ることに
平日の昼間に観客はわずか5人
アカデミー長編ドキュメンタリー映画の最高賞を受賞してまだ1週間ほどしか経っていないが
この映画館では今日で打ち切りだ😭
これがニュースで報道されないということ
久々の強烈ムナクソ映画
実は何度聞いてもこの地域の問題の因果が頭に入ってこない。
なら映画で見ると何かとっかかりになるかも、と挑む。
もちろん基礎知識があるに越したことはなかろうが、なくとも内容に差し支えなかった。
ないからこそ率直な印象を得ることができたような気もする。
「ある視点」だとしても、力が支配するとはこのことか、そんな風にくくってしまえないトンデモ迫害不条理の連続にとにかくムナクソ悪さで満たされる。もし自身が迫害される立場になったとしたら、などと考えようにも想像を絶する現実の連続だった。
加えて多くの子供らが、若者があの状況下に晒されているのかと思えば、不幸などと生ぬるい言い草にしか思えない。だからハマスが暗躍するのだ、とも言いたくなる双方の底なしの泥仕合に極東の私さえ絶望してしまう。
23年の記録で終わる本編のラスト付近での不穏な出来事の数々が今に続くのだと思えば、見ていて尻が落ち着かなかった。
東洋人の自身から見ればどちらも同じ人種であり文化圏にしか見えないのに、意味が分からない。
謎の悪意よ滅びよ!
悪意だけが滅びてしまえばいいのに。
怒りながら自転車をこいで帰宅した。
この映画を自分の眼で観てほしい
ヨルダン川西岸のパレスチナ人の居住地区のひとつ“マサーフェル・ヤッタ”が、イスラエルの一方的な理由で破壊され、それに抗議する住人の姿を追ったドキュメンタリー。ここで生まれ育った青年バーセルと、イスラエル人ジャーナリストの青年ユバルがフィルムにおさめる
まずここはガザ地区ではく、ヨルダン川西岸であること。ニュースで取り上げられる紛争地域でなくても、こんなことが発生しているのだ
荒れ地に、所々コンクリートで家が建つ素朴な村。この一帯をイスラエル軍が訓練施設にすると一方的に決め、隊列を組んで現れて、行政の命令と称する紙を見せて、個人の家や共同の井戸、水道施設を破壊していく。家財道具を持ち出す僅かな猶予は与えるが、予告無しに現れるので、最低限の家財を家の外に出すだけで、もちろん転居先の当てなど無い
砂漠のような荒れ地の貴重な井戸にも、情け容赦無くコンクリートが注がれる
壊された家に残っていた大工道具を没収されそうになって、抗議の声を上げた青年は発砲され、命は助かるものの、首から下が麻痺してしまう
もちろん住人は抗議のシュプレヒコールをあげ、横断幕と共にデモを行なうが、正規軍として武器を持つ者の圧倒的な力には敵わない
家を破壊された住人は洞窟で暮らすか、野宿、もしくは市街地への町暮らしを選ぶより他はない
映画は手ブレばかりで疲れるかなと危惧していたが、スマホやパナソニックのハンディビデオで録画する二人を捉える、第三者の目線からの映像もあって、現場を多角的にとらえている
時間の流れや、映像の前後の説明は無いが、不親切感は感じない
パレスチナ人の居住する地域を減らして、都市部に集約する為らしいが、村の家の破壊を命じるイスラエル人や軍人は血も涙もなく、力をもって一方的に命令を下す
権利が保証されている近代国家では考えられない行政の暴挙であり、ガザ地区においてハマスがイスラエルに一矢報いようと企図することで始まった、今回の混乱の遠因を見ることが出来るのである
まずは自分の眼でこの映像を見て、自分の頭でこの映像の意味するものを考えて欲しいと思った
【蛇足】
①バーセルとユバルの顔が似ていて、最後の方まであまり識別出来てなかったように思う
②パレスチナの人々の中にジャーナリストを名乗るとは言えイスラエルの青年がやって来て、拒否されるかと思ったら、そこは寛容に受け入れてくれて、二人の間には絆も生まれるのである。そこに、ささやかながら解決の糸口があるように思えた…そう簡単ではないのは1年以上続いた戦闘状態を見ていればわかるけれど
この現実を知ることが大切です
アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞受賞がきっかけではあるが、何としても観なくていけない映画だと思い朝イチに駆けつけた(私の近隣ではここの映画館のみ。しかも朝一回のみの上映)。イスラエルとパレスチナが長い間、憎しみ合ってる事実と今のガザ地区の事はニュース等で知ってたが本当の現実は全く知らなかった。日本人の殆どの人と同じだが、まずは自分の無知を恥じたい。特にニュース映像で度々出てくる地図にあるようにヨルダン川西岸地区とガザ地区はパレスチナの自治区と思っていたが、実際はヨルダン川西岸地区はABCに区分け(Aはパレスチナ自治、Bはパレスチナに民生権あるがイスラエルが支配、Cはイスラエルが制圧)されており、穴だらけのスイスチーズのようになっている(パンフレットの記載)。そのような事実に驚愕する。そして、このドキュメンタリーのマサーフェル・ヤッタはC地域であり、イスラエルは軍の訓練所にする名目で土地を奪おうとしている。カメラは住民の家や子どもたちの学校をなぎ倒し、ライフラインの井戸をコンクリートで埋める非道な状況を映し、ラストでは軍に守られたイスラエルの入植者(パレスチナ人を追払いそこに住もうとしてるイスラエル人)が抵抗する住民に銃で撃つシーンまで観ている我々に突きつける。
映画を作ったパレスチナ人のバーセル・アドラーとイスラエル人のユヴァル・アブラハーム(この2人の友情が奇跡)はベルリン国際映画祭のスピーチでこの映画のような状況を訴えたが、ドイツベルリンの市長は「ドイツはイスラエル側についている」として、ハマスによるユダヤ人に対するテロの責任を追求したと言う。同じくイスラエル側にたつアメリカはそもそも最初は上映されておらず、自主上映で評判となりアカデミー賞にたどり着いた。又トランプ大統領はガザ地区の住民は退去してもらいそこをリゾート地にするなどと言う始末である。
終結など全く見えない状況だが、ホロコーストが誰でも知っているように、世界のあらゆる人々が今の現実をもっともっと知り、非難の声を上げ続けるしか方法はないと思う。
先ずは、この映画を観てもらってから、、。
子供達のキラキラしている瞳が曇らないことを祈る
凄い映画。
Free Palestine
伝えることの意味
絶望って、繰り返し心を潰される事で起こるんだと思った。
パレスチナのヨルダン川西岸の村で実際に起こっている現実を、パレスチナ人の活動家の息子であるジャーナリストの青年と、イスラエル人だがこの問題に取り組んでいるジャーナリストとの共同記録映画。
予備知識がないと何の映画かわからないと思う
最初に字幕で良いので概要の説明が欲しいところだ
興味のある人しか見ない前提なのはせっかくの映画が、伝える効果が損なわれてしまうようで勿体無いと思った
映像は本当のものなのでリアルで息が詰まるような迫力がある
じわじわとパレスチナ人の家を毎週壊し続けるイスラエル政府軍。
マスクをして顔を隠して襲ってくる入植者。子供のいる小学校をブルドーザーで潰していく。洞窟に逃げてそこで生活する人々
身体障害者であっても、病気になっても車も家も奪われただ静かに死を待つ
洞窟の中で人間らしく生きることを大切にする家族
可愛い女の子、優しいおばあちゃん
介護する叔母、踊る男の子
遠い小学校へ通い学ぶ子供たち
水タバコを吸い、気分を紛らわせる青年
食事を家族みんなで摂る
近所で気をかけあう
人の思いが通った
生活がそこにある
ただパレスチナ人であると法学部を出た優秀な学生も能力に見合った就職には就けない
車のナンバープレートもパレスチナ人の車は緑で行けるところが限定的、イスラエル人のナンバープレートは黄色でどこにでも行ける
あらゆる差別と支配がある
壊して壊しまくって
そのパレスチナ自治区にキレイな家を建てるイスラエル人入植者。
これが暴力でなく何が暴力なのかと思う
なんとか家を建てたとしてもまた壊される
自分の土地を奪われ
家畜を手放してしまうと生活はもちろんできない
布切れに家を壊さないでと書きデモをすれば理由をつけて拘束し暴力を受ける
自分の家が壊されるのを目の当たりにする中で家主があまりにひどいと、重装備のイスラエル兵に訴え、家財だけでも持ち出そうと抵抗すれば銃殺される
土地を奪われ続けるパレスチナ人
ここはヨルダン西岸なのでガザではもっと凄惨
それがこの映画撮影時の状況からさらに悪化して
ハマスがイスラエルの人を誘拐してからガザの大虐殺は悲惨な状態に。
ハマスを倒すのは難しいからと、見分けられない以上パレスチナ人を皆殺しにすると宣言するシオニスト、ネタニヤフ政権
今までだってある程度アラファト議長の時や妥協点を見つけて今よりマシだった時もあった
それが例のc◯ Aに工作されハマスを育て、一方で
イスラエル内部では金と宗教心を煽り双方の対立構造を作り続けた
このパレスチナ問題を火種にし続ける事で、いろんな方向に問題を起こせるとしているフィクサーと国際金融資本家やコングロマリット
大昔は言い出したらキリがない、ここ200から300年でみて、近年はそもそもは入植し、パレスチナの生きる権利を奪い続けたことこそ問題
ただユダヤ人も入植して2代3代と続けばそれもまたそのユダヤ人からすれば自分が生まれ育った土地になっていく
早く線引きするなり、入植はこれ以上絶対ダメとするなり、トランプがいう何らかの解決策を実行しなければパレスチナ人は土地を失い根絶やしになってしまう。
国際事情を鑑みて、パレスチナのアラブ人を直接的に助けてこなかった、クレームだけいう、サウジやアラブの強い国の姿勢も問われる、人柱にしてきたよねって思いますよ私は。
余りにも映画の実際がひどいので熱くなってしまった
私の見解が正しいわけでもない
ただ、今パレスチナ人がされていること、あれは人殺しのイジメです
ユダヤ原理主義の人たちは自分らがずっと差別されて不遇な時代を過ごしてきた、だからと言って同じことをしてはダメ
ただここまですることを良しとしてるのはユダヤ人みんなではないですから、そこはほんと大事なとこです
それぞれが利用されてることにみんなで気づいていかないと希望が見えない
人間嫌いの金金ネットワークのあちらはいつでもダブスタなのだから、、、
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