「真のジャーナリズム」ノー・アザー・ランド 故郷は他にない ありのさんの映画レビュー(感想・評価)
真のジャーナリズム
身の危険を冒して撮影する若き監督たちには頭が垂れる思いだ。銃を持った兵士たちに臆することなくカメラを向ける姿からは真のジャーナリスト魂が感じられる。人権を無視したこの理不尽な破壊活動を世界に伝えようという強い意志が全編から伝わってくる。力作と言って良いだろう。
監督は4人の連名となっている。映画はその中の二人、パレスチナ人のバーセルとイスラエル人のユヴァルを主な登場人物に据えて、イスラエル軍によるパレスチナ人に対する弾圧が映し出されていく。これが現在イスラエルで起きていることだと思うと、暗澹たる気持ちにさせられる。
映画はこうした惨状を赤裸々に捉えていくが、同時に取材するバーセルとユヴァル、立場を超えた二人の友情も描かれていく。これは終わりの見えない不毛な争いを照らす小さな光のように感じられた。彼らのように分かりあえることが出来れば、このような醜い争いなど起こらないのに…と思う。
印象的だったのは、あるパレスチナ人青年がイスラエル兵に撃たれて四肢麻痺の身体になってしまうエピソードである。家も破壊されて住む場所を失った家族は洞窟の中で惨めな暮らしを余儀なくさせられる。青年の母親の深い慟哭に憐憫の情が禁じ得なかった。
もう一、パレスチナ人とイスラエル人では車のナンバープレートの色が違うというのも印象的だった。パレスチナ人の車は緑色、イスラエル人の車は黄色のプレートと分けられている。バーセルの父親は給油所を経営しているのだが、店先に黄色と緑色のナンバープレートが掲げられている。これはどちらの車でも給油できるという印なのだろう。
そして、当然のことながら緑色のナンバープレートの車は居住区を出ることが出来ない。そのためユヴァルとバーセルが会うためには、いつもイスラエル人のユヴァルがパレスチナ人のバーセルの家を訪ねることになる。うろ覚えであるが、ある時バーセルがこんなことをポツリと呟く。
「いつか君を訪ねる日が来るだろうか?」
この言葉は二人の立場の違いをさりげなく物語っているように思った。
確かに二人は同じ志を持つ盟友である。しかし、決して対等というわけではなく、根本的な所ではやはり格差が存在するのである。願わくば自由に行き来できるようになればいいのだが、果たしてそんな未来はいつになったら来るのだろう…と考えさせられてしまった。
また、映画のタイトル「ノー・アザー・ランド(原題)」は、他に行くべき場所はないというような意味だが、これもバーセルの思いを表した言葉と言えよう。ユヴァルには帰れる場所がある。しかし、自分にはここしかないという悲しみ。二人の住む世界の違いを端的に表しているように思った。
ちなみに、最近、4人の共同監督の内の一人が、イスラエル人の入植者に暴行を受けて軍に連行されたというニュースが話題になった。その後、無事に保護されたということだが、その時に受けた傷は今でも癒えてないという。
実際に本作でもバーセルたちが軍人から暴行されたり連行されそうになるシーンが出てきてヒヤッとさせられた。今回の事件は実際にそれが起こってしまったというわけである。
このような危険な状況を顧みず勇猛果敢にカメラを回し続けた4人の監督たちには、改めて敬服するばかりである。