「知る義務」ノー・アザー・ランド 故郷は他にない まじぽんさんの映画レビュー(感想・評価)
知る義務
アメリカ本国では小規模な自主上映にとどまり、ほとんど配給がなされていない。
にも関わらずアカデミー長編ドキュメンタリー賞をとったことは、アカデミー賞の意地を見せてもらったような気持ち。
イスラエルによるパレスチナの虐殺を止める力がなく、それに異を唱えることが映画作品からもできないとなれば、より絶望が大きかった。
今回のアカデミー賞受賞は、この賞自体の質を担保することにもなったし、映画業界全体の意思を強く打ち出すことになったと思う。
ヨルダン川西岸地区で粛々と進行していた人権侵害。2023年のハマスによるテロは衝撃だったが、それの前段階としてこれほどの事態があったことは、恥ずかしながら知らなかった。
100年以上住んでいた自分達の村が、ある日突然ブルドーザーで潰されていく。
ドキュメンタリーでは兵士による銃殺や、兵士ですらない武装した入植者による襲撃も捉えられている。入植者達は上裸で頭にシャツをまいた異様な格好で現れ、それにイスラエルの兵が帯同する。異様な光景だ。
主人公達は圧倒的な武力の前に無力ではあるが、そんな中で身を守る術、対抗する術が撮影することと、この映画を作ることだ。映画の力を改めて感じさせる。
印象的だったのは、兵士に打たれて首から下が不随となり、最終的にその怪我が原因で亡くなってしまう男性。
気力がなくなってしまい、積極的に人前に出ること自体を拒否するようになる。
自分が彼の立場であれば、おそらく同じように何もすることができなくなってしまうだろう。すべてに絶望してしまうと思う。故郷は奪われ身体の自由さえも奪われてしまう。なんという悲劇だろう。
この映画の批評でライムスター歌丸さんが「知る義務」と称していたが、まさにその通りだ。
「知らない」ことは罪になる。だが私達には知らないことが多すぎる。日々をぼんやり過ごしていると、容易にその立場になってしまう。
そして知っていたとしても、その後に実際に行動することができる人はごくわずかだ。
自分が知らないこと、知っているのに何もしないこと、そんな無力観が『関心領域』を観たあたりから臨界点に達しているように思う。
せめて知る。そして行動する。それが今必要なことだ。
知る義務、本当にそう思います。ユダヤ教を信仰するユダヤ人 vs.ナショナリズムユダヤ人から成るイスラエル人、違う。イスラエル人はドイツによるショアー以前から、ヨーロッパの国々がやってきた植民地政策をかなりかなり遅れてやった国。自分達も植民地でそこに住んでいた人々を殺害し土地を自分達のものにした、それが後ろめたいのか、イスラエル人と信仰篤いユダヤ人の区別をしないまま、イスラエルに援助している、日本も。イスラエル側が日本車を運転していて辛かった