劇場公開日 2024年11月16日

「足りない要素を観客が想像で補う、舞台劇に近い体験」あるいは、ユートピア 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0足りない要素を観客が想像で補う、舞台劇に近い体験

2024年12月4日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

Prime Videoで鑑賞。ほぼ予備知識なしで観始め、序盤の引きで固定の構図に役者らが出入りする長めのショットと、カット割の少なさから、舞台劇用の戯曲の翻案かと思った。だが後で解説などを読み、東京国際映画祭でAmazon関連の賞を獲った新人、金允洙(キム・ユンス)監督のオリジナル脚本による長編監督デビュー作だと知った。とすると、あの序盤は舞台劇のように作った映画ですよという宣言なのかもしれない。

大量発生した謎の巨大生物に取り囲まれ、ホテルから出られなくなった宿泊客、ホテル関係者、自衛隊員の計12人。設定だけだとスティーヴン・キング原作の「ミスト」(2007)などのモンスターホラーっぽいが、恐怖やパニックは描かれない。むしろ逆で、かつての日常で居場所がなく絶望して死さえ求めていたような人々が、異変発生時の避難の機会にあえてとどまり、非日常の閉空間に救いと解放を見出していく。

人間を襲うらしい巨大生物は、「ナウシカの王蟲のような」と形容され、藤原季節が演じる主人公が目にする10cmほどのネッタイタマヤスデ(ダンゴムシのお化けみたいだが、ペットショップなどで販売もされている)で連想させるが、CGや特撮で本体が描かれることはない。外から時折聞こえてくる音も、鹿程度のサイズの動物の群れがザザッと走り抜ける感じで、膨大な質量を感じさせる轟音ではなく、ホテルの内部が振動するような映像エフェクトもない。

話は異変が起きた2024年と2年後の2026年を行ったり来たりするのだが、人物たちの髪型やひげの長さは変わらないし、体型ももちろん一緒。当番制で清掃するという説明はあるものの、食堂、客室、廊下など広大なホテル内をわずかな人数で掃除してきた割には経年の汚れや乱れが見られない。

さらに指摘するなら、人物らの以前の暮らしぶりなどもすべて台詞で説明されるのみで、ホテルに来る前の自宅や職場などでの様子を描く回想シーンもない。つまり、人物らの過去にせよ、異変後の巨大生物や市街の惨状にせよ、ホテル外部については一切描かない姿勢を貫いている。

演劇の場合は、演者と観客が劇場の中で同じ時間と空間を共有する、従ってリアルに別の場所や別の時代に移動することはできない前提がある。だからこそ台詞やナレーションの状況説明だけで目に見えない場所や時代、あり得ない存在などを想像で補い、演者と観客が想像で作り上げた作品世界を共有できるし、舞台劇とはそういうものだとの共通認識や慣れが確かにある。

一方で映像作品の場合、時間や空間の移動はカット編集で瞬時に実現するし、あり得ない存在も視覚効果で表現できるのに、本作のように外の世界で起きていることも過去の回想も一切描かないのは、窮屈で、物足りなく感じられる。

おそらくは製作費が少なく、撮影スケジュールがタイトで、2年のタイムラグで髪やひげに変化をつけることもできず、ホテル内に経年の汚れや乱れを加えたら原状回復にまた費用と手間ひまがかかるし、VFXにかける予算も足りなくて、などと大人の事情があったのだろう。映画で描き足りない、あるいは描写が割愛された要素を観客側が想像で補うのは、演劇の場合ほど当たり前ではないし、忍耐を強いられるようにも感じるだろう。

俳優陣はみな達者で熱演しているのだが、映像的には淡々としていて、うっとりするような美しさや圧倒的なインパクトの点で弱いのも、映画体験としての物足りなさの一因になっている。

高森 郁哉