どうすればよかったか?のレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
統合失調症の姉と、姉を匿った両親。
その姿を捉えたセルフドキュメンタリー。
医学部進学を目指した姉が突然叫び出したりなどの統合失調症めいた症状を発症したのは1983年頃。
8歳年下のわたし(監督の藤野知明)は、まだ十代の少年だった。
基礎研究分野の医学博士の両親は、他の医者に姉を診察させるも統合失調症などの病気ではないと判断し、以後、姉を周囲から遠ざけるようにした。
家を出、いくつかの変遷の後、映像関係の学校に進学したわたしは、帰省などの折に「家族の旅行などの記念」及び「自身の仕事の習作」の名目で、姉や両親をカメラに収めることにした。
それが2001年のことで、姉が発症したと思われる日から18年経っていた・・・
といったところからはじまり、現在に至るまでが収められている。
タイトルには、監督自身の後悔と仕方がないという納得が詰まっている。
映画は、「どうすればよかったのか?」「××すればよかった。○○すべきだった」といった「べき論」的なことを求めていない。
第三者(観客)にみせることを前提にしているが、第三者視線での「統合失調症発症の原因」や「その後の行うべきだった対処」などは求めていない。
監督が提示しているのは、「わたしの家族は、このとおりだった」ということ、それだけなのだ。
ここが観ていて苦しい。
見ていて苦しい、心苦しい。
もっと言えば、観ることに「後ろめたさ」や「疚しさ」を感じてしまう。
それがどこから来るのかがわからなかった。
観終わってすぐ思ったのは、「あぁ、自分の家族も別の事象だけれど、ほんとうにひどかったなぁ」という心苦しさだったが、「観ることへの後ろめたさ」を感じる要因とは別のものだ。
「観ることへの後ろめたさ」を感じるのは、姉及び両親を撮りはじめる際に監督自身が言っていることに起因している。
撮影の名目は「家族の旅行などの記念」であり、「姉及び両親の生活の実像の記録」ではない。
端的にいえば、「真の目的を隠匿したうえでの隠し撮り」であり、そこに映し出されているのは「秘密の姿」なのだ。
その「秘密の姿」を観ること・視ることに「後ろめたさ」を感じてしまったのだろう。
さて、問題は、視てしまった観客としてのわたしだ。
安易に「べき論」的なこと感想を口にすることは決してできない。
監督と同じく、「仕方がないけれど納得するしかない」のかもしれない。
両親の愛情と監督の下心
公開日から一週間後に鑑賞。
公開館数が少なくて上映回数も少ないのに話題沸騰なため、満席だらけ。
クレジットカード不所持でオンライン予約出来ない人間には、チケット購入難易度が最高峰だった。
上映時間よりもかなり早めに映画館に行ったら、映画館自体はまだ開店前だったのに列ができてて、チケットを購入するために列に並んで購入。
映画チケットを並んで購入なんて、下手したら2011年の東日本大震災で映画館がしばらく休館後、再開した時に映画館に人が殺到して、『塔の上のラプンツェル』のチケットを買うために一時間並んだ時以来かも。
事前に聞いていた話だと「20代で統合失調症を発症した娘を、両親が世間に悟られないようにするため、25年間監禁し続けた話」と聞いていたが、観た後は「そうかな?」という感じがした。
結果的には両親の行いは間違っていたことになるが、両親は世間体を気にして娘を家に閉じ込めていたわけでは無く、本気でその方が娘のためになると思っての行動のように思えた。
もし両親が自己保身ばかりで娘に愛情がなかった場合、お金は稼いでいそうなので、精神科の施設に送り飛ばして終わりな気がする。
そうでなくても娘への対応がもっと雑だったり虐待チックだったりしてもおかしくなさそうだけど、そうは感じなかった。
家に南京錠をかけて娘を軟禁していた件も、一人で外出させた時に過去に警察沙汰を起こしていたことがあるわけで、娘を守るための行動としては仕方ないような気がした。
一方、弟でもある監督に対しては、映画を観るにつれて不信感が募っていった。
※ここから「お前何様?」と思われても仕方ないぐらいの監督批判が永遠と続き、気分を害させる可能性大なので、閲覧しない方がいいかも。
監督は「お姉さんを救いたい」みたいなことを言っていたが、実際にとった行動は「社会人になったのをきっかけに実家のある北海道を離れて神奈川で一人暮らし」→「30歳を超えて映画監督を目指す」→「実家の様子を録画し始める」という流れだが、行動だけ見ると「家の面倒に巻き込まれたくなくて実家から離れたが(この行動自体は責められないと思う)、映画監督を目指すようになり、身近にドキュメンタリーのネタがあることに気付き、本腰入れて家族の問題に直視するようになった」と感じた。
ひねくれた見方かもしれないが、映画を観ていると「お姉さんを救いたい」気持ちよりも「ドキュメンタリーを作りたい」気持ちが優先されているように感じる場面が多々あった。
例えば、台所の場面。
お姉さんが洗い物をしている最中、夕飯の残り物を冷蔵庫にしまうことを思い付き、洗い物を中断し、残り物の入った皿にラップをかけようとするが悪戦苦闘。
その間、水道の水はずーーーっと出っ放し。
動画を撮っている監督はただ静観。
ドキュメンタリー監督として「被写体に関与しない」姿勢は正しいのかもしれないが、目の前の女性は「被写体」である前に「実の姉」。
仮に監督がお姉さんに「水、出っ放しだよ」と声をかけ、それでお姉さんが蛇口を閉めたとしても、観客には「お姉さんは忘れっぽい」という情報は伝わると思うのだが、なぜ監督が声をかけなかったかといえば、それは「お姉さんの異常性を際立たせる」ためですよね?
他にも、お姉さんのキレてる場面が何度か出てくるが、ほとんどの場面が「キレてるところから」の映像で始まっているのも疑問に感じた。
もしかしたら正当な理由で怒っているかもしれないのに、この作りだと「お姉さんが突然キレ出した」ように見える悪意のある編集に感じた。
もし本当に突然キレ出したのだとしたら、キレる少し前の場面から映像を始めた方が、家族の大変さがより伝わったと思うのだが…
この映画の始まりがお姉さんの喚き散らす音声から始まっているのも、後から考えると問題な気がしてきた。
映画の掴みとしては抜群だったかもしれないが、監督が本当にお姉さんに愛情を持っていたとしたら、お姉さんのみっともない音声を掴みに使ったりするものなのだろうか?
監督がお姉さんに話しかける場面も気になった。
ガン無視されているように見えたが、気のせい?
別に姉弟で仲が悪いのは珍しいことではない。
普段からそんなに仲良くなかったのに、お姉さんに声かけて無視される理由を「病気のせいでこういうリアクションになっている」ように編集で見せていたとしたら悪質だと思った。
「お姉さん、子供の頃、可愛がってくれたよねえ」なんて、記憶喪失じゃないのにそんなことわざわざ言うかなあ。
途中に出てくる、お姉さんを病院に連れていくように、監督が母親を説得する場面も酷いと思った。
あれだと説得ではなく詰問。
相手のダメなところをあぶり出して否定しているだけ。
最近の言い方でいえば「論破」。
本気でお姉さんを病院に連れて行きたいんだったら、「どうすればよかったか?」なんて言ってないで、「本」でも「人に相談」でも「YouTube」でもなんでも良いので、もっと人への説得の仕方を勉強すべきでは?と思った。
「人の心を動かす」能力って、映画監督には重要な能力だと思うのだが。
まあこれからは、子供が統合失調症になっても病院に連れて行かない親がいたら、この映画を観せればOK。
本作は統合失調症だけではなく、引きこもりや介護の問題も内包していると感じた。
そういう意味では、最近耳にするようになった「8050問題」を描いた映画として捉えることも可能といえなくもない。
最後まで観終わって、2014年公開映画『6才のボクが、大人になるまで。』のことを思い出した。
たとえ途中にいろいろなことがあったとしても、幼い女の子が白髪混じりの老人になるまでを一続きで見せられたことで、「人生って尊いんだなあ」と感傷的な気分になった。
疲れ果てた親の姿に
答えは
体裁を気をしていた両親の罪は深い
統合失調症の姉を父母が有効な治療を受けさせずに監禁していた話、と聞...
統合失調症の姉を父母が有効な治療を受けさせずに監禁していた話、と聞き鑑賞。
確かに玄関に南京錠はかかっていたが、他の窓から出られる環境下にあり、監禁にはあたらない。外出しようと思えば容易に外出できる状況にあった。
有効な治療を受けさせず、姉にとってイタズラに時が流れていったのは確か。ある程度知識があって、平均以上の知能を有していても、自身に不都合な真実を直視し受け入れるって難しいことなのだな、と思う。もしくは、頭が良くても正しい判断ができるとは限らない、ということなのかも。
薬物療法でコントロールされた状態であれば、現代社会のルールの枠内で生きるという選択肢もあったかもな、と思う。一方で、枠からはみ出した人間をそのまま許容する度量は我々の社会にあまりないんだよな、とも。実際隣に絶叫する人が住んでいたら引っ越すな、私は。
また、姉は両親の庇護下ではあっても日常生活は送れており家族との生活を享受できていた。幸不幸ってどこで判断するのか、とも思った。
本作の姉よりももっと深刻な病状の人は多くいて。その人たちの多くは世の本流からは遠く離れた場所で生きている。この作品の更に奥にある現実、彼ら彼女らの現状にも、光が当たればよいなと思う。
どうすればよかったか?
人生にタラレバはないというが、どうすればよかったかと後になって悔やんだことがない人はいないだろう。ましてや社会への船出を迎える時期にどういう選択をしたかはその後のその人の人生に大きな影響を及ぼす。それが本人ではなく家族の意思で明らかに異常な判断がなされたとすれば、死んだ人は浮かばれないのではないか、監督がそう問いかける映画である。
医学系の研究者である両親の影響から、4浪の末、医学部に進学した監督の姉は、大学4年の解剖実習に失敗したことで留年した。その頃から少しずつ様子がおかしくなっていき、1983年に統合失調症の最初の発作が起きた。監督は、1992年、実家を出る直前におかしくなった姉の様子を録音し、2001年から、実家に帰省するたびにビデオを回し始めた。発症してから25年後の2008年、母に認知症の症状が見られた。監督は医師に相談したところ、「姉はすぐに入院させ、父親が自宅で母の面倒を診るのがよい」というアドバイスをもらった。それを父親に相談したら、姉の入院を受け入れた。姉は入院期間中、合う薬が見つかり、3ヶ月で退院できた。退院後は、料理をしたり、弟が撮影しているカメラにピースをしたりとそれまでとは別人と言っていいぐらいに変化した。
監督はこう振り返る。「最初の急性症状が出たときに、僕は30分以内に救急車を呼ぶという正しい判断ができていたので、姉について後悔していることはない。ただ、間違っていたのは、両親の説得に25年かかったということ。どう考えても長すぎるし、姉に対して申し訳ない。これを失敗と言わずして何と呼ぶのか。だから後悔があるとしたら、もっと早く両親を説得すべきだったということ。」
統合失調症とは、脳内の神経伝達物質のバランスが崩れることで、考えや気持ちがまとまりづらくなる精神疾患だ。幻覚や妄想などの陽性症状、意欲の低下や感情表現の減少などの陰性症状、認知機能障害などの症状が現れる。早期発見と早期治療が重要で、薬物療法や精神療法、認知リハビリテーションなどの治療によって回復することができる。原因は現在でもはっきり解明されていないが、遺伝子も関与しているといわれている。本人がなにかをしたら発症するわけではなく、親の育て方や遺伝のために起こるわけでもない。
監督メッセージは無念さが滲み出る。
「姉はたくさんの才能を持って生まれましたが、発症してからは、それを十分に発揮することなく、ほとんど独りで生きていました。
我が家の25年は統合失調症の対応の失敗例です。
どうすればよかったか?
このタイトルは私への問い、両親への思い、そして観客に考えてほしい問いです。」
文字通り「どうすればよかったか?」を問いかける作品
家族という閉鎖空間のなかで,精神疾患を発症したら,,,とあり得そうだけど否認したくなる現実に向き合う藤野監督。姉と同時代の空気を生きてきた者として,発症当時の疾患名がいかに差別的であり人間であることを否定するような名称だったことも25年間,医療につなげられなかった遠因としてあるように思う。
どうすればよかったか?
両親も姉の実弟である監督もよりよい方向を考えてはいたであろう。
家族の恥,世間体,,,,様々なことが障壁となり自己正当化バイアスも作用しながら時間が過ぎていったのだろう。
医療に繋がると3ヶ月の入院で疎通性が向上,もっと早くに・・・とついつい思ってしまう。
どうすればよかったか?
正解はないだろう。
しかし,家族という閉鎖空間で全てが,育児や介護も含めてだ,完結する,させなければならないという桎梏を問い直す必要がある。
監督が家族という空間を拡げるということに風穴をあけてくれた。
そう思う。
同じように家族にレンズを向け他作品を帰り道に思い出した。
それは小林貴裕監督の「Home」であり,赤崎正和監督の「ちづる」である。
大入り満員! 極めて個人的であるからこそ普遍的な、統合失調症の姉と家族のドキュメンタリー。
ほんと、どうすればよかったんだろうね……?
この映画の「どうすればよかったか?」という問いかけには、
いろいろと考えさせられる部分がある。
もちろん一義的には、この映画で扱っているのは、
「姉を」どうすればよかったか、という話なのだが、
「このご両親を」どうすればよかったか、のほうが
より根源的で、監督自身の悩みに寄り添った問いかけになる気もする。
あと、映画を観はじめた段階では、むしろこれは、
「問いかけるまでもない」話だったりもするのだ。
すなわち「病院に連れて行ったほうがよかった」。
それに尽きる。
だが、20年以上に及ぶ生活ぶりを見せられ、
統失患者のいる「日常」が実際に平常化し、
それなりに構築されている姿を見せられると、
だんだんとその「義憤」に「ためらい」が生じてくる。
パパとママの主観からすれば、これって意外に
それなりに「やりきった」生涯だったのではなかったのか。
姉はたしかに20年間を無駄にしたのかもしれないが、
くるったまま混濁した意識のもと生活する日々と、
半ば正気のまま自分のお荷物ぶりを自覚しながら過ごす日々。
どちらがどれくらい幸せだったといえるのだろうか。
「実際にあった日常」の「重ねた年月の重み」と、
最後まで、ぶれることのないご両親の価値判断に、
むしろ観ているこっちが、だんだんぶれてくる。
一応の正義を信じてはいても、若干不安になってくる。
意外にお姉さんが、これはこれで「あり」の人生だったと
いっちゃったりしたら、どうする?
なにが正解だったとか、どうすればよかったとか、
2時間付き合っただけのわれわれに、
いえることなのか? いっていいことなのか?
― ― ― ―
それにしても、薬ってマジで効くんだな。
ちょっと、びっくりした。
映画だけ見ていると今一つわからないが、
まだ外出できていたころのお姉さんは、
相応に「ふつう」を偽装できる程度には、
ふるまって過ごせていたのだと思う。
ある時期までは、ご両親と「共同研究」をして、
翻訳なども手伝っていたそうだし。
だが、パパが終盤にいっていた「ここ数年」は
本当にひどい状態だったのだろう。
意思疎通もできない。汚言を吐き続ける。
衝動的に動く、そんな感じだったに違いない。
それが、3か月の入院で、あれだけしゃべれるようになった。
意思疎通できるどころか、会話が交わせるようになった。
笑うようになった。ポーズを決めるようになった。
通常の人からすればかなりまだおかしいけど、
少なくとも、人として普通にやりとりができるようになった。
そして、なによりも花火を喜べるくらいの感性が戻った。
医療ってすげえな、薬ってすげえな、ってのが率直な感想。
ちょっと不謹慎だが、リアル・アルジャーノンくらいの衝撃だった。
なんか、このままハッピーエンドでもいいんじゃないか。
そう思えるくらいのカタルシスが、弟の問いかけに対して、
姉が「ふつうに」応えた瞬間には確かにあった。
いや、マジで、こんなに簡単に「効く」んなら、
ほんと早く医者に診せておけばよかったんだよ、
とは思うんだけど……、
この「時期」だったから効いたのかもしれないし、
若くして正気に戻っても、はたして
お姉さんにどんな人生が待っていたかはわからない。
でも、とにかく薬があれだけ効いて本当に良かったと思うし、
パパとママにどれだけの「咎」があったとしても、
お二人が娘の「復活」を目に出来て、本当に良かったと思う。
― ― ― ―
僕の周辺には統合失調症を患った人がいないし、
精神疾患の親族もいない。
自分はかなりのADHDだが(専門家の妻が100%そうだと断言しているから、そうなんでしょうw)、発達障碍と精神疾患はまったく別のものだ。
基本的に僕にとってはしょせん「他人事」だし、
この映画も「面白半分」「怖いもの見たさ」で足を運んだ。
だからこそ、当事者の苦しみや悩みや問いかけに対して、
軽々に答えられないし、答えが思いつかない。
多くの観客は、弟さんのあきらめが早すぎると思うかもしれない。
もう少し早い時期に、なんとかできたのではないかという人もいるだろう。
でも、たぶん物事はそんなに単純ではない。
話している様子を見ていると、ご両親も結構な確率でASDの傾向が見られる気がする。
理系分野で相応の研究成果を残したインテリ夫婦で、こだわりが強く、意見を変えず、一度決めた生活ルーティンを壊したがらない。
パパはあくまで冷静で温和で紳士的だが、決して現状変更を認めようとしないし、かたくなに「娘が医師国家試験をどうこう」という(傍から見ているととてもあり得ないような)話に固執している。
ママも少し言葉は聞き取りにくいが優秀な人で、晩年ボケてきても、ボケているなりに「推理」して「論証」して「侵入犯の行動原理について仮説を立てようとしている」ことにけっこう驚いた。
こういうご両親がいったん「娘はああ見えてまともだ」という物語を組み立てて、「医者に診せる必要はない」と結論付けて、娘を隠しこもうと決め込んだとき、それを変えさせるのは、傍から思うよりも何倍も大変なことだったのではないかと思う。
娘が妄言を口走ろうが、うろうろしはじめようが、「ほとんどなかったことのようにふるまう」パパとママ。
観ていて、とてもおそろしいシーンだ。
これは創作ではない。実際にあったことなのだ。
彼らは、「見たくないこと」は「見ない」。
都合の悪いことは、認識の外に追いやる。
そうやって、娘は「そこそこまとも」で
「医者に診せる必要も治療の必要もなく」
「今でも医者を目指して勉強している」
という「仮想の物語」を守り抜いていく。
それは、幹線道路沿いに住んでいるうちに騒音がまったく気にならなくなったり、どぶ臭い家のにおいがだんだんわからなくなったりするのと同じ、精神の自衛機能だ。
娘の異常性が、日常に溶け込んでいく。
見えなくなる。気にならなくなる。感情がオフになる。
こうして、「昭和・平成の座敷牢」が生み出される。
なにより、この「座敷牢」は、実在しただけではない。
20年以上維持された、どこまでも堅牢でゆるぎない、筋金入りに実体的な「座敷牢」なのだ。
僕は弟さんにこの現状が変えられなかったのは、そうおかしなことではないと思う。
何よりこの「座敷牢」は、それなりに安定して、落ち着いた状態を保っていた。
少なくとも維持されている間は、なんの事件も起きなかった。
安寧が約束された、ある種の「失楽園」だった。
言い方は悪いが、動物園の平和と変わらない。
親御さんにとっての、偽りの安息所。
この均衡が崩れたら、「パパは死んでしまう」とママはいった。
実際、無理に現状変更を図って壊してしまったほうが、何が起きるかわからない。
弟さんにとっても、一歩踏み出せない状況が長く続き、
長く続けば続くほど、余計に動けなくなった。
そういうことではなかったか。
― ― ― ―
弟さんという「観測者」の立ち位置も、実はこの映画ではけっこう重要なファクターだったりする。
監督は、単なる傍観者でもなければ第三者でもない。
れっきとした家族であり、最も身近な間柄であり、事態に一定の責任をになう存在だ。
しかも、特定の見識を家族に持ち込み、「混乱を生じさせている」張本人であるともいえる。
表面上、ある種のバランスをとって平穏に過ごせている三人のところに、ときどき帰ってきては延々ヴィデオを回し、姉に質問をくどくどと投げかけては、発作を引き起こすトリガーになっているわけだから――。
彼がヴィデオを回すこと自体が、両親の行動や姉の症状に影響を与えている可能性もある。
彼がドキュメンタリーを記録することで、取材対象者自体になんらかの変化をきたしていることだって、十分に考えられるわけだ。
一方で、疾患のせいで感情表現がうまくできず、親への怨念を抱えながら、静かに座って怒りを秘めたまま、じっと時間が過ぎるのを待っていた姉にとって、弟の来訪とカメラを通じての呼びかけは、大きな喜びであり、支えであり、心のよりどころであった可能性もある。
実の家族によって行われたこの取材行為が、いびつな家族の在り方にどのような影響を与えたかについては、結局のところ誰にもわからない。
ただ、監督がこの件に関しては単なる取材者ではなく、れっきとした「プレイヤー」だったことは疑いようのない事実であり、映画を撮るという行為自体が撮られている内容と不可分の影響関係にあったこともまた、無視できない現実である。
― ― ― ―
その他、思ったことなどを箇条書きにて。
●統合失調症を患っているあいだ、お姉さんの見た目は驚くほど若い時のまま変わらない。それが、3か月の治療が奏功して「ある程度まともにやりとりできる」ような状態になって戻ってきてからは、年相応にだんだんと老け込んでくる。
まさに、お姉ちゃんの「停まっていた時が動き出した」のだ。
●また北海道か、というとえらく怒られそうだが、ススキノの「あの事件」を想起せざるを得ない部分はどうしてもある。親御さんの職業、抱え込んで悪化させる流れ、孤立無援で煮詰まっていく様子、娘に言われて占星術の本を出版しているあたりなど、あまりにいろいろと両者には類似しているところが多くて、考えさせられる。「あれ」の悲惨なカタストロフィと比べると、本作の場合はまだ「軟着陸」できたケースなんだな、と率直に思う。
●ある日、実家に帰省したら「南京錠」が玄関につけられていた。あるいは、連動した「鳴子」のような仕掛けが付されていた。それを見つけた弟は、さっそくカメラを取り出して撮影を始める……いろいろと怖すぎる。非日常が日常化する恐怖。
●ママが明らかにおかしくなって(認知症というより、統失っぽい妄想だった)、何度も部屋に突入してくる母親に刺激されて、お姉ちゃんまで金切声を上げ続けているくだりは、まさに映画としての恐怖の頂点――「この世の地獄」とでも言いたくなるような「こわい瞬間」だった。
パンフによれば、われわれ観客が「あれ? ママ、娘の首絞めてるのかな」と思わずビビったあたりで、監督もまたビビッて、いったんカメラを置いて部屋に入ろうとしていたらしい。
●逆に「言葉」を取り戻したお姉ちゃんが、家の前で花火を見るシーンは、眠り姫が王子のキスで目覚めるくらいの高揚感があった。母親のいなくなった家で、ある程度の「機能」を取り戻したお姉ちゃんが、家事の実権を握り、好きなものを買いにフリマに赴き、人としての「威厳」を取り戻してゆく。
たとえとしてはひどいもので申し訳ないが、実家で多頭飼いしていた犬たちのあいだで、一頭死ぬ毎に如実にパワーバランスが変化したのを思い出した。いままでいじめられていじけていた子が、一席「空く」ことで生き生きと力を得て、群れのなかで新たな地位を得る。生物である以上、そこは人も同じなのだなあ、と。
●お棺にあふれかえる趣味のものと占いの呪物。あの過剰な死出の装いには、周りの人の「申し訳なさ」が反映してるんだろうなあ。
●全体として、あまりプロっぽくないカメラワークと、ほとんど素人同然の語り(でもとても聞き取りやすい)が、ドキュメンタリーというより「ホームムーヴィー」を見せられているような感覚を与え、お話の親密度というか、リアリティというか、生々しさを高めているように思う。
●テアトル新宿の朝10時の回、客席は満席! パンフを買う列にも行列が出来、明らかに他の映画とは別次元の「何か」が起きているような熱気だった。
この映画は、監督にとって「告発」の映画であると同時に、「身内の恥」の映画でもあり、「家族をネタに商売をする」映画でもある。あるいは、20年以上に及ぶ「私怨」を「人々にさらしものにする」ことによってはらす、「私的復讐」の映画でもある。
きっとつくるには、並々ならない苦悩と、逡巡と、うしろめたさもあったに違いない。
それが、この思いもよらぬ大ヒットで、少しでも報われたらと思わざるを得ない。
やはり両親が悪い
タイトルなし(ネタバレ)
完全にホームビデオや録音だけでできており、ドキュメンタリーというよりはある家族の記録という方が正しい。もちろん載せていない記録や場面もあるだろうから、ドキュメンタリーとしての編集は免れないのだろうが。エンドロールが監督本人ともう1名程度だったのが非常に印象的だった。家族同士の執着、世間への見栄、なによりも奥に間違いなく横たわる愛情がますます問題を複雑にしていく様や、喧嘩とまではいかない小競り合い、諦めにも似て、理論で片付かずに時間が過ぎていく様子などが非常に身に迫るものだった。いつ自分やその家族もこうなっても不思議ではないと感じながら見ていた。冒頭の母の怒鳴り声、なんで私にばかり恥をかかせるのか、なぜうちから分裂症が出ないといけないのか、という言葉が根本的なコンプレックスを象徴しているように思った。世間の目を気にすることが家族が抱える問題と向き合うことへの足枷になっていたのだろうか。南京錠は姉だけでなく家族を家に閉じ込めていたのだろうか。父、母、監督、姉、叔母、それぞれの人間らしい想いが生々しく垣間見える。晩年お姉さんが治療により意思疎通や生活を取り戻し穏やかになっていく様子がとても印象的だった。本人が少しでも楽しい時間を胸に旅立ってくれていればと思う。
恥ずかしいの定義
レキサルティ服用する卒寿間近の認知症母を見守る当方には刺さりました...
家族というのは残酷なほどしんどい関係だと思う。
予告編を見て、両親が姉の精神疾患を認めず、家に閉じ込め姉を追い詰めていく酷い状況を想像していた。
しかし、家族の記録は想像よりも穏やかだった。両親は両親なりに姉や家族のことを思っていると感じられた。姉が奇声を上げても両親は声を荒げることなく受け入れ対応している。前半は家族で外出もしていて、閉じ込めるようになった時は姉の状態が悪化していたと想像できる。鍵のかけ方が衝撃的だが両親の性格を反映しているのだろう。
タイトルは、過去に遡って、「どうすればよかったか?」という疑問や後悔が感じられたが、それぞれがその時出来る精一杯をしていたと思う。
弟さんとしてはもっと早く受診させてあげたかったという思いもあると思うが、25年かかったが、両親は姉の病気を受け入れ治療に至った。(治療後の姉が激変した様子は衝撃的だった。)最後の姉の病気は残念だが、穏やかに治療を受けられている様子に安心し、棺の中の花は姉が愛されていた証に思えた。
「どうすればよかったか?」というタイトルはこれまでの経験があったからこそ、今ならどう思うかという問いだと思った。
どうすることもできなかった苦悩の25年間
2024年劇場鑑賞103本目 傑作 78点
まず、閉じ込めていた25年間という月日は、このレビューを投稿している当方が誕生してこんにちに至るまでの年数と同じ期間である
0歳から25歳と成人前後から40代半ばの25年間では触れる経験も体感の年数も違うが、四半世紀という言葉通りの衝撃的な長さをある種牢獄よりたちが悪い箱に閉じ込められていたと思うと言葉が出てこない
時代とそれに伴う情報の正確性と信憑性の乏しさ、今作の事象に至るまでの両親の功績から蓄えられた人間性など、もし当事者だったら正しい判断が出来たとは声を大にして言えないのが悲しい
これが正解だったのかは誰もわからないし、現代になってこの時こうであるべきだっただろうなどとはいくらでも言えるので何も言えないが、ドアの向こうで悲鳴を上げる夜に肩を落とすシーンを見ると、認知症の祖母の時間によって機嫌や気性が悪くなる苦悩を少なからず経験してきたので、少しばかり同年代の他観客より絵や文字より痛みがわかるから尚更言葉がない
弟は幼少期からお世話してくれて大好きな姉の不可抗力な変化を志し半ば受け止めて、それでも二人の間は変わらずあの時の二人で、色眼鏡なく随所でそれが英断なのかと疑問を抱き不思議に思ういわば一番視聴者に近いが、そんな中立にたたないといけなかった彼自身の25年間が一番悔やまれるが、きっと彼の生きる理由だったのだから、それを引き剥がす権利は後にも先にも誰もいない
人生を持ってこの映画を届けてくれてありがとう
晩年精神科に通っていた父を持つ私としては、 他人事とは思えない作品...
晩年精神科に通っていた父を持つ私としては、
他人事とは思えない作品でした
ご両親が亡くなって映画化かと思ったら予想外の展開だった
お母さんはお父さんのせいに、
お父さんはお母さんのせいにしてたってこと?
本当にどうしたら良かったのか
でも監督は本当に精一杯やったでしょ、
立場的に強く出られなくても仕方がない
監督さん、どうぞお幸せに
2024年120本の映画を観た。No.1。精神が崩壊した人、とその家族の40年
ポレポレ東中野。 1日2回で 平日も 満席。
両親が医者で研究者。長女は医学部に入るが、途中で発症。
両親は 精神病では無いとして 精神科を受診させず。
だんだん 悪化して20年して 精神科入院させると かなり軽快。
自宅に帰る。母親が他界。
本人はステージ4肺癌が発覚。
60歳で他界。 父親も90で 衰弱。
今思えば 早めに受診すれば良かったのか。
そもそも 優秀で快活な姉がの精神が崩壊していったのは
両親の期待を まともに 受け、応えきれない自分を責めたから?
父親も 母親も 穏やかで、きつく叱責して追い込むタイプには見えない。
答えは無い。
もともと 発症する運命だったかも。
統合失調症は 現在は かなり薬物治療が 有効らしい。
一旦 精神科 入院して 加療後は
奇行は減り、穏やかで 会話や 調理など 日常生活も可能。
しかし 肺癌で60歳で 死去。
約40年間の 統合失調症の患者と その家族の 記録。
今年120本みた 映画で No1
どうすればよかったか・・・見る以外に何ができるか。
原一男の「ゆきゆきて神軍」以来の、しばらく映画館で立ち上がれなくなったDocumentaryの傑作を見た感じがする。もう一つこの映画を見た後、頭に浮かんだ映画は、黒澤明の「羅生門」。母親、そして、父親から見たこの20年は、弟の見た20年の家族とは全く違う感じに見えたはずだ、ということである。
どうすればよかったか・・・姉は4度の医学部受験を失敗した段階で、あるいは遅くとも入学後も大事な解剖の試験に失敗した段階で、彼女の感じている”親と同じ職業につかねばならない”ー多分”つきたい”のではなく”つかねばならない”という強い強い強迫観念から、”向いていない”“ほかの選択肢がある”と促し得れば、姉は傷つきながらも、なんとかこちら側に留まれた可能性はあったのではと感じてしまう。父親は、娘が明らかに精神異常をきたしているのに、毎年の様に医者の国家試験の本を渡し、母親は、外聞が悪いと娘を閉じ込めつつ、彼女は正常だと思い込む。一体、これが正常な家族か?とこちらが絶叫しそうだが、Documantaryとして”真実=True Story”を見せられているから、見ている観客の我々は。「馬鹿な」すら言えずに、押し黙るしかない。
もう一つ思い出したことがあった。島尾敏夫の「死の棘」。狂う妻のミホを題材に、小説を書く行為。文学者のどうしようもない本能でもありエゴ。果たして、この弟の監督は・・・。しかし、姉が後半の方で見せる、カメラに向かい見せるピースと奇妙ではあるがうれしそうなダンスというかステップは、明らかに、弟を信頼している所作であり、見ているこちらも救われた気持ちがする。
20年の映像、20年の記憶、20年の葛藤。どうすればよかったか、という問いに答える必要は我々にはないし、それは、多分できない。こういうことが起きた、愁嘆場とそれでもいとおしい家族の歴史と交わりがあった、と受け止める以外の方法はないと思う。父親も母親もこの映画の監督の弟も、姉の受け止め方は様々でも、誰も逃げ様とか破棄しようと思っていないのだから。そして、誰もが姉を深く深く愛していたのだから。正常な家族か?と書いたが、愚問と自ら断じよう。なぜなら、そのやり方がおかしいと今更第三者の我々が言ってどうなるものでもないのだから。あるがままに受け止めよう。映像のまま受け止めよう。そうさせることこそが、この映画の魅力なのだから。
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