「両親の深い愛情を通じて、かつての精神科医療の実体もほの見える?」どうすればよかったか? talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
両親の深い愛情を通じて、かつての精神科医療の実体もほの見える?
この日本では、精神障害者は、長らく人間扱いされてこなかったとも言われます。
いまでこそ「統合失調症」という病名ですけれども。
しかし、2002年に呼称変更される以前には、あたかも患者の人格を否定するかのような、差別的・侮蔑的な病名だったことは、周知のことです。
(まだまだ評論子が子供だった頃は、周囲の大人たちが精神科病院を指して、まったく侮蔑的な名称で呼んていたことを覚えてもいます。そのニュアンスから言っても、当時の世評として精神科は、不幸にも精神面が正常でなくなってしまった人を隔離・幽閉するための施設であって、医療者の継続的な管理下で病気を治療する施設という受け止めではなかった)
そうして、お二人とも医学方面の研究者だったという藤野監督のご両親は、そういう精神科医療の(当時の)現状をよくご存じで、それゆえ、件の医師が書いたという論文に難くせをつけてまで(?)、お嬢さま(藤野監督の御姉さま)に医師の確定診断を経ることを避け、精神科病院に入院加療させるという方途に躊躇(ためら)いがあったのではないかと、評論子には思われます。
それは、世間体とか、医学の研究者としてのプライドとかいうものでは、決してなかったと、評論子は受け取りました。
(むしろ、神の御業なのか病を得てしまっても、なお愛娘には、あくまでもひとりの人間として接したいという、ご両親の深い愛情すら感じられる)
「身体の病気も、精神、つまり心の病気も、病気に変わりはありません。早期の治療が望ましいことは、いずれも同じです。しかし、長い間、心の病気は、病気としての正し
い扱いを受けてきませんでした。(すなわち)長い間、精神障害者は、いわれのない差別を受けてきました。精神障害者は危険で隔離すべき対象とされてきたのです。明治の中頃まで、精神障害者への対応は、加持祈祷などの民間療法と私宅監置が中心でした。
1950年に一応の近代立法である精神衛生法が施行されましたが、私宅監置が精神病院への収容に変わっただけで、それまでの精神障害者に対する危険視と隔離の発想は引き継がれました。精神衛生法はその後改正を重ね、精神保健法を経て現在の精神保健福祉法になりました。しかし、長年にわたり精神科病棟の職員配置は一般病床より低く抑えられてきたなど、精神障害者に対する差別は医療の現場にも根強く残っています。閉鎖病棟の多さ、解放処遇の不十分さ、社会的入院など、今後改めなければならない。多くの課題があります。」(「Q&A高齢者・障害者の法律問題」日本弁護士連合会高齢者・障害者の権利に関する委員会編、民事法研究会刊、2005年)
前同書は、また「心の病気は、身体の病気と同じように誰でもかかるかもしれない病気であり、そして心の病気に必要なのは隔離ではなく医療であるという当然のことが、一日も早く社会全体の共通認識となることが望まれます。」とも指摘しています。
タイトルにもなっている「どうすればよかったか?」という藤野監督による本作の投げかけ―それは、とりも直さずご家族をめぐる藤野監督の葛藤―も、ここにあったことは、疑いがなかったかとも思います。
(藤野監督のお父様が、「多くの人に観てもらいたい」という本作の公開を快諾なさった真意も、他ではない、そのことにあったことも、明らかだと思います)
それらの点において、本作は、十二分な佳作だったとも、評論子は思います。
(追記)
蛇足を加えれば、評論子の周囲にも統合失調症を患って休職し、今は復職を果たしている方もいらっしゃいます。
今は、良い薬も開発されて、必ずしも難治の疾患ともされてはいないようです。
しかし、それは、あくまでも令和の「今」でのこと。
その尺度で評すると、本作の前提(時代背景)を誤るように思います。