「思い出から日常へ」秒速5センチメートル 終焉怪獣さんの映画レビュー(感想・評価)
思い出から日常へ
最初に2007年の劇場アニメ版について話します。
新海誠監督の代表作...と云うより象徴となる作品を挙げようとする時、「君の名は」を口にする人が増えたように思います。
しかし昔から新海誠監督を追っている人は、「秒速5センチメートル」と口にするでしょう。
当時、この映画は鬱エンドに分類される声が多かったように感じました。
また男性と女性では主人公の心情の捉え方が異なっていました。
(勿論、男女と云う性別による二択の意見は極論であり、実際は人の数だけ解釈はある)。
男性の私は主人公の心情が痛い程に共感出来た。
対して一部では、初恋の女性を追い求める姿が粘着質だと言う声があった。
届く事のない思い、その心情をメールで打つ姿も共感出来たが、その行為にも嫌悪感を覚えた人もいた。
そして貴樹と明里の歩んだ道とラストシーン...
私にとってあの劇場アニメ版は傑作でもあるが、
あのラストシーンで心にダメージを負った思い出の映画なんです。
そして18年後、あの思い出の映画が実写化された。
またあの時のやるせない気持ちが甦るのかと身構えて劇場に足を運ぶ。
しかし鑑賞後、あの時とは真逆の気持ちとなった。
この実写映画は、あの劇場アニメ版のアンサーであり、18年越しに“思い出”を“日常”に変えてくれた傑作だった。
前置きが長くなりましたが、
ここから伝えたい部分を紹介させて頂きます。
【映像美】
原作が新海誠監督作品と言うだけで制作に関わった訳ではないのに新海誠監督のアニメ作品のような光の美しさがありました。
全編に渡り感じたパスカルカラーの画面は、登場人物の心情を表しているようでした。
【心情】
劇場アニメ版の上映時間より2倍となった理由の一つが、登場人物達の心情をより丁寧に描いた事。
貴樹と明里が、今現在何を思っていたのかが知れて本当に良かった。
私があの頃感じていたモヤモヤした気持ちの正体は、この2人の内心が知れなかった事でした。
【距離】
新海誠監督と言えば登場人物達の距離の描き方が印象的です。
光の速さで無くては辿り着けない「ほしのこえ」。
時間の隔たりで会えない「君の名は」。
これまで出会える事が出来ない程、困難な距離がありました。
対して秒速5センチメートルは、これまでになく身近な距離でした。
会える距離に相手が居る。
なのに2人の気持ちが壁となっているのか、まさに運命のイタズラとも言える事象で出会えない。
人と出会える確率は0.003%。
この数字には気持ちの問題も含まれているのかも知れない。
【音楽】
山崎まさよしさんの「One more time, One more chance」は名曲ですが、同時に劇場アニメ版を思い出して妙な気持ちになっていました。
しかし挿入歌として流れた時にとても穏やかな気持ちになりました。
代わりに米津玄師さんの「1991」が流れた時に涙が止まりませんでした。
【貴樹の気持ち】
かつての恩師にも語った言葉には形容しがたいメールを打っていた意味だったり、プラネタリウムで館長に語った本音。
ただもう一度、話をしたかった。
彼は思い出を日常に出来なかった。
ようやく貴樹の本音を聞けて嬉しかった。
【明里の気持ち】
貴樹を大切に思う気持ちは変わっていなかった。
彼女の「思い出を日常に」が全てを物語っていた。
あのパンフレットに貴樹の名前を見つけた時に彼女は、あの思い出に終わりを迎え日常となったのかも知れない。
もしあの時、名前を見付けなければ約束の場所に向かっていたと思う。
「貴樹君なら大丈夫」 と云う言葉は、胸に響きました。
【ラストシーン】
電車が過ぎ去った後に明里がいなかったラストシーン。
あの劇場アニメ版の時は本当に辛かった。
貴樹の微笑も理解出来ずにただただ悲しかった。
貴樹は思い出を大切に保存していたのに
明里は思い出を上書き保存したのかと考えていました。
でもこの実写映画を観て考え方は変わりました。
出会う事が救いでもないし、先に進む事でもない。
明里の深い親愛をようやく理解出来ました。
貴樹の微笑みも悲観的なものではなく、
彼女の気持ちを知り、ようやく追い着けたと云うものなのだと解釈しました。
このラストシーンで良かったんだと今なら言えます。
とても語彙力のないレビューでしたが、
ここまで読んで下さりありがとうございました。
18年前の劇場アニメ版の思い出が、
この実写映画でようやく日常となりました。
私の中で18年を経て秒速5センチメートルは、
ようやく終わりを迎えました。
素晴らしい作品を生み出してくれたスタッフ、キャストの皆様に感謝を。
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