「生きる速さの違いによるすれ違い」秒速5センチメートル 愛を求めてさんの映画レビュー(感想・評価)
生きる速さの違いによるすれ違い
キャッチコピー「どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか」の通り、この映画は生きる速さの違いによるすれ違いを描いた作品だと感じました。以下、思いの丈を綴った乱文&長文になりますが、ご容赦ください。
劇中では、明里の方が進むスピードが速いことが度々強調される。(貴樹を名前呼びして好意を伝え始める、学校帰りのかけっこや流れ星が見えた時に明里の方が先を走る…など)
そのため、劇中の貴樹の気持ちは、明里の軌跡を辿るように進むと考えた方が理解しやすいと思う。
すれ違いが始まるのは、明里が引っ越すことになった場面からである。明里の「(一緒にいられなくて)ごめんね」という電話に対して、貴樹は「もういいよ」と応える。明里の一緒にいたいという想いに対して、貴樹は諦めたような答えを返している。ここから、自分の思いに真っ直ぐな明里と、若干いじけてしまった貴樹の差が見え始める。
この時点ではまだ文通で連絡を取り合っていたため、二人の関係はなんとか繋ぎ止められていたが、貴樹の種子島への引越しと岩舟での再開が二人を完全に別離させてしまう。
岩舟に至るまで、貴樹の乗る電車は何度も遅延し、約束の時間に間に合わなくなる。この時、貴樹は運命的に明里とは一緒になれないことを感覚的に悟り、別れるための手紙を書く。
その反面、明里は待ち合わせの時間が過ぎても岩舟の駅で待ち続け、貴樹と同様に交換日記に言葉を綴るのだが、貴樹と違って関係を続けるために書いている(交換日記を貴樹に渡せば貴樹との関係が続くため)。
岩舟で合流後、再会した二人は一緒の時間を過ごすものの、長い時間会わなかったせいか、どこかぎこちなく感じる。
桜の木の下、明里の方から貴樹にキスをするが、
貴樹はどことなく受け身のように見える。明里は貴樹の諦めのような心情を読み取り、貴樹との別れを決めたのだと思う。
キスシーンで明里は失望したかのように手の力が抜けているのに対して、貴樹は逆に手を握り締める。この場面は明里と貴樹の気持ちが完全に切り替わったことを表していると思う。
明里は貴樹を想い続けていたものの、どこか諦めがちになっている貴樹のために別れることを決め、逆に貴樹はずっと一緒にいたいと一途に思う明里の気持ちを受け止めてしまった。貴樹はこの時の明里から受け取った想いを2007年の約束の時まで、引きづり続けることになる。
岩舟での別れの際に、明里が「貴樹くんならずっと大丈夫」という言葉を貴樹に伝えようとするシーンがある。これは転校直後の心細かった時に貴樹からもらった言葉であり、明里から貴樹への感謝や愛を込めた言葉であるとともに別れの言葉でもあるというとても複雑な意味が込められたシーンだと思う。
最後のすれ違って再会するシーンも、もう昔のようにはなれないけどもやっと貴樹は明里に追いついたということを示すシーンだと考えれば、貴樹にも救いのあるラストだと思う。
生きる速さが違うことですれ違うなら、我々はどうすれば誰かと一緒に生きていくことができるのか?
どれだけすれ違い続ければ、同じ時間を生きることができるようになるのか、そういった問いを投げかけるような作品だと思いました。
追記:
2007年アニメ版の内容を基に実写化しているため、劇中の挿入歌は2007年当時の音楽を採用しているのだと思う。
が、2025年時点だと音楽が古すぎて、挿入歌が流れるたびに映画の没入感が薄れてしまっているように感じた。
もし、引き裂かれるほどの距離(気軽に移動ができず、連絡するにも文通などの限られた手段しかない)を演出したかったのであれば、当時の演出としてここまでこだわる必要はなかったのではないか…と2007年子供時代だった者として思う。
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