「明里からのアンサーがとてもいい。でも明里はなぜ?」秒速5センチメートル ターコイズさんの映画レビュー(感想・評価)
明里からのアンサーがとてもいい。でも明里はなぜ?
新海作品の秒速はとても美しくて特にコスモナウトの種子島の空や光景がとても好きだったのだけど、男のセンチメンタリズムが強すぎて、そこがちょっとしんどい作品でもあった。しかし、この映画秒速はいい意味で明里からのアンサー作品になっていて、そこはとても効果的だったと思う。
個人的な最大の謎は、なぜ明里は一目会おうとしなかったのか、再会を選ばなかったか、なのだけど、結論としては明里にはまだ貴樹への気持ちがあるからとしか思えない。明里は貴樹と連絡をとろうと思えば取ることは可能な状況でも貴樹が望んだような「元気だった?久しぶり」程度の再会をあえて選ぼうとしない。これは、自分の気持ちが動揺するのが怖いからだと思う。新婚なのか配偶者と一緒に転勤についていく設定の明里は、今このタイミングで貴樹との再会を恐れたのだろう。明里は、貴樹がプラネタリウムのプログラミングに関わるような社会人として成功している一面を知っているわけだから、「自分と会うことで貴樹を振り回したくない」と思い上がっているとは考えにくい。むしろ自分のほうに未だ未練があるからこそ、ただ懐かしいからといって「元気だった?久しぶり」とできなかったんじゃないか。
で、もう一つの謎、なぜあれほど強くて綺麗な絆があった二人は疎遠になったか、なのだけど、これは致命的に二人に言葉と約束が欠けたからだと思う。貴樹が書いた手紙は渡せぬままで、貴樹は明確に「好き」という一言を伝えてない。そのまま遠距離に突入したことによって、特別な相手としての貴樹はそのまま心に置いたまま、思い出というよりもむしろ自分自身の掛け替えのない一時期として生かしたまま、求められるがままに他の男とつきあうことを拒絶させなかったのだろう。貴樹と明里が何故、好きだと伝え合うことを避けたかと言えば、そもそも「好きだ」という言葉は相手を振り向かせるために必要な言葉で、それは森七菜扮する花苗には告白して振り向かせなければならないため必要な言葉だったが、貴樹と明里は違う、相手を振り向かせることは必要なかった。ただお互いが一緒にいる時間があればよかった。だからあえて、「好きだ」と伝え合うことは彼らにはマストでなかったのだと思う。結果論的に言えば、「好きだ」という言葉は相手のために言うべき言葉だったと思う。思い上がりだろうと、相手が欲している言葉を吐くことが愛情だったはず。それは勿論お互いにとって。貴樹も明里も、掛け替えのない相手と結ばれないという罰?を受けることになるから。でもまあ若いから仕方ないか。
日本の四季がとても美しい。そしてキャストも可愛らしくて、森七菜さんはちょっといじらしくて素敵だったな、あのいじらしさに心動かされない貴樹というキャラクターは、明里と離れてからずっとここではないどこかを生きているような、なかなかに重い生を歩んだようにみえた。貴樹にとっての明里はむしろ呪いだったようで、明里は「わたしを呪いにしないで」と叫んでいるような作品だったと思う。個人的には、自分を好いてくれる花苗を好きになって高校生活を満喫する貴樹よりも、執着でどこか世捨て人のような貴樹は好きですね。もっとガッツがあれば、明里ちゃんにガツガツ告って、毎年お年玉ためて栃木に通うくらいしたってよかったわけですよ、でも貴樹はそれをしない。その不器用さと鈍重さもまた、人間らしさかな。
秒速のキーとなるエピソードをいかしつつ、明里からのアンサーも示しつつ、新海作品にあった美しさも存分に堪能できる、相当に好きな作品。そして、あそこでかかる山崎まさよしさんのワンモアタイム,ワンモアチャンスはわたしには反則でした。
ターコイズさま
共感とコメント、ありがとうございます🙂
エモーショナルな筆致や語彙力も無く、論理的な思考の考察も出来ないので、ターコイズさんのレビューが心からうらやましいです🤭
『国宝』からフォローさせていただいていました。これからもよろしくお願いいたします😙
ターコイズさま
>秒速のキーとなるエピソードをいかしつつ、明里からのアンサーも示しつつ、新海作品にあった美しさも存分に堪能できる、相当に好きな作品。そして、あそこでかかる山崎まさよしさんのワンモアタイム,ワンモアチャンスはわたしには反則でした。
このレビューも、私には“反則”でした。
このレビューの3点の考察は、劇場版の有料パンフレットに掲載すべきレベルです🫡
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