「タイトルなし(ネタバレ)」リュミエール!リュミエール! りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
タイトルなし(ネタバレ)
「映画の原点」、リュミエール兄弟によるシネマトグラフから100本を越える作品を厳選。
それをティエリー・フレモーが再生・再構築し、リュミエール兄弟の同時代人ガブリエル・フォーレによる楽曲に乗せて魅せる。
リュミエール作品は、1本が50秒。
これは当時撮影可能なフィルムの長さによる。
カメラは固定。
シネマトグラフ=「動きを描く」の意どおり、素晴らしい構図で、人物等の躍動感が映し出される。
映画の根源的な面白さが再発見できる。
固定カメラであるが、列車や船に固定されてたカメラは、前進・後退・横移動を行う。
そもそもからカメラ自身に運動性が備わっていたのかも知れず。
カメラの運動性の再発見もできる。
のちに(というか早々に)物語性が持ち込まれて、シネマトグラフ的な輝き(被写体の運動性の記録)は失せていく。
その輝きの消失は、最初期「水を撒かれる人」のサイトギャグにおいてすらみてとれる。
映画に演劇的要素を持ちこんだ後期の作品になると、さらにシネマトグラフ的輝きは失われた。
(物語を持ち込んだ映画の運動性は、カットの組み合わせた「モンタージュ技法」を待たなければならない)
シネマトグラフ的な面白さについて、ある種の類似性を想起したのはヌーベルバーグだ。
スタジオ製作の物語性からの解放、被写体自体の記録、被写体が持つ運動性そのものへの回帰。
ヌーベルバーグは、映画を物語から解放することだったのかもしれない、と。
それは別としても、映画を勉強したい世代には必見の作品と思えました。
なお、特典的な位置づけで、フランシス・フォード・コッポラ監督によるシネマトグラフ『工場の出口』のリメイクが最後に映し出されます。
まさに現代版のリメイクなのですが、尺も短いながらもコッポラ映画らしい映画でした。
<追記>
リュミエールの『工場の出口』、3つのバージョンがあったんですね。
それを見比べることもできます。