「女性監督による“女の性の解放”を表現する試み。レア・セドゥ降板は残念」エマニュエル 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
女性監督による“女の性の解放”を表現する試み。レア・セドゥ降板は残念
「女性の、女性による、女性のための性事(せいじ)」というリンカーン大統領のゲティスバーグ演説をもじった駄洒落をレビューのタイトルに思いついたが、くだらないので踏みとどまった(けどここに書いてしまった)。1974年のシルヴィア・クリステル主演作「エマニエル夫人」を今の時代に観ると、外交官の若妻である主人公が夫の赴任先タイのエキゾチックな環境でさまざまな人々との出会いと導きによって自身の性を解放させていく、という女性が主体の物語ではあっても、明らかに男性の願望や妄想が投影された“性に奔放になっていくヒロイン”の描写だったことがわかる。原作小説の著者エマニュエル・アルサンは、外交官ルイ=ジャック・ロレ=アンドリアンと結婚したタイ出身のマラヤットのペンネームということに一応なっているが、実際に執筆したのは夫ルイ=ジャックとの説が有力だ。1974年の映画の監督も脚本もそれぞれ男性が担った。
一方、2024年フランス製作の本作「エマニュエル」では、監督がオードレイ・ディヴァン(長編第2作の「あのこと」でヴェネチア金獅子賞)、脚本もディヴァンとレベッカ・ズロトヴスキ(「美しき棘」「プラネタリウム」などで監督兼脚本)の共同で、いずれも女性が担っているのが対照的。半世紀前の官能小説を2020年代に改めて映画化するにあたり、女性の性の解放というテーマを女性の視点で語り直すことを当然意識しただろう。
1974年版と2024年版では、映画のルックも大いに異なる。オランダ出身のシルヴィア・クリステルは公開時21歳で、序盤のピュアで性的に未発達の状態からラストの化粧で妖艶に変貌するまでの外見上の変化がわかりやすかった。一方で今作のノエミ・メルランは本国公開時35歳で、ホテルの品質調査員として実績のある成熟した大人の女性を演じ、外見よりも内面の変化を表現しようと試みたようだ。ロケーションの点でも、1974年版が緑に囲まれた解放的なリゾートホテルを拠点に、プールで泳いだり、バンコクの水路でボートに乗ったり、田園地帯で馬に乗ったりと、自然との距離が近い環境で体を動かしたり移動したりする感覚が強調されていた。対して2024年版では、本編の大半が高級ホテルの人工的で無機的な屋内の閉環境で進行し、高度に文明化された管理社会で身体性を失いつつある現代人を象徴したように感じられる。
ディヴァン監督の狙いは、現代の女性が自らの意志で内なる官能を見つめ、どうやって解放するのかを映画で表現することだったろうし、そうした意図が女性観客にどう届き、どう伝わるかがより重要であるように思われる。興行面では本国をはじめ先に公開された各国で苦戦したようだが、こうした作り手の挑戦は意義のあることで、多様な性のあり方を考える一助になればと願う。
そうそう、本作の主演は当初レア・セドゥで進められていたそうで、降板してしまったのが個人的には残念。