「孤独な旅人」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
孤独な旅人
監督も出演者たちも、誰もが知っていて存命中でもある人物を描くことの重さに細心の注意を払っている映画だった。
ディランを聞いたり見たことがある人ならシャラメやエドワードノートンがどれほど当人を模しているかがわかったと思う。
ディランは投げやりで拗ねたような物腰の人で口をあまり開かず語尾を言い切らない感じで喋る。シャラメはそれを周到に擬態していたしピートシーガー役のノートンもChildrens Concert at Town Hallの演奏を彷彿とさせた。
映画からは役者が本人になりきるための監修の綿密さが伝わってきた。
ドキュメンタリーのDont Look Backで覚えているのはディランではなく当時ディランのマネージャーだったアルバートグロスマンである。小太りでメガネをかけた外観は愛嬌もあるし立ち居振る舞いは緩慢なのに反面恐ろしい威圧感があった。クライアントであるディランに対しては羊のように従順であるのに対し、ツアーの障害となることやギャラ交渉には峻厳で容赦がない。その役にノーマジのDan Foglerが充てられていて思わずそうだこの感じだと思った。すなわちアルバートグロスマンでさえ本人に似せてあった。
映画のレビューというものはときとして「おれにはこれがわかるんだ」という叫びでもある。
この映画を見てシャラメが演じたディランがどれほど本人を模倣していたか叫びたくなったディラン好きは多いだろう。そういう確かなディティールをもった映画だった。
ボブディランは反戦や公民権運動の歌も歌ったが、人にあがめられたり社会派に祭り上げられる前にサッと退いてしまうような人だった。偉い先駆者になるのも、イデオロギーがまとわりつくのも、妙に落ち着くのも、スーツを着たお歴々から拍手を浴びるのも嫌で、ノーベル文学賞授賞式も出席しなかった。そんな詩人らしい彷徨の立脚点がよくわかる映画だった。
すなわち映画A Complete Unknownは「全くの無名」な青年ボブディランがピートシーガーやジョーンバエズの助力によって有名になる過程をつづった映画と言える。ところがディランはかれらと共に育んだフォークを裏切って、より儲かる商業的なロックへ転向した、と一部聴衆やフォークミュージシャンからは捉えられた。しかしディランはフォークのプロテストソング=体制批判的な音楽性に辟易しており、且つ、フォークやカントリーやロックというレッテル貼りやジャンルの住み分けに窮屈さを感じ、新しいことをやりたかっただけだ。だからアコースティックからエレクトリックへギターを持ち変え、挑発的なFuzzをがなり立てて、観衆から裏切り者と罵られる1965年のニューポートフォークフェスティバルが映画の結にあり、そこからディランの新しい旅が始まる──という始まりな終わり方になっていた、わけだった。
で、それらの一連の出来事から解るのはボブディランの孤独だった。恋仲といても音楽仲間といても二股していても、いつも孤独で新しい詩を探している。つまり全くの無名から全くの孤高へ至る過程を描いた映画だった、と思う。
人物造形、時代考証、世界観はすごかった。ただ長いのとバエズとルッソの二股描写がくどかった。
imdb7.3、RottenTomatoes82%と95%。