「ただ、風に吹かれただけ」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN 猿田猿太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
ただ、風に吹かれただけ
私の読み違いをしていたらごめんなさい。洋楽ばかり聴くけど歌詞は理解出来ず、歌詞の理解が無ければ、ボブ・ディランの歌は半分も理解出来てない事になるから。ここから下は、ボブ・ディランに対してではなく、あくまでも、この映画の理解です。
クライマックスのフェスでロックを歌い、大ブーイングを受けたボブ・ディラン。でもそうなることは判っていたかのよう。判っていても、ブーイングを喰らってモノを投げつけられても、それに逆らい続けて歌い通したのは何故か。それは彼が変わらず風に逆らって歌い続けただけでは無いでしょうか。
「逆らって」というと語弊があるかもしれませんが、時代の不安の中で歌ったのが「風に吹かれて」。童謡や唱歌が季節の歌を歌うように、時代に即した歌を歌うのも、ありのままの歌の在り方。だから当然のように時代に応じて「風に吹かれて」という歌が生まれたのではないか。
では、クライマックスのフェスでのロックはどうか。ボブ・ディランの心情はどうか。人気が上がり、ファンに囲まれ、歌をせがまれ、それを喜ぶどころか、なんだか辟易としたような、うんざりしているようなボブ・ディラン。だからフェスで歌った。「もう農場で働くのはゴメンだ」と。もう「風に吹かれて」のような歌は時代が違う。「時代は変わる」と歌えば、みんなも喜んで一緒に歌ったではないか。「手を貸せないのなら、新しい事からどいてくれ。時代は変わっているのだから」と。だから新しいロックを歌った。何が悪い?
・・・ていうのが私が映画で見た限りの理解なのですが、ボブ・ディランは実在の人で、映画はノンフィクションだし、評論家や多くのファン、そしてご本人の意向と全然違ってたらごめんなさい。私はこのような理解で「実に面白い映画だ」と思いました。
女性のところに泊まっても、変わらずギターを握って歌い続ける。ジョーン・バエズと共に歌う姿は正に男女の睦み合いのようで、元?恋人の彼女が幻滅して去って行くのも無理からぬ所。とにかく人気を得ることも、お金を稼ぐことも、ましてや文学賞にも興味が無い(表彰は拒否したそうですね)彼が目指したのは、冒頭のように変わらずエンディングでも訪れたウディ・ガスリーのようでありたかった、ということでしょうか。
ふと思い出してボブ・ディランの楽曲を聴いてみるのですが、やっぱり歌詞が理解出来ないとダメですね。歌声がとても味わい深いんですけどね。和訳を追ってみてもネィティブじゃないと感覚的に理解し得ない気がする。ただ、ジョーン・バエズさんの柔らかく伸びやかな歌声がとても好きです。アルバムはどこを探しても見かけないのでアップルストアから音源を入手しました。かのレッド・ツェッペリンも彼女の曲をコピー(パクリ?)したそうで、それで興味を引いてチェックしたのですが、ボブ・ディランとの繋がりはよく知らなかった。また、ジョーンさんの「ドナ・ドナ」は絶品です。
あと、役者さんについてですが、気が付くと、またしてもティモシー・シャラメさんを見てしまったw 私が見た限りで「砂の惑星」「チョコレート工場」とまったく違う色彩を演じ分ける百面相。これまで映画界で次々と名優達が名を連ねてきたけど、彼もまた新たな時代の風なのでしょうか。今後の活躍をお祈りいたします。
gyuzoさん、教えを賜り恐縮です。私のレビューは映画を見終わった後の直感で書き殴っているため、読み違いや不理解が多いだろうなと常に恐れているのですが、こうして本物のファンの方から共感と補足を頂けて非常に胸を撫で下ろしている心境です。
ここから、gyuzoさんへの返信のみならず、直感だけではかけなかったレビューの追記をさせて頂きます。
いくらか自分でも調べましたが。クライマックスのフェスについて、ピート・シーガーがハンマーで機材を壊そうとしたのは本当かどうか。諸説あるそうですが、映画では実際にやろうとして、それを奥さんが差し止めているのが印象的でした。それはますます信憑性が疑わしいエピソードですが、ボブ・ディランの歌を止めてしまっては、若者の活動を阻害する親達や社会と同じ事では無いか。あなたも「こちら側」の筈でしょう? というふうに受け取ったのですが、いかがでしょうか。そしてブーイングしている客もまた、いざ歌の矛先が自分達に向けられてしまったから憤慨してしまったのではないでしょうか。
あと、「Like a Rolling Stone」をYoutubeで聞き直しましたが、意味は判ずとも弾むような節回しがとても好きです。「転がる石のように」という詩的表現にはジンと心に来るところもあるのですが、やっぱりネィティブじゃないから歌声を聴いた瞬間ではそう感じ取るのは無理。それでも、「Rolling Stone」という言葉がバンド名にも雑誌名にもあるためか、自分も彼らアーティストのように、まさしく「Like a 何とか」とその気になって歌いたくなる。ギターを掻き鳴らして、みんなで大騒ぎできたら楽しいだろうな、と。そんな歌うことの楽しさ素晴らしさを聴いていて感じ入ります。
あと、お教えを頂いたJoan Baezの‘plasir d'amour’も拝聴しました。聞いた瞬間、震え上がりました。瞬時に耳に馴染んでしまう素晴らしい歌声。ふと気になって調べてみたら、プレスリーの「好きにならずにいられない」の原曲だったのですね。馴染むわけです。そしてYoutubeでの映像、ご本人さんのお姿が実にお美しい。劇中で演じられたモニカ・バルバロさんも実に素晴らしかったのですが、歌なり役者なり極めた方々だからこそ、かくも美しくあるのだろうか。
あらためてgyuzoさん、有り難うございました。
猿太郎さん、貴方の感じられた通り、貴方の理解の通りだと、私も思いますよ。
私は1964年からDylanのファンですが、この映画で改めて当時のDylanが理解できるように思いました。
それにしても1965年の夏にラジオから聞こえてきた‘like a rolling stone’。ぶっ飛んだ気持ちになったことは忘れられないですね。New Portで初めて聞いた聴衆がどのように思ったのかな?と思いながらあの場面は観ていました。
演奏された曲は全て知っていますが、「こういう背景でこの曲が作られたのか」と映画を観てようやく理解できた気持ちになりました。大分思い違いをしていたようです。
いずれにしても私にとっては心が震える、そして改めて曲の良さに涙ぐむ気持ちになった映画でした。
ところでJoan Baezですが、この頃がbestだと思うのですが、その中でも私が最も好きな曲は‘plasir d'amour’という曲です。ぜひ、聞いてみてください。レコード音源を単純にYouTubeとしたものが良いようです。