「音楽をカテゴリーで括る意味」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN カツベン二郎さんの映画レビュー(感想・評価)
音楽をカテゴリーで括る意味
ハリウッドに伝記映画を撮らせると役者のレベルで到底敵わないなあといつも思う。
世界中の誰もが知っている人物を演じるという強烈なプレッシャーには相応の努力をする事以外に打ち勝つ事ができず、それを乗り越えた役者の自信と技量がそのように思わせるのだろうか。
自分はロックから入った口なのでフォークは通らずで、ビートルズはわかるがディランに対しての知識はほとんどないが、持っているイメージとしては、童顔、何となくいつも難しい顔をしている(ビートルズも晩年はそうだったけどw)、フォークソングを自分の言葉で歌った最初(多分違うと思うけど)のアーティスト、途中からロックに転向した、そしてノーベル文学賞を受賞した、という程度。
あとペキンパーの「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」に出てたというのも映画ファンとして付け足しておく。
日本でフォークからロックに転向した歌手ではCHAGE&ASKA、THE ALFEE、長渕剛などがすぐに思い浮かぶが、そもそもカテゴライズしてるのは周りであって、表現者側からすると余計なお世話なんだろうと常々思っていたが、その音楽の成り立ちを大事に思っている人達やそれにより弱者救済やマイノリティ差別撤廃など様々な運動を起こそうとしている人たちからすると時には面白く思えない場合があるんだろう。
ただ大多数は優れた作品は偏見なく評価するという事をディランは身をもってして証明したということかと思う。
冒頭で述べた通り、ディランを演じたティモシー・シャラメは劇中で40曲を違和感なく生歌唱、生演奏し類稀なる役者魂を見せたが、ジョーン・バエズを演じたモニカ・バルバロも同じ事をしていたとしたらシャラメ以上に評価されても良いと思わせるくらい素晴らしかった。
ストーリーに関して言えば、ディランが20才でNYに来てから成功を収める迄の数年間のお話だが、名声を得てから自由がなくなる生きにくさ、常に新譜を伝えたいのにいつまでも代表曲を求められる、支えてくれた女性に対しわがままで身勝手な態度を取る、など有名人あるある過ぎて面白みに欠けたが、付き合う人々によって楽曲が変わっていくことや、その貪欲さは非常に興味深かった。
神秘的だった生ける伝説のほんの一部だが垣間見る事ができる面白い映画だった。