劇場公開日 2025年2月28日

「20世紀屈指のアイコンはわがまま身勝手天才」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN ジャパニーズ先住民さんの映画レビュー(感想・評価)

3.020世紀屈指のアイコンはわがまま身勝手天才

2025年3月3日
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鑑賞方法:映画館

カバー曲中心の初アルバムから『Highway 61 revisited』まで後年ディラン自身が「もうあの時のようには書けない」と語る神がかった詩が次々と生まれた1960年代中盤までの濃密な期間におけるディランを寓話じみた存在として描く。

時代はキューバ危機の核の熱い冷戦、国外はベトナム戦争、国内は公民権運動で混乱し、月に人類が立ったかと思えば、ケネディ暗殺の速報が降ってくる時代。嫌でも個人に政治と社会運動が降りかかってくる。ディランは明確な政治的立場を表明することは避けつつ、自身の詩に哲学的な深みを込め、音楽に乗せて表現した。それが時を超えて古びず、何世代にもわたって聴き継がれている理由だろう。

ライブでの『Maggie's Farm』内の「もうあんな所で働かない〜」はプロテスタント・社会主義思想に近いフォークの聴衆には受け入れ難い暴言と音だったハズだ。ただやっぱりこのライブバージョンが1番カッコいい。

簡単に図式化すれば、フォークは生歌と生演奏=健全な民が奏でる生粋な音楽vs. エレキは民を間違った方向に惑わす商業的音楽、という現在では信じられないような宗教・政治・社会的意味を帯びており、結果ディランはフォークを愛する聴衆から「Judas '裏切り者ユダ'」と罵られることになる。

聴衆の中にはノリノリの人も少数であるが見受けられるし、そもそもマイク使うには電気繋ぐだろ!っとツッコミたくなるが...このようなレッテル貼りに対してディランはこの後徹底的に逸脱していくが、この映画では扱われていない。

明言はないが、この頃ディランはドラッグをしこたま乱用しており、後半ティモシーの顔色がすこぶる悪い。1966年のバイク事故後のディランは乱れた生活を一新し、透きとおった声になり、さらに様々なジャンルを跨ぐ楽曲を発表していく。

最後になるが、演技は素晴らしい。
ただ、私が求める映画的な体験は得られなかった。伝記もので内面を掘り下げる演技はあまり好まないのが理由だ。個人的にこの時期のディランについてかなり詳しいので、当事者のような視点で映画を観れたのは新鮮な体験だった。

ジャパニーズ先住民