「シャラメの演技に酔いしれる」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN ありのさんの映画レビュー(感想・評価)
シャラメの演技に酔いしれる
ボブ・ディランのデビュー時から60年代中頃までを、周囲の人間模様を交えながら描いている。彼のミュージシャンとしての転換点、フォークギターをエレキギターに持ちかえる事件を軸に据えたことでドラマの芯がしっかりと確立され、見応えのある映画になっていると思った。
ただ、実在人物の伝記映画なので、ありのまま以上の劇的なドラマは起こらない。ディランをよく知る人にとっては情報の再確認ということになりかねないストーリーラインで、そこは観る人によって評価が分かれるだろう。
自分はディランのコアなファンというわけではないので、こういうことがあったのかと色々と興味深く観ることが出来た。特に、デビューに至る経緯や恋人との関係は面白く観れた。
尚、ディランをモデルにした作品で「アイム・ノット・ゼア」という音楽映画がある。6人の俳優がディランもどきを演じるという少し変わった映画だったが、自分は大分以前にそちらを鑑賞済みである。本作と重なる部分を色々と確認することができた。
さて、ディランを演じたティモシー・シャラメの演技。本作はこれに尽きるのではないだろうか。全曲を自ら演奏、歌唱している所に魅了された。確かに声のカスレ具合が若干不足気味という感じがしたが、そこはそれ。まったく同じにしたいのであれば吹替えにすればいいわけで、それでは劇映画としての面白みには欠ける。今回シャラメは完全に”自分のディラン”をモノにしているという感じがした。
「風に吹かれて」や「ライク・ア・ローリング・ストーン」といった名曲も、本作を観た後だと歌詞に込められた意味が噛み締められる。それくらい説得力が感じられる演技だった。
劇中には彼と縁が深い様々なミュージシャンが登場してくるが、彼等も夫々に魅力的に描かれていると思った。フォークソングの父ウディ・ガスリーとディランの師弟愛。ディランをショウビズ界へと引き合わせたピート・シーガーとの関係変遷。女性フォークシンガー、ジョーン・バエズとの愛憎。伝説的カントリー歌手ジョニー・キャッシュとの友情等。
夫々にエドワード・ノートン、モニカ・バルバロ等が演じているが、彼等もすべて吹き替えなしで本人が歌っているというのが素晴らしい。
そして、ディランの人生に大きな影響を与えた恋人シルヴィの存在も忘れがたい。特に、港のシーンは本作で一番グッとくる場面だった。
監督、脚本はジェームズ・マンゴールド。職人監督らしく奇をてらうことなく丁寧な演出を心がけていて好感が持てる。今回はディラン本人が脚本をチェックしたということなので、必要以上に過剰な演出もなく堅実な作りに徹しているという感じがした。
そう言えば、本作に登場するジョニー・キャッシュの伝記映画「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」も彼の監督作だったということを後になってから思い出した。