「アル・クーパー!」名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN 蛇足軒妖瀬布さんの映画レビュー(感想・評価)
アル・クーパー!
シナリオやストーリーテリングにおいて、
非常に難易度が高く、
その成功がどこにあるのか、
作品のゴールは何か、
を評価することが求めらるだろう。
まず、映画が描く「フォークフェス」の顛末について。
これは過去に数多くのドキュメンタリー作品やバラエティ番組で取り上げられ、特にスタッフの証言やインタビューなどでその詳細が何度も繰り返されている。
すでに広く知られているエピソードであり、
映画として新たに描くにはかなりの工夫が必要だ。
しかし、ここで提示される内容は、
過去のドキュメンタリー作品で繰り返し見てきたものと大差がないため、
観客にとっては新鮮味が欠けるかもしれない。
故に、
シナリオの面では大きなインパクトを期待するのは難しいのも事実だ。
一方、
ティモシー・シャラメが演じる若き日のディランをどう表現するかという点についても、問題が浮かび上がる。
ディランの眼差し—その様々な経験に裏打ちされた?独特な視線—は、
シャラメのつぶらな瞳で演じるにはあまりにも異なる印象を与えるのは否定できない。
シャラメはどこか無垢な表情を浮かべがちでディランのような、
「何かを撃ち抜くような」眼差しとは一線を画している。
こうした違いが作品に与える影響は大きく、
ディランの内面世界を完全に再現するには至らなかったと言わざるを得ない。
それでも、ティモシー・シャラメが吹き替えなしで唄い、
ギターやブルースハープを演奏するシーンは圧巻だ。
特に彼の歌唱力や演奏力に関しては、
予想以上の高い評価を得る可能性は高い。
彼のパフォーマンスは、
ディランの音楽に対する深い理解と愛情が感じられるものであり、
その努力と才能には敬意を表さざるを得ない。
その辺りはディランファンに聞いてみたい。
「ボーンズ・アンド・ウォール」の
臭いを伝える芝居、
ウォンカさんの世界観を背負える身体性、
につづいて本作もすごい。
また、映画のもう一つの注目すべき点は、
エドワート・ノートンが演じるピート・シーガーだ。
しかも唄う!
若すぎるアル・クーパーの登場も観客にとっては見逃せないシーンとなるだろう。