今日の空が一番好き、とまだ言えない僕はのレビュー・感想・評価
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今も、まだ言えない僕は
かつて桜田さんとそっくりな、顔も声もキャラクターも状況も、そんな女性を愛しました。河合さんともう区別がつきません。だから7回観ました。止まりません。だからだと思っていたのですが、映画自体が最高なんです。凡庸な日常から奇跡の恋愛が始まる非日常、日常の生から非日常の死、日常の日本から非日常のパレスチナ、さっちゃんの死は唐突では無く必然となり、それによって凡庸な日常の奇跡の愛が永遠の愛に昇華されていく怒涛のクライマックス、そして静謐な日常のラストに帰る。永遠の愛の日常を予感させた幸せ、だから観るのを止められない、永遠に観ていたい、今日の空が、中毒で良い、映画の虜になりました、自分の成され得なかった過去の呪縛から解放してくれたこの作品、今日の空が一番好きと言える僕にしてくれてありがとう。追伸、今、オードリー ヘプバーンのティファニーで朝食を観ていたら、既視感、最高!河合さん、ヘプバーンだね!
小説の内容を詳細に把握した人に向けた映像作品
まず最初に、原作小説を読んでから鑑賞されることをおすすめします。
本レビューでは、映画を観て疑問に思った方へ、個人の感想も含めた原作との違いを書きます。
映画のみならず、小説を読もうとしている方にもネタバレになることをご了承の上ご一読ください。
・小西について
原作では三重県出身で関西弁に近いです。映画では標準語なので、主人公以外が関西弁なことも相まって周りの人物全員と距離感を感じる印象になっています。
それに加え、心理描写が小説と比べてほぼ無いと言っていい少なさで、違和感を感じるほど何を考えているか分からない浮いたキャラクターになってしまっており、感情移入がしにくいです。
・祖母への思い
原作ではことあるごとに小西の祖母との思い出が綴られています。
小西がどれだけ祖母の考え方に影響を受けているか、どれだけ祖母のことが大切だったか、祖母が認知症になってから亡くなるまでどのような思いだったかなどが詳細に綴られており、逆に亡くなった後の思いを涙ながらに語るシーンは一切ありません。
映画では桜田との会話の中で口数も少なく何を考えているか分からない一方、急に祖母への思いを語り出した勢いに驚きました。
・傘の再現度
この作品で最も重要と言っても過言ではない小道具。
傘は絶対にこだわるべきだった。
小説では、折り畳み傘も雨用の長い傘も、祖母からもらった大事な傘という描写があります。
映画の折り畳み傘は酷い。千円で買えそうな、日差しが透けるほど生地の薄いシワシワの傘。しまいには祖母からもらった設定もありません。
あえて粗悪な雨傘を晴れの日にさしているという意味での変わり者を描きたいのかと思ってしまうほどでした。
ちなみに桜田に預けることになる雨用の長傘は、原作ではアニマル柄です。映画では紫色の丈夫そうな傘で"祖母感"を表そうとしたのかもしれませんが、「この傘派手でしょ」という台詞を出すには派手さに欠けていました。原作アニマル柄だし。
・桜田の暴言シーン
小説では決してこのような乱暴な表現はありません。
そもそも小西の推察というふうに箇条書きのように台詞ではなく文章として書いてあり、"不快""不気味だ"という言葉はあれど、"気持ち悪い""消えて欲しい"などの強い言葉は一切ありませんでした。
映画ではいきなり桜田が今までとは打って変わった衝撃的な発言をさも現実でしていたかのように表現されていて、それが小西の想像だったとしても、小西の中の桜田がいわゆる普通の大学生が言いそうな雑な言葉を使うような奴だと思っている描写に納得がいかず、がっかりしました。
・山根との喧嘩シーン
原作では、山根に対して小西は"消えろよ"などの強い言葉は発しておらず、普段よりすこし刺々しい態度の小西と普段通りの山根が少しずつ言い合いになってしまうというシーンでした。
本作唯一の救いである山根が、映画では雑に理不尽に傷つけられるという最も胸が痛むシーンでした…。
ちなみに原作では山根は坊主です。
・三人の長台詞
今まで原作と映画がいかに違うかを書きましたが、三人の長台詞はほぼほぼ原作のまんまなんですよ。
そこが良くないんですよね。
小説と同じくらい詳細な心理描写ができていないから、三人の熱量に着いていけないんですよ。
役者の方の演技はとても良かったです。特に伊東蒼さんは原作の喋り方のイメージそのままでした。
河合優美さんの長台詞中にカットを入れないまま突然顔面に寄る奇抜なカメラワークは、意図がわからず逆にノイズになっていると感じました。
・終盤のサクラの真似
このシーンで不快感を感じた方は少なくないと思います。
なぜなら心理描写が無いからです。
原作では、小西が桜田を励ますために今自分ができることを考えた結果、スーツに毛がついていたこともありサクラに本気でなりきることだという答えに辿りつき、その意図を一瞬で理解した桜田のことを驚異的に思うというシーンでした。
原作でも少し突飛な表現だったとはいえ、二人の思考が似ていることを表す大事なシーンです。映画で小西の心理描写があれば、どれほど印象が変わったか計り知れません。
・最後に
原作にはセレンディピティという言葉は出てきません。
一日で急激に仲良くなることはなく、ため息(喫茶店)以外に遊びに行くこともありません。
「さちせ」は「幸せ」と言うより早く伝えたいから。
「このき」は「好き」と言うより時間をかけて伝えたいから。
これに関しても原作では独特な表現でありながら納得のつく説明が強調されており、映画でもさらっと流すのではなく数回説明するくらい強調した方が、より意味を持たせやすいのになと感じました。
原作と比べるとあまりに違う点が多すぎて、これより他にも挙げ出したらキリがありません。
もちろん、原作に対してリスペクトを感じる部分もあります。
ただ、監督独自の台詞の言い回しや間合い、カット割りを先行した結果、伝わるべきところが伝わらず賛否両論が激しく分かれる作品になったのだと思います。
私の場合、映画を観てから小説を読んだため、映画の先入観がある状態で読んでしまったことを激しく後悔しています。
特に長台詞の場面は先入観なく、ノイズも無い状態で読みたかったです。
小説を読んでから映画を観た方の感想を知りたいです。
原作を見てから観る人はだいぶ違和感を感じるかも
先に原作を読んでから鑑賞しました。基本的には原作通りでしたが、違和感を感じるところもいくつかありました。
・ナレーションがあったほうが良かった
→主人公がとても繊細な性格なので、心の声が分からずに行動だけ見るとかなりぶっ飛んで見える。
・さっちゃんの告白シーン
→小説を読んで勝手に早口で急いで言うのを想像していたので、実際はかなりゆっくり落ち着いて話していてイメージと違った。大号泣しながらいうというよりはその場では明るく取り繕い、1人になった時に号泣していたというのを想像していた。去り際も何度も振り返って手を振りながら歩くんじゃなくて、言い終わったら走り去っていくイメージだった。
・佐々木さんの激高
→さっちゃんの訃報を小西に伝えるシーン。うぬぼれんなよ!というセリフはおそらく小説にはなかった。黙れクソガキ!など小西を否定するような怒り方だなと。小説では少しでもさっちゃんを疑ってしまったことに対する自分と小西への怒りがメインだったはず。頭ごなしに怒っているように見えてしまった。
・目尻のシワ
小説では何度か目尻にできるシワを指でなぞりたいという心の中の描写が出てきて、最後のシーンでやっと触れるというようになっている。ずっと言い続けてようやく触れると言うことに重みを感じるのに、映画では最後のシーンしかなかったので原作を見ていない人からしたら、ただの変態のように映ってしまうのではないかと思った。
・回想シーン
→この話は小西のおばあちゃんの話がキーになってくるのに映画では一回しか出てこなかった。亡きおばあちゃんの言葉を胸に生きているという設定のはずなのに肝心なおばあちゃんが出てこないから、水族館でおばあちゃんの死を桜田さんに打ち明けて号泣するシーンも軽く見える。ただおばあちゃんが亡くなって悲しいんじゃなくて、たくさんの思い出があって、その自分にとっての特別な人が亡くなるから凄く悲しいわけで。小西のおばあちゃんと桜田のお父さんの名言は一つも削ってほしくなかった。「朝を楽しめる女性を選びなさい」みたいな言葉があって朝デートをするいうところもなかった。
・山根との喧嘩
→ただ小西が嫌なやつになっていた。キレてるポイントもよく分からなかったし、消えろよ!とか言ってたしそこまでじゃなかったでしょって思った。小説では山根は小西に理不尽にキレられても最後「ありがとう」と言う。そこに小西は少し罪悪感を感じるみたいなシーンがあったが、映画では山根も最後少し怒って完全に喧嘩別れをしていた。あと山根は坊主なはずなのにめちゃくちゃ髪長めの俳優さんでびっくりした。
・桜田花との再会。
→さっちゃんと花が姉妹だと知るシーン。小説では浪人したと言うことになっていたが、映画では不登校で一年学校に行っていなかったと言う設定に。大学で1人でも堂々としている花が、不登校になるだろうかという風に思った。しかもそのは不登校の理由も明かされないからモヤモヤするし。そこの理由わざわざ変える必要あったのかな。全体的に桜田が小西にキツく当たっていたけどそんなシーンは無かった。
・結婚式のシーンがない
→個人的には結婚式のシーンは欲しかった。桜田のお父さんが娘の結婚式のために書いた手紙をお母さんが代読するシーン。あそこがあればもっと感動できたかな。この先は見る側の想像に任せるという監督の考えなのかも知れないけど、色々不器用で遠回りして、ここでやっと報われた。小西よかったね。ってなるし、この日の空が1番好きだってなるんじゃないの?って思った。あと最後桜田が突然アップになるシーンはどういう意図なのか分からなかった。
もちろん良いシーンもたくんあった。ただ原作がとても大好きでとても楽しみにしたので、ちょっとした違和感が多く少しがっかりした。それ通りにやるというスタンスなら忠実に再現して欲しかったし、中途半端だった。タイトルを小説のまま使うのであれば忠実に再現するのが普通だと思うが。やっぱりおばあちゃんとのシーンは削ったらダメだと思う。小西の情報が少なくて、ただ陰キャの変わった奴になっている。全体的に惜しいな、勿体無いな、という印象。もっと細かい設定までこだわって欲しかった。水族館やボーリング、デモ活動など原作にないシーンを追加して、逆に小説に描かれているシーンを削るのはどうなのかと思う。初めて観た時は小説とのギャップにびっくりしてしまったので、こうだと分かった上でもう一度観てみたい。
うげっ
河合優実の恋愛ものじゃん。って思ってみたら脳天かち割られた...。
そんな優しいものではない。分かってはいたがそうだよね。
最初はカット割りとかシーン飛ばしとか違和感演出使っているなーとか思いつつ、普通の恋愛ものかなと考えていたらもの凄いどんでん返し。
役者の演技力が凄いだけに脳が痺れた。
エンドロールを無くしたのは脳を落ち着かせる事なく終わらせる天才的な発想だと思う。
まさかの冷や水
河合優実の演技力は、相変わらずすごい。だけど、話が全く頭に入ってこない。小説だったら叙述トリックで驚いただろうけど、この作品における人間関係だったら、「はーっ」って言いたくなる。
初々しいといえばいいのか、マンガ的な出会いで、徐々に距離をつめる2人。最初のうちは、何とも思わなかったが、ジャルジャルの世界観が所々に見え始めて、うーん来たかって感じ。違和感を感じたまま流すように鑑賞していていると、予期せぬ長台詞。ここのシーンは、めちゃくちゃ心に刺さる。
いろんな伏線を張って、どんどん返しあり、予期せぬ感動へ。スリラーだったらそれでいいんだろうけど、その仕掛に冷や水を浴びせられて、全くの興醒め。
作り込みすぎもほどほどに。
さっちゃんの映画
さっちゃんに助演女優賞を!
下手なスプラッター映画より心を抉られる作品
Twitterで「今年ベスト」と呟いている方が散見されたので観ました。正直、原作者に対してプラスの感情がなかったので自分で観にくるタイプの映画ではありませんでした。
前情報を全く入れていなかったので、第一幕の間は『花束みたいな恋をした』のようなタイプかと油断していたらミッドポイントから話の方向性が一気に変化し、見ている間『花束みたいな〜』とは別の青春の痛みのようなものが噴出し「やめてくれやめてくれ」となりました。
もちろん彼らと全く同じような経験は私にはありませんが、それでも私の大学時代の思い出と重なり辛くて辛くて仕方なかったです。
もしこれを私が大学二年生の時に見ていたとしたら、死にたくて仕方なくなっていたかもしれません。
万人におすすめできる映画ではありません。
面白いと断言することもできません。
ただ少なくない人間の人生に影響を与える力を持つ作品ではあると思います。
そういう意味では間違いなく傑作の一本です。
そして、映画の終わらせ方、エンドロールに関しては、間違いなくあらゆる映画の中でトップです。
全ての映画に真似して欲しいです。
何度も何度も涙した
懐かしい街並みと懐かしい青春
世間は河合優実ばかりに目を奪われていてはいけない、伊東蒼に刮目せよ!
まだザワザワする
伊東蒼の怒涛のセリフにやられる
原作と大九明子監督が合っていなかったかも
大九明子監督作品が好きかというとそうでもないが、NHKのドラマ「かぞかぞ」が心に刺さったので鑑賞。
冒頭から相変わらず奇怪な演出、カメラワーク、編集、音響(褒め言葉)で攻めてくるので、昨今流行りの長いタイトル系のラブストーリーだと思って観に来た人は面食らうのではないか。
原作はお笑いコンビ「ジャルジャル」の福徳秀介による同名小説だが、未読なのでどこまでが原作通りでどこが大九監督の脚色なのかがわからないのだが、ストーリーとしては大学生のボーイミーツガール物の典型で、失恋、予期せぬ事件、偶然、それを乗り越えるラブストーリーとありがちな展開だ。そこに大九監督の独特な演出がどこかミスマッチに思えるのだ。
大九監督には瑞々しいラブストーリーよりも綿谷りさの作品のような少し湾曲した純文学系の恋愛ものの方がマッチする。
同じ大学に通う小西(萩原利久)と桜田(河合優実)は偶然の連続で意気投合するのだが、桜田ある時突然姿を消してしまう。後半はツッコミどころ満載の偶然が描かれていくのだが、この物語のキーワードとして「セレンディピティ」という言葉が出てくる。意味は予期せぬ発見が新たな価値を生み出す事象のことで「偶然の産物」や「幸運な偶然を引き寄せる力」を意味する言葉なので、人生は偶然や奇跡の連続なのだと解釈出来なくもない。
ただ、終盤の感情が爆発する濃い演出は流石に長くて疲れてしまった。
うまく言葉にならない
ロマンチスト
長台詞にこそ俳優と演出が生きる
河合優実が好き、関西が好き
見なきゃならないと久々に映画鑑賞。
最初はオーソドックスな恋愛映画でキラキラ系かと思いきや...
ストレートな映画ではなく、いろんな感情がうずまいてくる。
この映画は、とにかく俳優がいい。
それぞれ見せ場長台詞があるけれど、
映画にありがちな説明くさいものでもなく、関西人がよくしゃべる延長になっており、嫌にならない。
そこに音楽だったり、カメラワークだったりがあわさり、大きな見どころになっていた。
逆にセリフのない、阪急電車のシーンもとても好き。
脚本が福徳ということで、伏線や粋な演出もいきてきて最後まで心地よかった。
でも、主人公の気持ち、理解できるようなできないような。映画ってそんなもん。
原作との改編が謎?
話題のこの作品、河合優実さんの演技にも期待して見た。見ていて違和感を感じたのは河合が演じる桜田花がバイト先で主人公の小西の距離の詰め方を「うっとおしい。」と言うあたり。この部分は原作にはなかった。映画の中での花が「うっとおしい」はずの小西と再会して自然に会話しているのも気になった。そんなものなのかな?
それと風呂屋でバイトしているはずのさっちゃんの家が電車で行くくらい離れた所にあるという設定。夜中のバイト行くのにそんなに遠いところまで行かないだろうと感じた。この部分も原作には無かった。
逆に原作通りだっとのはスピッツの「初恋クレージー」バイト仲間のさっちゃんおすすめの曲。原作者の福徳さんが好きな曲なんだろうけど、映画の中には山合圭吾さんの「日に日に」や蛭子和典さんの「倍音ソウル」などの良い曲も登場しているので「初恋クレイジー」ではなくて「倍音ソウル」か「日に日に」のどちらかで通したほうが印象深かったように感じました。
映画の中の長い台詞は原作のままでそれはそれでいいし、関大の情景がたくさん出て来て関大生や卒業生にとっては特別な映画になったのだろうなと感じました。
全体として楽しく見ることができました。
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