劇場公開日 2025年4月25日

「雨の日の庭に水まきしているような」今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は ポッと出たさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0雨の日の庭に水まきしているような

2025年5月31日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

カワイイ

なんとなく映画館に入ったので誰が原作とか監督とか俳優とか知らずに鑑賞しました。いい映画だと思いました。「いい映画」というジャンルはないけれど「いい映画」という映画を制作したのですね。
映画は鑑賞者とのコミュニケーションでもあります。日常の人間関係と同じです。監督さんは「この人変わった人」。観たときはよくわからない。後で考えると「こうかもしれない」というわからせ方が多用されていて、しかもそれがとても変わった人のそれなのでわかったあとも私の気持ちの中には入ってこない。でもなぜ?という不思議な感覚で、表題に書いた、雨の日の水やりをする人、と会話しているような感覚が多くを占めます。

「雨降っているのに水やるの?」
「うん、いつもこの子達に私がお水あげているから」
「そうか、まぁ別に悪いことではないけど・・・マイルールなのね」

いくつかありましたが、意外なドンデンみたいなところがあるのですが、「におわせ」の貼り方が知的すぎて私は驚くどころか、眼の前を急に何かが猛スピードで飛び去り遠くのほうで落下したのが見えてそれが鳥だったみたいな、驚きも感動も意外性もすべて置いていかれた感じ。家に帰ったら家族が突然なんの相談も匂わせもなくベンツを買って駐車場に置いてあるみたいな。「なにこれ・・・」あ、もしかして買ったんだ・・・、それで時間の経過とともに、「ちょっとまってこれいくら?・・・・・え!支払いどうすんのよ!」のような「判断」を利用した伏線みたいなものは私的には素直な感覚を超えているためか、感動という感情が湧いてきません。

理由はわかりませんが、この映画の3人の主要キャストさん、シーンによって「別人」になっています。人間にはいろいろな面があってとか出来事で違う面を見せるとか成長するんだとか、という変化ではなく、監督のせいなのか俳優のせいなのかは私にはわかりませんが、ただ「別人」です。そのせいだと思うのですが、登場人物に対する共感が長続きしません。日常でもそうですよね、会うたびになにげに違う感覚を醸す人とあまり仲良くはしたくないです、そういうこの人なんだろう感が出てくると怖いというか距離を取りたいというか、可愛いから美しいからと言うのはマイナスの感情的要素になってしまう。あ、この人はあの人ね、と話の流れでわかった上に、だがしかし同じ人とは思えない。いきなり登場人物が一人増えたみたいな驚きが勝ります。天才俳優でない限り様々な場面で状況で、「同じ人間」をわからせるように演じるというのが難しいのはわかりますが、登場時の要素が微塵もないということはなにか監督が変な方向にいじりすぎなのか、表現者の理解の問題なのか、こうなってしまった理由はもちろん専門家でもない私にはわかりません。

シーンを逆に考えたらわかると思いますが、後半の自宅シーンが先にあって、回想として大学生活を持ってきたら・・・ほら、何があったにせよ関連の感じられない別人でしょう?
出来事で人が変わるというのはこういうのではないと私は思います。

一所懸命思い出して書いています。
帰りのエレベーターで、自分から人に強烈にぶつかっているのにぶつかっといて「なんでどかね〜んだよ」的不快な顔をあらわにする今どき超カワイイ女子を目の当たりにして生の感情がくるくるしたら、私の中からこの映画はきれいに上書きされて消えてました。

ポッと出た
かつどんさんのコメント
2025年6月1日

18回観ました。舞台劇、ミュージカル、悲喜劇、愛、生と死、人生、贅沢に詰めましたね。ブルースリーが言ったじゃないですか、考えるな、感じろ。楽しめ。映画の皆は私達がおる限り、おる。絶対に消えない。二人の間、風が吹き、サクラの毛がフワリ、咲ちゃんが見にきとるよ、ほら、二人は仲直り。僕はトラウマ専門の精神科医、監督、名医です。そう、医者なんて役立たず。ノンフィクションなんて、この世に無い。映画というフィクションに真実は宿る。

かつどん
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