敵のレビュー・感想・評価
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「敵」は誰ものもとにもやってくる
儀助が見た敵とは何だったのか?
老いそのものか、または穏やかな老いを妨げる何かか。
映画化を知ってから原作を読んだが、「これ、どうやって映画にするんだろう?」というのが正直な感想だった。
まず、前半は儀助の日常描写、というより生活習慣の説明が、微に入り細に入りなされる。食事のこと、知己や親族のこと、家の間取り、預貯金、性欲、体調、野菜、諸々。映画と違って会話劇ではなくほとんど儀助のモノローグで、ひとつのテーマにつき7〜8ページの分量の章立てで淡白な日記のような文章が延々と続く。
確かに儀助という老人の解像度は4Kレベルに高まるのだが、話がわかりやすく動かない。ちょうど中盤にある「敵」の章あたりからようやく起伏が出てくるが、幻と現実のあわいをさまようように物語は展開してゆく。
この分じゃ映画はとっつきにくい仕上がりなのかな、という不安がよぎったが、意外と見やすかった。
原作で言葉を尽くして説明されていた儀助の生活上のこだわりが、ほぼ映像表現に置き換えられたことで随分すっきりした。言葉がなくても原作に近い印象が伝わってくるところは映像の力だ。
序盤の、丁寧に暮らす儀助の淡々とした日常描写は「PERFECT DAYS」を思わせる心地よいリズムがある(ただし生活費は全然違っていて、原作によれば儀助はこだわりや習慣のために毎月40〜50万出費している)。彼の食べる朝昼の食事がどれも美味しそう。
演じた長塚京三は儀助に近い79歳、パリのソルボンヌ大学で学んだ経歴を持つ。181cmの長身で、足が長くすらりとした立ち姿がインテリ設定に合う。儀助ははまり役ではないだろうか。
そんな彼が2回目の内視鏡検査(の妄想)で縛られて四つん這いになり、そのお尻に内視鏡カメラがちゅちゅっと吸い込まれるシーンは笑ってしまった。その後度々現れる妄想シーンも、いい塩梅のユーモアがあって楽しい。
そんなユーモアの向こうに透けて見えるのは、一見理性と知見で余生を御しているように見える儀助の人間臭い部分、あえて不穏当な言葉で言えば無様な部分だ。
彼はフランス近代演劇史の教授という経歴からくるインテリらしいプライドを持つ反面、自分を慕う教え子靖子に性的妄想を抱いたり、バーで出会った歩美に易々と金を渡したりと俗っぽい煩悩も捨てきれずにいる。普段はプライドによって抑え込まれている煩悩が、彼の妄想の中で顕在化する。筒井康隆によると、この妄想は認知症など病的なものではなく、あくまで儀助が"夢と妄想の人"であることに依るのだそうだ。
妄想に現れる亡き妻や現世の人々とのやり取りは、儀助の秘めた願望や後悔なのだろう。妻との入浴や、「フランス旅行に行けばよかった」という後悔の告白。終電までの時間で靖子を抱こうとするのも心のどこかにあった欲望だ。
旅行雑誌への寄稿を打ち切った出版社の社員犬丸の妄想での扱いは散々だ。打ち切り通告の席で、儀助のフランス語の返しを理解しなかった犬丸を、彼は内心嫌悪したのだろう。妄想の中で寄稿の継続を依頼しにきた犬丸は、鍋の肉を食べ尽くす傍若無人な人間として振る舞う。そして終いには儀助の知性を理解する靖子に殴り殺され、椛島の掘った井戸に放り込まれる(笑)。
そんな儀助も、最後は隣家の臭いおじさんと通りすがりの犬(名前がバルザック笑)の飼い主と共に、見えない「敵」に撃ち殺される。ここ以降は映画オリジナルで、ちょっとホラーチックなラストカットが秀逸。
筒井康隆は映画化にあたって、64歳の時に原作小説を書いたことについて「年をとるのが怖かったからでしょうね」とコメントしている。
その怖さの源を想像してみる。取り返しのつかない後悔を抱えることか。社会での役割を失ってゆくことか。年の功で日常をコントロールしつつ穏やかな余生を過ごしたいのに、不如意な欲望から逃れられないことか。
結局誰にとっても、現世の煩いや執着を手放して穏やかな死を迎えることは、かなりハードルの高いことなのだろう。物語中盤で病床に伏した湯島も、妻の前では寝たふりをしつつ、「敵」の影に恐怖しながら死んでいった。
今際の際まで惑い続け、意のままにならないものを抱えたまま終わってゆくのが大半の人間の人生なのかもしれない。
それがむしろ当たり前なのだと思っていっそ受け入れれば、死に方に対するハードルが少しだけ下がるような気がする。結局は、今を生きることに集中するしかない。
筒井御大のように理性的に恐怖と向き合う勇気のない私は、そのように開き直ってみたりする。
77歳の元大学教授に襲いかかる敵の正体は幻覚か、それとも。。。
妻に先立たれた77歳の元大学教授の儀助が、東京都内の山手にある古い日本家屋で慎ましく、日々のルーティンを守りながら暮らしている。とは言え、彼が焼く魚は美味そうだし、たてるコーヒーの香りがこちら側にも届きそうだ。何より、彼は枯れていない。時折訪れる教え子に密かな欲望を抱いたりしている。
ある日、儀助のパソコンに突然"敵がやってくる"というメッセージが届いて以来、彼の意識は一気に混濁していく。それは現実か、幻か。そして、敵襲来以前の日常はどうだったのか。儀助の混乱はそのまま観客にも伝染し、多くの人が感じる老醜の残酷という聞いたような結末に収まらない、衝撃のラストへと突き進んでいく。それは、筒井康隆の原作にもなかった映画オリジナルのアイディアだとか。観客を混乱させて、さらに異次元へと誘い込む脚本と演出に思わず息を呑んだ。
筒井原作に綴られた儀助の人物像はユーモラスで、やたら男性性器や性欲にまつわる記述が登場する。77歳でそんな?と思うわけだが、映画ではそんな主人公を長塚京三が演じることで、さもありなんと思わせる。何しろ長塚=儀助はエロくてかっこよくて、知的なのだ。気がつくと女性に覆い被さっているような、前のめりで痩せた身体にも妙な危うさがあり、それさえ魅力になっている。観ていて疑問に感じたところを後で誰かと話なくなる、対話に飢えた新春のシネフィル向き。
反面教師ならぬ反面教授?
原作未読ですが、【由宇子の天秤】の瀧内公美さんと河合優実さんの再共演ということで公開日に早速観てきました。
引退後の人生の過ごし方という逃げられない未来を、自分はどう生きるべきかと色々考えさせられる作品でした。鑑賞後も自らへの問いがしばらく頭の中を巡りました。
主人公は、一般的に立派な方と言われるのかも知れませんが、私はこういう方にはならないように気をつけたいと思う部分がありました。欲が自制できずうたた寝中に果てるとか、教え子を片付けに駆り出すとか、お金の使い方とか。
飯テロ映画でもあります。朝からご飯を炊いて魚を焼いて等、よくある献立でも白黒映像な所が逆に美味しそうに見えました。
何食かでてきてどれも美味しそうなのですが、汁物が全然ないのが気になったのは、劇映画孤独のグルメを観た後だからでしょうか。
主人公の偏屈な性格を描写したもの、とも思いました。
老いへの恐怖
妻を亡くし毎日を平々凡々と生きる元フランス文学大学教授の日常を描く。日常を侵食する妄想、老いという悪夢、それこそが敵なのか。
長塚京三好きで吉田大八監督の作品か好きなので飽きずに観られたが楽しいかどうかと言われたら…。
自分も50歳半ばで無理の効かない年になり、恐怖を強く感じた。
第三種石鹸遭遇
筒井康隆の大ファンだ(った)が、この原作は未読。特に初期の短編(「トラブル」「マグロマル」など)が好きだった。この作品は著者64歳の時の作品だが、既に“老い”への恐怖というテーマが色濃い。
いたって普通の日常生活も、モノクロだと枯淡の風情を帯びてくる。主人公はひとり暮らしなのに随分手間ひまかけて料理をする。後半に入るとカップ麺にお湯を注ぐだけになったりするのが悲しすぎる。夢落ちの連鎖という構造が見えてしまうと、途中からもう話がどうでもよくなってくる。
長塚京三はかつての「ザ・中学教師」の印象が強烈だった。久々に見るとすっかり枯れてしまっていて驚いたけれど、傘寿真近と知ればいたしかたないところ。
私はあんなにわんさか石鹸をもらったことはないなあ。
単細胞的に考えました。
はい、長塚京三の日常が淡々と描かれます。
ご多分に漏れず「PERFECT DAYS」を連想
「PERFECT DAYS」同様、最後まで淡々としていて欲しいなあ・・・と思わせてくれます。
役所広司とか長塚京三は眺めてるだけで楽しいので
ひたすらボーッと眺めるのも至福のときでした。
しかし、ネジは外れ出します。
この「敵」
様々な解釈が出ていますが
僕は単細胞的に「夢」と捉えました。
つまりね
異常事態の後に「目覚める」シーンが多用
気分は「特急シリーズ」のフランキー堺です。
が、起きたあとも異常事態やん
となりますが
ここから僕の実体験の話をします。
一時期、悪夢ばかり見ている時期があり
「夢」の中で「夢」見ていて、それがまた「夢」という多重構造だったり(「ドクラマグラ」みたいね)
「夢」の中で「夢」と気づいて起きようとするんだけど、また「夢」中に引っ張り込まれる
とか怖くて疲れる日々をおくってました。
人に話したら
「エルム街の悪夢」の見過ぎなんですよ
と言われたりしましたが
これ順番が逆で
僕のような恐怖体験をしている人が世界中に沢山いたから「エルム街の悪夢(1作目)は大ヒットしたんだと思ってます。
で、本気で怖かった。
2作目以降に関して言うと、僕は「ホラーキャラのアイドル化」推進派なので、楽しく見守らせて貰いました。
(したがって「貞子」シリーズも楽しく見守ってます)
親しくしている女性から「セクハラ」を指摘されて、ありていで説得力のない弁解をするなんて京三には本気で悪夢でしょう。
また「夢精する京三すげえなあ」と思いましたが、それもまた夢かもしれません。
もしエンドロールの後で、夢から目覚めて起きるシーンがあったら
僕はスッキリだけど
皆さん嫌な気持ちになったでしょう。
観る人によって合うか合わないか(もしくは好きか嫌いか)がはっきり分かれそうな作品です。白黒作品である理由は何となくですが理解できた気がします。
出演者の中に気になる人が複数名おりチェックしてました。
長塚京三さん、瀧内公美さん、河合優実さん等々です。・_・
白黒映像にもどんな理由があっての事なのか気になります。
そんな訳で、さあ鑑賞。
した訳なのですが…。
この作品の感想をどう表現したら良いものか困ってます。*_*ン
鑑賞後1週間経過しても感想がまとまりません。
# 楽しかったですかというと いいえです(すいません)
# つまらなかったかというと 前半寝てしまいそうでした
# 気持ち悪かったかというと 否定できません (すいません)
# 観どころは無いかというと そうとばかりも言えない気も
うーん。
もしかすると、この作品をそんじょそこらの作品(どんなだ)と
思って鑑賞してしまったのが間違いだったかも。うん、きっとそう。
良くみれば、原作が筒井康隆の小説 だし。 @_@;;
というわけで…
以下、この作品が自分に合うか事前チェック~
…って 観てからやってもなぁ…と自分に突っ込みつつ
【設問その1】
筒井康隆を読んだことかありますか?
はい (次の設問へ) ★
いいえ (考え直すなら今のうちですよ)
【設問その2】
「時をかける少女」くらいでしょうか?
はい (引き返すなら今のうちですよ)
いいえ (次の設問へ) ★
【設問その3】
筒井康隆の作風を何となくでも理解していますか?
はい (この作品をお楽しみ下さい)
いいえ (選び直すなら今のうちですよ)
たぶん (何があっても自己責任ですよ) ★
★は私の選択です。
筒井康隆の小説で読んだことがあるのは、
「時をかける少女」
「家族八景」
「七瀬ふたたび」
「エディプスの恋人」 (←もしかしたら読んでないかも)
正直に書くとこの程度しかありません。@-@ ; ウン
そして、いわゆる七瀬三部作(の中のどれだったか)を読んだ
際に、トラウマになりそうなキツイ場面があった事も思い出し
てしまいました。・-・;; オッ
※「火葬場」「蘇生」「テレパス」このキーワードで ” あれか ”
と分かって頂ける方もいらっしゃるかも。
要するに、安心して鑑賞できる作品と思って鑑賞した自分が
悪かったのです。という事をお伝えしたいだけテス…。@_@;;;
そんな訳で、以下レビュー本文です。
◇
作品の概要を挙げてみると…
年老いた一人の老教授(長塚京三)が主役。仏文学の先生。
彼の日常生活のシーンが淡々と続く。
人生の残り時間を、収入見込みから逆算しているヘンなヒト。
その自説を、尋ねてくる人(多くは無い)に説き聴かせている。
住んでいる自宅は庭付きの、年季の入った屋敷。
奥様を無くして以来、一人で暮らしている。
家の手入れも大変だろうが、売って身軽になろうとかの考えは
全く持ち合わせていないようだ。
そんな彼を尋ねてくる内の一人が、過去の教え子(瀧内久美)。
教授と女子大生だった頃、カンケイがあったのかどうか不明。
自分を尋ねてくれるこの元教え子に対して抱く感情は…。
たまには、仏文学の評論記事の依頼がやってくる。
仏文学の研究は格調高い世界と思われているようだが、卒業後に
それで食べていくのが困難な分野でもある。
元教授が良く利用しているパブ(?)がある。
そこに行けば、新しいアルバイトの女子大生(河合優実)。
どうやらこの娘も仏文学をやっているらしく、久しぶりに文学の話
を交わすことで、精神が若返った気分を味わっている。
庭では使われなくなった古井戸を堀り直そうという話になり、
知り合いから紹介された業者が作業に来ている。
と、こんな感じに
淡白で静かな出だしから始まり、とても静かな展開を見せているの
ですが、ある時点を境に話の内容に変化が見られるようになっていき
ます。どちらかというと、不穏な変化が…。
◇
ある夜。トイレの水面を見て呆然とする教授。
白黒作品なので色が分かりませんが、恐らくは真っ赤な出血。きゃー。
辛いキムチを買って夕食に食べたのだが、食べすぎたせいか…。
医者に行く。ベッドの上に四つんばい。
手首も縛られ身動き出来ないように拘束され、下着を下ろされて尻に
検査器具をズブズブと。…うおぅ
その器具のホースが暴れ出し、悶絶する教授…。
という所で場面が変わり、…夢?
このあたりから後次第に、不安な現実と不穏な妄想の入り混じった展開に
なっていく訳で…。うーん。
鑑賞後に残ったのは、
” もやもや”
” 不条理 ”
” 不快感 ”
ほぼ、そういったプラスの感情ではないものが殆どでした。
最後の方では、やはり筒井康隆の世界だったと思うしかないのかと、
半分悟りを開いたかのような心境の中、更に悶々とすること数日。。
◇
突然、頭の中に閃いたものがありました。☆△☆
” 訳の分からないストーリーに変わっていくのは 主人公の ”
” 脳内の認知能力低下の進行を表現しているからではないか? ”
奥さんを亡くし、単調な一人暮らしの毎日の連続。
それによる、認知症の悪化。ワケ分からなくなった認識の表現。
と、アンソニー・ホプキンスの「ファーザー」を思い出しました。
徐々に認知機能が壊れていく老人の世界を、老人の側から描いた強烈な
作品でした。
この作品をそうなのかも、と考えていったら
「理解は出来なくとも納得はできる」 ようになりました。
理由のわからない不条理な展開も納得できます。
※ 本当は違うのかもしれませんが…、そう思うコトにしました。。
◇あれこれ
■長塚京三さん
ひきしまった肉体でしたねー。すごい。
何か特別な運動でもされているものやら。弛みが全く無いです。
とても80歳間近とは思えません。
■河合優実さん
色々な役を演じられる役者さんだなぁ と感心するばかりなのです
が、この作品では「水商売のお手伝いをする女子大生」でした。
一歩引いた感じの「目立たない存在感(ん?)」で好演。
■遺産相続
この作品に出てくるような、庭付きの一戸建て。
なるべくこのままの状態を保全してね との条件で譲られたら…。
うーん。相当の思い入れが無いと、かなりお荷物に感じるかも。
■相続したヒト
” 従兄弟の息子 ” に、その財産が相続されて終わったようですが
あのラストシーンって…。
あの家そのものにも、何かがある(いる)のでしょうか…。こわ。
◇最後に
この原作を書いた時、筒井康隆さんは60代半ば。
これから先の人生に立ちはだかると思われる「老」の世界に
色々な想いを込めて書いた小説なのかなぁ と、
勝手に思っています。(違ってたらすいません)
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
虚しい
原作知らないです。読んでいないです。
正直楽しい映画では無かった。
文学としてはいい作品なのかもしれない。
敵って何?何が来るのか?と楽しみに見ていたが
結局まもなく来る自分の終わりじゃん。
現実と過去と妄想がごちゃ混ぜになりながら
人生を終わる、そんな現実を見せられただけ・・・。
むなしくなった・・・。
原作読まずに観るべきかも
原作有り映画の場合、読んでから観ると未読で観る場合とは違う印象を受けるが今回は原作読破しての鑑賞。批判的な視点から検討すると、いくつかの問題点が浮かび上がります。まず、物語の展開において、主人公が「敵」の存在に怯える過程が描かれますが、その恐怖の根拠や「敵」の正体が曖昧なまま進行するため、観客にとって理解しづらい部分があります。この曖昧さは、観客の共感や感情移入を妨げ、物語への没入感を損なう要因となっています。
さらに、主人公の心理描写に焦点を当てるあまり、周囲のキャラクターの描写が浅く、彼らの行動や動機が十分に掘り下げられていません。特に、大学の教え子やバーで出会う大学生など、主人公と関わる人物たちの背景や内面が描かれないため、物語全体の厚みやリアリティが欠けていると感じられます。
演出面においても、吉田監督の独特なスタイルが際立っていますが、一部のシーンでは過剰な演出や象徴的な映像表現が観客にとって理解しづらく、物語の流れを妨げる要因となっています。これらの演出は、作品のテーマやメッセージを伝える上で効果的である一方、過度に抽象的であるため、一部の観客には難解に映る可能性があります。原作では性的描写が肝であるがこの点も表現が物足りない。今映画やドラマの現場でインティマシーコーディネーターの導入が進み表現が難しいのは理解するが女性の肌の露出が少なすぎるしエロティックさも感じない。意味のない裸は必要ないが演出で工夫出来た筈。
また、原作小説の持つ独特の文体やユーモアが映画化の過程で十分に再現されておらず、原作ファンにとっては物足りなさを感じる部分があります。特に、筒井康隆の作品特有の風刺や皮肉が薄まり、物語の深みや多層性が損なわれている気がした。
総じて、『敵』は高い評価を受ける一方で、物語の曖昧さやキャラクター描写の浅さ、過剰な演出などの課題が見受けられた。
小津を意識したらしいが敢えてモノクロにした必然性も感じなかった。
余談ですが原作読んで思ったのは主人公は幻覚、幻聴、悪夢などの症状からレビー小体型認知症だと思う。私の死んだ父親がそうでした。生きている間は異常な行動言動に随分悩まされました。
タイトルなし(ネタバレ)
評判通りモノクロ版孤独のグルメだったが、自炊してる分より孤独感が増してるのですが端正な分、後半のカップうどんやあんパンで錯綜してる感じがより強く感じられた。
これはネタバレになるかも↓
筒井康隆原作のイメージより屋敷(家)に取り憑かれた『シャイニング』のような話だと思った。(最後双眼鏡でみたものとか)
恐るもの
白黒映画なのに
だから?なのか
食べ物が美味しそう✨
焼き鳥が一番食べたくなりました
最初みていて、パーフェクトデイズ的な感じかと思っていたら
平山さん役所さん的な?
全然違くて
自死を決めて生活をする
元大学教授
お金にゆとりがある時の生活から
行きつけBARオーナーの姪
健気な哀れな彼女にほぼ全財産をあげてしまう
これは現実出来事と私は捉えた
困窮しはじめてから、現実なのか
夢なのか
わからない展開
生きているのか、死んでいるのか
わからない展開が続く
敵は死だったのかなと解釈
主役は長塚さんじゃないとだめだと思いました。というか長塚さんだからとてもよい
夢じゃ、夢じゃ、夢でござる。いや、夢ではない。
1月31日(金)
1月にインフルエンザと虚血性腸炎で2度入退院を繰り返した高齢の母を見舞う。元気になって良かった。帰りにユナイテッドシネマ浦和で「敵」を。
祖父の代からの一軒家に住むフランス文学の教授だった渡辺儀助(長塚京三)は、20年程前に妻を亡くし、一人暮らしで買い物、料理、掃除、洗濯をこなし、コーヒー豆を挽いてコーヒーをいれて、仏文学に関する講演や原稿を書いて生活している。
昔の教え子(瀧内公美)が訪ねて来たり、友人とバーに飲みに行ったりもする。
貯金の残高からあと何年こんな生活が出来るかを計算して、その日を目指して生きている。
そんな中、あなたに500万円当選しましたとかスパムメールが来る中に、「敵がやってくる」というのがある。
そこから生活のリズムが狂い初める。
バーのオーナーの娘(河合優実)に金を騙し取られたり、亡くなった妻と一緒に入浴したり、昔の教え子とあわやの関係になったりと虚々実々の世界が展開される。
不条理なのは筒井康隆ワールド。
どこまでが真実で、どこまでが虚構なのか夢なのか。
夏、秋、冬とストーリーは進み、
「春になればまたみんなと会える」と言うのが儀助の最後の台詞だった。
「なれば?」冬には誰とも会っていないのか。するとあれは全てが幻覚、幻想、妄想か。春の儀助の葬式、本作のそれまでの登場人物は誰一人出席していない。
そもそも本作は、最初から全てが儀助の幻想だったのではないか。
「ファーザー」のレビューにも書いたが、認知症になると料理が出来なくなる。昔出来ていた事が出来なくなるのだ。
あれだけ手際良く調理していた儀助が冬には料理をせずパンをかじっていた。
しかし、美しいモノクロームの世界の瀧内公美の艶めかしさはどうだ。
儀助でなくても性欲を刺激されるのは間違いない。
いや、私が70過ぎたエロジジイだから言うのではなく、人間は70歳になっても性欲は衰えない。少なくとも精神的には。肉体が付いてくるかは別の問題だ。
辛いキムチを食べ過ぎて大腸炎で下血し、内視鏡検査を受けた儀助は医師に言われる。腸の機能は加齢で落ちているのだと。
(先週、母が虚血性腸炎で入院し大腸の内視鏡の画像を見せられたばかりなのだ)
やって来る本当の「敵」は、老いか、孤独か、死か。
老境に至りても、ひとは醜くて面白い。
筒井康隆は関西圏のテレビで鷹揚としゃべるおじいちゃんという印象しかない。
小説は読んだことない。時をかける少女とかの原作者だってことは知ってる。
吉田大八の脚本・監督ってことに惹かれて観た。
多分、ある種の認知のズレが始まった老人の、混乱から死への季節の描写なんだろなー。
かっこよく死に時を探しているけど、40くらいの教え子に欲望を抱き(瀧内公美さんがすごくいろっぽくてよい)夢精するし、20そこそこの小娘に鼻の下を伸ばしてお金を取られ、20年前に死んだ妻のコートに面影を求め、隣人の加齢臭に自分も臭くないかめっちゃ気にして石鹸をこすりつけ、金はとられるし絶望して自死しようとするのに、訳のわからんものに襲われたら抗ってしまうし、みっともなくて性も生もどっちも全然達観できてないやんってところが、生々しくて面白かった。
長塚京三さんの演じた、老境に至りてなおみみっちいプライドや欲望に拘泥する、普遍的でチャーミングな人物像がとてもよかった。だいぶ年とらはったなー、説得力ある画だけど演じるのに勇気いるよななど思った。
辛いレーメンでおなか壊して、大腸のカメラ検査の2回目で、女性医師に四つん這いにされて、下着おろされてはずかしいのに恥ずかしいと言えず、黒いホース状の何かが尻から吸い込まれる描写がおっかしくて、がんばって無音で爆笑した。
あと、犬の糞を放置するなとキレる隣人が、敵?に打たれて糞を尻でつぶしてしんじゃう描写と、犬の糞放置の犯人にされる女性の飼っている犬の名前がバルザックで、そんなところにまでフランス文学風味を…なども面白かった。
フードコーディネーターは飯島奈美さんだったよう。
社会の勝者であった人に
モノクロ画面については、モノクロ作品をたくさん観ているし(なんなら映画はモノクロの方が多い)、先に知っていたのもあり、そういう手法なんだな、程度だった。
画面に映る家電等が最先端なので、モノクロと映っているものとの間の軋みも味わいとなる。
そもそも妻を大分前に亡くしているのに家電が新しい、ということは自分で選別して購入する能力がある男性であることを表している。
庭掃除、料理、洗濯、廊下掃除(掃除機でははなく箒)の場面はあったが、しばしば登場する調理にまつわる台所の掃除はどうしたんだ、と思っていたら夜中にやっていた。
そのように主人公となる渡辺儀助は「丁寧なくらし」をしている。
フランス文学の教授職を退官して、貯蓄と年金、講演料や原稿料で生活している。
(ちなみにネット情報によると長塚京三氏はパリ大学に在籍していたことがあるそうな)
貯蓄があることも、退職したあとに小遣いというには十分すぎる(と思われる)収入があることも、社会の勝者であった彼を描き出している。
そういった下敷きの上に、老いによる孤独、隔絶感、閉塞感から芽生えた現実と妄想が降り積もってゆく。
最初は、雪が黒い地面に落ちて静かに溶けてゆくように、儀助という人間の中に吸い込まれて消えてゆくが、次第に、彼を浸食し、凌駕してゆく。
一応、女性として年金受給年齢まで日本で生きてきたものとしては、教え子の女性も夜間飛行というバーの女子学生もあざとさが目立つが、こういう罠に嵌ることにすら潜在的な願望を抱く男性は少なくないのかもしれない。
認知症になったらどうしよう、と悩む高齢者は多いが、病気と名付けられずとも、生命を授けられたものはすべからく老いて死んで行く。(どの程度の老いかはばらばらだが)
そういった事実を覚悟する意味で、社会の勝者として生きてきた方に観ていただきたい、と思った次第である。
まあ、それでも「オレ(だけ)は大丈夫」という人はいるけれど。
儀助の最後の姿から亡くなるまでの数ヶ月は描かれていない。
それは救いなのか恐怖なのか。
全く関係ないけれど、「猫と庄造と二人のをんな」を観てみようかな、と思った。
久々の筒井康隆ワールドを堪能
原作は読んでいないので、初めから『敵』とは何かを考えながら観ていた。ま、死だったり老いだったりだろうなと単純に想像していた。
同居している91歳の私の母親は認知症ではないが、ここのところ睡眠時間がやたら長く、何かに対して怒鳴っているような叫んでいる様な大声の寝言が多くなった。物忘れも酷くなってきて、そんな事聞いてない、私がいい忘れたからって人のせいにするななど理不尽な事を言ったりする頻度も増えて来た。
この映画で私の母の頭の中を垣間見た気がする。きっと母も、過去の記憶や、長い人生の経験からくる理想、恐怖などの妄想と現実の混乱の中で日々の生活を送っているに違いない。何度も出て行こうと思ったが、雨の日に縁側に一人ぽつんと座っているシーンを観て、最後の日まで一緒に居てあげようと改めて思った。
敵とYシャツと私
2025年2本目は、敵。
序盤は憧れるほど丁寧な生活が描かれる。
焼き鳥を串打ちし、すぐ混ぜる冷麺もきっちりと盛り付ける。
何気ない日常描写でありながら、退屈はしない。
敵が現れてからは生活が一変し、パジャマで過ごし、菓子パンやインスタント麺のズボラ生活。
この対比が素晴らしいと思いました。
どこからどこまでが現実なのか、だんだん境界線が曖昧になっていく感じがとても良かったです。
画面がモノクロなこともこの映画にとってプラスに働いていると思います。
敵は
老いですか?独居は少し寂しいですが、ある意味憧れの生活を送れているフランス文学の元教授ですが、段々と老いが迫ってきます。これは仕方ないですかね。できるだけ人に迷惑をかけない様にしたいものです。
老いるということ、その認知の乱れを巧みに描いた作品
映画「敵」
筒井康隆の同名小説を、吉田大八監督が映画化、2024年の第37回東京国際映画祭コンペティション部門において、東京グランプリ、最優秀監督賞、最優秀男優賞の3冠受賞ということで、期待して臨む。
主人公の儀助は、大学教授の職をリタイア、妻に先立たれているが、かつての教え子たちとの交流もあり、日々穏やかな生活を送っている。
年金と預貯金を計算、同じように生活できるであろう終わりの日を決め、遺言書をしたためつつ、その日に向けて淡々と暮らす老人。
その毎日のルーティンは、映画PERFECT DAYSの役所広司とも被る。そして毎日几帳面に暮らし、買い物をして美味しそうな料理を作り、ひとり食べる姿は、自分のそう遠くない将来をも予感させる。
そんな独居老人の儀助の前に、「敵」という得も知れないものが現れ、現実と妄想が交錯するカオスな展開。
もしかすると、それ以前から認知に乱れが生じていた可能性も多々あり、、、
舞台は現代であるが、モノクロ映像で描いたことにより、小津映画かのような、味わい深く映画らしい世界にどっぷり浸かることができる作品。
主人公の儀助を演じた長塚京三のキャスティングがドンピシャ。助演の瀧内公美、河合優実、黒沢あすか、彼女たちが見せる妖しい演技が、儀助の心の乱れをスクリーンにあぶり出していく。河合優実のファンとしては、そこも楽しめる要素。
特筆すべき点としては、前半に出てくる様々な料理が、モノクロながらもとても美味しく見えること。そして一軒家に住み、一般の老人より恵まれた環境の中、悠々と暮らす一人の老人が、乱れた心持ちの中、妄想と現実の狭間を生き、時に卑猥なことまでを頭に描いていること。
それらのどこまでが現実で、どこからが妄想か、観ている者にとっても掴みどころがないまま、巧みにスクリーンに映し出され、最期の時を迎える。
老いるということ、そこに突如現れる妄想や認知の乱れを上手に描いた、映画好きにお勧めの映画
妄想だろうが夢だろうが
やがて必ず来る死を感じながら端正な余生(こまめに作る料理が旨そう)を過ごしていた仏文学者の暮らしが悪夢に呑み込まれていく
モノクロームに、彼の老いた、それでいて枯れきらない身体が物語る
バーで出会った女学生に騙され、教え子の女性にのめり込み、亡き妻に罵倒される
(肛門にぶち込む女医も含めて女たちには惹かれる)
パソコンは乗っ取られて混乱した言葉で満ち溢れる
敵がいきなり群れ溢れ、北の方から銃撃される急展開
怖しい
無事に死んだ後の屋敷で、祖父は何を見たのか
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