敵のレビュー・感想・評価
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けり
妻に先立たれた元大学教授の渡辺儀助は、古い日本家屋でひとり穏やかな日々を過ごしていた。ある日、「敵がやってくる」というメールが届く。それを境に、夢とも現実ともつかないことが起こるようになり。
序盤、儀助の生活ぶりを事細かに描いています。それが、意外にも見ていて飽きない。「パーフェクトデイズ」を思い出しました。フランス演劇の元教授で何かと小難しい感じの彼ですが、麺好きなところに親近感を覚えます。そして全くTVが画面に登場しないことへ、ちょっと違和感がありましたが、敵の正体を隠す演出なのか。最後、金と頭脳にけりを付けた形の儀助の行動が潔い。遺産の扱いに、槙男君はちょっと大変そう。
吉田大八「敵」原作は知らなくて“敵”はネットで真実のメタファーなの...
死ぬ日を逆算して生きるけれど、
死ぬ日(X-da y)を逆算して生きていた渡辺儀助の、
完璧なルーティンを砕く【敵】とは❓
まるで役所広司の「PERFECT DAYS」を思わせる
毎朝のルーティーン。
原作(筒井康隆の同名小説)は儀助の日記形式で
書かれてると言う。
ただ役所広司の朝より、倍速で気忙しい。
追われるように手際は良いのだけれど、
余裕やゆとりがない。
しかしモノクロでも料理は旨そうで、伝わってくる。
ひとり焼き鳥は生真面目な儀助も、実に楽しそうだった。
長塚京三は言う、
吉田大八監督は原作を映画界に入る前の1998年には読んでいて、
いつか映画化しようと考えていた。
コロナ禍で予定がバタバタと消えて無粋を託っていた時、
ふと今こそ映画化しようと思ったそうだ。
主役は“長塚さん以外には考えていない“
長塚いわく、“私が歳をとるまで待っていたのではないだろうか?“
そう思うほど、何も考えなくて良くて、
ト書の通りに“歩き“、ト書の通りに“話した“
それだけで渡辺儀助になれた。
“私は何もしていません“
死を超越したような、死をコントロール出来ると考えてる前半。
迫り来るX-davを余裕たっぷりと待ち受けている・・・
ところがどうだ!!
後半はコントロールするどころか、無様に《敵》に怯え、
老いに侵食されていく。
老いへの優越から、ごく当たり前の弱い年寄りに
成り下がる・・・のではなく・・・
《死》も《敵》も《老い》も
見下すことなど不可能なのだ。
さまざまな出来事。
3人の女
瀧内公美、河合優実、黒沢あすか、
彼女たちは存在したのだろうか?
夢と妄想の産物ではあるまいか?
それにしても色っぽくて、しっぽりした瀧内公美、
小悪魔的に、殺し文句を連発して、大金を巻き上げる(?)河合優実、
20年以上前に死んだ妻の黒沢あすかまで現れる。
先生(儀助)は大学のフランス文学の元教授で、
瀧内公美は元教え子、
“今なら、セクハラ・・・ですよねー”
と言いながら、足繁く訪れて先生の手料理でワインのお相手をする、
眼福のような慎み深いしっとりした美しさ‼︎
瀧内公美も河合優実も超人気女優、
二人は幾つの引き出しを持っているのか?
役柄によってまるで別人に化ける演技巧者、
仏文の学生・河合優実は、プルーストやサン・テグジュペリ、
マルグリット・デュラス、などを持ち出して儀助を翻弄する。
“こんな会話に儀助は飢えていた・・・“
“知性で優位に立ちたい男のプライドをくすぐり捲る河合優実・・・
脚本も良いが三人の女が実に魅力的。
フランス文学の教授なのに、
“一回もフランスに連れて行ってくれなかった“
と恨み言を言う妻の黒沢あすか、
“実は会話に自信が無くてねー“
生きている間には一度もなかった、
同じ湯船につかり、向かい合う、
亡き妻と愛人(?)と旅雑誌の編集者、儀助の四人で囲むお鍋料理、
ちょっと滑稽で苦くて甘いシーン。
儀助は認知症・・・ではないと思います。
あくまでも夢と妄想が入り混じり、
《敵》に怯え、最後には《敵の襲来》に果敢に立ち向かう、
本当に長塚京三は適役でした。
ソルボンヌ大学を6年掛けて卒業した経歴。
実年齢とほぼ同じ79歳、
息子は有名・人気劇作家で演出家の長塚圭史で、
(KAAT神奈川芸術劇場の芸術監督)
その妻は常盤貴子、
長塚京三の遺伝子は社交的で優れた息子に引き継がれた。
心に刻まれる素晴らしい映画だと思います。
ラストの台詞
「この雨が上がったら春が来る、みんなに会いたいなぁ」
のところで、長塚京三さんは、涙ぐんでしまった、そうです。
阿川佐和子にそう話すのでした。
老いる…ということ
…おもしろい視点で見られる
妻に先立たれ一人で暮らす
真面目で几帳面な元大学教授の日常
全編モノクロ
料理は彩りは無いのですが
美味しそうに食べる姿や
食べる音で美味しさがわかる
食後豆から挽いた珈琲で
充実したひとときを楽しむ
途中から"敵"の存在が何度も出てくる
はじめはよく分からなかった
一人で暮らす生活で
老いからの"孤独"や"寂しさ"から
現実だと思っていた事が夢だったと
…可笑しな夢を見る
何度も何度も(最後の頃は悪夢)
現実かのような夢
記憶が遡っているかのような夢
最後は母の胎内にいるかの様な戦中の夢
季節は夏から冬の出来事
春になったらまた皆と会いたい
と最期のことばが切なく聞こえる
相続は従兄弟の槙男に託される
託された槙男は双眼鏡で伯父の姿を…
そして槙男の姿はない
ラストの意味がわからなかった
ミステリ(謎)な感じで終わる
所々笑える所もあり面白しろさもある
長塚京三さんをあてがきされた様な作品
リアルな感じが素晴らしい
他のキャストの皆さんもとてもよかった
まぁ〜…(本文に続く…)
目を覆いたくなる前半のプライドと痩せ我慢の痛々しさ。なぜか愛らしい後半の暴走ダメ爺さんぶり。
久しぶりに見る長塚京三。
落ち窪んだ目元、深くなった目尻の皺、
伸びきった喉元のシルエットは、すっかり老人のものだ。
モノクロ映像の深い陰影が、それを際立たせる。
「私、部長の背中見てるの好きなんです」
部下の女性の言葉に小躍りしていた
サントリーオールドのCMの長塚京三は
はるか遠い日のものだ。
仕事は遠のき、人付き合いも限られていくのに、
ブライトは高く、食欲も性欲もまだまだある。
人生の残高を計算しては心細くなるのに、
後輩に説教がましく人生の閉じ方を語ったりしてしまう。
ひとり自分のために美食をつくっては、
女性に振る舞って褒められる自分を妄想している。
しかし妄想は妄想。現実は変わり映えしない。
ひときわ強めの効果音が、老いの現実を容赦なく刻みつけていく。
この映画を観るひと(つまりぼく)が、
老いへの不穏な気配を感じていれば(つまりぼく)、
映画の前半は思い当たることばかり(つまりぼく)だ。
物語は動き出す。
元教授の大好きな(ぼくも好きだ)可愛い子ちゃんとの
甘い日々はガラガラと音を立てて崩れる。
自分を教授に引き戻してくれる教え子たちとのささやかな現実も、
妄想がじわじわと染みこんできて暴走し始める。
振り回され、混乱し、慌てたり、怖がったり、謝ったり。
だがしかし、教授はなぜか遥かに生き生きとしている。
何度も推敲した遺言書は、最後は万年筆で清書だ。
自分らしい知性に溢れている。
敵との戦いに自ら飛び込んで、最期を迎えたそのあとは、
懐かしいみんなと会える。
さあ、ぼくの遺書を聞いてくれ。
よくできてるだろ?
長塚さんは、前半のカッコ良いところが、痛々しくて見ていられず、
後半のカッコ悪いところが、人間的でいいやつっぽくて、よかった。
自分はどう老いたいのか、考えずにはいられなかった。
奇妙な展開と人生の終末期が見事にマッチした映画
質素だけれど、家事を自然体でこなす現実的な日常風景の前半と
幻想と現実がわからなくなる主人公の混乱が
観ている私たちも追体験していくような感じで
非常にリアル。
観終わった後も、現実と幻想に思いを馳せた。
それにしても、ご飯をとても美味しそうに食べる長塚京三さんがカワイくて魅力的、とても御年80歳とは思えなかった。
死ぬときはあんな感じ
長塚京三、瀧内公美、黒沢あすか、河合優実、すばらしい。
あと何年という計算をするところが、身につまされます。
なくなる時は、たぶん、現実と夢が混在してきて、わからなくなっていくのだと思い至り、あんな感じで死んでいくんだなという、身につまされる映画でした。
飯テロ→現実の崩壊
原作未読、前情報ナシで鑑賞しました。
文化系インテリじいちゃんの質素な日常に、虚構(妄想?)がいりまじり、境界があいまいになっていき…というおはなし
いや、こういう話とは思っていなかった。
つらかった。
アンソニー・ホプキンスの「ファーザー」のときもこういう感覚に陥って、号泣しながら観た。
敵。
老いなのか、死なのか、認知の歪みからくる漠然とした恐怖なのか。
わたしは認知症のメタファーと思ったし、監督もそのように考えているみたいだけど、筒井康隆氏は否定しているそうな。
こういう自我や認知が崩れていく話は恐ろしくて見ていられない…年とったら違う感想になるんだろうか。
白黒なのにご飯がとても美味しそうでお腹がすきました。
長塚さんも見事でした。一人でいるとき、靖子がきたとき、奥さんの幻に話しかけるとき、女子大生と会話するとき、それぞれ違った顔で。
瀧内公美さんがエローい!!!上品なのに、、
かわいいなあ。
あの色気はどうやったら出るんですかね?
あの女子大生は実在していたんだろうか。お金騙し取られたのは事実?(だからXデーが早まった?)
靖子があんなに美しく魅力的なのは、儀助の主観がはいってる?
もはやどこまでが客観的事実だったのかわからない
あと、ラストシーンの意味がよくわからなかったな
儀助がお家につく幽霊になってしまったかのようだった
追記
演出がホラー映画に似ているから
あんなに居心地が悪かったのかもしれない
3日経ったらだいぶ馴染んできて、原作を読みだした。
(原作の儀助は更にプライド高いしきもちわるい)
最初から儀助はオバケ(死後)だったのでは
でも流石にそれでは可哀想すぎるな、などと考える
余韻に浸れる作品
途中からよく分からなくなった
敵はいきなりやってくる
長塚京三さんのようになりたい。
長文のレビューが多いですね
老いとは自身を構成しているものがどんどんほどけていく過程
事前の情報で何となくイメージが出来ていたけど、大体そのとおりの映画でした。
長塚京三さんは77歳になったのですね。
この映画では老体を色々と出している。裸体とか。
ヒロイン的な女性が3人。亡くなった妻の黒沢あすかさん、教え子の瀧内公美さん、知り合った仏文学生の河合優実さん。
瀧内さんは、とても良い。
河合さんは、ハマり役だとは思う。
老いとは、自分自身を構成しているものが、どんどんとほどけていく過程なり、ということを再認識しました。
そういう事を書ける筒井康隆さんは、やっぱり凄いです。
良い作品だったが、
しばらく放置していたが、感想書くことにした。とはいえ、この映画については既にたくさんの激賞が届けられており、今更なにかを加えるのも蛇足のように思えてしまう。
ただ、その点こそが自分にとって本作に感じた言葉にならない引っかかりであり、多くの褒め言葉がなんだかこそばゆく感じられてしまう所以かと思われる。
確かに吉田大八の演出も、今どきにしては美しいモノクロームの映像も、長塚京三、瀧内公美、河合優実といった華麗な俳優陣の演技にも文句を言う筋合いはないのだが、個人的には「桐島、部活やめるってよ」の冴えた描写の方が優ってたように思うし、独りの孤独な老年を迎える男性の描写についてもヴェンダース「PERFECT DAYS」に軍配を挙げたい。
おそらくこの問題は、原作、筒井康隆の映像化困難に由来しているのだろう。原作は未読だが、筒井の作品世界についてはそれなりに読んできたつもりだ。
だけども、分散した出来事が、ラストに向けて収斂することなく、ある意味放置されたまま終わっていくのは嫌いではない。まあもう少し最期の長塚京三さんの感情が剥き出しになる瞬間があってもよかったかなとは思った。
「敵」とは
元大学教授の渡辺儀助は連れ合いを亡くしてすでに二十年。一人暮らしがすっかり板についていて家事全般をそつなくこなしている。特に料理へのこだわりが強く毎度食卓に並べられる食事は充実していた。
悠々自適な暮らし、年金と少しばかりの原稿料で食いつないでいるが食と酒にはこだわりがあり摂生をする気もなく今の生活スタイルを変えるつもりもない。このままの生活が維持できなくなればその時がXデーだとばかりに限りある残りの人生を満喫したいという。
そんな彼の気ままな余生が徐々に侵食され始める。それはパソコンにいつも一方的送られてくるメールからだった。いつもの迷惑メールだとして無視してきた彼だがある時ふと目に付く文言が。
「敵」と書かれたそのメール、いつもの怪しげな迷惑メールとは違う文言ながらもやはり彼は無視し続けた。
儀助の周囲には彼を魅了する二人の女性の存在が。元教え子の鷹司靖子、行きつけの文壇バーには女子大生の菅井歩美。なにかと彼女らは彼の自尊心をくすぐり誘惑してくる。いやそれは彼の妄想に過ぎないのかもしれない。
そんな彼の下心を見透かしたかのようにあるいは彼の抱く罪悪感が妻信子の亡霊を見せるのか。あるいはこの家にはかつての住人たちの霊が住みついているのだろうか。彼は何かと妻の亡霊に翻弄される。
そして迫りつつある「敵」の存在。それは北からやって来るという。北の国の独裁体制から解放されたその住民たちが難民となって押し寄せてくるというまことしやかなネット上のデマにより作り上げられた妄想なのであろうか。
たちまちあたりは戦場のような騒乱に包まれる。それは儀助が母の胎に宿っていたころの戦時中の空襲を思わせた。
そこに漂うのは死の恐怖。「敵」はゆっくり近づいてくるのではない、それは突然現れる。「敵」とはなんなのか、それは「死」そのものではないのか。
敵とは、その正体とは。それはけして人間が逃れられないもの、自分自身の死を言うのではないだろうか。儀助は自分の死を常に意識していた。自分の今の生活を維持できなくなる日が来れば潔く死のうと。あえて自分の生を引き延ばすための節約もせず食べたいものを食べ、飲みたい酒も飲む。そうして時が来れば命を絶とうと。
愛する妻を亡くしもはやこの世に未練はない。死が向こうから来るのを待つのではなく自分から死を受け入れてやろうと。そう考えて余生を過ごしてきた。しかしいざ過ごしてみると誘惑も多い。周りには思わせぶりな美女たち、思わず下心も芽生えてしまう、そんな自分の罪悪感が妻を呼び覚ます。
この年齢になり人生をすべて見極めたつもりだった。いまさら死を恐れることなどないと。しかしやはり死への不安や恐怖は拭えない。Xデーが来たら潔く自死すると決めていた儀助、しかしそれが来ることがいつかはおぼろげにわかっていても、それはいつか来るものでありそれがすぐにでも訪れるとは思っていなかった。健康診断を避けてきたのも自分の死を直視させられるのを避けたかったからにほかならない。
しかし下心から女子大生歩美への援助で貯えの金を渡してしまい、ことのほかXデーが目の前に来てしまった。まさかこんなにも早く。常に死を意識していながらもしかしそれはまだまだ遠い先のことだと高をくくっていた。死はゆっくりと近づいてくるものだと、しかしそれは突然やってきてしまった。
いくら長い人生を生きてきて経験を積んでも死だけは経験できない。死は未知の領域だ。儀助は覚悟していたようでその実、覚悟なんてできてはいなかった。
いったんは首を吊ろうとする儀助だが、それも尻をついてのもの。彼の死ぬことへのためらいがそこからも見て取れる。
友人にも死の期限付きで生活すれば人生が充実するなどと語りながら、やはりその不安は払拭できてはいなかった。そんな彼の潜在的な死への不安や恐怖が「敵」となり、メールを通してじわじわと彼にその予兆を知らしめ、ある時突然襲いかかったのかもしれない。
死という名の敵。生きる上では常に対峙すべきもの。生を望めば望むほど死という敵の存在が大きくなる。生に執着すればするほど死の不安と恐怖は大きくなって彼に強大な敵となって襲い掛かってくる。
受け入れようが受け入れまいがやがて死は必ず訪れる。そして儀助にも死が訪れる。「敵」は受け入れたとたんそれは「敵」ではなくなる。死を受け入れることはそれは死の不安や恐怖からの解放を意味する。
そうして死から解放された彼の魂は安住のこの地、この住み慣れた家に宿ったのかもしれない。それを知った彼の甥はおいそれとはこの家を売り渡すことはできないであろう。
相続手続きがなされる主を失った邸宅で儀助の甥が彼の双眼鏡を何気に覗くと二階の窓際に佇む儀助の姿があった。
独り身で悠々自適な生活を送り続けていた主人公、しかしそこには常に老いと死がつきまとう。そんな老いと死への不安や恐怖が「敵」という形となって彼をじわじわと追い詰めていった。
高齢となれば連れ合いは必ず先に逝く。孤独な老後の暮らしで誰もが味わう死への不安や恐怖を筒井文学特有の語り口で見事に映像化した。
十代の頃夢中になって読み漁った筒井文学の世界がそのまま再現されたような作品だった。一見平凡な日常が徐々に非日常に侵食されてゆく様、スラップスティックな笑い、悪夢のようなシュールリアリスティックな現象。
筒井氏はむかし村上龍氏との対談で非現実なことを描くには現実的な描写がしっかりと描かれてないといけないと述べていた通り、本作は前半はごく普通の日常がリアルに描かれ後半から超現実的な現象が描かれて見る者を悪夢へといざなう。まさに筒井氏の十八番と言える作風を見事に映画という映像表現に落とし込んだ監督の筒井康隆愛がにじみ出た作品だった。
筒井文学ファンなら本作を存分に楽しめたことと思う。と言っても私自身筒井文学から離れてかなりの時間がたつ。父親と同い年の筒井氏がいまだ健在なのがうれしい、早速原作本を注文した。なんせ80年代までしか氏の作品は読んでいない。ベストセラーになった文学部唯野教授でさえ読んでいない。これから読ましていただこう。
ちなみに私が好きなのは七瀬三部作、俗物図鑑、大いなる助走、乗越駅の刑罰、などなど数え上げたらきりがない。誰か有名な作家が言ってた、青春期の読書は恋愛と同じだと。まさに青春時代夢中になって読み漁った筒井文学は私にとって恋愛だった。
男性の秘めたることをバラしちゃいけないと思ってしまう映画
筒井康隆原作、長塚京三が主演。「桐島部活~」の吉田大八が脚本監督。東京国際映画祭グランプリ。
モノクロで丁寧に作られている。初老の域に入った男性にとって、けっこうドキっとする映画。
前半は、一人暮らしをとても丁寧にテンポよく描く。ちょっと気が緩んできたら、後半はホラーのような「時をかける少女」のような掴みどころのない展開。それが、老人の独り身の老いてゆく怖さに繋がっている。
ラストの中島歩には笑った。この人いろんなのにちょい役で、場面をさらってゆく(Netflix「阿修羅のごとく」とか)。売れてるね、この人。
瀧内公美も不倫とか夫を誘惑といえば、彼女が選ばれる(「阿修羅のごとく」)。で、それが実にハマる。河合優実もなかなか可愛い。と男性の下心をくすぐる(中島歩はちがうけど)。
まあ、世の男性で、心当たりがある人は、なんとも居心地の悪い映画だと思う。
その意味ではよく出来た映画。
(そんな男性の秘めたることをバラしちゃいけないと思ってしまう映画)
犬の名はバルザック
仏文学の権威だった老爺が痴態を晒しまくるという身も蓋もない話。『文学部唯野教授』あたりを読んでもわかる通り、筒井康隆のアカデミズムに対する愛憎の強さにはやはり計り知れないものがある。そこが彼の文学の最大の糧というのが凄まじくもあり、同時に物悲しいが…
元大学教授の渡辺は妻に先立たれ、中野区弥生町の広大な一軒家で余生を送っている。一見して『PERFECT DAYS』のように小綺麗な彼の生活だったが、そこへ女という闖入者が次々現れることで歯車が狂っていく。
元教え子の鷹司や、行きつけのバーに出入りする立教大仏文学科生の菅井に対し、年甲斐もなく男として振る舞おうと奮闘する渡辺の姿は滑稽で悲惨だ。
鷹司のためにわざわざ海外のサイトから食品を購入するくだりや、バタイユを読む菅井が「大学で取り上げられるテクストはつまらない」と言ったのに対し「若いうちはそうかもね」と答えるくだりなどは老爺の気持ち悪さへの解像度が無駄に高くて笑ってしまった。
よく言えばラブコメのような日々はしかし、「敵」なるものの存在によっていよいよ妄想の次元へ突入する。「敵」が北からやってくる。曖昧模糊とした不安が渡辺の中で徐々に肥大化し、それと同期して現実の中に妄想が溶け出し、無際限に拡散していく。
後半のめくるめく夢の入れ子構造は今敏やデヴィッド・リンチを彷彿とさせる。だがしかしそれゆえに目新しさは感じない。現実を基準に開始された物語が現実を放棄し始めたら、我々には眼前のカオスにひたすら耐え続けるしかない。しかし耐え続けるに値する視覚的快楽がそこにあったかといえばそんなことはない。
たとえば遂に現れた「敵」が暗闇の中から渡辺に襲いかかるくだりでは、画面に躍動感を与えようとGoProを用いるという小手先の演出が取り入れられるわけだが、それまでのスタブルなフレーミングとの落差に落胆を覚えるだけだった。
本作は渡辺の死をもって終幕を迎える。ゆえに「敵」とは死のメタファーである、との解釈ができるだろう。とはいえそこをはっきり明言しないままエンドロールに突入できるのはさすが『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八だなと感じた。
現実的な非現実、 ザ・筒井ワールド
原作未読ですが、子供の頃SF小説にはまり筒井作品も読み、またドラマ化された作品もテレビで楽しみに見てました。
久しぶりの長塚京三の好演が話題になっていたことと、他の出演者も最近の売れっ子揃いで見る価値ありと鑑賞。
主人公はリタイアして悠々自適の生活だった筈が、少しずつおかしくなっていく感じで描かれていたけれど、本当は最初から既におかしくなっていたのか?とか、中島歩は従兄弟の息子なのか、死んだ祖父の亡霊なのか?本当は主人公の方が亡霊だった? とか終わってから様々想像して楽しむところ、実はSFっぽくまさに筒井ワールド。夢か現実かそのうち曖昧になっていく畳みかけが凄くて、恐怖が加速していく感じ。
老人の一人暮らし、という将来を考えた時、いつまでも1人で正気でいられるかはわからないのかも、なんて考えたりして。
真面目で律儀な現実味のある元フランス文学教授を演じきった長塚京三は昔と印象が全く変わらず美しい佇まい、見事な演技だった。
白黒の映像がストーリー展開や雰囲気に効果的で、しかも不思議と色が見えるような光の使い方で見事だった。
期待通りの作品でした。
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