「我々一人一人にも迫る“敵”」敵 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
我々一人一人にも迫る“敵”
長塚京三氏を久々に見た気がする。
以前は映画にドラマ引っ張りだこだったが、近年はお歳を召して仕事量をセーブしているのか、露出が少なくなった印象。
本作は12年ぶりの主演映画。個人的に映画で最後に見掛けて印象的だったのは2014年の『ぼくたちの家族』。
ちょいちょい出てはいるが、この名優も静かにフェードアウトかなと思ったら、今年80歳になって自身の代表作やハマり役と言っていい作品に巡り会うとは…。
長塚氏が以前インタビューで語ったという“人生100年時代”。
本当に人生まだまだ先、何があるか分からない。
元大学教授で、フランス文学を教えていた儀助77歳。
長塚氏も昔、パリ留学の経験あり。吉田大八監督も当て書きしたという。
職は10年前にリタイア。祖父の代から続く古い日本家屋で隠居生活。妻には20年前に先立たれ、子供はおらず、一人暮らし。
職はリタイアしたが、時々講演や出版社から依頼された執筆を。
毎日決まった時間に起き、質素な食事や晩酌をし、パソコンに向かって依頼された原稿を書き…。買い物や日々使う文具もこだわり、徹底管理。毎日の営みやルーティンは『PERFECT DAYS』の平山さんのよう。
たまに数少ない友人や教え子が訪ねてくる。行きつけのバーに飲みに行ったり、自宅で手料理を振る舞ったり。
自由気ままな一人暮らし。ちょっと憧れる。
見るからに真面目そうな儀助。そんなイメージも長塚氏にぴったり。
性格も生き方も高潔かと思いきや、案外そうでもない。
近所で犬のフンでトラブル。途端に体臭を気にし、身体を洗う。
時折訪ねてくる教え子の靖子。大学在籍時から親交あり。美人で、最近離婚したという靖子。堅物に見えて、ちょっと下心ありの儀助。妄想の中で靖子と…。まあ、無理もない。夏、ランチやディナー、お酒も入って…。その相手が瀧内公美なら、男なら誰だってドキマギするって! それにしても本当に魅力的な女優さん。映画などではシリアス&クールな印象だが、たまにバラエティーに出ると明るくケラケラと笑い、そのギャップに萌えてもうた…。
行きつけのバーで、マスターの姪の歩美と知り合う。大学生でフランス文学専攻。フランス文学についての話やアドバイスはとにかく、若い娘(ブレイク&フレッシュの河合優実)と会うのが楽しみに。学費で困っている歩美。儀助は貯金を彼女に。それ以来歩美と音信不通に。まあ、そういう事。
身体は老いてもまだまだ気持ちはあり。それ故自分の愚かな部分も露見。悲哀やユーモアもあり、これも長塚氏のイメージに合う。
ショックではあるが、騙された事に不思議と腹が立たない。
なるべくしてなり、末路が早まっただけ。
端から長生きなど考えてもいない儀助。
貯金と一日使ったお金を計算し、後どのくらいで底を尽きるか。尽きる直前になったら葬式代くらい残して、自死を決めている。
遺言も書いてある。
騙し取られたのは自分の不甲斐なさ。そういう運命。“その時”が早まっただけだ。
さて、いよいよ自死しようとした時…
いや、ヘンな予兆は少し前からあった。
一通のメール。送り主は“敵”。
“敵”が来る。
ネット上でも“敵”についてあれこれと。
“敵”は日本に近付いている。
“敵”は南の方からやって来る。
“敵”はすでにもう来ている。あなたの近くにまで…。
何かの悪質メール…? 比喩…? デマ…?
何故かこれが妙に気になる儀助。
それからというもの、儀助の完璧だった生活が崩れ、次々奇妙な事が…。
靖子から誘い。ハッと気付いて起きると一人ベットの上。
病床の友人。ハッと気付くと…同じ。
近所でまた犬のフンのトラブル。何処からか飛んで来る銃弾。ハッと気付くと…同じ。
死んだ筈の妻が…。ハッと気付くと同じだが、これだけは夢でもこのままでいたかった。
妻、靖子、新担当編集のあり得ないシチュエーションで夕食。
これが現実ではないのは分かる。なのに、どれも妙にリアリティーがある。
どれが幻想か、どれが現か。何処から幻想だったのか、今現なのか。
端から儀助の妄想だったのかもしれない。
その狭間が曖昧…を通り越して、分からなくなってくる。
儀助の深層心理か、何の迷宮か、そもそもが分からなくなってくる。
それを印象的にする白黒映像。見る者を惑わし引き込む幻想的でありながら、美しい。
吉田大八の演出は、日常、ユーモア、シュール、サスペンス、哲学的などを織り交ぜバラエティー豊か。フィルモグラフィーの中でも異色作ながらしっかりと自分の作品に。『桐島、部活やめるってよ』『紙の月』などと並び、ベスト演出の一本。
長塚京三のハマり名演は言うまでもなく。今年の主演男優賞は吉沢亮で決まり!…と思ったが、大ベテランが立ち塞がる。
筒井康隆の同名小説が原作。幻想とリアリズム、哲学やナンセンスなど幅広いSF作家の御大の一人。
本作もいずれのジャンルにハマる。難解ではあるが、全く分からない/つまらない/飽きる事はなく、不思議と引き込まれた。
その一つに、“敵”の考察。
“敵”とは何だったのか…?
劇中では明確に描かれてはいない。
見る側が解釈。人それぞれ見方があると思う。
私的にはまず、死や老いと感じた。それは間違いなく込められているだろう。
平和ボケの日本に迫る危機警鐘。“北の方”だからあの国か、戦争の火種か。
コロナなどまた新たな未知の脅威かもしれない。
ひょっとしたらもっと個人の内面やパーソナルな事かも。年甲斐もない欲求や思い上がりや醜態への戒め。
“敵”ははっきりとしたライバル存在ではなく、何かのメタファー。答えはない。だから考察のしがいがあり、それがなかなか面白くもあった。
儀助は死去。
遺言に従って家や遺した書物などの事で関係者や唯一の親族の甥が集う。
物置で双眼鏡を見つける甥。覗いて家の方を見ると…
儀助の姿が。
ほんの一瞬だが、遠方を見渡している儀助。
亡き今もこの家に留まり、迫り来る“敵”に対しているのか、迎えようとしているのか、警鐘しようとしているのか。
我々の近くに、人それぞれの“敵”が迫り、或いはもう来ているのかもしれない。