「もうひとひねりあれば!」この夏の星を見る キレンジャーさんの映画レビュー(感想・評価)
もうひとひねりあれば!
50歳を越えた男性がレビューしていることをまずお知らせしておきます。
そしてグダグダ長くなります。
以前、過去のレビューに書いたことがありますが、まず前提として、いわゆる「青春」などというものは私にとっておじさんおばさんの最大公約数的な幻想でしかなく、10代を終えた大人達が、当時の山ほどの後悔とほんのちょっとの楽しかった記憶を振り返った時、極端に美化されて現れた虚構世界、それが「青春」というものの現実です。
そして、それを小さな頃から様々な媒体・作品、経験談と称する誇張されたデマによって散々植え付けられた多くの中高生たちは、なぜか大人達が作ったその「青春」という偶像に自分を照らし合わせ、「私も青春でいなければ」という不自由さの中にいます。
部活に時間を費やしている学生達でさえ、大半は目の前の練習や試合に、日々の惰性の中で取り組んでいて、もちろん短期的な勝利や成績の向上を目指しこそすれ、それは次の進路の前にケジメを付けるべきものと思っています。
大半の中高生たちの現実とは、友人や親、世間からの激しい同調圧力、羞恥心、エゴ、そして芽生えた性への好奇心の中、なんとなく、でも当人にとってはある意味必死に日々を過ごしているのです。
実際、私の回りにいる中高生を見ていて、コロナ禍で行事が無くなったり、学校が休みになったり、友達に会う機会が減ったことに「不憫」「可哀想」「不幸」と感情を揺さぶられているのは、むしろその親の世代です。
本人たちにとっては「それが平常運転」であり、日本中いや世界中の同級生が同じ環境にいるので、比較的フラットに受け止めているものです。(もちろん部活の成果が出せずに終わったことを悲しむ学生はいますが)
そして、私は「それが素晴らしい」と思っています。
コロナ禍当時の中高生がそれまでの中高生と比べて自分たちが「可哀想な被害者」だと自覚することは、やはり不自然。
この映画に登場する彼らの様に、「今できる何か」を探すほうがよっぽど現実的だし正しいワケで、彼らは迷い、悩んでいる様で、でも実は着実に正しい道を歩んでいる。
そう思うのです。
彼らには武器がある。
創作物の中では、比較的悪役になりやすい「SNS」「双方向通信」を始めとする「オンラインによる接点」が、コロナ禍で急成長し、彼らは早々にそれを自分の手足として利用し始めた。
日本中の同じ思いを持つ高校生が、気軽に同時に繋がる。
逆に、我々の時代において友人の「引っ越し」「転校」はまさに「今生の別れ」にほぼ等しい意味を持っていたことと比べれば、今の彼らには本来それほど切迫感のある悩みでもないのかも知れない。
世界のどこにいたって声を聞き、顔を見て、話ができるんだから。
話が漠然としてしまいました。
とにかく、登場する中高生は、コロナ禍で大人たちの右往左往に振り回されながらも、「日常」でいようとします。
そして「何ならできる?」をテーマに、それぞれが動き出す。
冒頭のアサとリクの部室で出会うシーンとか良かったよね。
そんな、描こうとした彼らの姿は素晴らしかったけど、やはり物語の展開にちょっと飛躍とデフォルメが強く、ストーリーももうひとひねりあったら最高だったのに。
アサちゃんって、「大きなタマネギの下で」のあの娘よね?
可愛らしくて達者なのはいいのだが、私にとっては「なんかうるさいな」感が残った。残念。
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