劇場公開日 2025年5月16日

「面白いが、微妙さも残る」金子差入店 R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 面白いが、微妙さも残る

2025年8月10日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

解説にはヒューマンサスペンスとあるが、サスペンスの意味とは表面的なものではなく内面的な部分だと推測する。
この物語の基本的な知識として知らなければならないのが、「加害者と被害者(またはその家族)が直接面会することは、刑事手続きや矯正施設の運用上、原則として認められていない」ということだ。
物語は、この部分を視聴者にうまく認識させていないことで、主人公は何故リスクを冒すことになるのか? そして収監所の刑務官たちがなぜ「ダメだ」と発言したのかがわかりにくい。
そして、
この職業は実在する。
殆どの人が知らない職業
ここに焦点を当てたのは面白い。
また、主人公自身の過去に服役していた事実とその原因だった母との確執
これらを上手に「橋の下の力持ち」として支えているのが、金子美和子だろう。
彼女の素性は語られないが、その気丈さだけは映像から伝わってくる。
おそらく設定上、美和子の両親はすでに他界しており、夫シンジが邪険にする毒母であっても、「生存」している限りは孝行すべきではないかと考えているのだろう。
また、
世間から疎まれがちな夫の仕事も、誰もができることじゃないことで、どんな人に対しても「差入」という形で思いを伝える代行業というものの大切さを明確に心得ている。
人の心 他人の価値観 悪口や陰口
美和子の言う通り、確かに人は自分が作り出した鬱憤のはけ口を常にどこかに求めているのだろう。
この背景があって、実際起きた理不尽な殺人事件
カリンちゃん刺殺事件
そして、
「金子差入店」を訪ねてきたのが犯人小島の母だった。
彼女の依頼
これを素直に引き受けることができない最大の理由は、その母から感じた共感できないことだろう。
シンジはこの仕事 そしてどんな人にも適用される「面会と差入」を「権利」という言葉を遣って説明した。
この言葉をまるで逆手に取ったように「権利」を主張し始めた殺人犯小島の母
この部分
小島との面会で彼が話した100匹のアリ
必ず働かない2割
これをシンジは「性悪説」のことだと読み解いた。
この部分は、小島の母からも感じることで、この親あってのこの殺人犯だというのがわかる。
最後に小島の母は「いったいいくつまで子どものしたことの責任を取らされる? 私は20歳まで子どもを立派に育て上げた」と主張した。
彼女の言葉の意味 「私には責任はない」
豪邸に住み、何不自由なく暮らしているように見えるが、小島の頭の中にあるのは「他人の所為」
「この社会の絶対に対する反撃 報復」と彼は言ったが、すべて自分に起きたことを他の所為にしている。
この部分に感じる「テロ」という行為
テロは同じ思想によって結束した仲間たちで、何も関係ない人々を襲うが、それを国がやれば戦争となり、概ねその区別はあってないと言ってもいいかもしれない。
小島の考えにそれを持ってきたのは深い部分でのつながりを感じるのと、異常、つまりサイコ的なものも感じるが、監督としては「理不尽」とか「不条理」を描きたかったのだと思った。
二宮サチについても似ていて、彼女の母という人物像がしていた娘を使った売春は、叔父でありヤクザの横川でさえも許しがたい仕業であったのだろう。
ただ、
服役を終えた横川 ヤクザ事務所がなくなっていて、親戚の二宮家を訪ね、その事実を知ったという三段論法は若干浅はかに感じてしまった。
この部分で思い出すのが「三度目の殺人」
容疑者が話さなかったことを弁護士が最後に読み解いた。
そして法廷ではなく、収監者との面会でそれを描いた。
似て非なるものだが、同じモジュールに感じる重みの差があった。
さて、
この作品 基本ベースは群像
サチが金子家で食べた「親子丼」とそこで感じた家族というつながり
彼女は非常に複雑な気分だったはずだ。
しかし物語は気丈さを描いていた。
同じように美和子も気丈だ。
娘を殺された母 包丁を持って「刺し殺してやる」という本心 抑えられない衝動
陰口 そして植木鉢を壊す「誰か」の存在
シンジのどうしようもない母親像
母と子供が3組(5組)も描かれているが、非常に似ている部分とそれぞれの違いがはっきりしている。
二宮サチの母 お金のために娘に売春させていたこと 最後にサチが止めをさした映像は生々しくリアルだった。
小島が母から何をされていたのかは映像からわからないが、小島が殺人鬼になる過程を母が作ったのは間違いないだろう。
殺人によって小島は、母から完全に独立したと思っているのではないだろうか?
実際には社会ではなく、母親に向けたのがあの殺人事件なのだろう。
小島の瞼 「ゴミ医者によってマヒした」こと
他人は気にしないが、この「本人にとっては重要なこと」が人の考え方を変えてしまう。
理不尽や不条理を抱えているのが人間
このはけ口を求め、大なり小なりのことがあるのだろう。
そしてシンジ
彼は絶対に許せない母へ、イチゴを差し入れた。
シンジだけが崖から転がり落ちるのを留まった。
この三者三様をこの作品は描いていた。
いずれも毒母を描いている。
それを、差入代行業というモチーフで表現した。
基本的に面白かった。
ただ、
概ねすべてを描いてしまっているので、余白が少なく、それで落ち着いたことで残った感覚が「イチゴ」
このイチゴという感覚が微妙だった。

R41
ノーキッキングさんのコメント
2025年8月10日

共感ありがとうございます。
名付けられた“毒親”は社会的地位を得てずいぶん流行りました。

ノーキッキング