劇場公開日 2025年1月17日

「背景に様々な社会問題を織り込んではいるものの、重苦しくはありません。肩の力を抜いて楽しめて、笑えて、泣ける一作です。」サンセット・サンライズ 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0背景に様々な社会問題を織り込んではいるものの、重苦しくはありません。肩の力を抜いて楽しめて、笑えて、泣ける一作です。

2025年1月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

笑える

幸せ

「前科者」「正欲」「あゝ、荒野」の岸善幸監督が脚本家・宮藤官九郎とタッグを組み、岩手県一関市出身の小説家・楡周平の同名小説を映画化したヒューマンコメディ。
 菅田将暉が主演を務め、都会から宮城県南三陸に移住したサラリーマンが住民たちと織りなす交流を、コロナ禍、東日本大震災、地方の過疎化+空き家問題などの社会問題を盛り込みながらユーモアたっぷりに描きます。
 背景に様々な社会問題を織り込んではいるものの、重苦しくはありません。肩の力を抜いて楽しめて、笑えて、泣ける一作です。

●ストーリー
 新型コロナウイルスのパンデミックで世界中がロックダウンに追い込まれた2020年。東京の大企業に勤める34歳の西尾晋作(菅田将暉)は、コロナ禍で在宅勤務が広がる中、インターネットで4LDK・家賃6万円、家具や家電も備わった一軒家を発見。心奪われ、すぐさま宮城県南三陸の湾岸部にある漁師町、宇田濱町に移住します。何より海が近くて大好きな釣りが楽しめるこのの町で気楽な“お試し移住”をスタートします。
 大家の関野百香(井上真央)と一緒に暮らしている「父親」の関野章夫(中村雅俊)の世話になりつつ、コロナ禍で感染防止のための隔離生活として、2週間の外出禁止という大家の百香との約束を破って、仕事の合間には海へ通って釣り三昧の日々を過ごします。でも東京から来た〈よそ者〉の晋作に、町の人たちは気が気ではありませんでした。 一癖も二癖もある地元民の距離感ゼロの交流にとまどいます。
 また町のマドンナだった百香が、家族を失う前に新築していた自宅をよそ者に貸してしまったために、そのことから憶測が広がり、借主の晋作が百香が同棲しているのではないかとあらぬうわさが広がります。
 噂の発信源は、かつて百香に告白したものの見事に振られた独身男性4人ケン《倉部健介》(竹原ピストル)、タケ《高森武》(三宅健)、山城進⼀郎(山本浩司)、平畑耕作(好井まさお)たちで結成した通称「モモちゃんの幸せを祈る会」の面々。彼らはケンが経営する小料理屋に毎日集い、東京もんの情報収集からモモちゃんのその日の気分に至るまで、欠かすことなく共有したのでした。東京から来た“よそ者”の晋作が百香と距離を縮めるのに気が気でならなかったのです。
 一方勤務先の町役場から、空き家対策を任された百香でしたが、企画が思いつかず悩んでいました。そこに晋作から親しくしていた近所の老婆である村山重子(白川和子)が亡くなってしまい、空き家となってしまった自宅の活用法を持ちかけられます。
 この話を聞いた晋作の勤務先の社長である大津誠一郎(小日向文世)は、空き家活用を新規ビジネスとして捉え、晋作に宇田濱町の空き家対策をモデルにした全国展開の責任者を命じるのです。

 持ち前のポジティブな性格と行動力でいつしか地元と百香に溶け込んでいく晋作でしたが、その先にはまさかの人生が待っていたのです。

●解説
 舞台は。無類の釣り好きで、三度の飯にこだわりがあり、魚をおろし、調理する晋作にとってネットで見つけた月6万円、海を見下ろす家具家電付き一軒家がもたらす豊かさは無限でした。
 けれどもコロナ下で外出が自粛されていた2020年冬の終わりの状況が招かれざる者への監視の視線をより強めるのです。特に百香が勤務する町役場のコロナ対策は過剰でした。とにかく東京からやってきたよそ者と接触するだけで、懲戒の対象となり、自宅謹慎が命じられることになっていたのです。これは東北だけでなく、利根川を渡った茨城県の常総市あたりでも、公共施設の市外者の立ち入りを厳禁したり、はたまた温浴施設のサウナにマスクを着用して入るほど警戒ぶりだったのです。
 コロナという見えない怪物に対する恐怖感がこんなに凄かったという展開を見せつけられて、久々に記憶が蘇りました。
 こんな事情があるから、百香は東京もんに家を貸したことをひたすら隠そうとしたのです。しかし世間が狭い田舎では、チョットした異変でも、すぐ噂になります。夜な夜なついている、留守のはずの百香の自宅の明かり。そして百香の自宅から釣り具を方に出入りする不審人物。町の人は、百香に男ができたものとしてすぐに噂になったのです。
 都会からよそ者がやってくることさえ警戒されるのに、当時はそれに加えて、部外者がウィルスを運んでくるかもしれないという恐怖心が都会住みの連中からは想像もつかないほどの徹底ぶりをうんでいく様を、クドカンがギャクを交えて笑わせてくれます。

 一方空き家対策を阻んだのは、狭い町の中にある何でも平等を求める声です。空き家対策には賛成のものの、自分の所有する空き家に低い評価をつけられて、多額のリフォーム代が必要となる不公平にガマンできないという声が役場に殺到。一時は空き家対策が中止に追い込まれそうになるのです。
 このとき職員から出た否定的意見が、こんななんにもない町に、誰が住もうとするもんかというものでした。そして町の多数を占める高齢者の町民も、自分よりも遙かにそう思っているはずたというのです。その職員は、「田舎の年寄りはイメージでしか考えることができない」という痛烈な言い回しをします。なのでどんなに空き家対策の必要性を説いたところで、幾ら何を説明しても到底理解はしてくれないだろうと言うのです。田舎の閉塞性は固定観念やイメージによるものだと切り込み、クドカン脚本の鋭い指摘です。
 一方空き家対策を進めようとしている晋作の勤務先の会社では、このような報告を聞いて、田舎の人間は自分たちがいくら手を尽くしてお膳立てして上げても、「してもらうのが当然という」ことが当たり前になっていて、こちらの言い分を聞いてくれないと失望感を漂わせるのでした。
 地方振興における都市と地方の過疎地との意識に大きなギャップがあることを浮き上がる展開でした。

 それでも、物語は地元民が見落とす地方の良さが、マッチングで強く響く層がいることを示していきます。やはり原作者が岩手県出身であり、監督は山形県出身であり、脚本家が宮城県出身であるという東北を愛し、精通する布陣の存在が大きいと思います。
 その一つが食の多様性。ネズミザメの心臓の刺し身や菊芋、メカジキの背びれの塩焼き、宮城版の芋煮など、その鮮度から都会には流通しない海の幸、山の幸がこれでもかと登場します。
 ネズミザメの心臓を足るときの菅田将暉が目を見張る表情は、演技ではなく本当に美味しかったのでしょう

 どんな役柄も臨機応変に演じてみせるその菅田ですが、今回のような快活でまっすぐなキャラクターは特にぴったりです。周囲に振り回されたり、逆に引っ張っていったりする姿は、ユーモアあふれるクドカン脚本にも見事にはまっていました。それは、他のキャストもしかりです。
 ただ、明るいトーンで進む中でも時折、震災の影が見え隠れはします。特に地元でアイドル的な扱いを受ける百香であるのに、東日本大震災で受けた彼女の傷を見守るしかできないコミュニティーのはがゆさにも触れられていました。震災への言及は数少ない言葉だけ。重くならず、お涙頂戴に持っていこうとしないところが本作のいいところ。あくまで穏やかな海の風景から地方の未来をどうするかを問いかける作品だったのです。
そして物語が一つの山場を迎えた時、ある人物が吐露する震災への思いにハッとさせられました。今を生きる人々への温かいメッセージを込めた、最終盤への持って行き方もよかったです。クライマックスの美しい光景も忘れがたかったです。

流山の小地蔵