「365日の全部でも足りない、その想い」366日 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
365日の全部でも足りない、その想い
本作ではモチーフになっているMD(ミニディスク)は、1992年に新発売されたあと、いわゆるデジタルオーディオ機器の旗手として大流行しましたけれども、市井で見かけなくなって久しいと思っていました。
しかし、その生産終了は以外と新しく、今年(2025年)になってからのようですGoogle・AIざっくり検索)。
そのMDは、もう今日日(び)では「過去の遺物」になってしまったかのようですが、発売の当初は、アナログ録音のカセットテープに変わるデジタル録音の媒体として音質の優位性や、曲の頭出しが簡単にできるなどの利便性、MOやコンパクトディスク(CD)よりもコンパクトで携帯の便利性がもてはやされて、発売から瞬く間に一世を風靡したことを、評論子もよく覚えています。
同じくやり取りをするにしても、今日日のIC系レコーダーのように、メールに添付してデータでやり取りするのではなく、MD という(物理的な)「モノ」の受け渡しができるというのも、それはそれなりに味があり、本作ではそれがモチーフとしても活かされているんじゃないかとも思います。
物理的に受け渡しをするためには、偶然か意図的かは別として、必ずしも二人が物理的に同じ空間に居合わせなければならない訳ですから。
不知の病を得てしまったと思い込み、美海への思慕を断ち切ろうとする湊と、美海の思慕が湊に向いていることを知りながらも、敢えて美海への思慕を募らせる琉晴―。
そして、今度は自分が病―おそらくは死に至る病を得てしまった美海のその思慕は、愛児・陽(ひなた)という親子二代を経て、初めて湊に届けられる―本作のタイトルは、美海のその思慕は、365日の全部を費やしても伝えきれないとの謂(いい)なのだとも、評論子は思います。
本作の「元ネタ」となっているというHYの楽曲「恋をして」の曲想そのままのラブ・ストーリーとしては、なかなかの佳作ともいえると、評論子は思います。